投稿日:2020-07-31 Fri
久しぶりに舞木工場を覗いてきました。
元三河鉄道唯一の生き残りデキ303はまだ健在。横にはEL121,122も入場中。

いつもは常滑線大江にいるレール輸送用のチキ10も入場中でした。

注目はワム6001、6002。
国鉄ワム60000と同タイプの名鉄自社発注車で1962(昭和37)年日本車輛製。
車籍が無くなりワムの文字も消されていますがワム60000タイプで本線上に載っているのはかなり貴重。

登場当初はハワイアンブルー塗装だったと聞きますが当時の写真は見たことなし。
後に普通の黒貨車になっています。ワム6001~6025がおり、以前は新川工場にワム6003、6004、犬山工場にワム6005、6006、他に貨車ダルマ化したものも見ましたが新川、犬山のワムはデキとともに姿を見なくなりました。
全国にワム60000のダルマ倉庫は多いですが車輪が付いているのを見たのはこれだけかも(T T)
ワラ1は救援車や保存車を見てるもののワム70000の車輪付きは見たことがないですね。
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投稿日:2020-07-28 Tue
福井鉄道にも高運転台車が譲渡されていますが福鉄でさらなる改造を受けています。1929(昭和4)年日本車輛製の三河鉄道(現・名鉄三河線、蒲郡線など)デ300形デ301。
デ301、302の2台が導入されており三河鉄道初の半鋼製電車でした。
当時愛知電気鉄道、知多鉄道(現・名鉄)、伊勢電気鉄道(現・近鉄)に類似スタイルの電車が導入されていました。
三河鉄道の名鉄合併後はモ3000形モ3001、モ3002となっています。
名鉄時代1963(昭和38)年にモ3001のみ車体整備で高運転台化されておりク2326のような顔つきになっていました。
しかし高運化改造3年後の1966(昭和41)年に3730系に電装品を譲って廃車。
抜け殻となった車体のみが福井鉄道へ譲渡され南越線モハ150形モハ151となっています。
南越線でも名鉄高運スタイルで使われていました。

福井でもややこしい(?)改番、改造は続き南越線の粟田部~戸ノ口が1971(昭和46)年9月1日に廃止されると必要な車両数も減るため福武線へ転用。
福武線に2両いたモハ120形モハ121、122と編成を組むクハとして使われクハ151がクハ121、モハ151も電装解除されクハ122となります。
2005(平成17)年6月19日 武生新(現・越前武生)

クハ122への改造と同時なのかはわかりませんが高運の前面窓がHゴム化され一風変わった顔つきになりました。
2006(平成18)年6月25日 西武生(現・北府)

側面は比較的原型の雰囲気が残っていますがここも改造済み。
名鉄、福鉄モハ151時代は両運転台だったのが乗務員扉設置、片運転台化による武生方運転室撤去で窓配置は1D7D7D1からdD7D7Dに変化。
2006(平成18)年6月25日 西武生(現・北府)

1982(昭和57)年には福井市内併用軌道区間で足羽川を渡る幸橋の重量負担軽減のため電装品を2両に分散することになりました。
クハ122も再度モハ化されてモハ122-1(元モハ122)+モハ122-2(元クハ122)となりますが1997(平成9)年機器更新によるカルダン駆動化時に電装品が軽量となるため2台に配分する必要が無くなり再びモハ122+クハ122に戻り2006(平成18)年6月の廃車まで使われました。
2006(平成18)年6月25日 市役所前(現・福井城址大名町)

ラッシュ時のみ使用だったので動いているのはほとんど見たことが無いけれど子供の頃北陸本線の車窓から武生新の側線で休んでいるのをのよく見た馴染みの車両。
120、140、160形は編成を組んでる車両がみんなチグハグで「なんでこんな編成を組ましたんだろう?」と子供心に不思議に思ったものです。
2006(平成18)年6月25日 福井新(現・赤十字前)

編成を組んでたモハ122。
1950(昭和25)年日本車輛製で全面3枚窓の平々凡々な顔だったのがこちらも運転席の窓だけHゴム化したことで独特の表情に変わっていました。
福井鉄道オリジナル車ということでこちらは旧南越線の走っていた奥に保存されましたが最近見に行ってないな。
投稿日:2020-07-25 Sat
高松琴平電気鉄道に譲渡され標準軌に改軌された上にカルダン駆動化された元名鉄3700系もいました。1968(昭和43)~1973(昭和48)年に2連×8編成=16両が譲渡されて1020形となっています。
名鉄で車体が新製されてから10年程度と異例の早さです。

