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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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日東紡績泊工場専用線(北陸本線泊駅)
北陸本線・・・現在はあいの風とやま鉄道泊駅(北陸本線代替の3社とも名前が長ったらしいので今でも北陸本線と言ってしまう(爆))です。
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まずは直江津方の一般貨物側線。保線車の車庫やレール積込み場所に利用されてます。

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モーターカーとレール輸送用保線トロも。

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直江津から乗って来たえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインのET122が泊折り返しで発車。
行く手には親不知の険しい山並みが連なります。

泊駅のある朝日町(1954(昭和29)年に泊町ほか6か村が合併)は穏やかな富山平野の東の端に位置し、その先は親不知の険が日本海に突出しています。
黒部川の豊富な伏流水や安い電力に着目し1934(昭和9)年に泊紡績が設立されました。
工場工事中の1937(昭和12)年10月より一部操業開始、1938(昭和13)年10月に完成、工場全体が操業に入ります。
工場は泊駅のすぐ隣で専用側線も最初からあったのでしょう。
綿紡績工場なので専用線には有蓋車で原綿が到着していたものと思われます。

作業方法:手押し
作業キロ:0.3km
総延長キロ:0.2km

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駅の南側に拡がる旧・泊工場・・・現在は日東紡泊事業センター。

しばらくは業績も良かったようですが戦時統制により中小紡績企業は紡錘器100万錘を持つ企業となるように政府から合併を強要されます。
泊紡績は紡績大手で戦前10大紡に数えられた福島県が本拠の日東紡績と1942(昭和17)年1月に合併、同社泊工場となりました。
戦時中は軍需工場とされたり戦災も受けたりもせずに済んだようです。
戦後は1952(昭和27)年に工場を拡張、紡錘器は17,100錘から37.100錘と倍以上に増えます。
1953(昭和28)年当時は従業員569人、敷地面積14,873坪、建坪8,173坪となっていました。

P1000345.jpg
跨線橋上から見た米原側。
側線撤去跡の敷地が多く見られます。構内側線と専用線の境目はわかりませんが左の倉庫方面に延びていたのでしょうか。

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現在綿紡績は行っておらずニットービバレッジ株式会社と分社化されペットボトルと清涼飲料水製造を行っています。
ペットボトルは化学繊維、清涼飲料水は黒部の冷たくて豊富な地下水利用と業種は変われどもこの工場の強みを生かした事業が行われているわけですね。

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接続列車到着までしばらく時間があるので夕暮れの風景をまったりと。

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あいの風とやま鉄道521系が到着。
IRいしかわ鉄道乗入で金沢直通です。

それにしても社名、路線名がややこしい(爆)
親しみを持ってもらおうという意図なのでしょうが地名を装飾する平仮名、片仮名、漢字の表記箇所が覚えられないです(- -)
単純に越後鉄道、富山鉄道、石川鉄道の方が覚え易い気がします。
全部過去存在した鉄道名になっちゃってますが今は存在しないので良いと思うのですが・・・。

参考文献:回顧参拾年(日東紡績株式会社)

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専用線跡 | 23:59:09 | Trackback(0) | Comments(0)
越後線の115系
新潟3日目~。
午前中は磐越西線で喜多方か会津若松まで往復するつもりが前夜に新潟県立図書館の蔵書検索してたら貴重資料を見付けてしまいそちらへ~。
午後は越後線経由で富山へ移動。
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越後線新潟~吉田で見かけた電車は殆んどがE129系。巻ですれ違った電車は新潟色115系でしたが撮れずじまい。
一方で吉田~柏崎は115系ばかり(列車本数自体が圧倒的に少ないですが)でした。
乗車したのは湘南色のN-40編成。
実はこれを書くまで復刻色だと知らなかったのでした。
乗ったときは新前橋から転属して来たのかな?くらいに思ってました(^ ^;)

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新潟近郊区間の新潟~吉田と違い吉田~柏崎は完全にローカル線の趣。
午前中に入手した新潟鉄道管理局内の運転線路図表片手に各駅で専用線跡を探しますが草深い季節であまりわかりません。
石油関係の専用線が多いですが新潟と言う土地柄油田から発送するための専用線だったのでしょうね。

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柏崎到着。
ローカル線らしい隅っこの行き止まり式ホームです。

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隣には越乃Shu*Kuraが入ってました。
昔はこのホームに水色の20t貨車移動機が止まってたのを見た覚えがありますが今では貨物扱いがありません。
この貨車移動機は奥野さんが撮影されてました。
柏崎報告

P1000338.jpg
柏崎からは信越本線快速に乗り換え。やって来たのは115系N34編成。
前2日間E129ばかり乗ってましたがここに来て115系率が高くなった気が?

