■プロフィール

にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー
■閲覧数(2014/8/12~)

閲覧数(2014/8/12~)

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
座間の砂利軌道~その8(機関車について)~
今回は車両編。ナベトロの製造メーカーは全くわかりませんが機関車は幾らか手がかりがあります。

四ツ谷軌道は相模鉄道、新田宿軌道は小田急が砂利採取船や機関車などを所有し、じっさいに砂利採取を下請けで行う会社に貸与すると言うものでした。従って機関車を製造した場合の納入先は各鉄道会社となっていたようです。

「加藤製作所機関車図鑑(岡本憲之/著 イカロス出版)」巻末の加藤製作所機関車製造一覧から相模鉄道、東急(小田急)に納入された機関車で関係しそうなものを調べて見ました。
①相模鉄道に納入された加藤(倉見採取所の機関車も含まれる?)
 ・1946(昭和21)年3月  5t機5台 製番:23001~23005 エンジン:K-A 軌間:610mm
 ・1946(昭和21)年3月  4t機1台 製番:23006 エンジン:K-B 軌間:?
 ・1947(昭和22)年2月  5t機1台 製番:23052 エンジン:K-A 軌間:610mm
 ・1947(昭和22)年12月  5t機1台 製番:23110 エンジン:K-B 軌間:610mm

②東京急行電鉄(小田急)に納入された加藤
 ・1947(昭和22)年4月  5t機1台 製番:23073 エンジン:K-B 軌間762mm 新田宿営業所

敗戦直後の混乱期で機関車を作る資材も入手が大変な時代にこれだけの機関車(全てガソリン機関車)を発注しています。
当時は進駐軍の厚木、古間木(三沢)基地工事用砂利を供給するためGHQから優先的に機関車を割り当てられたのかも知れません。
なお新田宿軌道や相武台下の新磯軌道では小田急と相模興業により1949(昭和24)年に小田急興業が設立(社長は相模興業の社長が兼任)されて砂利採取を行いました。
軌道の正確な廃止時期は分かりませんが昭和30年代前半にはダンプカーに置き換えられ廃車されたものと思われます。

戦時中の燃料不足の時期も相模川の砂利は軍用資材として重要視されガソリン機関車のガソリンも特配、但し砂利の納入が遅れたり量が少なかったりすると供給を止められたようです。
林鉄のような代燃装置を付けた機関車の写真を見たことはないですが1942(昭和17)、1943(昭和18)年頃には蒸気機関車を入れた(四ツ谷と新田宿どちらかは不明)ようです。
しかし蒸機の重量に軌道が持たず、まともに使われることはなかったとか。

●新磯軌道の酒井?
ナローの産業用機関車と言うと加藤製作所と酒井工作所が二大勢力ですが加藤=土工、酒井=林鉄のイメージが強いですね。
あまり多くはなくても土工用酒井の例は八溝山のフランケン機関車など現存例もあります。
「相模川新磯鉱区から相武台地区に至るナベトロ軌道 ~小田急砂利軌道運搬についての協働調査から~」のP.53の機関車の写真(「小田急二十五年史」所収の写真と見られる)でキャブに「A1」と書かれたガソリン機関車が写っていますが、この機関車はキャブの構造やラジエター上部に”SKW”の陽刻らしきものが薄らと見えることから酒井工作所製と見られます。
araiso-A1.png
小田急砂利新磯軌道A1 塗装は不明なので仮に黒としています。
キャブが低屋根構造となっており鋳物台枠も低床タイプが使用されています。
路線中に高さ制限の厳しい箇所があったようです。
酒井の機関車は屋根が丸いタイプが多く、加藤の角張ったキャブより若干スマートなイメージがありますが戦中、戦後に製造された機関車に一部屋根の角張ったタイプが見られました。
このタイプの酒井機は現存するものがありませんが王滝森林鉄道の王滝営林署No.52製造当初のキャブがこれとよく似たタイプでした。
同機は事故でキャブを潰してしまい他の機関車のものと振り替えたため運転室は異なった姿になってますが低床台枠などに共通点が見られます。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

ナローゲージ | 21:21:19 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その7(相模興業専用道路転用区間~四ツ谷、新田宿採取所)~

DSC_0303_20170622220502279.jpg
再び住宅地の舗装道路になります。
複線が敷かれてただけあってか不自然に広い道路となっています。

DSC_0305_20170622220431b9a.jpg
道路が未舗装になるとく並走してきた四ツ谷軌道と、新田宿軌道の分岐点、四ツ谷軌道は直進してから左方向へ、新田宿軌道は右へ直角に曲がって相模川の旧堤防に沿って上流へ向かっていました。
正面の軽トラがいる場所が旧堤防。画像では高低差がごとんど見られず実感がありませんね~現地で見てもかなりこじんまりとした堤防です。

