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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その3~
吉野貯木場専用線の続き。

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近鉄吉野線アンダーパスの反対側(下流側)。架線を吊っていたと見られる碍子も一部残ってます。

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丹治川を渡る橋梁。林鉄のような2本の直方体を渡したコンクリートガーダー桁。
日中戦争下で既に鉄製ガーダーが手に入れ難くなっていたのでしょうか?
かつては専用線の奥に丹治川を挟んで右に第二、左に第三水中貯木場の池が並んでいました。

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製板所の裏手に残る線路跡のスペース。
終端までこんな感じの敷地になったり建物に飲み込まれたりの繰り返し。

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旧第二水中貯木場付近から見た吉野川橋梁を行くラビットカー復刻塗装6020系6051F急行阿倍野橋行き。
養老鉄道で見慣れた色ではありますが4両編成ともなるとやはり見栄えがしますね。
吉野川は底まで透き通っています。

水中貯木場は現在埋められて跡地には製材所が建ち並んでいるため元の地形が想像しがたいです。
吉野川を使った管流し、筏組の流送は1954(昭和29)年頃までと比較的遅い時期まで行われていたとか。
既にダムもできていましたが筏用の水路トンネルをダム横に別に掘り、トンネル経由で下ったりダム堤体横に滑り台を設けて筏を吉野貯木場まで直通させていたそうです。

吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その2~

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専用線跡 | 00:14:35 | Trackback(0) | Comments(0)
「尾鷲林業物語 森林鉄道と索道の軌跡」見学
三重県尾鷲市熊野古道センターで開かれている企画展「尾鷲林業物語 森林鉄道と索道の軌跡」と講演「銚子川流域森林鉄道と索道を訪ねて」聴講してきました。
3年前にも講演があったのですが森林鉄道の催しは人気が高いそうです。

img066.jpg
三重県立熊野古道センター様より掲載許可をもらいましたのでポスターを載せます。
代燃機関車が牽く運材列車が不動谷線の高桟橋上を行く様子が印象的。

機関車をよく見ると屋根板の側面縁の反り方が加藤製作所の機関車と何だか違う気が。
小坂森林鉄道の機関車にこれとよく似た岩崎レール商会製の機関車4号がいました。
小坂4号は1935(昭和10)年9月29日製作、米レロイ製のエンジンを積んでいました。
大杉谷では3号機が同じ岩崎製で1935(昭和10)年8月購入とありエンジンもレロイ・・・帝室林野局名古屋支局として同じ機関車を2台以上発注して大杉谷と小坂にそれぞれ割り当てた可能性がありそうです。

P1020282.jpg
尾鷲湾沿いの道から少し上がった位置にある熊野古道センター。
建物は尾鷲ヒノキを使って建てられています。

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企画展入口では山中よりサルベージされた北山索道(何枚田(尾鷲市)~河合(奈良県上北山村))で使われた索道搬器が迎えてくれます。
スタッフさんが100kgの搬器を山中で溶断して5分割して運び下ろし再び組み上げたというので物凄い熱の入れよう!
中では森林鉄道や索道のできた歴史的背景から現役時の写真、ルートなど精密な情報があちこちに。
大杉谷森林鉄道運材末期のカラー映像も上映されています。

講演は相賀から出ていた銚子川沿いの四日市製紙の軌道やその後の相賀森林鉄道の各線、索道のことが中心。
怪しげな遺構の情報を大量に仕入れてしまいました(爆)

講演後尾鷲索道軌道線のトンネルを探しに尾鷲市郊外のクチスボダムに行ったのですが日が暮れて来て時間切れ~
クチスボダム横に戻ってくると国道425号横にこんなものが・・・。
P1020379.jpg
軌道の橋台・・・ですよね??
反対側の橋台や橋脚はダム工事で崩されたのか無くなっていました。

P1020374.jpg
城郭の石垣のような下拡がりの堂々たる石積み。
木馬道にしてはオーバースペックな気がするのでやはり軌道のもの??
国道425号線は酷道巡りで通ったこともありますがこの橋台の存在には気付いてませんでした。
最近橋台の周囲が伐採されて姿を現したようです。

P1020380.jpg
一段上の林道から橋台を見下ろした様子。国道を挟んでクチスボダム管理事務所、ダム湖が拡がります。
ダム湖対岸(右岸)には尾鷲索道の軌道線が通っていたほかこちら側(左岸)にも北山索道が通っていましたが軌道は無かったはず。
北東(画面左側)に古和谷を挟んで相賀森林鉄道古和谷線が通っていましたがその作業軌道とか??

