投稿日:2020-03-30 Mon
ひめしゃがの湯のNo.118復元作業ですがコロナの影響で事前の発表は行わず作業も規模を縮小して行いました。
暖かくなってきたので外板塗装の剥離を考えていましたが人数も少ないので発電機を持ち込んでの作業は無し~。
ということで新規購入の充電式グラインダがどれくらい使えるかを実験。

片側の扉を外して扉のガイドレールの塗装を剥がしました。
フル充電で40分くらい可動、この2枚の錆を落としたらバッテリー切れでした。

シートを被せなければならないので塗装も午前中に塗れる程度でお終い。

扉を付け直すだけで意外と苦労することになりました。
気を付けないと線路のバラストの上にスペーサーやボルトを落っことしてしまうので大変なことに~(^ ^;)
大々的に塗装を落として錆止めを塗ってしまいたいのですがコロナで大ブレーキですね。
まあ気長に見るしか無いですがコロナが終息したところで今度は景気がそれどころでなくなってそうなのが気掛かり。
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投稿日:2020-03-27 Fri
新川口臨港線の続き線路は新川北岸の工場、倉庫街へ延びていました。新川口駅と言っても特に駅舎などがあった様子はなく元々が構外側線のようなもの。
1955(昭和30)年2月1日の建前上の廃止前後で変化はあったのでしょうかね?

新川町駅の碧南寄り踏切には臨港線の分岐跡がしっかり残っています。
コンクリート舗装の箇所は元々の線路の周りの舗装。その間のアスファルト舗装が臨港線を埋めた跡です。

その先は住宅地の道路になりますがすぐに住宅の敷地に突っ込んでしまうのでたどれなくなります。

次に線路と交差するのは新川交差点付近。
愛知県道50号、302号線などが集まる五差路交差点を横断していました。
臨港線も含めるとかつては七差路というカオス交差点・・・(^ ^;)
こことは関係ないですが現役の三河線すぐ近所の北新川駅にも交差点のど真ん中を横断するカオス踏切が存在します。

北新川駅北交差点を斜め横断する知立行6000系~

閑話休題~新川交差点南東角には臨港線の線形の名残をとどめる箇所があります。
県道50号の標識裏住宅と車道の間にある三角スペースがそれ。
臨港線は左奥の新川町駅からカーブして中央の茶色い倉庫上屋辺りから県道50号の標識の場所を通り手前へ続いていました。

新川交差点の先は道路沿いに店舗や住宅、倉庫、その裏を臨港線が通っていましたが痕跡はあまり残っていません。
フレア、ゴーストの酷い画像ですが道路に面した車庫と右のマンションの間にわずかに臨港線跡の敷地が残っています。
奥が新川町駅方向。

新川口の臨港線末端付近。
臨港線があった頃の倉庫に木製電柱、黒いデキ、ワムが屯していたアヤシゲなヤードの雰囲気はほぼ皆無。
投稿日:2020-03-24 Tue
名鉄三河線の支線だったのが側線扱いになって残っていた路線です。1915(大正4)年8月17日に三河鉄道新川町~新川口0.6kmが開業、新川港周辺三州瓦など焼き物が盛んな工業地帯で貨物扱いを行う臨港線でしたが1955(昭和30)年2月1日に廃止・・・と言っても扱いが構外側線に変わっただけで1977(昭和52)年5月24日まで貨物列車が運転されていました。
今でいうと四日市港駅が廃止になってもセメント貨物が走っている関西本線の支線四日市港線みたいなものでしょうか。
最終的に廃止になった理由は衣浦臨海鉄道碧南線が開業するためでこちらは入れ替わりに1977(昭和52)年5月25日に開業しています。

古いんだか新しいんだかよくわからない雰囲気の新川町駅。
タブレット扱い時代の名残があることからかなり古い駅舎のはずですがあまり古さを感じさせません。

現在の三河線はワンマン対応6000系電車の天下。新川町では上下列車が交換します。
どちらも6000系ですが製造が長期に渡り、窓や方向幕の大きさLED表示機への変更などバラエティーに富んでいます。

