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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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土倉鉱山鉱石輸送ルート~その3 索道~
土倉鉱山が新興財閥日窒コンツェルンの日窒鉱業の手に渡ると土倉鉱山~北陸本線中ノ郷駅ルートは狭い杉本隧道(丹生隧道)が輸送のネックとなり一つ米原よりの木ノ本駅への索道がつくられました。
tsuchikura-map1png.png
選鉱所から黄色のルートで運ばれていたのが赤のルートに変わります。

P1040072.jpg
木ノ本駅への鉱石索道本線の遺構は見付けられていませんが鉱石を取り出した残土のズリを杉野川対岸のズリ捨て場まで運んでいた索道の支柱が残っていました。

P1040074.jpg
先端の方にあったプーリーなどは既に失われていますが貴重な貨物索道の遺構です。
木之本駅までの本線にもこのような支柱が並んでいたのでしょうね。

P1040076.jpg
索道支柱の下にはコンクリートで囲われた沈殿槽のようなものがありました。既に水は無く土砂で埋まっています。
コンクリートの縁の上は柵で囲ってあった跡が残るだけ。この柵の支柱は手押し軌道の古レールなのか6kgレールが利用されています。

P1040082.jpg
沈殿槽の下には沢の水を通すためのトンネルが開いていました。
手前には水路橋の跡らしき残骸が沢を横断しています。

kinomoto_p.jpg
国土地理院の空中写真でも1947(昭和22)年米軍撮影のものに木ノ本付近の索道のラインが割りと鮮明に写っています。
かつて北国街道の宿場町として栄えた木之本の市街地北側の山林を斜めに通って北国街道、北陸本線を乗り越したところに工場が見えます。
索道停車場には北陸本線木ノ本駅から延びた日窒鉱業専用線が接続しており精錬所まで貨車輸送を行っていた様子。

P1040106.jpg
索道と北陸本線の交差地点から土倉鉱山方面を見た様子。

P1040104.jpg
223系新快速が横切る向こうが日窒鉱業の跡。
1965(昭和40)年に土倉鉱業所が閉山となった2年後の1967(昭和42)年にヤンマー木之本工場が進出しトラクターの製造を行っています。
日窒鉱業時代の索道停車場は"YANMAR"の文字が掲げられた辺りにあったものと思われます。

DSC_0426.jpg
北陸本線田村~木ノ本~敦賀が交流2万V電化開業したのは土倉鉱山操業中の1957(昭和32)年10月1日。
索道開通以前の積み替え駅中ノ郷が柳ケ瀬線の小駅になり、近江塩津経由の新線には国鉄初の本格的交流電機ED70が走り始めました。
こうなると高圧の架空電車線とさほど高低差のない索道の交差が問題になりそうですがどうだったのでしょうね。
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テーマ:散策・自然観察 - ジャンル:趣味・実用

鉱山 | 22:00:29 | Trackback(0) | Comments(0)
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