投稿日:2017-11-07 Tue
広大な飛騨金山駅の構内を見ていきます。まずは北半分の富山方。

飛騨金山駅構内を富山方から見た様子。
右側の草地は側線、専用線跡。

線路沿いに富山方へ行ったっところ。
現在は跡形もありませんがこの背後には1998(平成9)年まで山岸製材所があり構内にはトロッコ(軌間600~609㎜だったらしい)がありました。
1963(昭和38)年頃までは軌道が駅まで延びていたそうで手前の道路を線路が通っていたのでしょうか。
さらに1929(昭和4)年にできた金山ダム(現大船渡ダム)からは上流から飛騨川で流されてきた流送材を駅に出すための東邦電力の軌道があったようです。
草むらの中にある廃屋辺りに大船渡ダムの木材揚陸土場があったと思われますが・・・この建物も関係あるのかな?
高山本線を挟んで両側が木材トロッコの廃線跡と言うことになります。
前述のトロッコがあった山岸製材所金山工場は1934(昭和9)年操業開始と言うことなので高山線が全通して飛騨川の流送が無くなって不要となった東邦電力軌道のレールやトロッコを譲り受けて使っていたのかも?

飛騨金山を発車するワイドビューひだ9号。
広大な側線群は草生してますがレールが残ってます。
手前の道路は製材所軌道が通っていたと思われる道。今でも周辺には製材所が多いです。

同じワイドビューひだ9号を後打ち。
この後ろ家並を挟んで100m先に大船渡ダムがあります。

こうして見てもやはりかなり広い構内。
かつては貨車がひしめいていたのでしょうが何もいないと寂しいですね。
参考文献:
トワイライトゾーン MANUAL Ⅲ 山岸製材所金山工場のトロ(平田邦彦/著 ネコパブリッシング)1994
飛騨川(中部電力株式会社/編)1979
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