FC2ブログ
 
■プロフィール

にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■閲覧数(2014/8/12~)

閲覧数(2014/8/12~)

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その1~
新潟一泊の翌朝は今までと打って変わって雲一つない夏空。
旧・月潟駅へは線路跡を眺めつつレンタカーで中之口川に堤防道路を遡ってたどり着きました。
DSC_0305_20150809214011d31.jpg
着いてみて驚いたのは真新しいコンクリート製架線柱が建っていたこと。
電車線復活の計画でもあるのかと思いました(笑)

DSC_0308_20150809214013c19.jpg
モハ11、モワ51+キ116の3両が保存されているのはこれまでも趣味誌等で知っていましたが綺麗過ぎず、くたびれ過ぎずの現役感さえ感じられる極上の保存状態です。
雪国で車両を野天で保存するのは非常に御苦労の多いこととと思いますが屋根を付けて現役時の雰囲気を損ないたくないというこだわりがあるのでしょうか。

DSC_0313.jpg
青空とかぼちゃ電車の色のコントラストがまた実に美しいです。
ここだけ見ると廃線の駅には全く見えません。月潟終着の電車が東関屋へ折り返し待ちしている所を構内踏切上から見てるようです。

DSC_0333_201508092140150aa.jpg
車輌や駅舎の外観だけ見るつもりで行ったのですが、月潟駅の保存をなさっている「かぼちゃ電車保存会」の方がいらして車内の見学や貴重なお話を伺うことができました。思い掛けないところで大収穫!お礼申し上げます。
元々新潟交通沿線御在住の方でしきりに「電鉄」と呼んでおられたのが印象に残りました。
新潟交通と言うと地元ではバス会社を指す名称であって、戦時統合前の旧称・新潟「電鉄」の方が電車線を指す言葉として生き残ったようですね。

DSC_0337_20150809214016c1b.jpg
モハ11の扉を見てみると電車の扉としては妙な構造になっていることに気づきました。
扉の下端がステップまで届いていないのです。
扉が閉まってもステップは車外に出たままとなる構造で手動扉の旧型客車や戦前のガソリンカーではよく見られた構造です。
しかしモハ11は元々新潟交通電車線の前身である新潟電鉄開業時の1933(昭和8)年に日本車輌でつくられた純粋な電車であってガソリンカー改造電車ではありません。しかも車体は1966(昭和41)年に新しく作り変えられており、当時新製された車両でこんな構造の車輌は他に思いつきません。そもそもどういう目的でこんな構造にしたのかな?
スポンサーサイト





テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

保存車 | 22:48:35 | Trackback(0) | Comments(6)
コメント
西宮後さんこちらでもこんばんは
新潟交通も別記事にコメントさせていただいた蒲原とセットで98年3月に乗り鉄&撮り鉄しました。
一応、合唱サークルの友人と3人で(いずれもテツ、うち1人は鉄研とかけもち)卒業旅行の名目で。車庫見学や、平日朝ラッシュ時しか走らないという元小田急車もなんとか撮れました。当時廃線後巡りにハマっていたので、月潟から先は廃線跡を小中川まで歩きました。燕まで行きたかったのですが日没で断念、バスで戻りました。
懐かしい想い出です。
2015-09-04 金 21:49:28 | URL | 社長 [編集]
バス路線も消えたようで
こちらでもこんばんは~。
当時はまだ月潟より先のバス路線はあったのですね。
今回当初の計画時にバスで行くことを考えていたのですが訪問時(その後また新潟交通バスの路線が見直されたようです)のバス路線は月潟が終点で完全に袋小路状態に効率が悪いのでレンタカーで回りました。

小田急2220形は物心付く前に小田急では引退していたのですが小田急沿線で育った者には懐かしい存在でした。
その後の2600、5000形などと違い車体裾絞りがないためかちょっと素朴な感じに見えました。

