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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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静岡鉄道秋葉線森町駅跡
静岡鉄道秋葉線通称「石松電車」の終点。
秋葉馬車鉄道が東海道本線袋井駅前の新袋井~森町12.1kmで開通したのが1902(明治35)年12月28日。
当時は762mmゲージの馬鉄でした。
静岡清水地区で電気軌道を運営していた駿遠電気と1923(大正12)年に合併して静岡電気鉄道となり1925(大正14)年には1067mmへの改軌、直流600V電化を成し遂げています。
専用軌道と未舗装道路の併用軌道が入り混じり、同じ袋井から出てた軽便駿遠線に勝るとも劣らないローカルムードの強い電車で駿遠線より一足早く1962(昭和37)年9月19日に廃止されました。
名前が秋葉神社に由来してますが当の神社は山越えをした春野町にあります。
この神社があったのは気多(気田)森林鉄道の起点付近に当たりますがそこまで線路を敷設するつもりは無かったのか終始森町止まりでした。

森町駅周辺図
morimachi-map.png
構内は2面3線で川側のホームは貨物ホームだった様子。

P1020578.jpg
①森町駅直前の太田川を渡っていた橋梁跡。
対岸(新袋井側)白いサギの後ろに見える葉に覆われたコンクリート壁が石松電車の橋台です。
電車時代末期の写真を見ると鉄橋ではなくコンクリート桁橋になっていました。スパンの短いコンクリート桁をいくつも連ねた姿は独特でした。
かつては木橋だったのをさすがに今更木橋は・・・と架け替えたのでしょうか。

P1020575.jpg
②太田川橋梁を渡り静岡県道58号線を越え北へ90度方向を変えるともう森町駅構内。
右の車庫裏付近には転車台もあったそうです。
車輪の片減り防止のためたまに電車を方転させていたのでしょうか。
県道はかつての信州街道で秋葉神社参詣客はここから山越えをして秋葉神社へ向かうわけですが現代秋葉神社へ行こうと思えば浜松から西鹿島、天竜二俣を経て国道152号線で天竜川、支流の気田川をを遡って行くか、国道362号線で二俣川を遡り峠越えで行くかであり森町経由の方がマイナーな道になってしまいます。

P1020572_20180805212744063.jpg
③森町の駅前から構内を見た様子。
駅跡には今でも静岡鉄道系列の秋葉バスサービスの本社、車庫、バスターミナルが入っています。
かつては電車の駅舎がそのまま流用されていたそうですが今は建て替わってます。

P1020573_201808052127469a1.jpg
④構内拡大~
後ろの三島神社の丘の雰囲気は電車時代と変化してない様子。
右列のバスが本線跡で後ろのバス辺りで左にカーブして太田川橋梁へ続いていたのでしょう。

秋葉線電車イラスト
かつては小さな何とも愛らしい電車が走っていました。
akiba-mcs1.gif
モハ7+ハ3
モハ7は1926(大正15)年日車製の木造単車ですが単台車のブリル21Eを自社でボギー台車に改造、ポール→Yゲル→Yゲルを接合したパンタグラフ設置と荒業を駆使しています。
静鉄技術陣は電車を自作してしまう程なのでこれくらいは朝飯前だったのでしょうか。
ハ3も元は下のハ2と同型のモニタルーフ、オープンデッキだったのが大改造されてシングルルーフ、ドア付きの新車体に変わっています。
モハ7は車体だけが保管されているらしく、かつて東山動植物園で保存されていた名古屋市電貨2号のブリル21Eと組み合わせるべく台車を譲り受けたと聞きましたが今はどうなってるのでしょうね?

akiba-mcs2.gif
モハ1+ハ2
モハ1は1925(大正14)年鶴見木工所製の静岡、清水市内線など都市部で使われていた電車。
1942(昭和17)年8月の秋葉線転属に当たり東横車輛でで車体改造を受けてるそうです。
この車両は集電装置がYゲル化(末期は屋根もダブルルーフからシングルに改造された様子)されてますが最後まで単車のままでした。
ハ2も静岡市内線から転属したようで1920(大正9)年天野工場製。
古典的なモニタルーフでかつてはベスチビュールもなく寧ろ馬車鉄道の客車っぽい雰囲気でした。