DSC_0306_20170622220433f99.jpg
四ツ谷軌道は旧堤を越えて直進する路線が描かれていたり左へカーブして下流へ向かう線路が描かれて居たりします。
砂利採取の作業場所が移動することで線路も敷き直されていたものと思われます。

DSC_0307_20170622220434ea2.jpg
新田宿軌道の跡。旧堤上に線路を敷きそうなものですが地形図を見ると線路は堤防に沿って敷かれており、この画像では左側に線路があったようですが実際のところは不明。

DSC_0309_20170622220436dce.jpg
旧堤防はここまででこの先は新田宿の採取所まで特に何の変哲もない2車線道路(交通量があり幅も狭いので危ない- -;)と河原があるだけ。

DSC_0310_20170622220437916.jpg
採取所そばのグランドの名前「新田宿グランド」に名残があるくらいでしょうか。

IMG_4262.jpg
砂利採取所で活躍していた採取船の模型~。
この模型画像はリンク先の奥野君の専用線日記の奥野さんの作品を撮影させて貰ったものです。
相模川では砂利採取最盛期の1956(昭和31)年時点でこのような採取船が29隻いたそうです。
河床の砂利を掘ってはナベトロやダンプカーへ積み込んでいました。
木造の平底船に櫓を載せて河床の砂利を掘っては運び上げるコンベアを設置しています。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

ナローゲージ | 22:53:12 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その6(県道交差~相模興業専用道路転用区間)~
軌道と交差する一番大きな道路、神奈川県道51号線。
踏切警手が配置され、列車が接近すると県道を遮断していました。
戦後の占領下の時代、河原へ向け推進運転中のナベトロ列車と進駐軍のジープが衝突してジープが田んぼに跳ね飛ばされる事故もあったとか。
入谷駅の積卸桟橋が行き止まり式で機回しできないため駅行きは牽引、河原行きは推進運転だったようですね。
DSC_0297_201706192219032b6.jpg
県道の先は普通の路地のように見えますが左のあまり目立たない位置に相模興業専用道路のため通行禁止の看板が立っています。

DSC_0298_20170619221904026.jpg
1964(昭和39)年4月1日に相模川の砂利採取が全面禁止となった後は田畑の地下に溜まった砂利を採取してダンプカーで運んでいた名残だとか。
この看板に書かれた3社に織戸組を加えた座間資源管理組合という砂利組合が結成されてましたが田畑での砂利採取も終わり、1988(昭和63)年3月には組合も解散しています。
相模興業は人の森株式会社と名前を変えて山砂利採取を続けいていますが、武相砂利は既にありません。
最も老舗の宮代砂利は情報が無く現状不明。専用道路として使われたのも30年前までのことですがこの看板は現在も有効??

DSC_0299_20170619221905afd.jpg
専用道路となった軌道跡を県道と反対側から見た様子。
この辺で入谷駅からの四ツ谷軌道、新田宿軌道共用の3線区間はこの辺まで。
分岐してしばらくは2本の軌道が並走していました。
道路の左側が小田急の新田宿軌道(762㎜軌間)、右が相鉄の四ツ谷軌道(610㎜軌間)でした。
こちらから見ると特に立入禁止の看板も何もなく道路標識も公道にしか見えません。
この通りに面した飲み屋さえあります(^ ^;)

DSC_0300_20170619221906018.jpg
相模川方面を見た様子。バリケードがあって入りにくくはしているものの特に立入禁止措置は取られていません。
地元の人も普通の道路として使っており曖昧な感じ。

DSC_0302_20170619221908637.jpg
さらに先へ行くと車は入れないように柵で囲われた廃線敷となります。大山をバックになかなかアヤシゲな雰囲気。
8年前は相模興業の専用道を示す看板があったような記憶がありますが今は枠だけになってます。


テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

ナローゲージ | 21:15:20 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その5(四ツ谷・新田宿軌道共用区間~県道交差)~
四ツ谷軌道が相模線交差部まで来たことでいったん入谷駅開業後に同駅へ乗り入れた四ツ谷軌道の新線の方へ移ります。
四ツ谷軌道と共に小田急砂利の新田宿軌道も3線軌条で線路を共用していたので2路線の廃線跡が重なります。

