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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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東濃鉄道笠原線市之倉口駅の貨物側線
旅客専用で短いホーム1面1線だけの停留場下滝呂は飛ばして次の貨物扱い駅は市之倉口。
駅名になっている市之倉は駅から山越えをして2.5km以上離れた盆地の町で笠原線起点の新多治見駅~市之倉口1.8kmの方が近いという看板に偽りあり気味な駅名です(^ ^;)

駅に隣接してTYK(当時は東京窯業)本部・大畑工場があり昭和40年代に笠原線の他の駅の貨物取扱い量が低下して行く中でも東京窯業の耐火煉瓦輸送で伸びを見せる異例の駅でした。
駅構内側線は実質的に東京窯業大畑工場専用線で私有機も2台いましたが専用線一覧表には掲載されていません。

P1060540.jpg
市之倉口駅構内・・・というよりはTYK工場を笠原方から見た様子。
遊歩道は右の笠原川の方へ曲がっていますが笠原線は真っ直ぐ工場内へ延びていたようです。
側線は新多治見方から分岐していたものと思われます。

P1060541.jpg
左はTYKの工場、右は道路を隔てて笠原川。
笠原線の本線は植込みの辺りで工場側には側線が拡がっていたものと思われます。
現在はトラックへの積込みホームが続いてますがかつてはワム80000やワキ5000など鳶色のパレット貨車黒い有蓋車がずらりと並んでいました。

P1060545.jpg
工場の多治見寄り、かつての旅客ホーム、駅舎付近にある市之倉口駅の説明板。
写真で見ると笠原川寄り側線、本線、貨物ホーム側線が3本並んでいるのがわかりますが工場内は側線がもっと分岐していたのでしょうか。

P1060546.jpg
新多治見方から見た市之倉口駅。本線と貨物ホームのあった側線がTYKの工場構内道路になっています。
横断歩道を挟んで植え込みの付近に旅客ホームと駅舎、旅客ホームの先、工場内に見える丸い覆い屋根付近で左に分岐し川沿いに延びる側線もありました。
なお駅前で笠原線と直行するこの道を右(南南西)へ向かい山越えをすると市之倉ですが実際に同所へ行くのには多治見からバスで直行する方が便利で鉄道を利用する人はほとんどいなかったのでは?

P1060547.jpg
工場入口にみえる花壇のコンクリート擁壁。鉄道用貨物ホームの名残でしょうか?

P1060548.jpg
駅から多治見方を見た様子。
左に側線の末端がありスイッチャー2台はここに留置されていたようです。

P1040946.jpg
市之倉口で入換に使われた東京窯業私有機No.2
国鉄のC2形貨車移動機の払い下げ車です。
詳細はこちら 市之倉さかづき美術館のC2形貨車移動機

ichinokura.png
市之倉口駅の貨物取扱量の変化。
同駅の貨物扱いは1978(昭和53)年10月まで有りましたが駅別データは1972(昭和47)年度まで。

参考文献:
RM LIBRARY72 東濃鉄道(清水 武/著 ネコ・パブリッシング/刊)
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 23:15:06 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
駅名は、駅前にある橋が、市之倉口橋(1915年架橋)だったからだと思います。
当時、市之倉は独立自治体だったため、地元民からは反対の声もあったとか。
かつては国鉄バスが通っていた道です。
因みに、今は一つ下流の橋が市之倉口橋という名称です。
2020-05-25 月 00:51:37 | URL | [編集]
市之倉口の由来
情報ありがとうございます。
笠原に行く道から市之倉へ行く道が分かれたところに架かる橋だから市之倉口橋ということでしょうか。
うちの父親の出身地は京都府内の城下町でしたが京都に行く街道が城下を出てすぐの場所に架かる橋は「京口橋」と言いました。
実のところ京都まで120kmも離れてたので市之倉口~市之倉どころではないです(^ ^;)
国鉄バス岡多線が市之倉を通っていることを考えると市之倉の人たちにとって笠原線はまず利用することがなかったでしょうね。
2020-05-25 月 21:55:42 | URL | 西宮後 [編集]
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