FC2ブログ
 
■プロフィール

にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■閲覧数(2014/8/12~)

閲覧数(2014/8/12~)

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
艶金興業奥町工場専用線(?)(名古屋鉄道尾西線奥町駅)~その1~
うちのごく近所で「あそこの工場専用線あったのか!」と驚いたところ。
名鉄尾西線の中でもさらに盲腸線となっている名鉄一宮~玉ノ井の区間、地元では玉ノ井線と通称された5.6kmの区間内の主要駅で2007(平成19)年までは駅員配置駅だった奥町駅から延びていた側線。
戦前のことで専用線なのか名鉄扱いなのかはよくわかっていないので(?)が付いています。

●染色工場の専用線
愛知県一宮市の周辺はかつて毛織物工業が盛んで織り上げた毛織物を染める染色工場も多数存在しました。
その中でも艶金興業は明治以来続く大手企業でしたが毛織工業の衰退と共に工場閉鎖が相次ぎ染色を行っているのは独立した元の子会社のみです。
艶金の名前は元々この地方で盛んだった綿織物の布地に艶を付けるため砧(きぬた・・・布をたたく木槌)で布地を打つ「艶屋」を家業としていたこと、創業者の墨 宇吉の通称が金兵衛だったことから「艶金」となったそうです。
創業期には一宮周辺での生産品が綿織物から毛織物へシフトが進んでおり毛織物メーカーが製造した毛織物の汚れや油を落とし染色、艶出しなどの加工を行う染色整理業を始めました。
当初は個人事業として行っていましたが一宮工場を建設した1924(大正13)年に株式会社化して艶金興業株式会社となっています。
奥町工場は1934(昭和9)年に奥町(当時は一宮市でなく愛知県中島郡奥町と言う別個の自治体)からの工場誘致に応え12月19日に地鎮祭、1935(昭和10)年12月14日に開業。
一方で国立公文書館所蔵の鉄道免許・名古屋鉄道13・昭和10年の簿冊一覧を見ると1935(昭和10)年3月19日付けの「奥町停車場構外側線敷設の件」という書類が存在するようです。
恐らく工場開設時に側線も使用開始されたものと思われます。

okucho-tsuyakin.jpg
艶金興業奥町工場の鳥瞰図
左下端に奥町駅のプラットホーム、その右に行き交う電車、工場に入る構外側線上には凸型電機(デキ100?)が無蓋貨車2両を従えた姿が描かれている。
左に見える電車は無蓋貨車2両を牽引して新一宮方面(右方向)へ発車。
本来この区間は単線なのでこんな数の列車が同時に走ることはないはずだが一見複線区間のように描かれている。
当時名鉄西部線の電車はデボ800形(後のモ800形)以外名古屋市電乗入のため中央に鉄道線用パンタグラフ、両端に軌道線用ポールを装備しておりこのイラストでも中央のパンタを上げていることが見て取れる。
奥町誌(奥町教育会/編 1936)より引用


●側線はいつまで使用されたか?
戦時中の1943(昭和18)年4月1日調査の配線略図には側線が描かれているが専用線企業名などは書かれていません。
戦時中は軍需と直接関係のない繊維産業にとっては受難の時代で工場や従業員を軍需産業に振り向けるよう強制や圧力を受けていました。
奥町工場も航空機の車輪などを製造していた岡本工業(後に岡本自転車工業)へ譲渡することになり1943(昭和18)年10月1日に艶金興業としての操業停止、12月には工場を岡本工業へ譲渡しています。
なお名鉄尾西線も奥町より先、木曽川港(貨)までの路線が不要不急路線とされ1944(昭和19)年3月21日に休止、戦後奥町~玉ノ井の一駅間のみが1951(昭和26)年12月28日に再開業しますが木曽川橋や木曽川港(貨)は名古屋本線木曽川堤駅と近接し必要性が薄れていたこともあり復活しませんでした。
岡本工業に譲渡されていた奥町工場は直接の戦災は被りませんでしたが戦後もなかなか返還されず10年以上を経た1956(昭和31)年8月にようやく染色工場として復帰、新たに設立した艶金染工の本社工場となりましたが専用線は既に使用されていなかったようです。
okucho-map.jpg
1975(昭和50)年9月10日国土地理院撮影の空中写真
専用線は既に廃止されているが専用線に沿って建てられた工場の塀に線形の名残が見られる。
後にさらに外側に尾西線に沿った壁が新設され2001(平成13)年の工場閉鎖時にはカーブした塀が外から見えなくなっていた様子・・・何度も横を通っていながら気付かなかったわけで(言い訳^ ^;)。
スポンサーサイト





テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 21:33:16 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
まさに灯台元暗しですね(笑)。しかし、鳥観図見るかぎり路面電車から分岐して荷物を授受するための側線という風にしか見えず、今日に明確な痕跡を求めることの方が難しい気もしました。塀の形もなだらかなカーブになっているならレールの存在を想像できますが、鳥観図では多角形のような感じになっており、この塀が見える形で残っていも素人には到底線路を想像できないだろうなあと思いました。
2019-05-13 月 06:26:06 | URL | きみ [編集]
イラストは見栄っ張り~
きみさん、こんばんは。
鳥瞰図は吉田初三郎を始めとした絵師たちにより戦前は盛んに描かれています。
注文主の電鉄会社やメーカーなどの要望で簡略化&見栄張りがあって実態とはちょっと異なりますね。
因みにこの工場周辺の道路はこんなに整然としていないし広くもないです(爆)
工場の塀は昭和40年頃の写真を見ると緩やかにカーブしており見る人が見れば引込線が入っていたのは一目瞭然なつくりでした。
路面電車・・・紛らわしいことにこのすぐ近所に名鉄起線という路面電車が存在し以前はその起線沿いの工場の絵だと思っていましたがよく見ると凸電がいる・・・(・ ・;)
2019-05-13 月 22:43:27 | URL | 西宮後 [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する