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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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福来口御番所屋敷と踏切防護協力員
飛騨金山駅から富山方へ歩くこと20分ほど。福来信号場の近くまでやって来ました。
益田川(飛騨川)で小坂などから木材を流していた流送の遺跡を見に下原中綱跡へ。
名古屋の白鳥貯木場、桑名貯木場へ木材を川で運んでいた頃、下原中綱では川を横断する綱で木材を受け止め検品後再び流していた場所です。

P1020528.jpg
福来踏切を通過するキハ25系1000番台車上り普通美濃太田行。
その右に見えている建物が下原中綱の福来口御番所屋敷。

P1020535.jpg
木造平屋建てで中綱の左岸側管理事務所と言った役割でしょうか。
右岸にも御番所があったようです。

P1020534.jpg
1692(元禄5)年までの金森氏の高山藩配下の時代は大船渡臼が洞(大船渡ダム付近)にあったようですが、同年に徳川幕府直轄の天領となって以降は上流の福来に移り、今に残る中綱の位置へは幕末に移って来たとのこと。
この建物も同時期に建ったようですね。

P1020539.jpg
下原中綱自体は御番所から見て高山本線の向こうにあり踏切が無いので標柱を見ただけ。
綱を固定していた岩が残ってるそうですが・・・。

P1020536.jpg
面白いのはその御番所が民家に転用されてお住まいになった方が国鉄名古屋鉄道管理局の踏切防護協力員をお勤めだったようで、当時の名鉄局の看板が軒下に架かっていること。
昔の踏切にあった三角形の柵が描かれてます。名鉄美濃町線白金付近の踏切や関西本線庄内川橋梁の左岸土手にこのタイプの柵がありましたがいずれも無くなりました。今はどこかで見られるでしょうか。
時代の流れで流送が消え鉄道に置き換わっても「御番所」として輸送を守る使命を担っていたと考えると実に興味深いものがあります。
是非この点もアピールしたいところです。

P1020543.jpg
現在は国鉄も無くなりJR東海になりましたが踏切防護協力員と言う制度はいつまであったのか?
現在はお住まいだった方も新居に移られて御番所屋敷は史跡として余生を送りながら益田川の流れと高山本線を見守っているようです。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

JR東海 | 21:38:09 | Trackback(0) | Comments(0)
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