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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~残っていた線路~
熊切森林鉄道の山側からの帰り道編。

熊切森林鉄道路線図
既存の鉄道と全く接続が無く山中にポツンと存在した熊切森林鉄道の立地はこんな状態。
最寄りは大井川鐡道大井川本線下泉駅ですが見ての通り道はクネクネ・・・きつい峠越えが必要(- -;)

DSC_0893_202004302107062f9.jpg
いつから掲げられたままなのかかなり古めかしい「作業中 MEN WORKING」の標識がありました。

DSC_0898_2020043021070771b.jpg
ゲートを越えて車まで戻る途中起点の麦島土場から3km地点付近で同行のSKW氏が道の真ん中に埋まったレールを発見。
これまであちこちに枕木は埋まっていましたが線路が出てきたのは初めて。

DSC_0899_202004302107089c8.jpg
ゲージが762mmより広くなっていたので当時からの軌道そのままのものかは不明。

DSC_0393_202004302119473b7.jpg
奥に見える橋は杉川本流を渡る橋・・・くずし字解読辞典によると「鍋石橋」のようです。
熊切林鉄跡の道路橋は皆このようにくずし字で刻まれているためくずし字解読辞典がないと読めませんでした。
今は亡き祖母からの手紙が読めなかったことを思い出します。
なお祖母の実の娘である母にもその手紙は読めなかった(^ ^;)

参考文献:
くずし字解読辞典 普及版(児玉 幸多/編 東京堂出版)

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

森林鉄道(前橋、東京営林局) | 21:26:45 | Trackback(0) | Comments(0)
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)ゲートの向こう~その2~
5年前の熊切森林鉄道ゲート奥巡りの続きです。
以前の記事はこちら↓
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~1~
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~2~
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~3~

東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)ゲートの向こう~その1~

DSC_0846_20200427210408ac7.jpg
索道や積み込み設備があったという玄馬沢を渡ります。
春先で林道は冬眠から覚めたヒキガエルが一杯。
見た目に似合わず遠慮がちな小さな声でケロケロと鳴いている声があちこちから聞こえました。

DSC_0851_20200427210411e24.jpg
玄馬沢から間もなく杉川本流を渡る鉄橋。
3連ガーダーだったのが中央1連を残して撤去されています。

DSC_0852.jpg
起点の麦島側の橋脚は四角の上に台形を載せたような奇妙な形状・・・いや、この形どっかで見たぞ。

DSC_0949_202004272120391e6.jpg
東京営林局水窪営林署水窪森林鉄道の戸中川に架かっていた橋梁跡。
2014(平成26)年6月29日撮影で水窪森林鉄道戸中川の鉄・木橋跡に取り上げたことも。
高さはまるで違いますが基本形状は一緒です。
東京営林局でこの形を好んだ技官さんがいたのでしょうか?

DSC_0858_20200427210414cc3.jpg
橋の向こうも路盤は残ってますが間もなく終点らしいです。
前後に木橋が作られ、ガーダーにも踏板が乗せられていますが木橋部分は既に橋脚が折れて人が乗れる状態にありませんでした。
夏場なら川を直接渡った方がまだマシかも知れませんが流されたらすぐ下流にあるかなり高い砂防堰堤から放り出されることに。
ここで事故を起こしたらもう当分は林鉄巡りで入れてもらえなさそう(- -;)
終点側の橋脚は普通の四角い形状、脇には木橋時代の橋脚も残っています。

DSC_0859_202004272104161f3.jpg
この角度で協三5t機牽引の運材列車が撮れたらなあ。

DSC_0875_202004272104192cd.jpg
杉川の河原から真横狙い。

DSC_0862_20200427210417b0f.jpg
杉川上流方面。軌道敷は右にあります。
道路林道はここから急勾配で上って行ってしまうので軌道終点を見ることはできません。
道路もこのすぐ上で大崩落が起きていてすっかり岩石に埋もれていました。
そんなところでも石の間でヒキガエルが一杯ケロケロ言ってました。

