投稿日:2020-05-30 Sat
モ750、ク2320と来たら後はモ700ですがこちらは当時モ750と区別がついておらずまともに撮ったのは一回だけ。乗車もク2320に乗りたかったのでモ700は後回しにしている内に廃車されてしまいました。
モ700型はモ750型の1年前に登場していますがほぼ同系統と言ってよいうような車両。
電装品が違いましたが両形式とも後天的に改造されるとほとんど形式の違いに意味が無くなっていたのではないかと・・・。
見た目はモ700の方がステップが若干深いという程度の違いでした。
●モ703
1927(昭和2)年4月製造、デセホ703
1941(昭和16)年車両称号変更モ703
1962(昭和37)年瀬戸線配置
1978(昭和53)年揖斐・谷汲線配置
1998(平成10)年4月廃車

片運転台化されク2326と編成を組んでいたモ703。
日中は出番がないため行先表示板には「この電車は発車しません」と書かれていました。
片運転台のため末期は常にク2320と編成を組んでいましたがク2320が廃車になった後もモ750と編成を組んで1年ほど生き延びています。
1997(平成9)年3月20日 忠節
瀬戸線移動前は小牧車庫に集中配置されていたモ750に対しモ700は各務原線新那加車庫配置でした。
昇圧される前にモ702~704の3両だけ瀬戸線に移動しましたがそれ以外はモ706が新川工場火災により廃車。
モ701、705は福井鉄道に貸し出し後譲渡、モ707~710も北陸鉄道に譲渡されて名鉄での残存率は低下していました。
福井では南越線で単行運転に使われた後元瀬戸電ガソリンカーと固定編成を組んで初代モハ140に。
北陸鉄道では前面貫通化、前面窓のHゴム化、シールドビーム化が行われ独特の表情に変わりました。
当時福鉄、北鉄は北陸進出を狙う名鉄の傘下に入ったところでまずは自社の車両を送り込んだのでしょうか。
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福井鉄道貸し出し時のモ701。この色はこの色でローカル電車らしくて良いですね。
この後片運転台化、クハ140(元瀬戸電キハ300→名鉄ク2200)と固定編成化され前面窓もHゴム化されて福武線で使われていました。


大改造された北陸鉄道モハ3700型。
隙間風対策でHゴム化された様子。能美線が廃止になると余剰車となり新西金沢の側線で昼寝していたとのことですが一足遅かったのか金沢で見たことはありません。
いずれも譲渡先より本家に居残ったほうが良い状態で生き永らえたという妙なパターン。
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投稿日:2020-05-27 Wed
揖斐・谷汲線旧型車モ750に引き続きク2320型。全車4台は撮れておらずク2323だけ漏れてました(^ ^;)1926(大正15)年に愛知電気鉄道の電7型、附3型として日本車輛で製造された電車。
旧名古屋鉄道がモ750のように前面は丸みを帯びたスタイルが多かったのに対し愛電は角ばったスタイルの電車が多くなっていました。
電7→デハ3080型は電動車と分かりますが附3→サハ2020型は附随車ではなく運転台付きの制御車です。
デハ3080型はデハ3080~3084、3086~3089の9両、クハ2020型はクハ2020の1形式1両。
デハ3085がいませんが愛電では末尾に5を持つ電車が大事故を起こすことが何度かあったため末尾5が忌み番となっていました。
名鉄となってからも直流1500V各路線で使われた後クハ化され600Vの瀬戸線、揖斐・谷汲線で使われました。
瀬戸線時代は一部が特急車となりパノラマカー並みのミュージックホーンまで搭載してます。
同型車として伊勢電気鉄道デハ121型→近鉄モ5121型がいましたがこの車両も名古屋線系統で使われ最後は養老線で廃車となっており会社は違うもののご近所の似た者同士でした。
揖斐・谷汲線では朝夕ラッシュ時にしか出て来なかったので1回しか乗ったことはなく、大概は黒野か忠節で昼寝してた印象。
遊間の大きい自動連結器なので発車時は前後にガックンガックンと激しく揺さぶられる車両でした。
●ク2325
1926(大正15)年3月 製造。電7型(番号?)
1927(昭和2)年 車両称号変更デハ3086
1941(昭和16)年 車両称号変更モ3206
1964(昭和39)年 電装解除ク2325
1965(昭和40)年 1500V→600V降圧瀬戸線配置
1973(昭和48)年 揖斐・谷汲線配置
1997(平成9)年5月 廃車

