投稿日:2012-10-22 Mon
中部電力の朝日、秋神ダム建設資材輸送のため最寄りの久々野駅に側線が建設されました。作業キロ:0.3km 総延長キロ:0.3km
作業方法:日通動車→私有機
「久々野町史」によると1952(昭和27)年8月9日に上り3番線(延長158m、有効長94m)、中電専用1番線(延長296m、有効長224m)、中電専用2番線(延長230m、有効長187m)が完成。
翌1953(昭和28)年1月25日には日通専用突込み線(延長102m、有効長60m)が完成しています。
当時は日通の移動機が配置され入換に当たっていたようです。
朝日ダムへは16㎞に渡る索道で資材を輸送していました。
その後、高根第1、第2ダム発電所建設に際し、1965(昭和40)年6月~1969(昭和44)年7月の間に大輸送が行われました。
この時は中電の私有機が配置され、東藤原から小野田セメントの30tホッパ車(ホキ3500や三岐のホキ3000~6000などか?)で輸送していました。
私有機はいずれも大井川鉄道井川線から移籍。
いずれも加藤製作所製です。
1936(昭和11年)製のDB1形はDB6が1962(昭和37)年に、DB4は1969(昭和44)年に移籍。
1956(昭和31)年製のDB51形DB52が1965(昭和40)年に転入しているようです。

DB6,4は平凡な鋳物台枠L型機でしたが、DB52は異色のセミセンターキャブ機。
両端のオーバーハングが大きく、ピッチングが激しそうですがどうだったのでしょう??
この3台が同時に使われていたのか入れ替わりがあったのかは不明。

久々野駅から30㎞ほど東にある高根第1ダム。少し下流には第2ダムもあります。
久々野駅からここまではトラック輸送が行われました。

岐阜方にあった中電専用線跡。現在も保線車の車庫などが置かれています。

中電のヤード横を上ってくる高山本線のキハ48。

久々野駅構内岐阜方で本線と専用線をくぐるガード。かつてはこの左側からダムサイトへ向かうトラックが続々と出て来ていたのでしょう。

セメントホッパー跡?周囲は石積みなのにたいしてここだけコンクリートを充填して埋めたような跡が・・・。
かつてはホッパ車で到着したセメントを線路下に設けたサイロへと降ろし、適宜ダムサイトへトラック輸送していたといいます。
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