投稿日:2021-06-04 Fri
育児と小坂森林鉄道研究会の活動とで更新が止まってますが、久し振りに一つ木材搬出に使われない異色の森林鉄道ネタで行きます。現在も国交省の砂防軌道があることで知られた立山カルデラ。
かつては国交省(当時は建設省)の軌道だけでなく、林野庁の富山営林署治山事業専用常願寺川軌道も通っていました。
当時の松岡の機関車などは見ることが叶わず、現地に立ち入りもできないので写真が乏しいです(T T)
① 立山カルデラの砂防、治山事業
立山カルデラは1858(安政5)年4月9日(旧暦2月26日)に起きた飛越地震による大崩壊(鳶山崩れ)以後、膨大な土砂が不安定な状態にあり、立山カルデラから流れ出る常願寺川を通じ、富山市などの都市部や穀倉地帯を抱えた越中平野に土石流を起こす危険を孕んでいる。
明治期より富山県が砂防工事を行っていたが、1926(大正15)年より内務省(後の建設省、現 国土交通省)直轄で事業が行われるようになり、1927(昭和2)年より砂防軌道による資材輸送が始まった。

内務省とは別に立山カルデラ内の国有林では1916(大正5)年より農商務省(後の農林省、現 農林水産省)山林局富山小林区署による湯川本流及び松尾谷の治山工事が始まった。
1938(昭和13)年に一旦中断されるまで堰堤や護岸工事が行われたが、この頃は山林局の治山事業用の軌道は敷かれていなかった。
立山国有林での砂防事業が再開されたのは戦時中を挟み、林政統一により名古屋営林局富山営林署となった後の1952(昭和27)年のことで、長期の治山事業計画に基づき、軌道の敷設が行われる。
② 治山事業専用常願寺川軌道
1952(昭和27)年度より1954(昭和29)年度にかけ建設省の立山砂防軌道終点の水谷から国有林の事業地である湯川、松尾谷までの軌道や通信線、宿舎の建設工事が行われた。
工事の詳細は以下の表の通り。

全長6,070mで水谷からスイッチバックで上り、全長300.5mのインクラインを挟み、松尾谷までの上部軌道と連絡した。立山砂防軌道と直通するため、非電化の軌間610mm、ガソリン、ディーゼル機関車が使用された。
森林鉄道2級線ではあるが国有林で産出する木材輸送のために敷かれた他の路線とは異なり、治山事業専用の異色路線だった。
1955(昭和30)年度から本格的な治山事業が始まり、軌道は湯川の砂防堰堤の資材などの輸送に使用された。
しかし1969(昭和44)年8月の集中豪雨により建設省、林野庁の砂防施設や軌道は大きな被害を受ける。
常願寺川軌道も全線が寸断され、翌1970(昭和45)年度の作業資材はヘリにより行われ、その後の湯川での治山事業は見合されることとなった。
常願寺川軌道は1976(昭和51)年度まで存続したが実質開店休業状態だったものと見られる。
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