これで引き返すのですが帰りにもまだ発見がありました。

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森林鉄道(前橋、東京営林局) | 21:41:09 | Trackback(0) | Comments(2)
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)ゲートの向こう~その1~
5年前に一部区間を取り上げた浜松市天竜区(元の春野町域)の熊切森林鉄道。
ゲートの先は立ち入り許可が必要ということで後日正式に許可を得て末端近くまで辿っていたのですが記事にしないまま長いこと経っていたのですが5年越しでUPします。
以前の記事はこちら↓
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~1~
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~2~
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~3~

撮影日は2015(平成27)年3月22日です。
DSC_0823_20200424231838c17.jpg
ゲートから先は許可が必要ということで森林管理署に提出しましたが事由に「森林鉄道跡調査」など林鉄を臭わせることを書いたらダメとのことで「登山」と書きました。
以前に旧水窪林鉄の鉄橋から転落死亡事故があったため当時の天竜森林管理署管内で林鉄はタブーらしかったです・・・。
正直登山の方が危なそうなんですが・・・(^ ^;)

DSC_0828_20200424231839239.jpg
樫乃澤(?)橋を渡ると傾城(けいせい)造林作業所。

DSC_0831.jpg
橋から見下ろすと木橋の橋脚が横倒しになっていました。
熊切森林鉄道は鉄橋に架け替えられたところが多くこの橋脚は旧橋のものと見られます。

DSC_0835_20200424231842290.jpg
傾城造林作業所。
森林鉄道があった頃は熊切事業所(製品事業所か)で林業手が寝泊まりしていたと思われますが現在は休憩所程度の利用と見られ規模は縮小しているようです。
左の上がっていく林との間にある擁壁は林鉄時代からのもののようで軌道と一緒に写っている写真がありました。
傾城っていうと国王が美女に現を抜かして政治を顧みず「城(または国)が傾く」という中国の故事に由来したもので遊女や美女の意味で使われる言葉ですが何かそれに因むことがあったんでしょうかね?

DSC_0839_2020042423184311f.jpg
ゲートの先もずっとただの自動車林道歩きですがあちこちに枕木が埋まっているのが見られます。
熊切林鉄はレールだけ撤去して枕木は全く撤去せずに砂利を敷いて道路化したのではないでしょうか?

DSC_0843.jpg
中には枕木4,5本がずらりと並んでいる場所も。掘り出してレールを敷きたいですね。
ここは谷側に枕木が寄ってますがどうも複線区間(交換所)だったようで埋もれて見えないものの山側にも線路が並んでいたようです。

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森林鉄道(前橋、東京営林局) | 23:59:28 | Trackback(0) | Comments(0)
王滝・小川森林鉄道の除雪車
王滝森林鉄道せせらぎ線機関庫横に保管されている王滝・小川森林鉄道で使われた除雪車・・・現状車輪がついてないので車とは言えない状態です。
庫の除雪車(3代目?)は昭和30年代につくられたようで先代(2代目?)は車体の半分が有蓋貨車のような操作室になっていました。
P1090505.jpg
鉄箱の前にねじ式の昇降装置付きスノープラウが付いた状態。
スノープラウの操作者はこの鉄の舞台の上で操作するしか無さそうです・・・寒そ~う!(>_<)

P1090506.jpg
現役時は平トロの上に固定して酒井10t機C4などの機関車で推進運転を行っていました。

P1090513.jpg
横から見ると正に鉄箱。この箱の中にデッドウェイトを入れて脱線しないようにしていました。

P1090512.jpg
後ろの隙間から中を見ることができますが現在は空っぽです。

帝室林野局の機関誌「御料林116号」に1935(昭和10)年頃製作された除雪車(初代)の記事が載っています。
木曽支局で考案され大日本山林会の林業上の用具、装置新考案に応募して入賞した後改良を加えたもの。
ボールドウィンなど蒸機で推進運転を行う点は一緒です。
otaki-snowp-1.jpg
二軸有蓋貨車そのものの外観。操作室があるので↑のより操作環境は良さそうですが。
前面窓にワイパーも旋回窓もないですが雪が付着したときはどうしたのでしょうね・・・窓全開?(あまり変わらないかも^ ^;)

otaki-snowp-2.jpg
ジャッキによる方転も可能でした。但し車体が重いためジャッキだけでは持ち上がらずハネ梃子で持ち上げてからジャッキを下ろしていたそうです。

