投稿日:2019-08-10 Sat
名鉄でこの駅貨物やってたんだ・・・と意外性の大きい駅の一つ。名古屋鉄道車両史上巻(清水 武、田中 義人/著 アルファベータブックス/刊)の1943(昭和18)年4月1日時点の構内配線図を見ると行き止まり式の貨物側線と貨物ホームらしきものが描かれています。
しかし1950(昭和25)~1957(昭和32)年度の愛知県内の私鉄各駅の貨物輸送量が記載された愛知県統計年鑑(愛知県)には一度も貨物取扱い量の記録がないことから相当に早い時期に貨物営業を廃止していた様子。
よくわからないのでタイトルも貨物側線(?)にしています。
駅舎とアパートが一体化した構造の大里駅舎。
駅の南方(豊橋方)で名古屋本線が東海道新幹線と交差しています。
名古屋鉄道(初代)が名古屋電鉄、尾西鉄道、美濃電気軌道など各社が細切れで開業していた各線をつないで名古屋~岐阜をつなぐ名岐線とすべく路線延伸していた最中の1928(昭和3)年2月3日に大佐土駅として開業しています。
普通のほか本数が僅かな準急と朝夕の急行、ごく一部の快速急行が止まる微妙な状態。
名鉄をよく知らない人にとっては結局どの列車に乗れば止まるのか??という複雑怪奇な駅かも・・・(^ ^;)
今では複線の本線があるだけで側線などの分岐は皆無。
側線があった当時は上下線間に渡り線もありました。
貨物側線は名鉄岐阜方から西側に分岐して行き止まりのごく簡単な配線
通過中の名鉄岐阜行2300系特急の右に側線が分岐していた名残の敷地が拡がっています。
途中には開渠の跡も。Iビームを固定していたであろうボルトも残っています。
異様に浅い水路ですぐに水が付くのではないかと思われそうですが実際田植えの時期になるとよく冠水します。
田園地帯なので田植え期になると水路は目一杯に水が流れ田んぼの中の低い道路が冠水する光景は日常茶飯事・・・。
下りホームの名鉄岐阜方末端部から見た貨物ホーム、側線跡。名鉄パーキングになって跡形もなし。
側線があった当時旅客ホームは現在より短く、奥に見える石積み部分だけだったものと思われます。
ホーム上から見た側線の橋台が残る開渠。鉄製アングル架線柱が側線の真ん中付近に建てられています。
この電柱の建植時期はわかりませんが相当に古そう。側線橋台の上部が大きく欠損しているのも気になります。
1つ心当たりがあるのは60年前の衝突事故。
伊勢湾台風から間もない1959(昭和34)年10月11日夜に大里駅南方の踏切で岐阜行特急電車(初代5000系)がオート三輪と衝突転覆する事故が発生しています。
オート三輪を引っ掛けたまま大里駅に突入し岐阜方で転覆して前3両が線路脇の水田へ転落し9人死亡、120人以上負傷と言う大惨事になっています。
大里駅付近には特に大きな工場は無く当時の航空写真を見ても人家も少ない田んぼの中の駅という状態でした。
考えられそうな輸送品目は発送:農作物、到着:肥料が多そうですが確証は有りません。
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