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115系の窓越しに日本海を見られるのももうそんなに間がなさそうですね。

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撮影行 | 22:36:28 | Trackback(0) | Comments(0)
新潟交通電車線月潟駅と白根駅付近
西長岡付近の渋滞で意外と時間を取られレンタカー返却時間のこともあり旧新潟交通月潟駅再訪の見学はほんの数分だけ。
前回行った時の様子は↓
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その1~
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その2~
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その3~

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モハ11
現役時のような雰囲気は今回も維持されていました。

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モワ51
こちらも状態は変わりありません。

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キ116
前面ガラスが割れてしまったようです。
これは割られたのか、老朽化で割れたのか?
旋回窓付きなので修復は大変そうです。

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中ノ口川堤防下の白根駅跡。元の駅前売店は公園前売店となっています。
駅構内は左の拡張された堤防で埋められています。新潟交通電車線の主要駅だったのですがそんな面影は有りません。

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千日~白根の廃線跡。
枕木の柵と一本だけとなった木製架線柱が残ってます。
この架線柱だけ残ったのは街路灯が取り付けられているためでしょう。
この架線柱と線路を挟んだ反対側の木柱には4灯式の白根駅上り場内信号機が取り付けられていていました。

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千日~白根の廃線跡。
風雨で大荒れになった直後で暗い天気だったため暑いはずなのにどこか寒々とした光景に。
木造の小さな鉄工所に灯る裸電球だけが温もりを感じさせます。

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廃線跡(一般鉄道) | 21:16:03 | Trackback(0) | Comments(0)
電気化学工業長岡SS専用線(越後交通長岡線才津駅)
越後交通長岡線で1995(平成7)年4月1日廃止(営業運転は3月23日が最後)まで残った専用線。
電気化学工業のセメント・・・デンカセメントのSS(サービスステーション)があり、同じ新潟県内に本拠の鉱山があり、専用鉄道を介して北陸本線青海駅から貨車が来ていました。
長岡SSは1968(昭和43)年10月25日開設。「ヨンサントオ」で知られる1968(昭和43)年10月1日ダイヤ改正の直後に設置されたことになります。
サイロの貯蔵能力は2,500t。40t積みセメント貨車タキ1900で言うと62.5台分と言うことになりますね。

作業方法:社機
作業キロ:0.2km

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才津駅来迎寺方。北陸自動車道の下をくぐって来る長岡線跡。

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才津駅のSSは無くなっています。側線分路盤の拡がりが残る程度。
現役時代末期の姿はリンク先の奥野さんが撮影されてます。
越後交通報告

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駅前はコンクリート舗装の道路。この舗装し方がいかにもSSの門前と言う感じがします。
メーカーは違ってもどこもセメントサイロの前にこんな道がありますね。

ekk-ed5102.gif
越後交通と言えばED5100形電機が名物でしたね。
1957(昭和32)年三菱電機、三菱重工製50t機で定山渓鉄道ED500形ED501,502→長野電鉄ED5100形ED5101,5102→越後交通と転じてます。
イラストでは両パンタとも上げてますが定山渓、越後交通での運用時は片パン、長野電鉄のときは両パンのことが多かったようですね。
実際に現物を見たかったなあ(- -)

ekk-pcs1.gif
スタイリッシュな車体なので西武E851引退時みたく客車を牽かせてみたいですね。

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専用線跡 | 23:46:50 | Trackback(0) | Comments(0)
越後交通長岡線深沢駅
今度は来迎寺から逆に海側へ分かれていた越後交通長岡線。
来迎寺~寺泊39.2kmの電気鉄道でした。
通常のローカル線は貨物が先に無くなった後に旅客列車も廃止と言う例が多いですがここでは1975(昭和50)年4月1日の旅客営業廃止後も来迎寺~西長岡~越後関原の貨物営業が続けられ部分廃止はあったものの最終的に1995(平成7)年4月1日まで残っていたのが特徴です。
なお来迎寺~西長岡は他区間より貨主客従の強い区間で旅客営業は1972(昭和47)年4月16日に一足早く止めていました。
西長岡~寺泊はちゃんと電車が使われてましたがこの区間では木造二軸客車やモーターを外した電車を貨車の後ろにつなげた貨客混合列車が走っていました。
しかもここでの貨物は有蓋、無蓋車のような一般貨車だけでなく高圧ガス、化成品タンク車に客車が連結されるわけですから何とも異様です。

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来迎寺駅を出てすぐ信越本線と分かれて渋海川橋梁へ至る築堤。この区間には水路を渡るガーダー橋も残ってます。
小学生の頃(1992(平成4)年)に家族旅行で新潟へ行くとき「西長岡駅に行きたい!」と希望を出したところ速攻却下(爆)
特急「北越」の車内からこの何ともそそるカーブ築堤(当時はもち現役線路!)と来迎寺駅構内留置の越後交通社車のワラ1だけ見て終わりでした(T T)
四半世紀を経てようやくこの先の区間を見ることに。

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渋海川を渡って北東へカーブする場所が1つ目の深沢駅。
奥が来迎寺方。プラットホームや農業倉庫が残ります。
最後の1995(平成7)年4月1日廃止区間ですが末期は全く駅としての機能を果たして無かったようです。
1面2線で左から本線、側線、プラットホーム。
本線側には元々ホームが無かったようで停車列車だけがホームに面した側線へ入っていたということでしょうか。

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プラットホームレールと木組みで土盛りを囲った簡素なホーム。

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それでもホーム上は舗装されてます。一応肥料などの到着貨物があったらしくホーム上に倉庫も建っていたようです。

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架線柱の台座と架線柱を囲っていたガードのアングルが残ってます。
作業中の車が架線柱に引っ掛けて破損、倒壊してしまうのを防ぐために設置したのでしょう。
かつてはトラックなどがホームに横付けして荷物を積み替えることが多かったのでしょうか。

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元の駅前は広場や床屋さんがあって意外と駅前らしい風情が感じられます。

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もうぼろぼろですが農業倉庫も。

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西長岡方の踏切に残っていた標示板。
錆びの濃さの違いから「ふみきりちゅうい」と書いてあったのではないかと推定。

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廃線跡(一般鉄道) | 00:12:15 | Trackback(0) | Comments(0)
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