fc2ブログ
 
■プロフィール

にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■閲覧数(2014/8/12~)

閲覧数(2014/8/12~)

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
津付近の伊勢線上り線(未成線)~その2~
P1130572.jpg
旧オーミケンシ(近江絹糸)工場の住宅地横を通る伊勢鉄道(左)と紀勢本線。
右の築堤が伊勢線上り線で現在の伊勢鉄道は下り線となるはずでしたが現在は単線なので上下列車ともそちらを通っています。

P1130576.jpg
三軒屋踏切を通過する紀勢本線下りキハ25。

P1130574.jpg
三軒屋踏切の亀山方で伊勢鉄道は右へ分岐。
伊勢線上り線も紀勢本線を跨いでいます。線形からすると元々伊勢鉄道の線路部分が紀勢本線だったようですね。
なお紀勢本線のこの区間は1891(明治24)年11月4日に一身田~津が関西鉄道津支線として開業、国有化後は旧参宮鉄道区間と一緒に参宮線に編入されており、紀勢本線となったのは1959(昭和34)年7月15日のこと。

P1130582.jpg
三軒屋踏切横には伊勢線上り線の三軒屋架道橋が架かっています。

P1130584.jpg
見上げてみると枕木はあるもののレールは敷かれていません。

スポンサーサイト



テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

廃線跡(一般鉄道) | 21:50:46 | Trackback(0) | Comments(0)
津付近の伊勢線上り線(未成線)~その1~
1973(昭和48)年9月1日に四日市市内の川原田~津を結ぶ伊勢鉄道伊勢線の前身国鉄伊勢線が開通。
名古屋から伊勢、熊野方面へ向かう短絡線として開通しており複線用地も確保されていましたが伊勢鉄道転換後の現在も津側は単線のまま。
しかし津付近で紀勢本線を乗り越す上り線用橋桁や路盤も完成しており後はレールを敷くだけの状態になっています。
比較的新しい路線とは言えそれでも完成から半世紀近く放置されもうそのままでは線路を敷ける状態ではないでしょうね(- -)
P1130558.jpg
津に到着する伊勢鉄道イセⅢ形。手前は紀勢本線でバックの住宅地は近江絹糸津工場跡。
伊勢線上り線はこの辺で手前側に分岐するはずでした。

P1130560.jpg
入れ替わりに亀山方面へ発車していく紀勢本線キハ25。
左に分岐した伊勢線上り線路盤と築堤が見えて来ます。

P1130564.jpg
開渠跡。

P1130566.jpg
徐々に高度を上げていく路盤。

P1130568.jpg
一見現役の線路のようにも見えますが枯草が茂って生気がありません。

P1130570.jpg
ところどころに見られる1972-3の刻印。
1972(昭和47)年3月に完成していたのでしょうね。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

廃線跡(一般鉄道) | 21:55:25 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄ワム5000形→豊橋鉄道ワム20形
2005(平成17)年に閉園した渥美半島伊良湖岬近くの伊良湖フラワーパークに保存されていた豊橋鉄道渥美線ワム20形ワム21。
元は愛知電気鉄道→名鉄のワム5000形で豊鉄ワム21は名鉄時代ワム5014でした。
愛電ワム5000形の製造所年はわかっていませんがワム5011が1924(大正13)年、ワム5014が1925(大正14)年製で少なくとも50両以上はいたようなので何年かに渡って製造されたものと見られます。
15t積み有蓋貨車ですが愛電時代当初は線路規格の関係上10tしか積めなかったとのこと。
国鉄ワム1形と同型ということなので三河鉄道出身のワム500形と大差なかったようです。