25‰上り勾配で運材列車を5,6車に減車して先頭に除雪車を繋ぎ13㎞/h、排雪専用列車とした場合20km/hで除雪可能とのこと。
1936(昭和11)年1~3月の運転成績は以下の通りだったそうです。
①王滝線
   除雪日数  走行距離
1月  18日    718.8km
2月  18日    518.7km
3月   1日      76.4km

②小川線
   除雪日数  走行距離
1月   1日      31.6km
2月   5日    137.8km
3月   1日      31.6km

参考文献:
御料林116号 1938(昭和13)年1月(帝室林野局) 除雪車に就て(加藤 釧)

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森林鉄道(長野営林局) | 22:32:50 | Trackback(0) | Comments(2)
名古屋鉄道ワム500形の廃車体
かつて名古屋臨海鉄道東港線沿い笠寺駅の近くに置いてあった貨車ダルマ倉庫。
名鉄の15t積有蓋貨車ワム500形の1両ということですが車号標記は見当たらず不明。撮影時は銘板までは確認していなかったのですが参考文献より東洋車輛1924(大正13)年製の三河鉄道ワ300、ワ350、ワ400、ワム500形の内の1両で名鉄合併後ワム500形となっていたことがわかっています。
ワム500は99両もいたのですが国立公文書館の鉄道省文書を見ればある程度車番を絞り込むことができるかも知れません。
昭和40年代に入ると廃車が進み1968(昭和43)年10月ダイヤ改正までに全車廃車されたとのこと。

IMG_6826.jpg
名古屋臨海鉄道のロケハン中にたまたま見かけて撮ったもので後ろに東港線のバラストが見える。
車体を低く切り継ぎ改造されており雨漏りに対する応急措置なのかシートが被されています。
もう長くなさそうだな・・・と思いましたが案の定撮影後間もなく撤去され現存しません。
岡崎市内にも同様のワム500倉庫がありgoogleストリートビューを見るとまだあるようで。
2007(平成19)年2月27日撮影

IMG_6824.jpg
車体は木製ですが扉は鋼製わざわざ切り継がず新しく作ってしまいそうなところですが再利用は徹底しています。
2007(平成19)年2月27日撮影

国鉄ワム1、ワム3500の類型車とのことですが同じ東洋車輛1924(大正13)年製と同メーカー、同年生まれ同タイプの小湊鉄道ワム1の画像を挙げておきます。
20110814_komi_wamu1.jpg
足回りがあった頃はこんな姿をして刈谷を拠点に三州瓦などを積んで国鉄線へも盛んに乗り入れていたのでしょう。
五井 2011(平成23)年8月14日撮影

参考文献:
トワイライトゾーンMANUAL14 名鉄ワム500形廃車体倉庫の謎 嵩下げ車体のダルマワム
   (筒井 俊之・吉田 耕治・佐竹 洋一 ネコ・パブリッシング/刊)
鉄道ピクトリアル2009年3月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道 名鉄の私有貨車
   (澤内 一晃 鉄道図書刊行会/刊)

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名鉄 | 13:18:45 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道ワフ1形
近江鉄道彦根駅構内で最近まで数多く見られたワフ1形。写真などを見返した限りではワフ4~9がいた様子。
近江鉄道ミュージアム閉鎖で全て姿を消したと思われますがまだどこかにいたりしませんよね?
木造のワブ2型ワブ2号、ワブ3型3,4号を鋼体化してワフ1~3号とする設計認可申請が1963(昭和38)年5月2日。
ワフ4~9号もその後続けて鋼体化したものと思われますが認可書類は見ていません。