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廃線跡(一般鉄道) | 23:08:34 | Trackback(0) | Comments(0)
三岐鉄道旧西武701系復刻車イベント~その5~
最後は保々撮影会機関車編&貨鉄博お邪魔編~
P1020755.jpg
これだけ電機が揃ってやはり三岐鉄道は豪勢ですね~。

P1020768.jpg
シュプールユーロ赤倉のヘッドマークを付けたED5081。
実際にこのHMを付けていた列車はスキー客輸送のため名古屋~妙高高原を走った臨時急行でした。
この列車に使われていたユーロライナーや14系ユーロ客車も既に無くなって久しいですね。

P1020778.jpg
入換中のED5081と後方に佇むED451、ED452。

P1020781.jpg
2度目の撮影会が行われたのは西に傾き始めた陽光で保々車庫の機関車が最も美しく見える時間帯。
ED451、ED452共に既に還暦を過ぎた機関車ですが毎日定期仕業を受け持つ実用機としての機能美は衰えていません。

保々の撮影会でお開きとなったツアー。
その後貨物鉄道博物館に顔を出しました。
P1020798.jpg
酷暑の中元名鉄ト15修復作業中で足場からの手押し移動をお手伝い。
押し慣れた(?)762mm車と比べるとやはり重いですね~。
ト15は瀬戸電気鉄道(現・名鉄瀬戸線)が1912(大正元)年に製作したという貨車ですがあちこち改造を受けて原形なのかどうかも実はよく分からないそう。
目を凝らすと一部バッファー穴を埋めた跡がかすかに見えます。
瀬戸電時代は瀬戸~堀川で陶土、逆方向に窯の燃料の石炭や木炭を載せて瀬戸電独特の前照灯が2つ飛び出したデメキン電車に牽かれていたのでしょうか。

P1020801.jpg
アオリ戸の松材が未塗装状態なので黒い金具が際立って構造がよくわかります。
貨物鉄道博物館では細かい部品までこだわって復元作業を行うため教えてもらうと見ただけでは気付かない興味深いことがわかります。
貨物鉄道博物館次回開館日は8月5日(日)
また暑い日になりそうなのでお越しの方は水分補給をお忘れなく~。

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東海私鉄 | 23:48:52 | Trackback(0) | Comments(0)
三岐鉄道旧西武701系復刻車イベント~その4~
富田より保々に戻ると西武701系色805F撮影会後半戦。
暑さでもうバテバテの人(自分も含む・・・爆)も多かったですが車庫の方曰く「今日はまだ風があるからまし」確かに上屋の下は気持ちのいい風が抜けてました。
P1020764.jpg
元西武組の向こうには元東武ED5001の三岐ED458が停車中。

幕変え撮影会~
P1020772.jpg
西武新宿。
現地での西武鉄道ファンの方々の様子を見ているとこのようにオーソドックスな方が好まれるようでした。
やはり実際日常的に見たことがある姿の方が良いようで。

P1020783.jpg
大安と本川越
大安行は僕も営業列車では見たことが無いですね。

P1020784.jpg
大安と狭山線西所沢-西武球場前

P1020785.jpg
JR富田と多摩川線武蔵境-是政
JR富田の手書きっぽい文字が何とも味わい深いです。
多摩川線は昔は砂利貨物が盛んで側線やナローが一杯あったトワイライトゾーンだけに我々はやはり是政がお気に入り~(笑)
今是政に行っても当時の面影は有りませんが武将の名前のようなこの駅名は何か印象的。
・・・と思ってたら本当に武士の名前が由来だったんですね。
後北条家の家臣井田 是政が北条家滅亡後に開拓した土地だったそうですが苦難を乗り越え荒れ地を開拓した是政を称えて地名になって名前が残ったとのこと。