199603_2.jpg
製造当初は木造車でしたが写真のワム5014→豊鉄ワム21は鋼体化改造されています。
当車の鋼体化工事が名鉄で行われたものか豊橋で行われたのかはわかっていませんが、名鉄では木製貨車の鋼体化がよく行われていたようです。
名鉄ワム5000は他にも通風車ツム5500形へ改造されたものもいました。
車体はごく平凡な鋼体ワムですがバッファー穴が残ります。
渥美線貨物廃止の1984(昭和59)年に廃車になっていますが軸受は一段リンクのため1968(昭和43)年10月改正以後国鉄線へは乗入ができなくなっていたはず。
渥美線内だけで運ぶ需要がそんなにあったのでしょうかね。
1996.4頃 伊良湖フラワーパーク

199603_1.jpg
前に連結されていたのは豊橋鉄道デキ201。
1939(昭和14)年木南製作所製の渥美ED1→名鉄デキ151→豊鉄デキ151→豊鉄デキ201と改番されています。
名鉄時代も他線区へ行くことなく引き続き渥美線で使われていた様子。
見ての通り南海型の凸型電機で北陸鉄道石川総線ED201と同型ですが北鉄ED201が車体延長や前面2枚窓化など改造されているのに対し南海原型に近い前面4枚窓でした。
1996.4頃 伊良湖フラワーパーク

愛電ワム5000→名鉄→豊鉄ワム20は写真のワム21は無くなったものの豊鉄ワム23、24が静岡県内で倉庫として健在らしいので見てみたいものですが所在を突き止められていません(- -)

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

名鉄 | 21:39:22 | Trackback(0) | Comments(0)
2020年10月24日ひめしゃがの湯活動予定
明日10/24(土)もひめしゃがの湯で10:00~15:00に作業を行います。
先週ほど土砂降りにはならなさそうですがまた天気は微妙な感じ?(^ ^;)
IMG_20201017_111825118.jpg IMG_20201011_143131338.jpg
塗装ができなくともNo.118の冷却系統不調の調査は行うのでその間ご覧いただくことは可能です。
No.118の塗装の続きを考えていますが気象状況によってはNo.33(左)の運転室周りの作業に切り替わるかも知れません。
後は線路関係の準備作業も行います。(意味深?)

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

小坂森林鉄道保存活動情報 | 21:25:07 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄ワム5200形
日中戦争が泥沼化して太平洋戦争開戦も近付いてキナ臭さが増していた1940(昭和15)年国鉄でワム23000形15t積有蓋貨車を鋼材節約のため木製化したワム50000形の製造が始まっていました。
このワム23000とワム50000は鋼製か木製かということを除き車体構造は同じで見た目もほぼ同じですが木造のワム50000は強度を得るため筋交いが入っているのが外観上の相違点でした。
名鉄でも国鉄ワム50000と同型のワム5200形が新造されています。
その内のワム5212号が2007(平成19)年まで瀬戸線の喜多山車庫で入場中の電車連結時の控車兼救援車として使用されていました。

IMG_5473.jpg
1942(昭和17)年日本車輌製のワム5212。
かつての黒貨車の姿をとどめる貴重な存在でした。
車体は鋼体化されていましたが強度に不安があったのか一部の筋交いは残されています。
2004.09.20 名鉄瀬戸線喜多山

IMG_3492.jpg
軸受は二段リンク化されておらず一段リンクのままで1968(昭和43)年10月ダイヤ改正で国鉄線乗入承認は取り消されていた様子。
この頃には旧社章や「名古屋」の文字も消されて一見国鉄貨車のような見た目になっていました。
2006.05.03 名鉄瀬戸線喜多山

IMG_9721.jpg
この日は車体更新車のデキ379と連結されていました。
2007.05.12 名鉄瀬戸線喜多山

IMG_3496.jpg
黒いデキ376と連結されると昭和30~50年代の貨物列車の雰囲気。
やはりこの組み合わせが良いですね~。
2006.05.03 名鉄瀬戸線喜多山

