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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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豊和工業本社工場専用線(名鉄名古屋本線須ケ口駅)~その1~
名鉄名古屋本線と津島線が接続する清須市の須ケ口駅。
名古屋市の北隣で駅には名鉄新川工場が隣接、駅前には東海道、中山道の連絡道だった美濃路も通り交通の要衝です。
この駅にもかつては専用線がありました。
専用線一覧表では1964(昭和39)年版でしか確認できてませんが昭和初期からあったはず。
なお須ケ口駅の貨物取扱いは1965(昭和40)年度に廃止されています。

作業キロ:0.1km
作業方法:社機

P1010434.jpg
美濃路の橋上から見た名古屋本線の新川橋梁。
左に見える塔は豊和工業本社工場の給水塔。
この新川もかつては名古屋港と結ぶ運河として使われ豊和工業前身の豊田式織機時代は専用の河岸を設け艀による輸送も行われていた様子。

豊和工業は工作機械や変わったところでは自衛隊の銃器製造でも知られますが1927(昭和2)年3月に名古屋市内から工場が移ってきた当時の社名は豊田式織機株式会社・・・当時中京地方で盛んだった繊維産業の織機を製作する会社でした。
似たような名前の企業が多いことで混乱しますが「豊田」の名前がある通り現在のトヨタ自動車の元をつくった豊田佐吉(1867~1930)が関係しています。
豊田佐吉は機械動力による力織機を発明し特許を得ていますが一介の発明家で個人で工場を起こすような資金は持っていませんでした。
知人の工場で発明した織機を使っていたところこれが三井物産の目に留まり1906(明治39)年に設立されたのが豊田式織機株式会社です。
彼自身も常務取締役についてましたが業績不振により解任。
発明家として自由を得られず苦悩していたようで解任後間もなく渡米、海外の織機事情を目の当たりにして帰国後自前で資金を調達し1911(明治44)年に豊田自動織布工場(現・トヨタ紡織)、1926(大正15)年には豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)を設立しておりいずれの企業とも現在も盛業中です。

話が脱線しましたが豊田式自動織機本社工場の専用線に戻ります。
1927(昭和2)年3月に工場ができた頃は名古屋鉄道(初代)の時代で名古屋本線に当たる区間でつながってたのは押切町~新一宮(現・名鉄一宮)の区間でした。
名古屋市内は市電乗入で名古屋駅近くの柳橋駅にターミナルがありましたが国鉄との貨物連絡は新一宮か弥富経由で行っていたものと思われます。

P1010457.jpg
須ケ口駅の北側。右が名古屋本線で左が津島線。
津島線から須ケ口終点の5000系普通が名古屋本線下り線と平面クロスして入線してくるところ。
現在はホームを方向別とするためこのような配線になっていますがこれは専用線廃止後に大きく配線変更したもの。
かつては名古屋本線と津島線でホームが分かれていました。

P1010455.jpg
目線を右に移すと名古屋本線上り線、その向こうが豊和工業本社工場。
専用線は上り線と工場の間の通路、自転車置き場の場所にあったようです。

P1010447.jpg
実際に専用線があった場所に行ってもただの自転車置き場があるだけ(^ ^;)
工場が操業開始した昭和初期の写真では織物工場(自社製造品のテスト用の工場か?)があり、その前に架線と貨車が写っている写真があったことからかつては中まで線路が入っていたのかも知れません。
その工場前には荷造場があったので製品の織機を積んで出荷していたようです。
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専用線跡 | 23:49:09 | Trackback(0) | Comments(0)
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