朝ラッシュ時の4連運用で1032-1031+1030-1029(名鉄ク2713-モ3713+ク2712+モ3712)がカーブの向こうから姿を現しました。琴電に入った名鉄3700系で高運転台化改造されていたのはこの元ク2713の1032のみ。
2004(平成16)年3月23日 片原町~高松築港

仏生山の側線に留置中の1032-1031。行き先表示が一宮行なので名鉄の「新一宮」行を連想させます。
1031のパンタが上がってまだ現役の雰囲気ですが撮影5日前の11月3日付で廃車になっていたそう。
2004(平成16)年11月8日 仏生山

編成を組んでいた1031(元モ3713)。こちらは普通の低運転台。
2004(平成16)年11月8日 仏生山

車庫内では既に1029と1030が解体作業に入っているところでした。
2004(平成16)年11月8日 仏生山
番外編~琴電の元名鉄3700系と元三岐モハ120・クハ210形一次車
琴電には名鉄3700系と類似車体の元三岐鉄道モハ120形+クハ210形の1010形も在籍していました。
よく似てはいますが名鉄車の全長17830mmに対し三岐車は全長18700mmと870mm長く窓1枚の差がありました。
幅、高さも若干大きく前面から見ると表情も何だか違います。

1010形1016-1015(三岐クハ211-モハ121)。1020形と同じくこちらもカルダン化されています。
2004(平成16)年3月23日 片原町~高松築港

玉藻城を横目にシーサースクロッシングを渡っていく1032-1031+1030-1029(名鉄ク2713-モ3713+ク2712+モ3712)を後打ち。
2004(平成16)年3月23日 片原町~高松築港

窓の位置を若干上げ縦長に、尾灯を外側に寄せると三岐っぽくなるかな?(爆)
むしろ北陸鉄道にいそうな顔??(^ ^;)
投稿日:2020-07-22 Wed
名鉄本体の記事より長編?になってきた豊鉄編。
7300系引退時のさよなら運転。
既に元東急7200系の1800系(2代目)に置き換わって予備車になって唯一残っていた7304Fが高師~大清水で団体臨時として走りました。
2002(平成14)年3月31日 高師

高師に戻ってきて怪しげな旧貨物側線へ入線して撮影会。
この側線も感じが良かったのですが現在は埋められて残っていません。
2002(平成14)年3月31日 高師

柳生橋の貨物側線にも廃車になったノーマル塗装車がずらり。
うち4両は売却され個人所有で保存されています。
2002(平成14)年3月31日 柳生橋

600V時代の三河田原駅に停車中の1750系ク2751+モ1751。
名鉄高運転台車の記憶なのに低運転台じゃないかと言われそうですが実はこれ元々高運転台だったのを低運転台化した変則パターン。
元は名鉄3730系モ3755+ク2755を1981(昭和56)年に譲受したもの。
当時の豊鉄渥美線は元名鉄5200系の車体にJR101、111系の主電動機、台車を組み合わせたカルダン車1900系が主力。
本当は後ろにいる1800系(元名鉄モ3300系1928(昭和3)年日車製)に乗りたかったのですが一度も当たらず(T T)
この時も新豊橋で目の前で1800系が出ていくのが見え「次来るのはまた1900か(- -)」と半ば諦めていたところ入ってきたのがこの1750系。
台車や主電動機は旧型国電のものに変えられパンタは真ん中寄りに移設、冷房まで取り付けられており豊鉄の改造好き(?)な性格を如実に表した電車でした。
1995(平成7)年5月27日 三河田原

架線電圧1500V昇圧で7300系に追われ廃車留置中の姿。
既に屋根上のパンタや冷房機器も取り外されています。
1998(平成10)年4月26日 高師
投稿日:2020-07-19 Sun
名鉄高運転台車には他社へ譲渡されたものもありました。まずは7300系。中間車2両を除く28両が豊橋鉄道渥美線へ移籍しました。
名鉄グループの一員で1954(昭和29)年までは名鉄本体の一路線だったこともあり、車両や施設面からも元々名鉄色の濃い路線がますます名鉄線っぽくなりましたが間もなく東急7200系で車種統一されることになり豊橋鉄道7300系は案外短命に終わりました。

名鉄から譲渡されて高師車庫で改造中の7300系。
左には1900系(元名鉄5200系)、右はデワ11。
デワのパンタが上がっていたので暫く待ってたら入換しないかなとも思いましたが動かずでした。
右隅は元長野電鉄のモ1811。
この年の7月2日に渥美線架線電圧を直流600V→1500V昇圧。全車7300系に置き換えられました。
1997(平成9)年5月頃 高師

