FC2ブログ
 
■プロフィール

にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■閲覧数(2014/8/12~)

閲覧数(2014/8/12~)

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
笹島散歩~その3~
笹島シリーズの終わりは向野橋。
笹島貨物駅廃止後も信号場として残っている側線や名古屋車両区を見渡せるため鉄道ファンの人気スポットです。

DSC_0021_20170106221850780.jpg
この橋自体も旧・山陰本線保津川橋梁からの転用と言う年代物のトラス橋。

DSC_0026_20170106221853be7.jpg
1899(明治32)年アメリカA&Pロバーツ社製のプラットトラス橋です。
この橋は1928(昭和3)年に架け替えられていますが新設から30年足らず・・・とやけに早い時期に架け替えられてます。

DSC_0023.jpg
その原因としてはこのトラス橋が保津川に架かっていた当時起きた脱線事故が絡んでいるようです。
1922(大正11)年4月3日山陰本線園部17時2分発京都行110列車。
編成は251+ト25123+ト18612+ト18652+カ5749+ワ50509+クム34355+ホト6075+ワフ31196+ヨ4428+ハ4992+ハ4990+ロ459+ハ4986+ハ4985+ハフ2857。
タンク機が貨車9両、マッチ箱客車7両を牽く貨客混合列車でした。
ホトだけボギー車で後は全て二軸車ばかりの編成です。
この列車は亀岡を17時36分に発車、17時45分頃に保津川鉄橋東口第二隊道通過中に4両目の貨車(ト18652)が脱線、後続の貨車、客車も巻き込まれて保津川橋梁に突っ込み車両は大破、トラス橋を破損して一部車両が乗客、乗務員もろとも保津川に転落。
この列車には当時の京都を代表する実業家 田中源太郎が乗車していました。
彼は京都電燈(現在の関西電力、京福電気鉄道)や京都株式取引所(京都証券取引所)、さらに山陰本線国有化前の京都鉄道設立にも携わり社長を務めています。
明治になって寂れていた京都を産業、政治面から建て直した人物でしたが皮肉なことに元の自分の会社の鉄道事故で亡くなりました。

DSC_0029.jpg

DSC_0027_201701062218557e3.jpg
事故の後しばらくは折れた梁を修復して使っていましたが新しいトラス(汽車会社製)を調達できたためか事故から6年後に名古屋の現在位置へ道路橋として転用されています。
よく見ると今でも当時列車がぶつかって破損した個所を切り継いだ跡が残ります。


以下は話まで脱線して余談です・・・。
事故列車ですが編成が切れて無事だった牽引機230形251号(汽車会社製)はトラス橋と同じ名鉄局に移ったようで戦後1951(昭和26)年美濃太田区で廃車。

DSC_3667.jpg
客車にはハ4975形が4両(ハ4986,4985,4990,4992)も入ってますが加悦SL広場で保存されてるハ4995号と同型車。
ロ400形(ロ459)も同型ロ481号がJR四国の多度津工場で保存されてます。
牽引機の230形251号も同型の233号が京都鉄道博物館で保存されてますね。

参考文献
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)
京都企業家の伝統と革新(安岡 重明・著/同文舘)
スポンサーサイト





テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 22:53:36 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する