1台1台窓の形が違っていたク2320型。ク2325が一番原形の雰囲気を残していました。
1997(平成9)年4月2日 忠節
●ク2326
1927(昭和2)年 車両称号変更デハ3088
1941(昭和16)年 車両称号変更モ3208
1959(昭和34)or1962(昭和37)年 事故復旧で高運転台化
1964(昭和39)年 電装解除ク2326
1965(昭和40)年 1500V→600V降圧瀬戸線配置
1978(昭和53)年 揖斐・谷汲線配置
1997(平成9)年5月 廃車

事故復旧で名鉄お得意の高運転台化されていた車両。
反対側の運転台撤去側も高運転台化された窓の形はそのままでした。
1997(平成9)年3月20日 忠節
●ク2327
1926(大正15)年8月 製造。附3型(番号?)
1927(昭和2)年 車両称号変更サハ2020
1941(昭和16)年 車両称号変更ク2021
1948(昭和23)年 電装モ3210
1964(昭和39)年 電装解除ク2327
1965(昭和40)年 1500V→600V降圧瀬戸線配置
1973(昭和48)年 揖斐・谷汲線配置
1997(平成9)年5月 廃車

唯一元々電動車でなかった車。制御車→電動車→制御車と目まぐるしく変化しています。
乗務員扉は助士席側にしかなく運転席横は窓だけで扉がありません。
右はモ704。片運転台化されて台座だけになった尾灯跡が見えます。
1997(平成9)年4月2日 忠節
投稿日:2020-05-24 Sun
モ750型画像シリーズ2回目経歴で瀬戸線配置になる前の配置を書いていませんが1948(昭和23)年の名古屋本線、犬山線など本線系が1500V昇圧された後、瀬戸線配置になる前は全車が小牧車庫配置、小牧・広見・八百津線で活躍していました。
●モ755
1928(昭和3)年11月製造、デセホ755
1932(昭和7)年10月~1933(昭和8)年柳橋~高山線下呂乗入れ運転
1941(昭和16)年車両称号変更モ755
1965(昭和40)年5月瀬戸線配置
1973(昭和48)年8月揖斐・谷汲線配置
2001(平成13)年12月11日廃車

高山線下呂駅まで乗り入れていたことが特筆されますが1年ほどで旧尾西鉄道デホ200型を貫通化改造しお座敷電車としたデホ250型に交代。
2001(平成13)年5月17日 長瀬

毎月18日は谷汲山華厳寺の命日で谷汲線は毎時1本から30分に1本に増発、2両に増結して運転されていました。
この日は廃止直前最後の18日。夕方最後の増結運用を終え引き続き単行で運用されるモ751からモ755が切り離されたところ。
2001(平成13)年9月18日 黒野
●モ758
1928(昭和3)年11月製造、デセホ758
1941(昭和16)年車両称号変更モ758
1964(昭和39)年9月瀬戸線配置
1973(昭和48)年8月揖斐・谷汲線配置
1998(平成10)年4月13日廃車

この車だけ最後までがいこつ型尾灯の台座が残っていました。
ラッシュ時に急行運用に就いていたのか「急」の円盤が格好良かったです。
撮影したときは知りませんでしたが廃車になる8日前だったんですね。
1998(平成10)年4月5日 忠節
●モ759
1929(昭和4)年9月製造、デセホ759
1941(昭和16)年車両称号変更モ759
1964(昭和39)年9月瀬戸線配置
1978(昭和53)年揖斐・谷汲線配置
1998(平成10)年4月13日廃車