なお地図で入谷駅付近を拡大してもらうと相模線の貨車への積卸桟橋は四ツ谷軌道と新田宿軌道で別々になっているのがわかります。

DSC_0313_2017061820224697a.jpg
今では1面1線だけの入谷駅。かつては右の雑草雑木で覆われたスペースに側線と軌道桟橋がありました。
奥が茅ヶ崎方で左に見える送電線の紅白の鉄塔と奥の鉄塔の間で旧軌道が交差していました。
桟橋は旅客ホームの茅ヶ崎寄りにあり、左から四ツ谷軌道、新田宿軌道の桟橋が各1線入りその両側を囲むように相模線入谷駅構内側線が入る配線だったそうです。軌間で言うと1067㎜の本線1&側線4、610㎜1本、762㎜1本と3つの軌間が並ぶ駅でした。
現在の桑名駅をれんそうしてしまいました。(桑名にも当時砂利の積替桟橋と側線が有った)

DSC_0314_2017061820240706d.jpg
入谷駅の橋本方。敷地の拡がりから側線の分岐があったことがわかりますね。

入谷駅構内側線は専用線一覧表にも以下のように載っており、相模鉄道の専用線扱いだったようです。
専用者:相模鉄道(株)
第三者使用:小田急砂利(株)、相模興業(株)
作業方法:国鉄機
作業キロ:0.2km

なお終戦時に陸軍士官学校を接収した進駐軍は同地にキャンプ座間を置いています。
キャンプ座間の最寄駅は隣の相武台下駅ですがこちらだけでは物資、兵員輸送列車を収容しきれないためバッファとして入谷駅にも進駐軍用側線が増設されていたそうです。

DSC_0287_20170618202241e4d.jpg
入谷駅を出て相模線と少し並走すれば間もなく新旧分岐点。
相模線横の砂利道が軌道跡で奥が入谷駅です。
猫が座っている場所でほぼ直角にカーブして既存の区間に入ります。
ここから右を向くと相模線の踏切越しに前回の田園の中の軌道敷が見えます。

DSC_0289_2017061820224301d.jpg
610㎜、762㎜の3線が並んでいた区間ですが今では何の変哲もない住宅街の道路。
緩やかなカーブが線路らしい線形と言うくらい。

DSC_0291_201706182022448e6.jpg
神奈川県道51号線との交差手前からわずかながら軌道の幅そのままらしい敷地が見られます。
そしてガードレールの向こうには・・・。

DSC_0292_20170618212301608.jpg
上半分が埋められて分かりにくいですが軌道の開渠跡の橋台が残ってます。

DSC_0294_20170618212303e08.jpg
その隣には9kgレールが2本。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

ナローゲージ | 21:27:06 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その4(四ツ谷軌道インクラ~相模線交差)~
四ツ谷軌道インクライン区間。

DSC_0276_20170615231511fd6.jpg
この切通しの上を左上(座間駅方)から右下(相模川方)へインクラ木橋が架かっていたそうですが痕跡無し。
座間駅から徒歩数分でこんな鬱蒼とした森があるのが面白いところ。
森のインクラなど山奥の森林鉄道にありそうな光景ですがここは小田急の電車の音や座間高校のグランドで部活動をしている学生の声などが響いて森閑とはしていません。

DSC_0274.jpg
切通しの坂を上に戻ってインクラと平行に緩やかに下る道へ入るとレールが一本だけ柵に利用されています。

DSC_0275_20170610223212c8f.jpg
切断面が変形していますが6kgレールよりも小さい様子。
酷使と長年の放置で肉痩せしたのか規格外の貴重な舶来品レールなのか・・・。

DSC_0278_201706152315120bc.jpg
道路の右辺りにインクラ下の停車場があったようです。この道路を軌道が横断する個所には手旗を持った踏切番が配置されていたとか。
インクラを降ろしたナベトロを再度12両ほどの編成に組み下部軌道のガソリン機関車に牽かれた列車は画面右奥の停車場から急カーブで道を渡り左の座間高校の中を横切っていました。
当時もちろん高校はなく、高校のグランドの場所にあった桜田の沼の真ん中を横切っていたとのこと。
桜田の沼を築堤で横切っていた軌道が徐々に沈下してレールが水面下に沈んでしまい軌道を盛り上げては沈下を繰り返していたようです。

DSC_0311_201706162224092fb.jpg
座間高校のグランドを抜けると廃線後80年以上経てなお残る路盤が田園地帯を抜けています。
610㎜の軽便軌道にしては妙に幅が広いですね。
背後の緑はインクラで下った河岸段丘の崖。座間高校は校舎建て替えのためグランドにプレハブ校舎が並んでおりインクラ下までは見通せません。

DSC_0283_2017061622240740f.jpg
軌道跡を座間高校側から見た様子。
四ツ谷軌道は踏切の辺りで相模線の下をくぐっていましたがアンダーパスの跡は残ってません。
丁度入谷駅を発車した茅ヶ崎行の205系1000番台500番台車が通過。
背後は丹沢の山々。左のとがった山は大山(標高1,252m)です。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

ナローゲージ | 23:01:59 | Trackback(0) | Comments(0)
前のページ 次のページ

FC2Ad

まとめ