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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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小田急相模川橋梁旧線と連絡線
戦後の復興需要や高度経済成長期、東京オリンピックへ向けての建設ラッシュを支えた相模川の砂利採取ですが軌道がダンプカーへ砂利採取船が重機へと置き換えられる昭和30年頃に問題も顕在化します。
軌道が使われていた頃は砂利の大量採取には軌道敷設や採取船導入など大資本を必要としていたため採取量が限られていましたが、零細業者も大量採取を比較的手軽に行えるようになったことで乱掘が進み河床の低下をもたらしました。
河床の低下は橋や堰の破損、洪水の危険を高めるなど市民生活に悪影響を及ぼしました。
神奈川県当局も採取業者に対し採取量の規制を行い相模川沿いにパトロールカーを出していましたが、ダンプカーや重機はパトロールカーが到着する前に逃げてしまうことが多く効果は上がらなかったそうです。

そして昭和30年代まで砂利採取、輸送を行っていた小田急線にも影響が及びます。
本厚木~厚木間の相模川橋梁が傾斜し電車の運転に危険が及ぶ可能性が出てきたことから架け替えの必要が発生。
新橋は1969(昭和44)年11月に着工、1971(昭和46)年8月に工事完成しています。
小田急小田原線の1927(昭和2)年開業以来の橋梁は多摩川橋梁が2003(平成15)年まで、酒匂川橋梁は未だ現役なことを考えるとあまりに短い橋梁生命でした。
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小田急線のJR相模線オーバークロス部に残る旧・相模川橋梁アプローチ部の橋台。

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その新宿側隣にはマンションが建っていますがこちらは相模線と小田急の連絡線跡。
ここに3線の貨物ヤードがあり貨車授受を行っていたようです。
この線は1939(昭和14)年12月に鉄道省へ工事の届出がなされていますが開通は1941(昭和16)年4月と時間を要しています。
戦争の影響か相模鉄道(当時)と小田急の間で調整が難航したか?
砂利輸送が終わった昭和40年代初頭には小田急の移動変電車イヘ900+イへ910の留置場所になっていたようです。
そう言えば上の写真を見ると今でも小田急の変電所がありますね。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

私鉄貨物 | 23:51:54 | Trackback(0) | Comments(0)
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