新川町駅の貨物ホームがあったのは2番ホームの裏。架線柱や用地に名残があります。

貨物側線跡は車いす用スロープなどに利用、貨物ホームや倉庫の跡は名鉄パーキングになっています。

新川口への臨港線は貨物ホームとは反対に碧南方の海側に延びていました。
投稿日:2020-03-21 Sat
近江鉄道ホキ10懐かしの画像シリーズ(?)2回目。以下3枚は2004(平成16)年3月9日の五箇荘。

珍しい3月に雪が降った時。彦根はまだ降り続いてましたが五箇荘は暖かい日差しが降り注ぎ気温が上がって雪も溶けかけ。
五箇荘駅側線で佇むED313。ホキの姿はありません。

五箇荘駅から歩いて砂利側線末端へ行ってみるとやはりここにいました。
手前からホキ12ちょっと離れてホキ11+ホキ13既に砂利は積み込まれていますが日中・・・というより今日動く気配は無し

周囲は郊外形の新し目な工場が集まる何の変哲もない場所ですがその片隅にこんな怪しげな側線が入っているのが面白いところ。
かつては愛知川の河原まで乗り入れ、側線末端には砂利プラント、さらにナローの砂利軌道が接続するさらにアヤシゲなところだったそうですがさすがにその面影はありません。
以下は2006(平成18)年8月19日撮影。SKW氏と大津歴史博物館へ江若鉄道展を見に行こうと出かけた途中、国道8号で彦根駅裏を通ったときED31 3のパンタが上がってホキ2両(米原方がホキ11でしたが貴生川方の車号を失念)を従えて米原行きホームに入っているのが見えちゃいました。これは寄らねばなるまい!と直ちに方転~。スケジュールに大遅延を引き起こすことに(爆)
これは工臨ではなく誰かがチャーターしたフォトラン列車だったようなのですがたまたま見かけて撮影させてもらいました。

米原駅へ行くとED31 3が櫛型ホームの1番線に突っ込んだ状態。
そのままでは機回しができません。牽き逃げを行えばできなくはないですがどこかの専用線じゃあるまいしまさかそんな離れ業はしませんよね。どうするのかな?

ほどなく反対の2番線に後続の米原行きモハ222が到着。

モハ222が乗客を降ろすと1番線にやってきて彦根方にホキを引き出し2番線へ押し込み。
直ちに彦根方へと逃げます。

今度はED31 3が1番線からモハ222の後ろまで出てきて2番線にいるホキの彦根方に連結されました。
入換を旅客列車に手伝ってもらう入換は伊豆箱根鉄道大雄山線小田原駅で甲種回送が行われるときも行われていますね。

折り返しの列車は雲量多めで陰ってあまり良い写真は撮れず。
その後彦根へ戻ってくるところを彦根口~彦根の芹川橋梁右岸の踏切で撮影することに。
40分ほどで戻って来ましたがどこまで行ったのかは知りません。
時間的に高宮辺りで折り返したのでしょうかね。

同じ列車を後打ち。
既にホキの端面にはジャンパ線受けが付けられており電車で牽くことができるように改造されていました。
投稿日:2020-03-18 Wed
近江鉄道の現役貨車。チ11、12に引き続きバラスト輸送、散布用のホッパ車。
手前(米原方)からホキ13+ホキ11+チ11+チ12+モハ226の順で連なる貨車群。

近江鉄道彦根工場で国鉄ホキ800の図面をもとに自作したというホキ10形。
ホキ11、12が1985(昭和60)年7月にホキ1、2の改造名義、ホキ13は1986(昭和61)年2月に多賀石灰原石輸送に使っていたセキ31の改造名義で実質新製しています。
本家の国鉄→JRホキ800とは荷台のおナベに補強の斜材が追加されていたり柵の形状が異なっていたりと製作、使用環境に合わせて適宜仕様を変更しているようです。

