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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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日本レイヨン岡崎工場専用線(名鉄挙母線大樹寺駅)~その1~
ユニチカ岡崎工場の専用線。途中で専用線が付替えられた珍しい専用線です。
レーヨンを始めとした化学繊維の原料輸送に使われていたようですが当初は製品も輸送していたかも知れません。

作業方法:社機
作業キロ:3.0km

●日本レイヨンの岡崎進出
レーヨンは紙と同じパルプを原料として苛性ソーダ、二硫化炭素で溶かし再度線維化させてつくる化学繊維で手触りや風合いが絹と似ていることから人造絹糸、人絹とも呼ばれました。
「六大紡」と呼ばれた紡績大手6社の一つ大日本紡績がレーヨン生産のために1925(大正14)年に子会社として日本レイヨンを設立。京都府宇治工場でレーヨン生産を開始しています。
レーヨン生産はブームを呼び更なる増産のため1935(昭和10)年に第二の工場として岡崎工場が置かれます。
当時の岡崎市は恐慌後の産業活性化のためレーヨン工場の誘致を行っており一足早く日清紡績系の日清レイヨンが美合工場を設置していました。
日本レイヨンでは何か所か候補地が挙がっていましたが矢作川沿いで水の品質が良く電力料金が関西より安かったこと、本拠地の関西地方に近いことなどから岡崎が選ばれました。
岡崎工場は1934(昭和9)年1月に起工しますが三河鉄道岡崎線(後の名鉄挙母線)大樹寺駅からの専用線建設は一足早く1933(昭和8)年11月に三河鉄道から鉄道省へ工事着手届がなされ1934(昭和9)年3月には構外側線竣工届が出されています。

●戦時中のレイヨン生産中止と戦後の復活
戦争が近く統制色が濃くなると1941(昭和16)年6月に三河鉄道が名鉄と合併。
戦時中はレーヨンの海外輸出も出来なくなり軍需に関係ない産業は冷遇されることになります。
1943(昭和18)年には日本レイヨンが社名を日本航空機材に変更、海軍の指導の元木材で航空機のプロペラを製造したり軍需産業で生き残りをかけますが敗戦を迎えると仕事が無くなってしまいます。
プロペラ製造で得た技術を生かし合板、繊維板ファイバーライト製造で何とか生き残り1946(昭和21)年に永興産業、1948(昭和23)年には元の社名の日本レイヨンに戻っています。
しかしレーヨン製造の機械は戦時中に廃棄してしまっていたため岡崎工場でのレーヨン生産再開は1951(昭和26)年まで待つことになります。
レーヨン生産再開後は朝鮮戦争特需や高度成長期に生産が延びています。
専用線では名鉄電機が苛性ソーダや二硫化炭素を積むタンク車を牽いていましたが1953(昭和28)年には工場の生産拡大のためか構内入換用の8tディーゼル機関車DB5も用意されました。

●専用線の付け替え
1969(昭和44)年10月には親会社のニチボー(大日本紡績)と日本レイヨンが合併しユニチカが誕生。
人件費の安い途上国産の繊維製品が台頭してくるなかで繊維業界の再編が行われます。
一方で貨物輸送の面でも1970(昭和45)年10月1日に国鉄岡多線が開業する一方で並行する名鉄挙母線は廃止されることになり、挙母線廃止前の1971(昭和46)年10月1日に専用線の起点駅が名鉄挙母線大樹寺駅から岡多線北岡崎駅に変更されました。
挙母線は1973(昭和48)年3月4日に廃止されています。

P1050241.jpg
挙母線大樹寺駅を上挙母方から見た様子。線路はそのまま駐輪場になっています。
挙母線の廃線跡についてはこちらに挙げています。
挙母線は直流1500V電化でしたが岡崎市内線は直流600V。
1962(昭和37)年に岡崎市内線が廃止されるまで構内には双方の電車が入るため600Vで電化されており大樹寺駅の上挙母方にはデッドセクションが設けられていたそうです。

P1050242.jpg
大樹寺駅直前の踏切跡から構内を見た様子。現在は大樹寺バスターミナルとパチンコ店の一部になっています。
右に敷地が膨らんでいるのにかつて線路が分岐して構内が拡がっていた様子を偲ばせます。
専用線は構内右端のフェンス沿いに分かれていた様子。

P1050243.jpg
踏切には用地境界標が残っていますがよくある名鉄のものではなく旧・三河鉄道の社章が入ったレアものです!

P1050245.jpg
大樹寺駅跡のバスターミナル。
専用線はこのバスターミナルの建物裏手で分岐してパチンコ店の赤い立体駐車場の中を通っていました。
かつては島式ホームの真ん中に階段が設けられて同じホーム上で鉄道線用の高床車と軌道線の低床車の乗り継ぎが行えるようになっていました。
なお挙母線は法的には一駅岡崎市街寄りの岡崎井田が起点でしたが岡崎井田~大樹寺は低床車で運行され実質岡崎市内線の一部になっていました。

P1050247.jpg
大樹寺駅構内を岡崎井田方から見た様子。
市内線の電車が通っていた線路跡は道路とパチンコ店の間の駐車場の位置かな?
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 23:59:58 | Trackback(0) | Comments(0)
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