投稿日:2017-07-23 Sun
米坂線は小国からは荒川の渓谷区間を進み越後金丸駅を過ぎたところでとんでもないものが目に入りました。
岩船ダムのダム湖となった荒川対岸に錆びた鉄塔が見えます。
高さは30m超というところか。見た感じからして高圧線の鉄塔などではありません。

上部にはワイヤーロープガイドのためのプーリーがしっかり付いてます。これは間違いなく索道の支柱ですね。
鉄塔の向きからしてこの索道の向かう先は越後金丸駅・・・と言うことで資料調査して見ました。
●日本窯業化学金丸鉱山索道
新潟県岩船郡関川村と山形県西置賜郡小国町の境にある荒川支流の上ノ沢。
ここに最近(2008(平成20)年頃?)まで陶磁器原料の長石を掘る金丸鉱山が有りました。
上ノ沢で鉱山開発が行われるようになった起源は1932(昭和7)年に行者がこの地で光沢を放つ石を発見し、地元のお寺に置いたことから始まります。
この石を鑑定したところタングステン鉱石であることが判明し、上ノ沢に採掘事業を行って採算の取れるタングステン、モリブデン鉱脈があると結論が出され鉱山開発が始まります。
この鉱山は石の有ったお寺の本尊に因んで観世音鉱山と名付けられ1936(昭和11)年から採掘がおこなわれますが1945(昭和20)年の太平洋戦争敗戦により休山となります。
戦後観世音鉱山付近に長石が多いことから1948(昭和23)年に日本窯業化学が上ノ沢鉱業所を開設、1949(昭和24)年11月には上ノ沢鉱業所~選鉱所(越後金丸駅に隣接)4,650mの貨物索道が開業。
索道の輸送能力は1日当たり約120tとのことです。
鉱山のあった上ノ沢には1966(昭和41)年10月時点で38世帯93人が暮らし、60人が他地区から鉱山へ通っていました。
当時は小中学校の分校まで置かれるほどで鉱山集落を形成してましたが長石需要が低下していくと在住者はいなくなり、通いの従業員で細々と採掘が続けられていたということです。
米坂線に9600形蒸機現役末期の写真で索道が写っているものがあるので索道は昭和40年代半ばまでは使われていたものと思われますが正確な使用停止時期は不明。
●長石の行先
索道終点選鉱所隣の越後金丸駅には日本窯業化学の専用線(国鉄側線と共用?)があり米坂線経由で名古屋方面へ出荷していたと言います。
名古屋地区での長石需要先と言うと瀬戸や多治見、土岐、瑞浪と言った陶磁器製造の盛んな地域、又は洋食器をつくっていた名古屋駅近くの工場向けだったのでしょうか。
参考文献:
関川村史(関川村)
新潟県金丸鉱山のペグマタイト鉱床について(上野 三義/著)
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