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森林鉄道(大阪営林局) | 22:03:19 | Trackback(0) | Comments(0)
吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その2~
吉野神宮の吉野貯木場専用線2回目。
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専用線と交差する道路から吉野神宮駅方面の線路跡を見た様子。線路跡は左奥へカーブして続いてます。
まだこの辺りも33.3‰の勾配が続いてます。
木材や板材を満載した貨車を吉野線名物の丸窓電機デ51などが重低音を響かせて押し上げていたのでしょうか。

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その背後に残る開渠のコンクリート橋。
左奥の青い標識手前にはスイッチバックして吉野川と並行に延びる下段の線路が横切っていましたが製材所の敷地に飲み込まれ現地ではわかりにくいです。むしろgoogleマップの航空写真で見た方が建物のカーブ具合で線路跡に建物が建っていることがよくわかります。

P1010435.jpg
2枚目画像の場所から坂を下り下段の線路を越えたところにある吉野貯木場碑。
背後に見える建物は下段の線路上に建ったものなのでかつては石碑の後ろを近鉄電機や貨車が通っていたはず。
以下碑文の内容
本来の碑文は漢字片仮名文ですが片仮名は平仮名に直したほか句読点を追加してます。
●は碑文の摩耗で解読できなかった箇所です。

吉野地方は遠く四百年の昔日より杉檜人工林の美を以て顕れ良材の誉れ宇内に冠絶す。
然るに其の販売施設これに伴はず概ね管外市場に依存し当業者は永年其の不利に悩めり。
是に於て昭和十年組合積年の研鑽に基き此の地に全生産材を一元的に集荷保管し製材販売運搬金融統制等諸般の施設を整へ以て新市場の開設を企画す。
爾来苦心経営、幸に関係官民多大の支援を得、遂に昭和十二年八月工を県営として起し然も組合自ら建設の責に任じ十四年十月竣工す。規模の雄大施設の整備、蓋し稀に見る所也。
開業以来業績大いに揚り特に戦時下其の任務の完遂に邁進し昭和十七年七月 畏くも侍従の御差遣を賜ふ感激奈そ●へん今也。
木材統制法に基き文禄以来三百年の歴史を有する組合一切の事業を奈良県林材株式会社に委譲するに際し茲に其の経歴を叙して以て之を記念す。

昭和十七年八月 奈良県知事正五位勲四等 堀田健男題
奈良県吉野林業学校教諭 中西信雄撰


言い回しが現代と異なり読み辛いですが短い文章内で貯木場に関する重要な情報がしっかり入っています。
文中の組合とは吉野木材同業組合連合会(現在の吉野木材協同組合連合会の前身)のことでしょう。
県に働きかけ県営事業として貯木場を建設したことがわかります。
また戦時中に国策でつくられた統制会社の奈良県林材株式会社に事業を譲り組合が一旦消滅する時に碑を建てたこともわかります。
組合は戦後1950(昭和25)年に吉野木材協同組合連合会として復活し今日も貯木場を守っています。

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駅からの線路と下段の線路がこの辺で合流、スイッチバックの突っ込み線になってましたが跡形もなし。
右後方が吉野神宮駅、道路がオフセットしてる先のプラントが突っ込み線が延びていた方向です。

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その辺を歩いているとチルド車輪が転がっているのが見えたり・・・。
軌間は610mmか762mmくらいかな?
林鉄ではなく製材所内のトロッコのものと思われます。
吉野の山林は大半が私有林(県有林も私有林に含まれる)で国有林が無いため営林署の森林鉄道は有りませんでした。
私有の手押し軌道などはあったかも知れませんが情報が有りませんね。
吉野山の木馬の写真は見たことがありますが。

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スイッチバックした先の下段の線路跡。
2つ並ぶ細長い建物から手前の道路にかけてが線路跡、この辺り私有地なのか公道なのかが曖昧で通っていいのかが分からないところも(^ ^;)
まあ危ない機械の傍に寄ったりしなければ挨拶して通れば咎められはしないでしょうが。

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後ろを見ると吉野線本線と直交するアンダーパス。
左が吉野神宮駅の北端(あべの橋側)に当たり、右が吉野川橋梁です。

吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その3~

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専用線跡 | 06:52:55 | Trackback(0) | Comments(0)
吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その1~
近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅から吉野貯木場へ延びていた専用線です。
当初は貯木場、専用側線とも県営だったようですが専用線一覧表によると戦後は日本通運の名義になっていました。
鉄道模型向けに「シーナリィガイド」(機芸出版社)で紹介され有名な専用線(?)ですが林業史の観点から国立公文書館所蔵の書類や現地の碑文を元に掘り下げてみたいと思います。

作業キロ:2.5km
作業方法:社機


●奈良県悲願の吉野貯木場
奈良県南部は吉野スギやヒノキなど吉野材の産地で古代から畿内へ木材を供給する重要な地でした。
これらの木材は吉野川や熊野川の管流し、筏流しによる流送で集積され近畿都市圏へ出荷されていました。
吉野川は和歌山県に入ると名前が紀ノ川に変わり県都和歌山市で大阪湾に注いでます。
そのため吉野川上流の川上村で産出した木材も奈良県内を素通りして和歌山まで運ばれ販売されていました
奈良県としては木材集積地の座を和歌山県から取り戻したいという思いが強く地元の吉野材木同業組合連合会、奈良県庁が協力して1937(昭和12)年8月に吉野貯木場を起工、2年後の1939(昭和14)年10月に竣工しています。
貯木場は吉野川の中州との間に水門を設け流送されてくる木材を3つの水中貯木場へ引き入れる大規模なものでした。