1929(昭和4)年増備車で新製時にドアエンジン搭載、自動扉付きでした。
後に手動扉化されていたようですが揖斐・谷汲線で自動ドアに復旧。
ほかの仲間が揖斐、谷汲線に移った後も瀬戸線1500V昇圧まで残っていた車両でもあり、車体色が緑からスカーレットに塗り替えられたのもこの車が最後でした。
この撮影も廃車8日前でこの夕暮れの力走を見たのが最後になりました。
1998(平成10)年4月5日 黒野~中之元
投稿日:2020-05-21 Thu
19年前名鉄揖斐線黒野~本揖斐、谷汲線が廃止になって消えたモ750型。1928(昭和3)、1929(昭和4)年に日本車輛で製造され名古屋鉄道西部の600V区間で長く使われました。
昭和20年代に犬山、岩倉支線でモ750を運転されていた名鉄運転士OBの方より「加速性能、信頼性とも申し分なく運転してて気持ちの良い最も思い入れのある車両」というお話も伺っておりこれが長寿の理由だったのかも知れません。
昭和40年代に廃車になったモ753、756、757や1964(昭和39)年の新川工場火災で焼失したモ760以外は全車撮影していたのでアップします。
並べてみると個々で尾灯の高さが異なりちょっとずつ表情が異なっているのがわかります。
●モ751
1928(昭和3)年11月製造、デセホ751
1941(昭和16)年車両称号変更モ751
1965(昭和40)年5月瀬戸線配置
1967(昭和42)年片運転台化、車内照明蛍光灯化
1973(昭和48)年8月揖斐・谷汲線配置、両運転台化
2001(平成13)年12月11日廃車

揖斐線黒野~本揖斐ローカル運用に就くモ751と急行岐阜駅前行の赤いモ770(車番不明)。
1995(平成7)年11月25日 黒野

谷汲駅を発車。
2000(平成12)年5月 谷汲
●モ752
1928(昭和3)年11月製造、デセホ752
1941(昭和16)年車両称号変更モ752
1965(昭和40)年5月瀬戸線配置
1966(昭和41)年揖斐・谷汲線配置、HL制御化
1969(昭和44)年6月or10月?電装解除ク2151
1969(昭和44)年中に再電装モ752に復帰
1970(昭和45)年AL制御化
1998(平成10)年4月13日廃車

ほかの仲間たちが瀬戸線に集結する中一足早く岐阜600V線入りしたところ手違いでモーターを降ろされてク2150型ク2151に。
電動車が不足したためすぐにモ752に復旧されたという変わった経歴を持っていました。
尾灯の位置が低くやや落ち着いた表情に見えました。
1995(平成7)年11月25日 谷汲
●モ754
1928(昭和3)年11月製造、デセホ754
1941(昭和16)年車両称号変更モ754
1965(昭和40)年5月瀬戸線配置
1967(昭和42)年片運転台化
1973(昭和48)年8月揖斐・谷汲線配置
1993(平成5)年7月両運転台化
2001(平成13)年12月11日廃車

瀬戸電時代に片運化されたまま残り平成になってから廃車になったモ702の機器を使用して両運転台化が行われていたそうな。
2000(平成12)年5月 谷汲

平成になってから両運転台化された運転台側。外観上特に変わった点は無し。
2001(平成13)年9月18日 本揖斐
投稿日:2020-05-18 Mon
キハ601に乗って浜駅へ移動。
霞ケ浦のそばにある浜駅。

国道355号が鹿島鉄道線をオーバークロスする陸橋へ。
筑波颪が吹き荒れ霞ケ浦には白波も見えます。
中央奥には2つの角のような筑波山

玉造町から浜の間で小さな丘陵越えをする場所を狙います。
石岡行きのキハ431が切通しから飛び出してきました。

キハ430型は非冷房車で夏場は動かないので冬場が狙い目。

浜駅に戻ってまた次の列車に乗ります。
今度は1992(平成4)年新潟鐵工所製のKR500型KR505。
よくある三セク向けレールバスのようでいながら意外と類型車がいません。
浜駅はかつては島式ホームの交換駅だったようで前後で線路が曲がっていました。

締めは坂戸~鉾田でキハ601を後打ち。
投稿日:2020-05-15 Fri
石岡機関区をお暇してキハ601に乗り常陸小川駅へ。
この列車は鉾田まで行かない常陸小川止まりで石岡への折り返し待ち中。
駅舎は関東鉄道時代に建て替えられたものと見られるこれといった特徴のないのコンクリート造り。
しかしこの規模の地方私鉄の駅で珍しく有人駅だったのでどこか温かみがありました。

ここに来たのは旧貨物側線で保存されていたDD901を撮るため。
石岡機関区で見たDD902はこの車の続番ですがまるで似ていません。
DD902は標準的なDD13の形状ですがこちらは何だか不気味で「巨神兵」とでもいう感じ。

