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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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岐阜セメント富秋工場専用線(谷汲鉄道北野畑駅)~その2~
谷汲線北野畑駅の専用線続き。

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駅舎の入り口から構内を見た様子。
現在周辺に人家はありません。なお開業時も人家は無く石灰石用の貨物駅、又は信号場と言った方が良いような状態だったようです。
鉱山でサイレンが鳴ると発破の音が轟きます。
本巣の専用線の運転は12時過ぎだったので正午のサイレンが鳴ると沿線で構えるという習慣になっていました。
そのため11時40分頃に発破予告のサイレンが鳴ると正午のサイレンと誤認し「あれ?もう12時!?」と慌てたことも(笑)

img056-2.jpg
谷汲山命日の列車増発。これが谷汲線現役時最後の命日輸送でした。
モ513+モ514黒野行きが待っているところへモ751+モ755谷汲行きが到着。
右の草叢が専用線跡です。
撮影:2001(平成13)年9月18日

DSC_1394_20170510232124d8b.jpg
島式の旅客ホームの向こうには専用線貨物ホームの石積みが残っています。
専用線は下り線(島式ホームの向こう側)の奥側に平行して延びていた様子。
黒野方、谷汲方どちらからも進入できたような配線だったのか一方からしか進入できない線形だったのかは不明。
このホームから袋詰めセメントを無蓋車に載せて忠節まで運んでいたようです。

DSC_1397_201705102321259af.jpg

●機関車代用電車
谷汲鉄道、美濃電気軌道は電気機関車など持っておらず電車が貨車を牽引していました。
何れも二軸単車でデロ1が木製、後の3形式は半鋼製で当時のボギー電車を半分に割ったような車体を持っていました。
mei-mc105.gif
谷汲デロ1(後の名鉄モ50→モ100) 1926(大正15)年 日本車輌製
イラストは名鉄時代のイメージ

DSC_0473_20170511231233f7b.jpg
美濃電セミシ64(後の名鉄モ60→モ110→連接車改造モ400) 1926(大正15)年 日本車輌製
セミシ64、65→モ61、62→モ110、111を1952(昭和27)年に2車体1組の連接電車モ400形モ401号に改造。
1973(昭和48)年廃車後に愛知県岡崎市の岡崎南公園で保存 2011(平成23)年3月21日撮影

mei-mc127.gif
谷汲デロ7(後の名鉄モ80→モ130) 1927(昭和2)年 日本車輌、藤永田造船所製
美濃電セミシ67(後の名鉄モ70→モ120) 1927(昭和2)年 日本車輌、藤永田造船所製
イラストは名鉄時代のイメージ

●貨車
無蓋貨車は以下のような陣容。ただし美濃電の貨車は笠松線(現・名鉄名古屋本線と竹鼻線の一部)、美濃町線にも配置されていましたがどの車両が北方線(後の名鉄揖斐線)配置だったかはわかりません。
谷汲チ1,2→ト53,54 1926(大正15)年 日本車輌製 名鉄合併時引継ぎ?
美濃電トフ301~318 1912(大正元)~1919(大正8)年、製造所不明(一部は日本車輌と判明)
美濃電トフは名鉄引継ぎ前に大部分が休車になっていたようで末期は一部が保線用にトフ30形として残っていた様子。
最後のトフ32が1960(昭和35)年廃車。

参考文献
谷汲線 その歴史とレール―ローカル線からかいま見る激動の日本と世界(大島 一朗/著 岐阜新聞社)
RMライブラリー129 名鉄岐阜線の電車-美濃電の終焉-(上)(清水 武/著 ネコ・パブリッシング)
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 19:38:06 | Trackback(0) | Comments(0)
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