●ワフ1~3のスペック
全長6300mm、全巾2573mm、全高3358mm
固定軸距3098mm
荷重8t、自重7.75t

直前には国鉄よりED14 2,3も譲受しており当時増大していた石灰石輸送などに充てるワフ延命のため生まれた車両だったようです。

20021007-1.jpg
灰色ワフ+ワフ5+ワフ4。灰色ワフだけ車号不明。
当時は残存数が多くあまり有難味が無かったのか本気で調べることも無かったです(^ ^;)

021007_wafu5_1.jpg
ワフ5
車体の番号はもう読めなくなっていましたが台枠の番号はまだ読める状態。
乗務員扉にはうっすらと「車掌」の文字が見えます。
種車の流用と見られる古典的なシュウ式軸受けが新し目の上回りと不釣り合い。
ワフ1登場から間もないヨンサントオこと1968(昭和43)年10月ダイヤ改正で国鉄乗り入れは2段リンク式しか認められなくなり多くのシュウ式軸受けを持った貨車が失職するか軸受け改造を行いましたが最初から線内利用しか想定していないワフはそのままで残ったようです。

021007_wafu4_1.jpg
ワフ4
こちらは荷重8t、自重7.8tの文字も見えます。
以上3枚2002(平成14)年10月7日 彦根で撮影

041120_fr_1.jpg
彦根車両基地の車両が整理され有蓋車群も処分されたものと思っていたら黒塗りされてずら~り。
異様な光景に気圧されました。

041120_wafu4-5_1.jpg
元の標記が消えたので車号がわかりません。
下回りの塗装状態や配列からすると↑のワフ4+ワフ5かな?

061022_wafu8_1.jpg
彦根車両基地整理時に元々比較的状態が良かったためかワフ8は再塗装対象から漏れた様子。
とは言えこちらも現役時代の塗装ではなく休車状態になってから再塗装ではないかと思われます。
そのためか自重や荷重、乗務員扉の車掌標記は省略されています。

061022_wafu9-7_1.jpg
灰色ワフ+ワフ9+ワフ7+ワ?
灰色ワフ以外は車号が記入されましたが本当に合ってる?
消去法で行くと灰色ワフはワフ6ということになるのですが・・・。

これらワフは近江鉄道貨物の最末期には連結が省略されていたようで最後の鳥居本石油貨物には連結されていませんでした。
1984(昭和59)年頃の写真を見るとまだ連結されていたので石灰貨物と共に運用が無くなったのでしょうかね。
その後も長く残っていたわけですがワフ1~3は2000(平成12)年頃には既に解体されていたのか見た覚えがありません。

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関西私鉄 | 22:19:14 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道の踏切警報機、遮断機
コロナ騒動の影響で軽便鉄道模型祭の会場展示、販売が中止になり、同祭で発売予定だった「小坂森林鉄道 下巻」は販売方法検討中ですが今秋刊行予定に変わりありません。
上巻刊行後の取材で新事実もわかり謎の多い森林鉄道の姿を浮き彫りにしていきたいと思います。

今回はその中から一つ小坂営林署で通信を担当していた方(運転指令員に当たります)からお聞きした踏切警報機、遮断機について。
森林鉄道は記録が少ないため警報機、遮断機があったというのは初耳でした。
森林鉄道には都市部に入っていた秋田の仁別森林鉄道や青森の津軽森林鉄道もあるので恐らく踏切警報機、遮断機があったのではと思いますが具体的な証言は聞いたことがありません。

設置時期はかなり末期(小坂線は1961(昭和36)年中に実質運行停止)、昭和30年代に車が増えてきたので設置。
警報機、遮断機はメーカーの人が設置工事を行い管理は営林署の通信担当で行ったとのこと。
残念ながらメーカー名はご記憶にないとのことでしたが鐘が鳴るタイプだったとのことなので電鈴式か電鐘式警報機と思われます。

