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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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東濃鉄道笠原線の気動車
笠原駅の記念碑に移っている笠原線の気動車たち。
今回はボギー車、片ボギー車のみで単車のキハ1、2は別の機会に紹介できるかな?
キハ12以外は1971(昭和46)年6月13日の旅客営業休止まで使われていました。
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キハ23+キハ12
どちらも元駄知鉄道の日本車輌製ガソリンカーでエンジンはアメリカのウォーケシャ(Waukesha)6-SRL。
キハ12は1931(昭和6)年8月製の片ボギー車でボギー側前面に荷物用バケットを装備。
キハ23は1933(昭和8)年9月製のボギー車でバケットも両側に設けられていました。
駄知線電化後笠原線へ転入してキハ12はディーゼル化されず附随車化。
キハ10形キハ12号、キハ20形キハ23号なのですが駄知鉄道では気動車の番号の下1桁を通し番号としていたためで複数同型車がいるわけではありません。
キハ23は戦時中代燃ガス発生装置を取付け木炭、ガソリンのハイブリッド化、戦後ガソリン専燃に戻り笠原線移籍後の1952(昭和27)年に三菱DB5Lを積んでディーゼル化されています。
現在動態保存されている加悦鉄道キハ101(1936(昭和11)年日車製)と同一設計の車体だそうですが加悦キハ101が片ボギーなのに対しこちらは通常のボギー台車。
DSC_3656.jpg
加悦鉄道キハ101

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キハ501
1931(昭和6)年8月梅鉢鉄工所(後の帝国車輌→東急車輛→総合車両製作所)製の播丹鉄道レカ15→キハ500
播丹鉄道は現在の加古川線や支線となる北条線(現・北条鉄道)、廃止になった高砂線や鍛冶屋線、三木線(後の三木鉄道)で使われていました。
それまで小型の二軸レールカー(当初の形式称号レカの由来)ばかりだった播丹鉄道初のボギー式13m級ガソリンカーで車体両端にはキハ23と同じようなバケットを装備していました。
戦時買収で国鉄籍になりキハ40350に改番。1953(昭和28)年に東濃鉄道が譲受し車体延長やエンジンの日野DA57への載せ替えによるディーゼル化など大改造しています。
元の車体は両側にバケット付きでしたが車体延長で運転室を置いたようです。
台車構造もあって電車くさい外観になっています。

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キハ502
笠原線最大の17m級ディーゼルカー。
1934(昭和9)年日本車輛製の中国鉄道(現・中鉄バス)キハニ172。
前面4枚窓で国鉄キハ04系列に似ていますが幕板が広く屋根もやや深いためおデコが広く見えてやや鈍重な顔つき。
新多治見方にのみ荷物用バケットが付いており前後でやや印象が異なります。
現在の津山線、吉備線で使われこちらも戦時買収で国鉄籍となりますが戦中、戦後の燃料入手難でまともに使われることなく1949(昭和24)年に廃車。
1952(昭和27)年より山口県の防石鉄道キハ101として使われますが1964(昭和39)年7月1日に廃線。
東濃鉄道へ譲渡され翌1965(昭和40)年10月に笠原入りしています。
なお中国鉄道キハニ170形はキハニ170~172の3両がいましたがキハニ171は三岐鉄道キハ82となっており電化後も1964(昭和39)年までは四日市直通運用に使われ、使用停止後も1972(昭和47)年まで在籍、偶然にも両車とも名古屋近郊で晩年を迎えています。
なお残るキハ二170は島原鉄道キハ201になってやはり昭和40年代まで在籍していたようです。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

気動車 | 23:28:42 | Trackback(0) | Comments(0)
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