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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その1~
近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅から吉野貯木場へ延びていた専用線です。
当初は貯木場、専用側線とも県営だったようですが専用線一覧表によると戦後は日本通運の名義になっていました。
鉄道模型向けに「シーナリィガイド」(機芸出版社)で紹介され有名な専用線(?)ですが林業史の観点から国立公文書館所蔵の書類や現地の碑文を元に掘り下げてみたいと思います。

作業キロ:2.5km
作業方法:社機


●奈良県悲願の吉野貯木場
奈良県南部は吉野スギやヒノキなど吉野材の産地で古代から畿内へ木材を供給する重要な地でした。
これらの木材は吉野川や熊野川の管流し、筏流しによる流送で集積され近畿都市圏へ出荷されていました。
吉野川は和歌山県に入ると名前が紀ノ川に変わり県都和歌山市で大阪湾に注いでます。
そのため吉野川上流の川上村で産出した木材も奈良県内を素通りして和歌山まで運ばれ販売されていました
奈良県としては木材集積地の座を和歌山県から取り戻したいという思いが強く地元の吉野材木同業組合連合会、奈良県庁が協力して1937(昭和12)年8月に吉野貯木場を起工、2年後の1939(昭和14)年10月に竣工しています。
貯木場は吉野川の中州との間に水門を設け流送されてくる木材を3つの水中貯木場へ引き入れる大規模なものでした。

P1010418.jpg
県営で建設工事が行われた吉野貯木場
水中貯木場は伊勢湾台風後の復旧時に埋められたが陸上貯木場は吉野木材協同組合連合会により現在も盛業中。

●専用側線の敷設
貯木場と同時に大阪電気軌道(近鉄の前身・・・通称:大軌)吉野線吉野神宮駅から貯木場への専用側線も敷設されました。
正確な敷設時期は分かりませんが1938(昭和13)年3月17日に大阪電気軌道から、同年4月16日には奈良県知事からそれぞれ鉄道大臣へ専用側線新設認可の申請が出されています。
申請書類上では延長643m、最急勾配33‰、最小曲線半径160m、工費28,500円となっており、吉野神宮駅から下りてスイッチバックする手前までが認可申請区間と思われます。
その先は後に延長されたのでしょうか。

yoshino0001.jpg
吉野神宮駅。
南北朝時代の動乱で吉野に立て籠もった後醍醐天皇を祭神とする吉野神宮の前にあるため駅舎も神明造のような形状。
因みに吉野神宮は創建が1889(明治22)年と比較的新しいです。
吉野は奈良、京都、大阪からそう遠くないけど背後の山は複雑でかつ伊賀、伊勢方面へ逃亡することも可能という守り易く攻め難い立地条件。
そのため7世紀の壬申の乱や14世紀の南北朝時代など政権分裂時の動乱の舞台になっています。
山奥のようで都市部が近く交通の便も良いという特徴が現れており、これは木材輸送の条件にも当てはまります。

yoshino0002.jpg
吉野神宮駅に進入するあべの橋行特急16000系モ16009+ク16109。
新塗色に変わっています。

yoshino0003.jpg
吉野神宮駅から橿原神宮方面を見た様子。
吉野川橋梁を渡って来ると右に側線が分岐。本線からの分岐部は撤去されてるものの側線の大部分はレールがそのまま。

yoshino0004.jpg
裏には一般貨物扱いを行っていたとみられる貨物ホームが残ります。

yoshino0005.jpg
吉野方の踏切から見た様子。
専用線は右奥方向にスイッチバックで分岐するため手前に引上げ線が延びていたはず。

yoshino0006.jpg
カーブして吉野川へと下って行く専用線跡の道。
この辺が専用側線敷設の申請書類にあった最小曲線半径160m、最急勾配33‰の区間だと思われます。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 00:05:37 | Trackback(0) | Comments(0)
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