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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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名鉄広見線御嵩口駅の貨物扱い遺構~その1~
広見線の終点御嵩駅の一つ手前にある御嵩口駅。
両駅間は歩いてもさほどの距離ではなく5分ほどあれば行き着けるくらいでしょうか。
なぜこんなに近い距離に2駅もあるのかと言うと、1952(昭和27)年4月1日まではこちらが御嵩駅(初代)で、より市街地中心部に近い現・御嵩駅開業後も御嵩口駅として存続したためです。

●初代御嵩駅
1920(大正9)年8月21日に多治見から延びてきた東濃鉄道(現在の東濃鉄道とは別会社。当時そちらは駄知鉄道、笠原鉄道)の御嵩駅(初代)として開業、多治見~広見(後の可児)が国有化され太多線となった後は広見~御嵩が東美鉄道として分離。
さらに軌間を762mmから1067mm改軌、直流600V電化した後に犬山から延びてきてた名古屋鉄道と合併しています。

●御嵩(初代)→御嵩口駅の貨物扱い
当時の御嵩駅(初代)は貨物は発送が多かったようでパルプ材や亜炭の積み出しが見られました。
戦後石炭供給が安定し、石油燃料も入手しやすくなってくるとカロリーが低く、燃やすと臭いのきつい亜炭の需要は急減したようです。
1952(昭和27)年4月1日には現・御嵩駅まで路線が延び、それまでの御嵩駅は御嵩口駅となります。
新しい御嵩駅は行き止まり式の線路1本と貨車の入換は想定されなかったようで、御嵩延長後も貨物扱いは御嵩口駅で行われ続けました。

mitakeguchi_data1.png

岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)を元に作成した御嵩口駅の貨物発着量。
亜炭輸送がほぼなくなった頃と思われる1955(昭和30)年度以降の資料ですが貨物発着量は圧倒的に発送が多く到着はごく僅かなのが分かります。
1954(昭和29)年度までは広見線全体での統計しかなく駅別の発着量は不明。
1955(昭和30)年度は不思議なことに貨物発着が全くありません(記録がないのか実際に貨物がなかったのかは不明)。
その発送量も伊勢湾台風の1959(昭和34)年頃を境に急落、僅かに残った貨物も1963(昭和38)年度を最後に全くなくなっており、架線電圧600V時代の内に貨物扱いが廃止されたことがわかります。
なお広見線600V時代の貨物列車牽引用電気機関車はデキ1000デキ250がいましたが旅客電車が貨車を牽引する混合列車も多かったようです。

DSC_0676_20150628225252d00.jpg
かつては駅舎があった場所は駐輪場となり広々・・・というより素寒貧とした雰囲気。
それでも流石は大手私鉄名鉄で切符券売機は完備しています。

DSC_0680_201506282252536d3.jpg
旅客ホーム部分は単線分しか架線柱がありませんが向かいの旧貨物ホームとの間には本線を含め3線は線路を敷けそうな敷地があります。

DSC_0681.jpg
新可児方の踏切上より御嵩口駅構内を見た様子。
一部の架線柱(木製)は側線が左右に拡がっていた名残りをとどめます。
左に分岐していた線についてはまた次回に紹介する予定。

DSC_0683_20150628225255885.jpg
2両の電車がやっと止まれるだけの長さしかない現旅客ホームに対し、幅広で長大な貨物ホーム。
現在は通路や畑になっています。
気になるのはホームが元の線路側に向かって傾斜していること。
放置されて傾いたのか、貨物を貨車に積み易いように傾けて設計したのかは不明。

DSC_0696_20150628231015336.jpg
6000系ワンマン電車が到着。
本当に2両編成ギリギリの長さしかないホーム。
こうして見ると手前のホームが如何に広大かがわかりますね。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 23:26:24 | Trackback(0) | Comments(0)
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