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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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日本通運専用線(高山本線上麻生駅)~その2~
間が開きましたが高山本線上麻生駅の側線、専用線の後編~。

P1110538.jpg
駅前側の富山方にある貨物ホームと側線。
60年近く前に貨物側線、専用線としては使用されなくなっているはずですが保線用側線として現役。
この先高山本線は飛水峡の険を抜けるためか保線の最前線基地としての役割もあるよう。
応急処置用のガーダーが2本置かれています。
かつてはガーダーが積まれている側にも側線があったように見受けられます。

P1110539.jpg
上に積まれた桁には鐵道省、日本橋梁株式会社製作、昭和十四年などの文字が入った銘板が付いています。

P1110541.jpg
貨物ホームの奥にはコミュニティバスの車庫が見られますがここも土場の跡地?

P1110542.jpg
富山方で下り本線と合流する側線。

kamiaso.png
岐阜県統計書(岐阜県)を元に作成した年度別の上麻生駅貨物取扱量。
七宗森林鉄道縮小期以後のデータしかないためか発着量ともに非常に少ない状態。
それも1960(昭和35)年度を最後に無くなり、翌1961(昭和36)年8月1日には貨物営業廃止となっています。

●七宗御料林と七宗森林鉄道
七宗町には江戸時代尾張藩領の御林山がありました。
名古屋城が火災に遭ったときなど非常時のための備蓄林があり、明治には皇室財産の御料林に指定。
御料林の規模は小さいものの1935(昭和10)年には室兼~佐口谷4,852mの森林鉄道も敷設されてガソリン機関車による運材が始まっています。

DSC_0573_201912052214530fc.jpg
七宗森林鉄道が岩の間を縫うように通っていた「空のふさがり」。
このアングルで加藤製作所製の代燃装置付ガソリン機関車が写された写真があった。


七宗の御料林は太田出張所、戦時中に統廃合が行われた結果1941(昭和16)年1月1日には下呂出張所所管となり戦局が悪化している中でも御料林から袋坂方面に出る林道が開通し飛騨金山方面へ搬出するルートが完成。
恐らくこの林道開通により森林鉄道→トラック→上麻生駅のルートからトラック→飛騨金山駅のルートへの移管が進んだ結果上麻生駅の貨物取り扱い量が減ったのではないかと思われます。

戦後1947(昭和22)年4月1日の林政統一により七宗御料林は国有林となり下呂出張所から岐阜営林署へと管轄が移っています。
旧帝室林野局系の御料林や林鉄は大抵そのまま元の帝室林野局の出張所が営林署に変わって引き継がれることが多いのに対し七宗の場合は下呂出張所改め下呂営林署に引き継がれることなく旧山林局の岐阜営林署に引き継がれました。
(国有林は林鉄廃止後1962(昭和37)年に下呂営林署へ再移管)

1935(昭和10)年度    七宗軌道4,852m開設
1941(昭和16)年1月1日 太田出張所廃止→下呂出張所へ移管
1943(昭和18)年7月1日 七宗軌道→七宗森林鉄道(乙)に改称
1945(昭和20)年頃    袋坂経由の道路林道開設
1947(昭和22)年4月1日 林政統一。七宗御料林、七宗森林鉄道は岐阜営林署に移管
1953(昭和28)年度    七宗森林鉄道1,676m撤去
1956(昭和31)年度    七宗森林鉄道440m撤去
1957(昭和32)年度    七宗森林鉄道全線撤去

車両は1954(昭和29)年度時点でガソリン機関車2台、運材貨車36台がありました。
路線撤去が進むと1956(昭和31)年度には半減してガソリン機関車1台、運材貨車18台、全線撤去後もそのまま車両はしばらく保管されていたのか1958(昭和33)年度まで在籍車両数はそのままでした。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 22:33:05 | Trackback(0) | Comments(0)
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