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東海私鉄 | 22:51:14 | Trackback(0) | Comments(0)
大同コンクリート三重保々工場専用線(三岐鉄道三岐線保々駅)
三岐鉄道保々駅にあったコンクリートパイル、ヒューム管工場の専用線。
現在工場は閉鎖されて別の会社が入ってますが当時の煙突だけが保存(?)されてます。
元々は大同コンクリート工業(現・ジャパンパイル)沼津工場の分工場として開設され他工場で操業開始は1940(昭和15)年3月3日。
四日市コンビナートの原型となる四日市海軍燃料工廠建設のためのコンクリートパイル製造を同社が海軍から要請され石灰産地の藤原鉱山と四日市の間にある保々に工場を置いたようです。
海軍からは伊勢湾に付き出す突堤に使う巨大なコンクリートパイルの受注が舞い込んでいます。
海軍から受注したものは以下の通り
φ600mm×25m:80本
φ450mm×20m:150本
φ400mm×18m:200本
25mとなると長さ13.6mのチキ1500形でも2台に跨ってしまいますね。
レールならある程度曲がるもののコンクリートパイルでは運ぶのが大変そう・・・(^ ^;)

その後も藤原鉱山に砂利の産地となる員弁川が近いという地の利から本工場の沼津より独立しコンクリートパイル、ヒューム管を生産。
これらを積みだしていた専用線は専用線一覧では1953(昭和28)~1983(昭和58)年版で確認できます。

作業キロ:0.1km
作業方法:社機

以下の写真は1枚目を除き車庫での撮影会の折に撮影したもので普段は立入できない場所です。
P1020602.jpg
保々駅ホームから見た大同コンクリート三重保々工場跡。
煙突が1本だけ屹立しています。
冬になると電飾されたりしてますが何故これだけ残っているのかは不明。
旧積出ホームの辺りにはソーラーバッテリーのパネルが並んでいます。

P1020653.jpg
三岐鉄道保々工場の富田側、工場への線路は左の方で分岐していました。
古い時代は富田側の現在の保線基地付近で本線から分岐してはいることも出来たようです。

P1020679.jpg
保々駅の北東側にはワム200形を置き換えた国鉄ワム80000払い下げのワム700形が車輪付き倉庫として置かれています。
このワム700が置かれてるのがかつての専用線のレールのようです。

P1020682.jpg
煙突の手前にはワム700から砂利に埋もれた専用線のレールが続いてるのが見えます。
これより富田側は撤去されたか埋められたかわかりませんがレールは見えませんでした。

参考文献:
創立二十五年(大同コンクリート工業株式会社)

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専用線跡 | 22:27:30 | Trackback(0) | Comments(0)
三岐鉄道旧西武701系復刻車イベント~その3~
富田駅三岐線側の風景~。

P1020709.jpg
JRホームからも見える駅名標。そう言えば旅客営業を行っていた時代は大矢知までの間に富田西口駅(近鉄のガード下にあった駅。国鉄富田発着電車の近鉄富田利用者のため置かれた連絡駅)があったはずですが次駅表示は大矢知になっていますね。
貨物営業のみになった後でも書き替えたのでしょうか?
そう言えば少し前まではこの駅名板こんなに錆びてなかったと思います。
そろそろ塗り直しが行われるのかな?

P1020712.jpg
日頃は関係者しか上らないホームに賑わいがあるというのも何だかいいものです。

P1020711.jpg
JR跨線橋への登り口。いつもJR側からは見てますが念願かなってこちら側も撮れました。
なおJR側は一枚壁で完全に区切られており知らなきゃ気付かないようになってます。

P1020735.jpg
三岐線ホームへの跨線橋をJRホームから見るとなかなかいい味を出しています。
結構最近までここに「宇賀渓・藤原岳へ 三岐鉄道」という案内看板が残ってましたがいつの間にか無くなっちゃいました。

P1020738.jpg
今回富田駅を見た中で一番ツボにはまったスローガン看板。
こういう素朴だけど一生懸命作った感のある看板大好きです。

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東海私鉄 | 21:42:29 | Trackback(0) | Comments(0)
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