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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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座間の砂利軌道~その6(県道交差~相模興業専用道路転用区間)~
軌道と交差する一番大きな道路、神奈川県道51号線。
踏切警手が配置され、列車が接近すると県道を遮断していました。
戦後の占領下の時代、河原へ向け推進運転中のナベトロ列車と進駐軍のジープが衝突してジープが田んぼに跳ね飛ばされる事故もあったとか。
入谷駅の積卸桟橋が行き止まり式で機回しできないため駅行きは牽引、河原行きは推進運転だったようですね。
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県道の先は普通の路地のように見えますが左のあまり目立たない位置に相模興業専用道路のため通行禁止の看板が立っています。

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1964(昭和39)年4月1日に相模川の砂利採取が全面禁止となった後は田畑の地下に溜まった砂利を採取してダンプカーで運んでいた名残だとか。
この看板に書かれた3社に織戸組を加えた座間資源管理組合という砂利組合が結成されてましたが田畑での砂利採取も終わり、1988(昭和63)年3月には組合も解散しています。
相模興業は人の森株式会社と名前を変えて山砂利採取を続けいていますが、武相砂利は既にありません。
最も老舗の宮代砂利は情報が無く現状不明。専用道路として使われたのも30年前までのことですがこの看板は現在も有効??

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専用道路となった軌道跡を県道と反対側から見た様子。
この辺で入谷駅からの四ツ谷軌道、新田宿軌道共用の3線区間はこの辺まで。
分岐してしばらくは2本の軌道が並走していました。
道路の左側が小田急の新田宿軌道(762㎜軌間)、右が相鉄の四ツ谷軌道(610㎜軌間)でした。
こちらから見ると特に立入禁止の看板も何もなく道路標識も公道にしか見えません。
この通りに面した飲み屋さえあります(^ ^;)

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相模川方面を見た様子。バリケードがあって入りにくくはしているものの特に立入禁止措置は取られていません。
地元の人も普通の道路として使っており曖昧な感じ。

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さらに先へ行くと車は入れないように柵で囲われた廃線敷となります。大山をバックになかなかアヤシゲな雰囲気。
8年前は相模興業の専用道を示す看板があったような記憶がありますが今は枠だけになってます。


テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

ナローゲージ | 21:15:20 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その5(四ツ谷・新田宿軌道共用区間~県道交差)~
四ツ谷軌道が相模線交差部まで来たことでいったん入谷駅開業後に同駅へ乗り入れた四ツ谷軌道の新線の方へ移ります。
四ツ谷軌道と共に小田急砂利の新田宿軌道も3線軌条で線路を共用していたので2路線の廃線跡が重なります。

なお地図で入谷駅付近を拡大してもらうと相模線の貨車への積卸桟橋は四ツ谷軌道と新田宿軌道で別々になっているのがわかります。

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今では1面1線だけの入谷駅。かつては右の雑草雑木で覆われたスペースに側線と軌道桟橋がありました。
奥が茅ヶ崎方で左に見える送電線の紅白の鉄塔と奥の鉄塔の間で旧軌道が交差していました。
桟橋は旅客ホームの茅ヶ崎寄りにあり、左から四ツ谷軌道、新田宿軌道の桟橋が各1線入りその両側を囲むように相模線入谷駅構内側線が入る配線だったそうです。軌間で言うと1067㎜の本線1&側線4、610㎜1本、762㎜1本と3つの軌間が並ぶ駅でした。
現在の桑名駅をれんそうしてしまいました。(桑名にも当時砂利の積替桟橋と側線が有った)

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入谷駅の橋本方。敷地の拡がりから側線の分岐があったことがわかりますね。

入谷駅構内側線は専用線一覧表にも以下のように載っており、相模鉄道の専用線扱いだったようです。
専用者:相模鉄道(株)
第三者使用:小田急砂利(株)、相模興業(株)
作業方法:国鉄機
作業キロ:0.2km

なお終戦時に陸軍士官学校を接収した進駐軍は同地にキャンプ座間を置いています。
キャンプ座間の最寄駅は隣の相武台下駅ですがこちらだけでは物資、兵員輸送列車を収容しきれないためバッファとして入谷駅にも進駐軍用側線が増設されていたそうです。

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入谷駅を出て相模線と少し並走すれば間もなく新旧分岐点。
相模線横の砂利道が軌道跡で奥が入谷駅です。
猫が座っている場所でほぼ直角にカーブして既存の区間に入ります。
ここから右を向くと相模線の踏切越しに前回の田園の中の軌道敷が見えます。

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610㎜、762㎜の3線が並んでいた区間ですが今では何の変哲もない住宅街の道路。
緩やかなカーブが線路らしい線形と言うくらい。

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神奈川県道51号線との交差手前からわずかながら軌道の幅そのままらしい敷地が見られます。
そしてガードレールの向こうには・・・。

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上半分が埋められて分かりにくいですが軌道の開渠跡の橋台が残ってます。

