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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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八田駅の専用線群1
今回の専用線は大して遺構は残っていないのですが歴史の長い専用線なのでテキスト主体となります。

iwatsuka.gif
※稲葉地工場への線路(ライトグリーン)は終戦直後の航空写真で路盤が確認できるものの使われていたかは不明。

●三菱重工岩塚工場専用線
作業キロ:1.0km(1970(昭和45)年版では作業キロ0.6km 総延長0.7km)
作業方法:私有機


元は日本毛織(以下ニッケ)名古屋工場専用線として建設された古い専用線。
ニッケ名古屋工場は1925(大正14)年建設、1926(大正15)年完成です。
専用線の開業も同時期と思われます。
「日本毛織百年史」には石炭を取り卸し作業中のバッファ付き無蓋車が写っているので、
自動連結器へ交換される1925(大正14)年7月以前には使われていたことになりますね。
石炭や原料の羊毛の搬入に使われていたのでしょう。

戦時中の1943(昭和18)年三菱重工業(初代)が稲葉地工場を建設するため専用線を延長。
しかし資材不足で建設工事が進まずニッケ名古屋工場を譲り受けて岩塚工場とします。
大曽根の大幸工場と共に戦闘機用のエンジン製造拠点になりました。
大幸工場や機体製造の大江工場(東名古屋港)が空襲で壊滅したのに対し、被害が少なかったこともあって戦争末期はここが本拠となっていたようです。

戦後は民需品の生産に変わり復興時には鍋、釜、農器具から始まり農業用小型エンジン、産業機械、冷熱製品製造へと変わって行ったそうです。
財閥解体を受け社名も変転(→中日本重工→新三菱重工→)、再度合併して1964(昭和39)年に三菱重工業(2代目)に戻ります。

「三菱重工業名古屋機器製作所三十年史」によると専用線は資材、製品輸送に1965(昭和40)年まで使われていたそうです。専用線一覧上では1970(昭和45)年版までは見られます(1975(昭和50)年版は持ってないので^ ^;)。

専用線一覧ではニッケ時代の1930(昭和5)年版で既に社機関車=私有機が使われていたことになってます。
同じ関西本線から分かれていたニッケ系の昭和毛絲弥富工場専用線も戦前から私有機が使われていたようで、こんなところからも毛織物が有力産業だったことが窺われます。
三菱となった後も私有機が使われています。三菱時代末期はやはり三菱のDLが使われていたものとは思いますが、写真などは見つかってません。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 22:12:00 | Trackback(0) | Comments(0)
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