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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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宮津臨港線(宮津線宮津駅)~その2~
宮津臨港線2回目

P1110662.jpg
宮津駅構内を西舞鶴方から見た様子。
貨物側線に面した道路は石畳になっています。
まだ舗装されていない道路が多かった時代、貨物の授受で多くの荷馬車、トラックが錯綜することを想定して砂埃やぬかるみ防止のため敷かれたものでしょう。

P1110665.jpg
石畳の横にはまた古そうな倉庫。外壁は波板に変わっていますが恐らくオリジナルは木造のかなり古いものでは。

P1110660.jpg
西舞鶴方を見た様子。ここにも保線MC庫があります。
貨物扱いを行っていた時代は日通所属の日本輸送機1960(昭和35年)製の10t半キャブロッド貨車移動機(製番:33539)が常駐していました。
僕は宮津駅貨物廃止前に生まれて帰省もしていたのですが物心つく前のことなので全く覚えがないです(- -;)
京都の日通機は独特の付番をしており頭には支店名を片仮名で付けていました。
宮津の機関車はキヨW1-4という番号で頭2文字は京都支店を表しています。
宮津には宮津支店があったのですが京都市内の山陰本線丹波口駅で使われていた時代の番号のままだったのでしょう。
現存するものでは北沢産業網干鉄道DB2とよく似ています。

P1110659.jpg
宮津線本線から分岐してリレーボックスの辺りを通っていた臨港線。舗装の境目が斜めになっているので多少面影がありますがその先急カーブで分かれていく路盤はよく分からなくなっています。

P1110657.jpg
お菊稲荷の前で国道178号線を横断していました。臨港線は右のタイヤ店の横へ延びていました。
お菊稲荷は番町皿屋敷と同じような話で18世紀の宮津藩で起きた不祥事に由来。
その結果藩主青山氏が美濃郡上藩へ移されたとのこと。
郡上藩では郡上一揆、石徹白騒動が起きて不祥事がばれた前の郡上藩主金森氏が徳川幕府によりお取り潰し。
代わりに宮津から青山幸道が移封されたわけですがこっちも不祥事?どこまでが本当なのやら。
因みに大規模一揆後の沈滞ムード漂う郡上藩で青山幸道が景気付けに始めさせたのが現在の郡上八幡名物の郡上踊りとも言われています。
うちの先祖は片や丹後、片や石徹白出身ですが何か関係してたりして・・・(^ ^;)

P1110654.jpg
国道178号線の踏切は信号交差点を臨港線が斜めに突っ切る線形。
交通量の多いところなので入換時はかなりの渋滞を引き起こしていたのでは?
その交差点の海側には臨港線のコンクリート橋が残っています。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 22:56:51 | Trackback(0) | Comments(0)
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