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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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高山本線少ヶ野貨物駅(現在は信号場)
高山本線下り列車に乗ると下呂駅到着直前にある少ヶ野信号場。
今でもここで列車の行き違いがありますが構内側線にはプラットホームがありかつては電力開発資材の到着や木材貨物の発送がある貨物駅になっていた時期がありました。

少ヶ野信号場のルーツは1934(昭和9)年高山線全通の3年後1937(昭和12)年10月21日に置かれた少ヶ野仮信号場。
1952(昭和27)年8月5日には「仮」が取れて小ヶ野信号場になっています。
少ヶ野には製材工場が集まって工業団地状態になりつつあり各工場主連名で新駅設置の陳情も行われていました。
1953(昭和28)年2月1日の益田新聞「市政実施も夢ならず 新下呂駅と専用貨物駅 結ばれる中央線と高山線」には当時の下呂町(市政が敷かれるのはこの記事より半世紀後の2004(平成16)年3月1日)、5木材業者や日通が駅の用地を提供したとあります。
当時計画線だった国鉄下呂線(中津川~付知~加子母~下呂)の高山本線接続地点が少ヶ野とされていたことや、中部電力東上田発電所の建設資材到着が見込まれることなど少ヶ野地区の発展が見込まれ下呂駅も当時の大都市駅の如く客貨分離を図ったようです。
この新聞記事の2か月後1953(昭和28)年4月1日には小ヶ野貨物駅に昇格。1973(昭和48)年4月20日に再び信号場に戻っています。

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小ヶ野信号場より岐阜方を見た様子。
下呂駅からあまりに近いので一見なんでこんなところに信号場が?という印象。
かつてはここに下呂営林署の貯木場も置かれていましたが現在は建材メーカーの大きい駐車場が目立ちがらんとした印象。

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同じ場所から富山方を見た様子。下呂温泉街はすぐ近く。
こちらには行き止まり式の側線が2本延びており保線車の留置線となっています。
右には短いながらプラットホームも

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プラットホーム拡大。バラスト積込みなどで現役のようです。
貨物現役時は側線もホームももっと長かったのでしょうか。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 21:26:16 | Trackback(0) | Comments(0)
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