小坂で踏切警報機、遮断機があったのは小坂線の以下2か所
①飛騨小坂駅、大島貯木場の下(現・岐阜県道88号下呂小坂線との交差部)
飛騨川左岸を通る国道41号線に対し右岸を通って補完する県道。狭隘区間が多いですが交通量は比較的多い道。
P1000532.jpg
小坂線の大島側から踏切跡を見た様子。S字カーブの途中でここから貯木場へは最大20‰の上り勾配で山から下ってきた運材列車にとっては最後の難所。
そのため列車はこの奥で3車ずつ程度に編成を分けて貯木場へ入れるため機関車は貯木場とその下を数往復して列車を引き上げる必要がありました。

osaka-no13.jpg
この踏切を通過する協三5t機No.13。
ボンネット上には安全旗がはためきエギゾーストが立ち上りエンジンの唸りが迫って来そうな迫力ある1枚。
この背後では踏切が鐘を打つ音も鳴り響いていたものと思われます・・・この場を動画で撮りたい!

②旧・湯屋小学校そばの湯屋街道(現・岐阜県道437号湯屋温泉線との交差)
湯屋街道と呼ばれ小坂町が大正時代に整備した道路。
飛騨街道(現・国道41号線)や飛騨小坂駅と湯屋温泉郷を結ぶ観光道路で小坂森林鉄道開通前は馬車による御料林材輸送にも使うため整備時には小坂町に帝室林野局からも補助金が出されています。
現在は2車線道路にまでないっていますが湯屋温泉街の観光客減少で交通量は減っています。
P1000664.jpg
大島側から踏切を見た様子。

P1000665.jpg
踏切から小坂市街方面を見た様子。
小坂線もこちらに急カーブして一旦川下へ向かい正面の住宅裏の尾根を回りこみ濁河川の谷へ入って右へ進んでいました。

折角設置された自動踏切ですが夜中に雨が降っているとき踏切が誤作動して呼び出されることが多かったそうです。
不気味なシチュエーションですが別に怪談ではなく枕木に雨水が溜まって軌道短絡が発生し踏切の制御ユニットが「列車がいる」と誤検知するのが原因でした。
crossing1.png
列車がいない時は軌道回路が成立しておらず踏切が鳴りません。

crossing2.png
列車が絶縁を越えて踏切動作圏内に入って来ると軌道回路に電流が通ることで踏切の制御ユニットが起動、警報機が鳴り、遮断機が降ります。

crossing3.png
踏切が誤動作するのは普段電流を通さないはずの木枕木が水気を含んで電流を通してしまうのが原因。
いずれの踏切も前後がカーブした区間にあり鉄粉も多めに飛び散っていたことで絶縁が不十分になっていたものと見られます。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 17:50:46 | Trackback(0) | Comments(4)
南四日市のタム、タサ、タキ
南四日市は何度も通っているのですが足繁く通ったのはコンテナ化後でタンク車時代は実は1回しか撮っていません。
撮影は2002(平成14)年9月18日。完全コンテナ化が2003(平成15)年だったので残すところあと1年も無かったんですね。
この日は特に狙ってきたわけではなく近鉄内部線泊駅辺りからからJR関西線乗り継ぎのため歩いて来て列車待ちの間撮影した程度のもの。
タム、タサ、タキと3種類の重量区分のタンク車が揃って豪華な駅だな~と印象に残っています。
いずれも銀色のアルミ製タンク体を持つ過酸化水素専用車で三菱瓦斯化学(現・三菱ガス化学)の私有車でした。
過酸化水素はオキシドールとも呼ばれ漂白剤などに使われています。
小学校の理科の実験で過酸化水素水を二酸化マンガンにかけて酸素を発生させる実験をやった覚えがありますが実際見た覚えがあるのはその時くらいかな?

