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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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光明電気鉄道二俣口駅のプラットホーム
天竜浜名湖鉄道天浜線の天竜二俣駅。
国鉄二俣線としての開業以来75年経ち、木造の駅舎やラウンドハウスが文化財となるほどの歴史を持つ駅です。
しかしこの場所にはそれ以前にも直流1500V電化の鉄道が来ていました。
1928(昭和3)年から1935(昭和10)年のほんの短い期間、中泉(磐田)~二俣町を結んでいた光明電気鉄道です。

DSC_0762.jpg
天竜二俣駅構内北西の駐車場端に光明電鉄二俣口駅の1面1線のホームが残っていました。

DSC_0763.jpg
二俣町寄りから見ると階段が付いているので、よりプラットホームらしい雰囲気が濃いですね。
奥の車と住宅の間を天浜線の線路が通っており、左奥が天竜二俣駅となります。
光明電鉄線はこの先左にカーブして現在の天竜二俣駅構内からは豊岡付近まで天浜線の線路と同じルートを通っていました。

DSC_0766_20150403225414883.jpg
ホーム上から終点の二俣町方面を見た様子。
緩いカーブがいかにも鉄道らしく、中泉行の電車がトンネルを抜けて秋葉海道の踏切を横切り進入して来る・・・そんな雰囲気が感じられます。

komyo_mc301.gif
イラストは光明電鉄モハ301,302をモデルとして塗装などは推定

光明電気鉄道の電車は自社発注の蒲田車両製モハ301、302、モハニ311のほか東武からの借入車がいたとのこと。
当時の東武や関西私鉄を思わせる大型パンタが目を引きますが、木造、トラス棒付きで当時既に半鋼製、鋼製車が出てきている中ではいくらか時代遅れな印象。
メーカーは大手に断られたのか蒲田車輛という零細メーカー。このメーカーは戦前にはなくなっているので作例も少なく、電車では秋田県の雄勝鉄道(後の羽後交通雄勝線)デハ1~3と島根県の広瀬鉄道(後山陰中央鉄道→一畑電鉄広瀬線)デハ1、2、サハ3、4。後はどこか向けにガソリンカーをつくってたくらいだったはず。いずれもダブルルーフの木造2軸単車ばかりでボギー車は光明電鉄向けくらいだった気が・・・
羽後交通雄勝線のデハ1が現在も雄勝線梺駅跡に極上の状態で保存されてますが前面中央の窓が一段高くつくられているなどデザインに共通点が見られます。
モハ301、302、モハニ311の3両は光明電鉄末期に富山電気鉄道(現・富山地方鉄道)へ売却され、戦後も富山地方鉄道モニ6571~6573として1969(昭和44)年まで使われていたようです。

chitetsu-mfc6573.gif
イラストは富山地鉄で戦後鋼体化された後の姿。

木造車体では痛みが激しかったのか1949(昭和24)年に日本海ドックという造船所で鋼体化されました。
モニを名乗っていますが構造的には荷物室と客室が分かれたモハニの合造車だったようです。
実際には客室部分も荷物室扱いでお客さんは乗せてなかったようなことを聞きました。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

廃線跡(一般鉄道) | 17:36:21 | Trackback(0) | Comments(0)
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