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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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多治見耐火工業専用線(太多線小泉駅)
東濃の中心都市多治見市郊外の小泉駅にあった耐火レンガ工場の専用線。
会社は1937(昭和12)年設立で溶鉱炉の内張りなどに使う耐火レンガを製造しているそうです。
専用線一覧表には国鉄側線とあり、既存の一般貨物用側線を共用していたものと思われます。
専用線は1957(昭和32)年版~1970(昭和45)年版に記載が見られますが、専用線指定以前からも一般貨物扱いで鉄道貨物を使っていたのではないかと思います。
原料の木節粘土は周辺で調達していたようなので専用線は製品出荷や或いは燃料の石炭・コークスなどの搬入に使っていたのでしょうか。

作業キロ:0.1km、総延長:0.1km
作業方法:国鉄機、手押

DSC_0861_20160107235527336.jpg
多治見駅から1駅、市街地の中の駅ですがかつては耐火レンガ工場の背後には田園風景が拡がっていたようです。
利用者も多いためこのクラスの駅としては珍しく有人駅です。
太平洋戦争敗戦間近の1945(昭和20)年7月15日の連合軍戦闘機による多治見空襲では追撃された太多線列車や多治見駅周辺で多くの方が犠牲になっていますがその直前には小泉駅も機銃掃射を受けており、駅長さんが殉職されています。
駅舎はリフォームされているものの当時からのものでしょう。

DSC_0869_20160107235546905.jpg
跨線橋上から多治見方を見た様子。
左が工場ですが古い航空写真で見ても現在と大きく線路配置は変わっていないようで工場に直接側線が入っていた様子は見られません。

DSC_0870_20160107235547326.jpg
跨線橋上から美濃太田方を見た様子。
となると左の貨物側線(現在は保線車の留置線)が専用線を兼ねていたものと思われます。

DSC_0871_201601072355497b1.jpg
逆光でわかり辛いですが貨物ホームが付け足されてます。二軸貨車2両分程度のところにもう2両分後付けした感じ。
ホームを延長してその分を専用線として2両分専用で使用したのでしょうかね?

DSC_0863_201601072355291cc.jpg
旧貨物ホーム側から見た様子。ホームの駅舎寄り部分は駅前広場の歩道の一部となっています。
増設部分は歩道にされず、囲いのコンクリート部分以外は未舗装状態。
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テーマ:写真 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 23:46:24 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
小泉駅は…
昔はポイント切換し陸橋はなく階段で線路渡り…多治見空襲は今の姫から狙われ小泉駅から多治見駅が機銃掃射に襲撃され支所の方も死亡。臨月の妊婦も胎児も即死の流血の惨事だったそうですよ(涙)
2018-08-14 火 18:21:31 | URL | たま [編集]
多治見空襲
たまさん、コメントありがとうございます。
跨線橋の建築時期のチェックは失念してしまいましたが新しそうな跨線橋なので国鉄末期まで構内踏切だったのでしょうか。

多治見空襲~
列車が小泉駅に到着したときには既に後ろから艦載機が迫っているのが分かってたようですね。
しかし小さな小泉駅では満員の乗客を受け入れ可能な防空壕が無いので止む無く多治見駅の大きな防空壕まで逃げきってもらおうと判断し多治見までのタブレットが渡されたようです。
駅長さんは苦汁の判断だったと思います。
撃たれた時も列車の無事を願ってたのだろうかと思うとこの惨状は余りに酷いです。
平和な世の中を実現、持続することが犠牲になった方々へのせめてもの供養でしょうか。
2018-08-14 火 20:56:32 | URL | 西宮後 [編集]
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