●タム8000
貨物鉄道博物館にタム8000が収蔵されており現在でもこの車両だけは見ることができます。
020918_tamu800-_1.jpg
番号の下1桁が見えないのでタム800?号(^ ^;)
貨物鉄道博物館で保存しているタム8000号かも知れませんが記録が無いのでわかりません。

020918_tamu8012_1.jpg
タム8012号
1964(昭和39)年汽車会社製。当初は御殿場線山北駅常備でした。
山北駅に化学工場なんてあったっけ?と思われそうですが駅から2kmくらい南の酒匂川に面したところに工場がありその間はトラック輸送をしていたものと見られます。

画像 025
日輸15t機。このスイッチャーは使われなくなってからも結構後まで残っていました。
この時はまだDB15という番号は入っていませんでした。

●タサ5600
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タサ5608。
1966(昭和41)年富士重工業製。この車だけ社名、社章がCI化されておらず三菱マークや社名板の字体が渋いです。
会社を跨いで移籍しており元は東北本線郡山駅常備だったとのこと。

●タキ7650
020918_taki7650_1.jpg
タキ7650
1964(昭和39)年にタム2300形改造で登場した1形式1両の希少車だったそうですが当時はそんな意識もなく無造作に撮っただけ。
改造以来最後まで南四日市常備であり続けたようです。

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過去のアルバムより | 23:54:15 | Trackback(0) | Comments(0)
福井鉄道ホサ1、2~その2~
P1080192.jpg
昨年のホサ1修復時のこと。
貨物鉄道博物館搬入後何度か修復、塗装が行われてきたホサ1ですが車輪はこれまで手付かずでした。
で、今回は車輪も黒を入れてみようということでけれん作業を始めたらドロ錆でえらいこっちゃ(笑)
それでも落としていると数字やアルファベットの社名らしき刻印が彫られているのが見えてきました。

P1070974.jpg
プレート車輪には楕円形の窪みが2か所見えますがこのような形で発見されました。

富田側から順に見て行くと
・第1軸
P1060742.jpg
HB HV GERMANY
Hörder Bergwerks und Hütten Verein(ヘルダー鉱山鉄鋼社)と英語でジャーマニー。
ドイツのドルトムント ヘルデにあった老舗鉄鋼メーカー。残念ながら2001(平成13)年に閉鎖されてしまったとのこと。

2020(令和2)年4月16日修正
社長さんよりコメントいただき青字箇所「ヘルダー鉱業所&フッテン社」を「ヘルダー鉱業所&フッテン社」に修正

P1060740.jpg
1912
1912(明治45、大正元)年製造ということでしょうね。製造年がわかったものはこれが最古。

・第2軸
P1060767.jpg
RSW14
これだけでは何だかわからなかったのですがお客様より「ライン製鋼所ではないか?」というアドバイスをいただきました。
ありがとうございます(_ _)
ドイツ語だとRhein Stahlwerkかな?と調べているのですが言語の壁とそれ以上にドイツの製鉄業に関して土地勘が乏しいため該当しそうな会社を見つけられていません。
2020(令和2)年4月6日追記
サハ75100様よりRheinische Stahlwerkeではないかというご意見を頂きました。
同社製のレールが日本にも輸出されており同じ”RSW”の刻印が見られるようです。
2020(令和2)年4月16日追記
社長さんよりドイツ語の語法から正確にはDie Rheinische Stahlwerke AGとのこと。
Rheinstahlとも表記されるようです。

・第3軸
P1060750.jpg
BOCHUMER VEREIN D.R.P
ボーフマー社とD.R.PはDeutsches Reichspatent(ドイツ帝国特許)の略称。
ボーフマー社はドルトムントの西隣ボーフムの鉄道車輪メーカー。
こちらは現在も盛業中です。