三河田原旧駅に勢揃いする7300系3編成。赤青黄の全バリエーションがそろってカラフルです。
2000(平成12)年春頃 三河田原

ノーマルの赤にクリーム帯タイプ。車番不明
2000(平成12)年春頃 三河田原

青塗装のなぎさ号7307Fク7207+モ7307。犬山遊園でさよなら運転を見送った編成です。
2000(平成12)年春頃 三河田原

黄色塗装のなのはな号7304Fク7204+モ7304。
2000(平成12)年春頃 三河田原
前面貫通扉には名鉄時代サボを掲げていましたが豊橋鉄道では1900系廃車発生品を利用して方向幕に改造してありました。
投稿日:2020-07-16 Thu
前回から1か月以上開いてしまいましたが名鉄高運転台車の続き(_ _)
モーターを降ろして制御車になっているのにMG駆動用にパンタを残した元モ3716のク3716。
片開きドアの3700系(2代目)で当時唯一名鉄に残っていたもの。
元は1926(大正15)年田中車両製木造電車の三河鉄道デ100形で名鉄ではモ1087となっていました。
1958(昭和33)年に機器流用して車体新造、後に高運転台化改造されています。
当時は築港線専用・・・と言っても須ケ口~大江の回送運転をよく見たので築港線より名古屋本線でよく見たなという印象・・・。
この日も須ケ口からの送り込み回送を新名古屋で見ていました。
正月休みで人気のない工場街の東名古屋港で運転士さんと車掌さんが走って入れ替わり。
電車が来る前、来てからもほかに誰も客は現れず結局乗ったのは自分1人だけ。
1996(平成8)年1月4日 東名古屋港

車掌さんが自分一人のために大江から先の乗り換え案内放送をしてくれたのに恐縮しつつ大江では反対のク2735を撮影。
こちらは3700系を両開きドアにモデルチェンジした3730系。
モ3735+ク2735は1964(昭和39)年に車体新造、最初から高運転台の車体でした。
当時の築港線では3730系ク2730形+モ3730形+ク3716の1M2T編成を組んでいました。
1996(平成8)年1月4日 大江

築港線乗車の9日後、三河線海線初乗車ではまたも3730系モ3735+ク2735に当たりました。
ク3716は築港線のみの運用ですが3730系は築港線と三河線を掛け持ちしてました。
1996(平成8)年1月13日 知立

5500系モ5509。1964(昭和39)年2月に新川工場で火災が起きモ760やデキ304など旧型車と共にモ5509も焼損。
復旧(実質車体新製?)の際に高運転台化され1両だけの珍車になっていました。
珍しく地元の尾西線玉ノ井方(玉ノ井線)運用に入っていたので撮影。
1998(平成10)年9月25日 新一宮(現・名鉄一宮)

5500系は窓が大きい印象ですがこの車だけは目が細い独特の雰囲気。
普通運用に入っていたので岐阜から乗車し新木曽川待避中にゆっくり撮影。
5500系ノーマル車は最前列の席に座れば前面眺望が良かったですがこの車では望めそうにないですね(^ ^;)
2001(平成13)年12月2日 新木曽川
投稿日:2020-07-14 Tue
今秋発売予定の「小坂森林鉄道 下巻」の編集追い込みや姪っ子の面倒を見ていたりでブログで大穴を空けてしまい失礼しました(_ _)その間に小坂森林鉄道研究会地元の小坂や隣の萩原など飛騨川流域でも水害が発生。
同時期の九州の球磨川沿いと並んで広範囲大規模な水害となっており現在もまだ雨が降りやすい状態です。
水害で被災された皆様にお見舞い申し上げます。

7月13日(月)にひめしゃがの湯の保存車を確認、作業を行いました。
保存車両はいずれも無事です。
飛騨川本流はまだ濁った水が流れていますがかつての小坂森林鉄道が敷設されていた小坂川、濁河川、大洞川といった支流筋は水量は多いものの水は澄んでいました。
小黒川だけは河原に樹皮を剥がれた大木が何本も打ち上げられており当日の濁流の威力を思い知らされます。

赤沼田(あかんだ)~落合の岐阜県道437号湯屋温泉線が道路脇に切り立つ崖の安全が確保できないことから対岸の森林鉄道跡の道が迂回ルートとして利用されていました。
かつての小坂線赤沼田連絡所~落合停車場と若栃線の起点付近のルートに当たります。
落合での待ち、旧若栃線上を赤沼田からの「反対列車」がやって来たところ。
小坂市街地の一部や沢沿いのお宅では浸水後の後片付けが行われていました。
直接被害を受けていない地区のお店などは通常営業しているところが多いようでしたが国道41号線が不通のため飛騨小坂は袋小路状態となっており通行量が減っているのが気掛かりです。
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