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

名鉄 | 21:33:29 | Trackback(0) | Comments(0)
鬼姫生橋跡
揖斐川上流に1964(昭和39)年に完成した横山ダム。
そのダム湖に沈んだ集落がいくつか存在します。
P1130438.jpg
国道417号線から見えた吊り橋の跡。
左には平坦地の跡が残り集落跡だろうと想像が付きます。
調べてみると集落の名前は鬼姫生(きびゅう)・・・横溝 正史に出てきそうなパンチのある名前ですね。

kibyu.jpg
国土地理院の空中写真からかつての鬼姫生周辺を見た様子。
現在は揖斐川町ですが平成の大合併以前は藤橋村でした。
右上の鶴見や東杉原には住宅や耕地が広がり人口が多かったことが窺えます。鶴見、東杉原は横山ダムへの水没を免れプラネタリウムの藤橋城など観光施設がつくられましたが集落としては離村しており居住人口は0。
鬼姫生橋は揖斐川左岸の鬼姫生集落と右岸の親集落を結ぶ道路に架けられたものだったことがわかります。

P1130440.jpg
鬼姫生橋の親集落側(右岸)主塔とアンカーの跡。
鬼姫生から渡ってきた場合道は手前側に直角に折れていたはずですが主塔とアンカーの距離が近過ぎ。
歩行者なら主塔と斜面の隙間を抜けることもできそうですが自動車には無理ですね。
現役時はどんな吊り橋だったのでしょう。

テーマ:写真 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 22:58:15 | Trackback(0) | Comments(0)
No.118起動試験
ひめしゃがの湯でNo.118の起動試験を行いました。
IMG_20201017_111825118.jpg
雨の中だったのでエンジンを動かしただけ。
軽便祭のときにオーバーヒートしたので冷却水が循環しているのか確認のため開けたままエンジンを回したところ。
ウォーターポンプが故障してるかも?

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

小坂森林鉄道保存活動情報 | 22:32:25 | Trackback(0) | Comments(0)
馬坂峠のトンネル
旧・根尾村(現・本巣市根尾)と旧・徳山村(現・揖斐川町)の間、根尾川と揖斐川本流の谷を隔てる馬坂峠。
この峠には1934(昭和9)年に徳山村の人々により掘られ開通した馬坂トンネルがあります。

P1130416.jpg
根尾西谷川沿いうすずみ温泉のある門脇集落から岐阜県道270号藤橋根尾線を延々上ってきて到達するかつての村境。
雪崩でトンネルポータルが埋没するのを防ぐためか坑口から鉄製のスノーシェッドが飛び出しています。
徳山村にとって当時は安定的に往来できる道が無かった揖斐川の谷沿いに対し冬場でも外界と連絡できる山越えルートの開通は悲願だったはず。
なお現在は冬季通行止めになります。昭和30年代までは徒歩で冬山越えをしていたそうです。

P1130418.jpg
徳山村方の坑口。こちらもスノーシェッドで固められています。
かつてはこの狭小トンネルを岐阜バスが通って徳山へ乗り入れてたそうですがここも伊勢神トンネルの名飯急行バスのように、車掌さんが誘導していたのでしょうかね?

P1130425.jpg
スノーシェッド奥のトンネル本体。
向こうに根尾方坑口からの光が見えておりトンネル自体は177mと大した長さはありません。
トンネル内壁はコンクリートブロックで固められています。開通時は素掘りだったのでしょうか。

P1130430.jpg
峠から見た旧徳山村。村の中心の本郷地区は中央に見える尾根を回り込んだ先なのでここから村落はまだ見えなかったはず。

P1130426.jpg
徳山方坑口前には2つの祠、3体の野仏さんが並んでいます。
豪雪地帯なので祠も頑丈なコンクリ製。

P1130428.jpg
立像の野仏さんの台座には「昭和9年11月 隧道開通記念」の文字。側面には施主さんの名前と在所の「徳山村」の文字が刻まれていました。
おらが村のトンネル開通を祝してか素朴ながらもどこか誇らしげな表情。
現在でも花を供えたりお世話をする方があるようですが元の村民の方が通って来られるのでしょうか。