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その隣には9kgレールが2本。

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ナローゲージ | 21:27:06 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その4(四ツ谷軌道インクラ~相模線交差)~
四ツ谷軌道インクライン区間。

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この切通しの上を左上(座間駅方)から右下(相模川方)へインクラ木橋が架かっていたそうですが痕跡無し。
座間駅から徒歩数分でこんな鬱蒼とした森があるのが面白いところ。
森のインクラなど山奥の森林鉄道にありそうな光景ですがここは小田急の電車の音や座間高校のグランドで部活動をしている学生の声などが響いて森閑とはしていません。

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切通しの坂を上に戻ってインクラと平行に緩やかに下る道へ入るとレールが一本だけ柵に利用されています。

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切断面が変形していますが6kgレールよりも小さい様子。
酷使と長年の放置で肉痩せしたのか規格外の貴重な舶来品レールなのか・・・。

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道路の右辺りにインクラ下の停車場があったようです。この道路を軌道が横断する個所には手旗を持った踏切番が配置されていたとか。
インクラを降ろしたナベトロを再度12両ほどの編成に組み下部軌道のガソリン機関車に牽かれた列車は画面右奥の停車場から急カーブで道を渡り左の座間高校の中を横切っていました。
当時もちろん高校はなく、高校のグランドの場所にあった桜田の沼の真ん中を横切っていたとのこと。
桜田の沼を築堤で横切っていた軌道が徐々に沈下してレールが水面下に沈んでしまい軌道を盛り上げては沈下を繰り返していたようです。

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座間高校のグランドを抜けると廃線後80年以上経てなお残る路盤が田園地帯を抜けています。
610㎜の軽便軌道にしては妙に幅が広いですね。
背後の緑はインクラで下った河岸段丘の崖。座間高校は校舎建て替えのためグランドにプレハブ校舎が並んでおりインクラ下までは見通せません。

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軌道跡を座間高校側から見た様子。
四ツ谷軌道は踏切の辺りで相模線の下をくぐっていましたがアンダーパスの跡は残ってません。
丁度入谷駅を発車した茅ヶ崎行の205系1000番台500番台車が通過。
背後は丹沢の山々。左のとがった山は大山(標高1,252m)です。

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ナローゲージ | 23:01:59 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その3(四ツ谷軌道上部軌道)~
座間市内の砂利軌道路線図。2万5千分の1地形図 座間(昭和29年修正測量)を元に描いています。
上部軌道のルートは1941(昭和16)年の航空写真に見える廃線敷らしいルートと「座間むかしむかし 第28集(座間市教育委員会)」の記事「ナベトロ線のこと(佐藤 章/著)」を参考にしています。


まずは昭和砂利興業→相模鉄道砂利部の運行していた軌道です。
610㎜軌間でガソリン機関車がナベトロを牽引していました。
1933(昭和8)年の開業時から1937(昭和12)年頃に相模鉄道(現・JR相模線)入谷駅接続に変わるまでの積替え駅は小田原急行鉄道新座間駅・・・現在の小田急小田原線座間駅でした。

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現在の座間駅下りホーム。上りホーム横まで大木が延び風に揺れる葉擦れの音が爽やかです。
この木立と駐車場の有るスペースに四ツ谷軌道の木造桟橋が入っていたようです。
桟橋の横には小田急の側線が引き込まれ無蓋貨車にナベトロから砂利を落としていたのでしょう。
なお新田宿からの小田急砂利トラック輸送は東口(画像左手)に発着していたらしくこちらにも側線があったのでしょうね。

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側線と桟橋軌道の跡は駐車場や駐輪場になっています。
この土地は小田急の本線に合わせて周囲より高く平坦に造成されており元々側線が敷かれていたことを窺わせます。
なおこの平地は新宿方ではぷっつりと途切れていることから側線は小田原方から分岐していたものと思われます。

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座間駅西口。奥が積み替え桟橋の跡。
ここを桟橋軌道へ上り下りする土工用機関車牽引のナベトロ列車が通っていたはずですが今となっては信じがたいような光景。
戦前の短期間走っただけの上部軌道の跡は都市化、宅地化ですっかり消え失せて何も名残りはありません。
上部軌道は駅前のスクランブル交差点(道幅はごく狭いのですが)の場所を斜めに突っ切りS字カーブを描いてインクラへ達していたとか。
なお当時の周囲は殆んど畑ばかりだった様子。

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上部軌道はごく短距離の300mほどでインクラ上部にたどり着きます。
上部軌道の機関車はここで切り離し、ナベトロを4、5台ずつに分けてインクラ巻上げ機につなげインクラ下へ降ろしていました。
今ではごく一般的な住宅街と河岸段丘の緑地の境に過ぎません。

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1つ前の写真の位置から振り返った様子。ここからインクラインは前方へ向け崖に桟橋を掛け座間高校の横へ降りて行ってたようです。桟橋だったためか崖にインクラの路盤は見当たりません。
機械油が染みた巻き上げ機の据え付け跡が結構後まで残っていたらしいのですが・・・。

