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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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大浜臨港線運送専用線(仮称:玉津浦臨港線 名鉄三河線玉津浦駅)~その2~
大浜港臨港線運送専用線(通称)の続き。

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国道247号線を横断してからも暫くは道路として残っています。
前方に霞みつつも見える大煙突は中部電力碧南火力発電所。
かつてはこの線路で石炭を運んでましたが現在市内で石炭を最も使っているのはあの発電所でしょう。
なお石炭を焼いた後の灰を太平洋セメント藤原工場で再利用するためセメント製造過程で再利用するため今でも衣浦臨海鉄道が碧南市駅から三岐鉄道東藤原駅まで鉄道輸送が行われています。

DSC_1157.jpg
廃線跡の道は区画整理で途切れます。
2013(平成25)年頃には200mほど先までまだ道が続いてたのですが・・・。

DSC_1158_2017042321313885a.jpg
反対側から廃線跡を見た様子。
真っ直ぐ廃線跡の道が続いてましたが見事に消え失せました。
住宅が建ってないラインが一直線になっているのが唯一の名残り。
奥に玉津浦駅付近のトヨタ自動車の寮が見えてますね。

DSC_1159_2017042321313922e.jpg
その先は終点まで1980年代に区画整理済みのため全く跡は残ってません。

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終点の一ツ橋付近。右の辺りが専用線の末端でした。
その1で紹介した大浜臨港線株式会社設立功労者の顕彰碑「故渡邊秀治君之碑」は移設前は一ツ橋袂の碧南市一ツ橋ポンプ場内に置かれていたそうです。


~玉津浦臨港線で運転されたお伽の国電車について~
昭和20年代から30年代初頭にかけて専用線を利用して当時存在した玉津浦海水浴場へ旅客列車が運転されました。
玉津浦~玉津浦海岸の運賃5円だったとか。

碧南市の資料第50回 棚尾の歴史を語る会 次第の最後のページに玉津浦の構外側線で海水浴客を乗せたという「お伽の国電車」が運転されたときの貴重な写真が掲載されています。
この写真を見て気付いたことを以下書き散らします(^ ^;)

写真には2両の名鉄車両が写ってますがどちらも2軸単車。
写真に写ってない先頭(右)側には電車か電気機関車が連結されていたのでしょうか。

写真に写った車両は手前がモ140形(初代)。
窓配置ドアの間に2段窓6枚が並ぶD1Dの窓配置、屋根に見えるベンチレータから特定。
電動車のモを名乗ってますが実際には電装解除されてたようです。
奥はサ20形。
妻面の窓が大きいのに対し側面は幕板が広く小さい窓が並んでおり、2軸車としては近代的なスタイルのモ140と比べると古めかしく鈍重な感じがします。
サ20形は当時築港線で朝夕に電車や電気機関車に挟まれたプッシュプル編成で通勤列車として使われていたようです。

●モ140形140~142
mei-mc140.png
1942(昭和17)年に日本車輌で製造した半鋼製2軸単車。
1912(明治45、大正元)年製の名古屋電気鉄道最初期の電動貨車デワ1の機器を流用して3両が製造されました。
当初はモ90形91~93を名乗り、間もなくモ140形140~142に改番されてます。
戦時中の車両不足を補うため何とか捻出した部品でつくられたものと思われます。
渥美線で使われていたようで1954(昭和29)年10月に渥美線と共に豊橋鉄道へ引き継がれますが当時渥美線は乗客が増え2軸単車では輸送量に見合っておらず果たしてまともに使われたのか・・・
鉄道友の会名古屋支部創立30周年記念誌「躍進30」(鉄道友の会名古屋支部)によれば1956(昭和31)年9月14日に廃車。

●サ20形21,22
mei-t21.png
1908(明治41)年に瀬戸電気鉄道(現・瀬戸線)が自社印場工場で製造した2軸附随車。
瀬戸電時代の形式はレ5,6、れ5,6、VS5,6とあるがどれが正解か不明。
あるいは改番されており全部正解かも?国立公文書館所蔵の鉄道省文書を見れば出てるかな?
瀬戸電時代に車体を載せ替えており初期の車体とはだいぶ違うものなっています。
また台車も当初はブリル21Eだったのが貨車のようなものに代わり製造当初とは全く別の車両になっていた様子。
名鉄合併後も2両とも引き継がれサ20形21、22号に改番されています。
後に築港線へ移り1957(昭和32)年10月に廃車されたようです。

参考文献:
写真が語る名鉄の80年(名古屋鉄道)
鉄道ピクトリアル1971年4月号 私鉄車両めぐり[87] 名古屋鉄道[終] 渡辺 肇、加藤 久爾夫(電気車研究会)
躍進30(鉄道友の会名古屋支部)
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 00:25:53 | Trackback(0) | Comments(0)
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