テーマ:写真 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 22:59:39 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道ワ80形~その2~
画像は貨鉄博に来てからのものばかりなので近江ワ92というよりは鉄道省ワ5490。
なおワ5490と言っても近江竣工時に他の部品取りになった貨車から部材を使い回してフランケンシュタイン状態である可能性が高そう。
国鉄(鉄道省)では老朽化しても貨車新製がままならないのに輸送増強を求められる戦時中は無理して使われ続け戦後昭和20年代に廃車が進みます。状態のいいものは各地の私鉄へ譲渡されてその後も使われていましたがワ5490もその内の1両。
DSC_0996_202010101023299ae.jpg
塗装が綺麗な時ですがこちら側は西日や北勢地方(気候的には北陸に近い- -;)の風雨が当たるので塗装が傷み易いです。
2014.07.20

P1010314.jpg
同じ新潟出身の蒲原ワ11と連結されて入換中。増トン工事で嵩上げされたのか手前のワ5490はヤケに背高な印象。
2017.09.03

P1110817.jpg
塗装工事に入る前の開館日は車内も開放していました。この時は標識灯掛けに塗装を済ませたばかりの尾灯を掛けて撮影。
2019.12.01

P1130082.jpg
現在は南側面と西藤原側妻面の木部を再塗装中です。
塗装が済んで標記まで入ったらまたUPします。
2020.07.05

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

関西私鉄 | 10:49:14 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道ワ80形~その1~
1948(昭和23)年12月27日に運輸省鉄道総局・・・後の国鉄より120両の貨車払い下げを受けています。
その内有蓋車ワ1形が23両を占めていました。
ohmi-wa.png
国鉄ワ1形は近江ワ1形ワ1~3、ワ80形ワ80~88、91、92として竣工しますが残る9両が空番になっているワ89、90やワ93~として竣工したのかは不明です。
車体の傷みが酷かったということなので実際に竣工した車や他の貨車の部品取り用になってしまった可能性が高そうですね。
近江譲渡後も国鉄乗入認可車のため国鉄線へ直通していましたが1968(昭和43)年10月ダイヤ改正では旧式のシュウ式軸受け装備のこれら貨車は国鉄へ乗り入れができなくなりました。
それでも1970(昭和45)年頃ワ80形はワ85、88、91、92の4両が現役で、その内のワ92は奇跡的に21世紀まで残り2003(平成15)年には貨物鉄道博物館入りを果たしています。
雑多な貨車の寄せ集めだった国鉄ワ1形は出自も様々。
貨鉄博収蔵の国鉄ワ5490→近江ワ92は元は新潟鐵工所1906(明治39)年製の北越鉄道(現・信越本線直江津~新潟など)カ231~300号のどれかだった様子。
同じく貨鉄博収蔵の蒲原鉄道ワ11とは同郷の先輩、後輩ということになりますね。
カと言っても家畜車ではなく一般の8t(7英t?)積み有蓋貨車で翌1907(明治40)年には鉄道国有法施行により国有化されワ9633形となっていました。
後に10t積みへの増t工事や何度かの改番を経てワ5490になっていますがまだよくわかっていません。

IMG_4792.jpg
ワ5490→近江ワ92が貨物鉄道博物館にやってきて間もない頃。
その直前までどこにいたかは・・・知ってても言わないで下さい(^ ^;)
こちらもあえて当時の写真は載せませんので。
2004.06.26 貨物鉄道博物館

IMG_4799.jpg
台枠には扉の下に近江鉄道、右には消えかけてますがワ92の文字が入ります。
2004.06.26 貨物鉄道博物館

IMG_4907.jpg
国鉄時代の姿へ復元作業中のワ5490→近江ワ92。
2007.12.02 貨物鉄道博物館

IMG_4927.jpg
台枠が剥き出しとなった貴重な姿。
2007.12.02 貨物鉄道博物館

IMG_4908.jpg
台枠のLANARKSHIRE STEELの文字からイギリスからの輸入鋼材が使われていることがわかります。
2007.12.02 貨物鉄道博物館

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

貨物鉄道博物館 | 23:10:59 | Trackback(0) | Comments(0)