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ナローゲージ | 22:51:31 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その2~
座間の砂利軌道や国鉄、私鉄、側線の変遷を簡略図にして見ました。
駅名、路線の変遷が激しく土地勘のある人間でもややこしくて描き始めてから若干ウンザリしたほどです(自爆)

1934(昭和9)年頃
ebina-map1934.png
1933(昭和8)年に昭和砂利の四ツ谷軌道(赤)、1934(昭和9)年に小田急砂利の新磯、新田宿軌道(オレンジ)が開設されています。
相模厚木から相模、中津、小鮎川合流点へも軌道がありますがこちらは業者などは一切不明。
ホイットコムMO型らしい機関車の写真を見たことがあるので昭和一桁開設の路線と思われます。
現在の海老名駅の位置には何もなく厚木駅周辺がターミナル駅の役割を果たしています。
それも小田急の駅は地名の河原口、相模鉄道と神中鉄道の駅は相模川対岸の町名です。
神中は小田急との接続を重視して河原口駅により近いところに厚木中新田口乗降場(現在のJR相模線厚木駅旅客ホームの辺り)を置いています。何ともややこしい話です。
因みにこの図の中で現在までに駅名も位置も一切変わらずに続いてる駅は1つもありません。何て恐ろしい・・・(^ ^;)

1938(昭和13)年頃
ebina-map1938.png
1937(昭和12)年に座間へ陸軍士官学校が移転して来ます。
新磯軌道は士官学校の構内を横切ることになってしまいます。
また新磯、新田宿や四ツ谷軌道とも小田急の駅までが遠く、コストの問題もあってより近くの相模鉄道へ接続するように変更されます。新磯軌道は1942(昭和17)~1943(昭和18)年頃まで士官学校敷地内を切通しで抜けて相武台前まで運行されてたとも言われよく分かりません。
また四ツ谷軌道を使用していた昭和砂利は会社自体も相模鉄道の傘下に入ったようです。
四ツ谷軌道(軌間610㎜)と新田宿軌道(軌間762㎜)は入谷貨物駅に乗り入れますが途中で軌間の違う線路同士が合流し共用区間は3線軌道になっていました。
(座間新戸→)陸士前駅からは相模鉄道新戸採取所と思われる辺りまでは構外側線も敷かれました。
また(新座間→)座間遊園駅は小田急が向ケ丘遊園に続く2つ目の遊園地建設を目論んで駅名を変えていますが遊園地建設は実現しませんでした。

1942(昭和17)年頃
ebina-map1942.png
砂利軌道の見た目に変化はありませんが相模鉄道の倉見や入谷(四ツ谷)、新戸の砂利採取業務の下請け会社として1940(昭和15)年7月1日に相模興業が設立され、相模鉄道から砂利採取船やガソリン機関車、ナベトロなどの施設を貸与され砂利採取業務を行うようになります。
また小田急、相模、神中の各鉄道の連絡が激変。
貨物では小田急と相模鉄道の間に短絡線が敷かれ小田急砂利の貨物が中新田から短絡線経由で東北沢へ送れるようになりました。
この短絡線ができる前は小田急砂利の貨物がどういうルートで輸送されていたのか気になるところですがよく分かっていません。
旅客では1941(昭和16)年11月25日に小田急、神中が接続駅を新設の海老名駅に移します。
神中のガソリンカー(実際は代燃車か?)が小田急線上を海老名~相模厚木で乗入れも行いました。
神中の相模国分~厚木は貨物専用線となり、不要となった接続駅も整理されて廃止、または貨物駅化されます。

1950(昭和25)年頃
ebina-map1950.png
砂利軌道の見た目に変化はありませんが業務請負により戦時中に相模川左岸の各砂利軌道が相模興業により運行されるようになりました。
砂利の需要先としては敗戦により大口顧客の帝国陸海軍が消えた代わりに進駐軍からの注文や復興需要が入るようになります。
なお戦中から戦後にかけ私鉄各線、砂利軌道の経営主も戦時統合で激変していました。
以下年表でまとめます。

1942(昭和17)年5月1日 東京横浜電鉄、小田急電鉄、京浜電気鉄道合併、東京急行電鉄(東急)となる
1943(昭和18)年4月1日 相模鉄道が神中鉄道を吸収合併
1943(昭和18)年12月1日 相模興業、東急より元小田急の新磯、新田宿での砂利採取請負
1944(昭和19)年6月1日 相模鉄道相模線国有化
1945(昭和20)年6月1日 相模鉄道、東急へ経営委託
1947(昭和22)年5月1日 相模鉄道、東急への経営委託解消、自主経営に戻る
1948(昭和23)年6月1日 小田急、東急から分離独立

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ナローゲージ | 21:44:01 | Trackback(0) | Comments(0)
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まとめ