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県営で建設工事が行われた吉野貯木場
水中貯木場は伊勢湾台風後の復旧時に埋められたが陸上貯木場は吉野木材協同組合連合会により現在も盛業中。

●専用側線の敷設
貯木場と同時に大阪電気軌道(近鉄の前身・・・通称:大軌)吉野線吉野神宮駅から貯木場への専用側線も敷設されました。
正確な敷設時期は分かりませんが1938(昭和13)年3月17日に大阪電気軌道から、同年4月16日には奈良県知事からそれぞれ鉄道大臣へ専用側線新設認可の申請が出されています。
申請書類上では延長643m、最急勾配33‰、最小曲線半径160m、工費28,500円となっており、吉野神宮駅から下りてスイッチバックする手前までが認可申請区間と思われます。
その先は後に延長されたのでしょうか。

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吉野神宮駅。
南北朝時代の動乱で吉野に立て籠もった後醍醐天皇を祭神とする吉野神宮の前にあるため駅舎も神明造のような形状。
因みに吉野神宮は創建が1889(明治22)年と比較的新しいです。
吉野は奈良、京都、大阪からそう遠くないけど背後の山は複雑でかつ伊賀、伊勢方面へ逃亡することも可能という守り易く攻め難い立地条件。
そのため7世紀の壬申の乱や14世紀の南北朝時代など政権分裂時の動乱の舞台になっています。
山奥のようで都市部が近く交通の便も良いという特徴が現れており、これは木材輸送の条件にも当てはまります。

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吉野神宮駅に進入するあべの橋行特急16000系モ16009+ク16109。
新塗色に変わっています。

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吉野神宮駅から橿原神宮方面を見た様子。
吉野川橋梁を渡って来ると右に側線が分岐。本線からの分岐部は撤去されてるものの側線の大部分はレールがそのまま。

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裏には一般貨物扱いを行っていたとみられる貨物ホームが残ります。

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吉野方の踏切から見た様子。
専用線は右奥方向にスイッチバックで分岐するため手前に引上げ線が延びていたはず。

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カーブして吉野川へと下って行く専用線跡の道。
この辺が専用側線敷設の申請書類にあった最小曲線半径160m、最急勾配33‰の区間だと思われます。


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専用線跡 | 00:05:37 | Trackback(0) | Comments(0)
滝上森林鉄道の軌跡ガイドツアー~本流線~
オシラネップ線の後は道の駅香りの里たきのうえでいったん休憩の後渚滑川本流に沿って遡る本流線へ移りました。
本流線は渚滑線濁川駅隣接の濁川貯木場から国道273号線(渚滑国道)に近いルートで浮島峠へと延びていました。
開業は1936(昭和11)年度で路線を延ばして行き幹線は31,524mに達しミタラショコツ、キンウシュナイ(キトウシナイ?)、オサツナイ等の支線群も存在してました。
オシラネップ線共用区間を除き1957(昭和32)年度にレールが撤去されています。

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渚滑川に架かる国道273号線の滝上橋、その下流に本流線の橋梁跡が残ります。
2段になった橋脚は元々木造上路トラスか方杖橋だったのを鉄製ガーダーに替えた時に元の橋脚上に継ぎ足しを行ったものでしょうね。

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滝上橋より先、二区では国道より山寄りに並行して本流線が通っていました。
道路化されてる箇所が多いですが外れた部分には国鉄線並みの築堤が残ります。
背後の丘には滝上の市街地へ出る道が通り稲見峠と呼ばれていました。
かつては右に広がる畑は水田だった時代があり一面の稲作地帯を見下ろすことから稲見峠と名付けられたそうです。
道東で稲作はさすがに無理があったようで今では田んぼは一枚も有りません。

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二区の先にあるヒジの沢橋梁。谷底からの高さは30m近くあるかな?
以前は国道からもよく見え林鉄のシンボルタワー的な存在。
通常の森林鉄道橋は谷が狭くなるまで遡り、最低限の長さの木橋を架けてまた谷を下るというルート選定ですがここではプレートガーダー3連で一気に深い谷を渡っていました。

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それにしても立派な橋梁でただの林鉄とは思えません。
聞くところによると浮島峠を越えて石北本線と連絡(中越駅(現在は信号場)辺りで連絡?)し旅客、貨物輸送を行う構想もあったようで・・・。
その場合は簡易軌道に管理替えさせるつもりだったのでしょうかね?
なおこの橋脚下流側には国道の旧道、さらに馬車道時代の旧旧道もあります。

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道の駅へ戻り2階の観光協会事務所で本流線の地籍図を地図に落とし込んだ大絵巻の御開帳でお開きとなりました。
大作です。

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ツアーは3時間3,000円(1時間当たり1,000円で最低2時間以上)でお腹一杯ですがさらにこの冊子ももらいました。
100部しか刷ってないのでツアーでの配布は無くなり次第終了とのこと~。

なお廃線跡は一見してまずわからない場所、危険な場所も多いので廃線跡を見学する際は本ツアーに申し込んで頂きたいとのことでした。
滝上森林鉄道の軌跡ガイドツアー(滝上町観光協会)

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 00:12:47 | Trackback(0) | Comments(0)
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まとめ