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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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大又索道、大又森林鉄道~その3~
大又索道は竹ノ平索道起点で大又森林鉄道と接続。
初期の朴ノ木線、長瀬谷線は竹ノ平まで川を下って来る線形から積車トロは乗り下げ運材を行っていたものと思われます。
竹ノ平索道起点から先は備後川線、池ノ宿線となります。

索道起点から竹ノ平集落までは朴ノ木線などと同時につくられたものと思われますが池ノ宿線は1937(昭和12)、1938(昭和13)年頃に備後川線の延長線として備後川支流の池ノ宿谷へと延ばされた路線。
朴ノ木、長瀬谷から池ノ宿へ施業場所が移ると運材に大きな問題が発生します。
池ノ宿からの積車トロ運転時に池ノ宿線内は池ノ宿谷を下るだけなので問題ないのですが備後川線に入ると竹ノ平索道起点まで備後川の谷を上り返さなければならないのです。
今回からの2回はその上り返しが必要だった備後川線区間です。

P1110925.jpg
竹ノ平索道起点から少し下ると竹ノ平集落跡。備後川線から谷底へ向かって集落跡の石垣が続いています。
右の掘割が索道起点から下って来た備後川線の本線。
左下、谷底に向かって集落跡が拡がっているのですがその入り口である左の分岐も線路跡のような雰囲気。
代燃機関車(実際はガソリン代燃ハイブリッドと思われる)が導入された後に車庫が置かれていたのではないかと推測。
何やら長方形の建物台座のようなものもあり車庫説を補強する材料も。
左に車庫、右の掘割から機関車がカーブしながら姿を現す風景は絵になりそう。

P1110926.jpg
車庫跡?から備後川線方向を見た様子。
備後川線にはモーターカー(軽四)が停車中~。
左には土留めの石積み、右の路面には車庫の基礎ではないかと思われる石積みが見えています。

P1110927.jpg
車庫(?)裏から集落へは階段が延びています。
竹ノ平集落は平家の落人集落があった跡に林業の集落ができたとのこと。
大杉谷森林鉄道のロクダイは林業労働者だけが住んでいたようですがここは家族で生活していたようで集落内には学校までありました。

P1110928.jpg
「町中」に入って来ました。かつては両側に住居や売店、診療所が並んでいた竹ノ平のメインストリート。

P1110930.jpg
五郷分校(現・熊野市立五郷小学校の分校?)の校庭から集落、備後川線を見上げた様子。
石垣が立派です。

P1110931.jpg
分校から見たメインストリート。

P1110932.jpg
診療所跡には流し台と思われるコンクリートが残ります。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

森林鉄道(大阪営林局) | 00:03:15 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
車庫跡に本線、そういう意識で見てかなかったら単なる登山道にしか見えないだろうなあ。私も貴方の影響か、林の中に石垣とかあると「おっ?」などと反応するようにはなりましたが(笑)。

集落跡に流し台ですか・・。生活用の水ってどうやって確保してたのかなあと、ふと疑問になりました
2019-12-30 月 08:03:37 | URL | きみ [編集]
きみさん、こんばんは~。
この車庫については、自分の想像の産物に過ぎないかも知れません。
状況証拠はすぐ集まるのですが決定的な物証がないのですよね。

流し台・・・恐らく近くの沢から水を引っ張っていたものと思われます。
こういうところでは木樋が使われることが多かったようですが大抵腐って無くなってしまいます。
これだけの規模の集落となると小規模ながら発電所もあったのではないかと期待されます。
2019-12-30 月 23:32:24 | URL | 西宮後 [編集]
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