私は1992年に家族で新潟へ旅行に行ったとき白山前~東関屋の1区間だけ乗っており、写真もあるので一緒に記事にしようと思っていたのですがスキャナが完全に壊れたので今回は見送ってます(^ ^;)
当時はまだ行動に自由の利かない小学生の身とあっては燕まで乗りたいとは思っても叶わずでした(笑)
2015-09-06 日 00:17:10 | URL | 西宮後 [編集]
遅まきながら、多分こういうことではないか、と思いコメントした次第です。
まず一つは、この電車、戦前の旧型車の部品を使ってつくっているので、台枠も殆ど流用または小改造で使っている場合。
戦前~戦後すぐまでの国鉄客車と同様の長土台であれば、Z型の下片のL部が外に向きます。具体的な寸法を把握していないのですが、適切な寸法が取れればステップを付けるのに台枠を切り欠かなくともよいこと。
2つ目、台枠を新造していて、戦後大多数の車両同様、コ形の形鋼が内向きに付く台枠の場合、ステップ部分は補強の上切り欠いて取り付けるがドアを下まで伸ばすと戸袋部分も補強が要り、切欠きと補強が増え強度設計と重量で不利になること。
国鉄451・471系のMc車前ステップは元々外向きプラグドアでした。開口部がドア幅だけで済むからです。
不具合でそこの1箇所を他と同じ横引き戸に直しただけで900kg増しだそうです。開口部が多ければ多いほど同じくらい増えていく。モーターが非力なら、それは避けたい。
3:最後に、元々鉄道線区間のホームも低く、ステップが要ったこと。
上から2枚目の写真、対向車線ホームの一番上の段だけ不自然に小刻みです。かさ上げの名残ではないでしょうか。
いきなりの長文、失礼しました。
2016-06-14 火 19:13:12 | URL | たづ [編集]
モハ11のステップ
たづさん、初めまして。
御返事遅くなり失礼しました。

解説ありがとうございます。
台枠構造のお話勉強になります。
451・471系横引き戸に直しただけでそんなに重量が増していたのですね。

一応今のところ分かっている範囲では以下の通りです。
1つ目:モハ11は旧モハ14(1933日車製)の台車、電装品を再利用したものです。旧・モハ14の車体は東関屋の工場内に新潟交通電鉄線末期までダルマ状態で残ってたそうなので月潟のモハ11車体上回りは恐らく新規製造。
ホームのかさ上げ・・・ご明察の通り小田急2220形を譲受した際に電鉄線ホームのかさ上げを行ったそうです。

私は2つ目の御説が一番有力に思います。モハ11はタネ車と比べ車体が大型化するのにモーターは非力なまま。軽量化したいが軌道線の白山前駅ホーム用にステップは欲しいというジレンマの結果・・・というところでしょうか。
因みに新造車体以外でも昭和40年代に他社から買い入れた車両では同じ構造のステップに改造を行っていました。
2016-06-19 日 21:49:12 | URL | 西宮後 [編集]
西宮後さんこんばんは
昨日の名臨・名鉄はおつかれさまでした。湿度が凄く高くて汗だくになりましたが、楽しかったです。福井〜富山は涼しいです。

月潟駅は埋められてしまったのですか。現役時代は終着駅の貫禄の全く無い駅でして、途中の木場や白根の方が駅舎も含めて良い雰囲気でした。
月潟駅訪問は、新潟市内からの電車線ルートのバス以外に、加茂から巻駅へ抜けるバスが六分を通るので、燕タクシー中之口営業所にTelで来てもらい2.9kmという手もありますね。朝9時前に五泉を出るバスで冬鳥越スキーガーデン2時間滞在〜加茂病院、乗り継ぎ巻駅行き六分下車、タクシーで月潟駅、2時間滞在して電車線ルートのバスで青山に17時前に戻れます。
というのが昨日お話しした計画だったのですが、明日くりでん乗車会でKD11が動くとの事で、急遽、行先を若柳駅に変更しました(笑)
新潟訪問はまた別の機会に…💦
2017-08-12 土 21:38:06 | URL | 社長 [編集]
くりでん!?
社長さん
昨日はありがとうございました。
こちらは昨日より湿度はマシになりました。
埋められたのは白根駅ですね。
大きな駅だった割に跡地が妙に狭いと思ったら堤防が広くなって犬走り部分に公園まで出来てました。
月潟は元々水運時代に港町として栄えたそうで電車開通後も主要駅だったそうですよ。今の姿からは想像し難いところですねが。

月潟へのルート意外と色々あるのですねv-12

くりでんKD11。名鉄では廃車後新川工場に留置されていたところを見ただけですが、くりでんでは廃止間際に若柳の駅員さんに「せっかく名古屋から来たんだから」と車庫を開けてもらえた思い出の車両です。当日の様子また教えていただければ嬉しいですo(^-^)o
2017-08-12 土 23:08:59 | URL | 西宮後 [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する