投稿日:2017-01-02 Mon
名古屋で船から鉄道への水陸連絡は東海道本線貨物支線の名古屋港線(東臨港線)が開業していましたが更なる輸送力増強のため名古屋港線に並行する形で1930(昭和5)年に中川運河が開通しています。港で水陸連絡するのでなく笹島貨物駅まではしけを乗り入れ鉄道と運河の2本立ての輸送ルートが確立しました。
今では名古屋港線はJR東海の業務用貨物(レール輸送)のみ、中川運河も運河としては実質使われてない状況です。

旧・笹島貨物駅南側にある中川運河の船溜まり。西側を埋めて何やら工事中。

かつては船溜まりと側線の間に倉庫が並んでいたのですが今ではほとんど取り壊されてしまいました。
それでも三井倉庫の渋い倉庫が名古屋高速5号万場線の下に巨大な姿を残しています。

かつての石積み岸壁は手前にコンクリートで新たな護岸がつくられて船を横付けして荷物の積み降ろしをすることは出来ないようです。
かつて船との積み降ろしに使われたクレーンが残ります。
2,3階のバルコニーがまた良いデザイン。

倉庫の北側には笹島貨物駅の側線が入っていました。
フェンス右側の道路に貨車が並んでいたわけです。

右に目を移すと旧貨物駅側は大規模再開発エリア「ささしまライブ24」として開発中。
愛知大学や中京テレビが入って別世界になっています。

旧側線跡から見た倉庫。
2階より上は基本的に船溜まり側と同じスタイルですが外壁が茶色で印象が違います。

バルコニーとクレーン。

さてささしまライブ24は現在も工事中ですがそこに気になるものが。
中川運河に水上バスのようなイラストが描かれています。

地図にも「乗船場」の文字。中川運河を活用して名古屋港や金城埠頭方面へ水上バスを運行する計画のようです。
飽和状態の地上交通に代わり運河の復権・・・これは期待したいところです。
笹島の三井倉庫の概要が分かったので追記します。
●三井倉庫名古屋支店中川倉庫
中川運河ができたため東神倉庫(後の三井倉庫)が笹島貨物駅との間の土地に倉庫の設置を申請したところ地元の東陽倉庫と競願となっていました。
名古屋市長の提案により両社で折半となり東西に同一設計の倉庫を建設、東神倉庫は三井倉庫八十年史(三井倉庫社史編纂委員会/編)によると1935(昭和10)年5月5日起工、1936(昭和11)年3月19日竣工、同年5月16日に営業開始となっています。
一方の東陽倉庫は東陽倉庫50年史(東陽倉庫株式会社/編)によれば1936(昭和11)年5月16日完工とありました。完工が営業開始かはわかりませんが双子の倉庫と言えそうです。
そう言えば笹島の再開発が進む前は同じデザインで2つ並んでた気が・・・何故撮ってない(- -;)
預けられる荷物は原綿や毛糸など当時の伊勢、尾張、三河、美濃で盛んだった繊維産業の原料が多かったようですね。
三井倉庫側の記録では太平洋戦争中の空襲による被害は受けず進駐軍に接収され1946(昭和21)年2月28日に接収解除。
他の名古屋近辺の倉庫は多くが焼かれてしまったため接収解除になると同時にこの倉庫へ荷物が溢れ返ったそうです。
中川運河と切っても切り離せない歴史を持つこの倉庫、再開発後も周りに呑まれず末永く現役であって貰いたいところです。
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