P1060765.jpg
1913
1913(大正2)年製造。
この車輪が作られた翌1914(大正3)年6月28日サラエボでオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルデナント夫妻がセルビア人青年に暗殺されたことをきっかけにオーストリアと同じドイツ民族国家のドイツ帝国が一緒になってセルビア王国と開戦。
ヨーロッパ全体を巻き込んだ第1次世界大戦が起き泥沼の戦争を味わった末に革命で帝国は崩壊、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダへ逃亡しています(貨車に全財産詰め込んで逃げおおせたそうな- -;)。
少なくとも第1、3軸目はドイツ帝政時代最末期の輸出品と言ってよさそうです。

第4軸はスポーク車輪で国産の住友の井桁マークが出てきました。
どうもホサ1本来の車輪はこの第4軸のみで他は国鉄から福井鉄道に払い下げられたときか福井鉄道で交換されたものと見られます。
これらのドイツ製車輪は元々他の車両が履いていたもののお古と思われますがどんな車両から回ってきたのでしょうね。
車輪がドイツ製と言っても車体は国産で輸入した車輪を使用したものと思われます。
福井鉄道は前身の武岡軽便鉄道が1914(大正3)年1月29日に後の南越線に当たる新武生(後の社武生)~五分市を開業させていますがこの時は762mm軌間なのでこの車輪を使っていたことは無いはず。
やはり国鉄由来でしょうかね。

情報提供:Eisenbahnmuseum Bochum(ボーフム鉄道博物館)

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保存車 | 22:36:10 | Trackback(0) | Comments(5)
福井鉄道ホサ1、2~その1~
コロナウイルスの影響で4月5日(日)は貨物鉄道博物館も臨時閉館となります。
ご自宅でも見ていただけるよう代わりにちょっとバーチャル開館?

P1080192.jpg
昨年春に修復作業を終えたホサ1。
1930(昭和5)年浅野造船所製の23t積みホッパ車です。
最初は車掌室付きのホサフでしたが今は車掌室が無くなってバラスト散布時に側扉を開閉するためのハンドルが付いたデッキになっています。
当初は浅野セメントの私有貨車で武蔵野鉄道(現西武池袋線)吾野駅や奥多摩方面から浜川崎への石灰石輸送に使われていたもの。同系列でも車籍が武蔵野鉄道にあるもの、青梅電気鉄道にあるものとわかれていたものの後に南武鉄道に移され1944(昭和19)年4月1日に路線ごと国有化され国鉄籍になっています。

fukui-hosa2-011020.jpg
1966(昭和41)年に国鉄で廃車になり福井鉄道へ譲渡され線路バラスト散布に使用され廃車になった直後の様子。
福井新(現赤十字前)駅で踏切から撮影していたら中に車を止めていた福鉄の社員さんが手招き~「本線に入らなければ中から撮ってくれていいよ」というわけで有難く撮影させていただきました。
福井県の県民性は大らかと言われますが京福→えちぜん鉄道、福井鉄道とも出かけたときによくこういう親切に巡り逢いました。
手前は今は亡きホサ2ですがこちらは今貨鉄博にあるホサ1がプレート車輪なのと違ってスポーク車輪でしたがどうやらこちらが新製時の原型に近いようです。
2001(平成13)年11月20日 福井鉄道福武線福井新

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横には後任の元JR西日本ホキ800形ホキ1641、1642もいました。
2001(平成13)年11月20日 福井鉄道福武線福井新

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修復作業中に撮影したホサ1の内部~。長年働いた粉塵が溜まっておりここでブロアーを吹いたら大変なことになるのは必至。

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アーチバー台車~
当初は車輪の泥まで落としていなかったのですが車体に対してヨレヨレに見えるのはちょっと見栄えが悪いかな~と泥を落とし始めたらこの作業が地獄を招くことに~ただの泥ではなく日干しレンガのようになっていたのです(- -;)
「まずい作業に手を付けちゃったかな」と思いつつもついつい続けたくなってしまうのは仕事と違うところ~(爆)

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

保存車 | 22:51:47 | Trackback(0) | Comments(0)