1955(昭和30)年に日本車輌が試作した運転整備重量51.6tのロッド駆動式ディーゼル機関車。
国鉄で試用されたときはDD42 1を名乗り名古屋工場の入換などで使われたそう。当時は笹島辺りによく現れていたのでしょうか。
1958(昭和33)年に関東鉄道の前身である常総筑波鉄道が購入し常総線で使っていたものが航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送で貨物輸送量が増えた鹿島線へ1974(昭和49)年に異動、1979(昭和54)年に鹿島線が関東鉄道から分離されてそのまま鹿島鉄道に残ったもの。
見た目は当時日車が作っていた20~25tスイッチャーを2台背中合わせにしたような感じ。
名鉄可児川駅の名古屋パルプ専用線にいたDB20などとよく似ています。

大谷石でしょうか?の石積みの貨物ホームと上屋も枯れてなかなか味わい深くなっています。
この時点では屋根付き駐輪場とされていました。

貨物上屋越しにDD901の前面を狙い。
バックにホキ800もいて貨物輸送を行っていた頃のイメージ。

DD901と貨物ホームで40分ほど楽しんだ後は次の目的地へ。
石岡まで往復して今度は鉾田行きとしてやって来たキハ601に乗車します。
投稿日:2020-05-12 Tue
鹿島鉄道車庫見学の続き。昭和30~40年代の地方私鉄の雰囲気を色濃く残す車両や施設群に心が躍りましたね。

石岡駅のホームから下りたところにあった乗務員詰所とキハ431。
常磐線から下りてここへ来ると時代が一気に巻き戻されたよう。
キハ431は元加越能鉄道加越線のキハ125。1957(昭和32)年東急車輌製。

キハ601と石岡機関区の看板が掲げられた建物。
キハ601は1936(昭和11)年川崎車輌製の元国鉄キハ42000型。
昭和20年代に天然ガスカーのキハ42200型、さらにディーゼル化されてキハ42500型となるなど車号の変遷が激しい車です。
国鉄キハ42032→キハ42205→キハ42528→キハ07 29→鹿島参宮キハ42503→関東キハ601→鹿島キハ601
国鉄時代は常磐線我孫子、木更津、大原など千葉地区、二俣線遠江二俣、長野周辺で使われ1964(昭和39)年廃車後鹿島参宮鉄道に譲渡。

1965(昭和40)年には機械式変速から液体式変速に改造、1972(昭和47)年には西武所沢工場で総括制御下、前面6枚窓の丸い運転室が改造され関東鉄道の標準的な顔になっています。
その後も貫通扉を埋めたりワンマン化されたり、冷房化(!)されたりととんでもないことに~。
台枠はキハ42000として製造当初の流線形のままなのか連結器の周りに見える台枠左右が引っ込んでいますね。

キハ601のエンジン始動。
雲一つない常陸の青空に白煙が噴き上がります。
この日は冷え込んでたのでエンジンはややご機嫌斜めだった様子。
当初はガソリンエンジンでしたがこの頃はDMH17。何代目のエンジンだったのでしょうね。

キハ431と色違いのキハ432。
こちらも元加越線のキハ126でキハ431と同時期の製造。
元は前面窓の天地幅が大きくもっとパッチリ目な感じでしたが外板張替えで窓が小さくなっています。

建屋の前ではキハ714が整備中。塗装が終わったばかりだったようで美しい姿を見せていました。
こちらは元夕張鉄道キハ251。1953(昭和28)年新潟鐵工所製。
北海道で初の液体式気動車だったとのことで函館本線や千歳線に乗り入れたこともあったとか。
鹿島鉄道の母体となった関東鉄道は気動車の屋根を銀色塗装するのが特徴でした。
非電化私鉄の東の横綱が関東鉄道なら西の横綱は江若鉄道でしたがこちらも銀色屋根。何か理由があったのでしょうかね。
投稿日:2020-05-09 Sat
2005(平成17)年1月に友人と鹿島鉄道へ出かけたときのこと。車庫の見学許可を頂いて構内を撮影させていただきました。

DD902形DD902号
見た目は国鉄DD13そのものですが1968(昭和43)年日本車輌製の自社発注機。
一緒にいたDD13形171、367の2台は既に中国へ譲渡されていました。そちらはその後どうなったのか。
この茶色に白帯塗装が渋くて好きでしたね。

協三工業20t貨車移動機がいましたがこれは保線MC代わりだったそうです。
機関車表フルコンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング/刊)によると1978(昭和53)年協三工業製で製番A20021とのこと。
国鉄に納入され機械番号06-28-01-084で東京レールセンターで使用ということからすると越中島貨物で使われていたのでしょうか。
DD902とこの移動機は末期にオレンジに塗装されていましたがその姿は見ることなく終わりました。
どちらも2007(平成19)年4月1日の廃止より前に日本製鋼所室蘭製作所構内鉄道に移ったそうですが今はどうなっているのやら?

