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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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近江鉄道クハ1212のこと~その1~
今から20年以上前の話~
京都からの帰りに草津線貴生川で乗り換えた電車が日野までの区間運転だったため日野で途中下車。
夕暮れの雰囲気がとてもいいローカル駅だったので次の米原行まで30分待ちの間に駅の周辺を見ることに。
写真の撮影は3枚とも1997(平成9)年8月15日です。

img091.jpg
乗って来たモハ224が貴生川へ折り返していくのを見送り。
左のLEカー車庫は今も残ってますね。右の小屋の間に黄色い物体が見えますがどうやらタッグローダーだったようです。
このタッグローダーが最近復元されイベントなどで日野駅に展示されるようです。
ここから目線を右に振って行くと・・・

img090.jpg
ホーム横に怪しい木造の廃車体がありました。
クハ1212形クハ1212号の初代車体です。

img090-1.jpg
拡大~。
クハ1212は片運転台車で右(米原側)に乗務員扉があることから右が前面。
この車体が現役当時の写真を見ると当時も米原方向を向いていた様子。
前面幕板にはピンクっぽい塗装(茶色が退色した?)、側面窓周りには黄色の塗装が残ってました。

クハ1212は1914(大正3)年多賀線開業時に用意された両端オープンデッキの加藤車輌製作所製ボギー客車イ4号が前身。
因みにメーカーの加藤車輌製作所は小形内燃機関車製造の加藤製作所とは別会社です。
国鉄で「イ」は1等車を意味しますが当時の近江鉄道では1、2等合造車の意味だったそうで1926(大正15)年には形式称号変更でフホロハ4号に変わります。
当初は蒸気機関車に牽引されてましたが1930(昭和5)年に電化されると電車に牽かれるようになり、また優等車廃止によりフホハ26号へ再改番。
1940(昭和15)年には両端のオープンデッキをやめて扉に改造、さらに戦時中には中扉を増設して3扉車となっています。

ohmi-fc26-1-2.png
3扉化改造後のフホハ26
戦中、戦後のガラス不足の時代のままなのか縦桟の入った窓になっている。

戦後西武鉄道の木造電車が大挙して転入、1956(昭和31)年に他の客車たちは台車を西武から譲り受けた車体に渡してクハ1205~1211になり車体は廃棄されましたがフホハ26号は車体の状態が良かったのでそのままクハに改造。
続番でクハ1212形クハ1212号になっています。

ohmi-tc1212-1-2.png
元・神姫電鉄(現在の山陽電鉄)デハニ2(左)と編成を組んだクハ1212
クハ化に際し両端の客扉が内側に移され乗務員室を設置、窓も新たに開けられていくらか整った外観になった。

ohmi-tc1212-1-1.png
クハ1212前面(米原方)

台車を高野山電気鉄道放出品の汽車会社製BW54-18Lに履き替え使われたものの1958(昭和33)年には結局西武クハ1203の車体に載せ替え、製造時からの旧車体は半分に切られて日野駅で倉庫として利用されました。
旧車体は車両としては引退したもののクハ1212はまだ変転を続けます。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

関西私鉄 | 18:25:43 | Trackback(0) | Comments(0)
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