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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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旧名鉄柳橋駅
名古屋駅から伏見・栄へ広小路を歩いていくと江川線が交差する柳橋交差点に突き当たります
すぐ傍には柳橋中央市場があり朝から活気のある場所です。かつてはここに市電も平面交差していました。
その北西角に1941(昭和16)年8月12日に新名古屋地下駅開業まで存在していたのが旧名古屋鉄道柳橋駅。

DSC_3854.jpg
現在は江川線上に名古屋高速の高架ができて圧迫感があります。
向かい側の家電量販店(もうすぐ閉店らしい)や駐車場がある一角が柳橋駅の跡地です。

大正初期、名古屋電気鉄道は名古屋市内の軌道線だけでなく、軌道線と接続する押切町駅から一宮、犬山、津島、清州へ鉄道線の郡部線を次々と開業させていました。
押切町より中心街に近い地域にターミナルを置くべくして柳橋駅が1913(大正2)年11月20日に開業。
しかし、当時は郡部線建設費用を市内線運賃に転嫁しているとして名古屋市民の不満を買っていたようです。翌年に起こった名古屋電車焼き討ち事件で柳橋駅及び併設の名電本社は焼失。事態の鎮静化に名古屋城にいた陸軍まで出動してます。

その後市内線を名古屋市へ譲渡することになり、鉄道線は新会社名古屋鉄道を1921(大正10)年6月13日に設立して引き継ぐこととしました。
1922(大正11)年8月1日より名古屋市電となった後も、押切町~柳橋の市内線乗り入れは継続されました。
揖斐・谷汲線で人気だったモ750も当時は市電区間へポールを装備して乗り入れ柳橋駅に発着していました。

DSC_3852.jpg
柳橋駅の碑などは全くありませんが、柳橋交差点北東角の歩道上にはこんなタイルが埋め込まれています。

DSC_3851.jpg
1983の文字はこのタイルの設置年と思われます。
電車には社紋(?)を挟んで両側に137の番号。

実際に存在した137号は38~167号の130両存在したグループのうちの1両。
名古屋電気鉄道が1907(明治40)年より日本車輌や自社工場で製造。
明治村の京都市電のごとくベスチビュールなしの吹きっ曝し運転台。側面8枚窓、モニタールーフなどタイルの絵と一致点が多く、描く際に実際137号をモデルにしたのでしょうか。
なおこのグループは1920(大正9)年の那古野車庫火災で半数以上の66両を焼失、市営化時には64両が引き継がれました。しかし小型車で老朽化も進んでいたことからボギー車や鋼体化単車に置き換えられていきます。
因みに137号は1927(昭和2)年6月に廃車。

このタイルの絵はデフォルメされているものの進行方向のみ救助網をセット(後部の救助網は跳ね上げた状態で走行)してる様子などなかなかリアル。
柳橋にお越しの際はちょっと探して見るのもいいでしょう。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

名鉄 | 23:51:05 | Trackback(0) | Comments(0)
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