後ろには1963(昭和38)年日車製の鉄側有蓋車スム1000形(スム1003、1005と思われ)が並んでいました。
近過ぎてあまりまともに撮れなかったのでロクな写真ではありません~(^ ^;)
しかも庫内にいたであろう整備されたスム1002の方は撮っていない(整備前に銀塩で撮影した覚えはあるけど・・・)という大失態。

関東鉄道の社紋と関東の文字に常総線の上に鉾田線を重ね書きした跡。

トラック型モーターカーと軽トラ荷台を載せた保線トロ。
このトラック型モーターカーは前面を相当に改造されている感じ。末期には顔を描かれていましたね(^ ^)

向かって右のヘッドライト下に銘板がありますがチェックしてなかった~(- -;)~
投稿日:2020-05-06 Wed
12年前の2008(平成20)年3月の写真ですが思い出したことがあったのでUP~。加賀平野の田園地帯の真ん中にポツンとある北陸鉄道石川線小柳駅。
現在の石川線の駅では最もローカルムードに溢れる駅で撮影に降りたわけですが。

田園地帯に大カーブがあってなかなか良いところです。
野町行きの7200系モハ7201+クハ7211を後打ち。
撮影に来たことで満足行く風景ですが手前の架線柱の陰に何だか違和感が・・・。

H型段面のコンクリート架線柱。H型鋼にコンクリートを吹き付けたかのような形です。
H形鋼の架線柱であれば見たことがありますがコンクリート製でこの形は不思議。

両持ち式の架線柱では海側のみがH型で山側は普通の丸い断面。
石川線でも元々住んでた家から近かった西泉や野町付近にこんな架線柱は無く井口~日御子付近に固まって存在している電柱のようです。
他で見たことが無い電柱ですが目撃情報ありましたら募集しています(_ _)
投稿日:2020-05-03 Sun
貨物鉄道博物館も休館を余儀なくされておりますが「在宅で可能な活動」ということで次回開館日に備えて西濃鉄道ワフ21120の内部電源点灯化を自宅にて行いました。

貨鉄博の棚にあった2灯を引っ張り出して塗装し直したのが昨年末から今年1月にかけて。
元々は6Vの内蔵小型バッテリーで点灯させていたようですがバッテリーは付いていませんでした。


左のひさしの無い方(以下①)は西濃鉄道からワフ21120と一緒にお譲りいただいた物だそう。
右のひさしと保護柵が付いた方(以下②)は北陸本線福井周辺で使っていたのか福井7Bの文字が入っています。
見た目はどちらもきれいなのですが①は国鉄か西濃時代に中でバッテリーをひっくり返してしまったのか内部の腐食が激しいです。
しかも内部バッテリーでなく外部から電線を引っ張って給電するよう配線に手を加えられています。

中から電球を取り出し。
元の電球は6V4Wでしたが汎用性を考えて12V8Wの自動車用(後部ナンバープレート照射用)に変更。

電源はマキタの電動工具用バッテリー(右)。貨鉄博の作業でも使うバッテリーなので互換性があって良いです。
そのままでは直流14.4Vなので12Vへの降圧にはNLAセレクトのマキタバッテリー5V/12V出力アダプター(左)を使用。

試験接続して黄昏時に点灯して見たところなかなかいい感じです。

回路は自動車DIY用の配線を使用。スイッチはこたつ何かに使われているタイプのもの。


①にバッテリーを搭載します。
左はバッテリーを外した状態

②は外観に反し中身がこんな状態(^ ^;)
給電は①よりケーブルを引き込んでいます。
左右に飛び出しているのはバッテリーからの配線を繋いでいた端子。白い配線は西濃時代に使用されていたものと見られる6V回路。

次回開館日にはワフのデッキに点灯状態で展示して皆さんをお迎え出来たらと考えております。
貨物鉄道博物館公式twitterでは尾灯点灯動画も公開中!
#貨物鉄道博物館
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