参考画像:
JR西日本ホキ1166北陸本線糸魚川駅 2008(平成16)年1月20日
ところでホキ11、12の改造名義になったホキ1、2は見たことがありません。北陸鉄道石川線にいたホム1が西武から近江に入って1967(昭和42)年に北鉄転出していますがそのホムとホキ10形新製までの間つかわれていたものでしょうか。
当日はホキ12がいないなと思っていたら既に廃車されてしまっていました。
電機から車長の長いモハ220に代わると有効長の問題からホキは2両使用となり余剰となったホキ12は解体されてしまったそうです。

ED313牽引のバラスト列車が国道8号線の下から出てきました。
2003(平成15)年10月20日 高宮~彦根口

編成はED313+ホキ13+ホキ12。
ED313の先に警報機も遮断器もない4種踏切が見えますが近江本線が緩くカーブする先に国道8号の築堤が目隠しをして電車の接近が見え辛く聞こえ辛い怖い踏切でしたが、今は警報機、遮断器とも設置されていました。
怖い反面国道8号で長々と赤信号で待たされることもないためよく耳を澄まして通っていた思い出の道~。
2003(平成15)年10月20日 高宮~彦根口

五箇荘砂利線の末端で積み込みを行うED314+ホキ12+ホキ13+ホキ11。
セイタカアワダチソウが邪魔ですね(- -;)
2003(平成15)年11月12日 五箇荘砂利線

積込が終わって五箇荘駅手前まで出てきた同編成。
2003(平成15)年11月12日 五箇荘
投稿日:2020-03-15 Sun
近江鉄道彦根駅構内は整理されて以前のような怪しげな車両はほとんど姿を消しましたが西側にはまだその片鱗が。
モハ226が従えた貨車群。

チ11
モハ505の上回りを取り払い台枠を荷台として利用。
上回りが無くなって重量がかからなくなったなったためなのか台枠中央が盛り上がって遠目にはアーチ状になっています。

チ12
こちらは元クハ1505。
釣り掛けのエアサス台車FS-40を履いてますがエアが供給されないので空気ばねはパンクさせた状態で使っているはず。

チ11、12のタネ車になったモハ505+クハ1505。
500形は貫通扉に行先表示の窓が付いて一見方向幕のように見えますが単に内側から表示板を掲げているだけ。
この時は彦根工場で客用扉にステップを付ける改造を行い、その出場試運転の直後だったようです。
試運転の運板を見たのはこの時だけでした。
2002(平成14)年5月16日 彦根

既に500系の白帯車は502F、503Fが運用から外れており、504Fも動いているところを見なくなっていました。
505Fも予備車だったようでせっかくステップを付けてもあまり動いているところは見られませんでした。
2003(平成15)年3月11日 彦根

営業運転に就いているところを撮影できたのはこの時だけ。
2003(平成15)年3月11日 彦根
投稿日:2020-03-12 Thu
近江鉄道本線鳥居本の油槽所専用線2回目~
鳥居本駅配線図再掲。

油槽所も無くなって運送会社が入っていたり専用線の面影は薄いのですが昭和40年代に増設された側線の貨車門が残っています。
奥の側線は運送会社敷地内で舗装されて跡形もありません。

米原方から鳥居本駅構内を見た様子。右に並走していた専用線の跡はススキに埋もれてしまっています。

踏切名は今でも「鳥居本日本石油踏切」となっています。

一般貨物の貨物ホーム。
使っていないように見えますが架線柱が木製から新しいコンクリートポールに交換されており会社としてまだ使う見込みありと見なしているようですね。

構内踏切より見た貨物側線。

19年前の同じ場所。釣り掛け電車の500形モハ505+クハ1505近江八幡行が入線してくるところ。
この時点で既に灰色ワフは彦根に引き上げています。
2001(平成13)年11月1日

鳥居本から彦根に帰還していた灰色のワフ1形。何度か車番が読めないかと挑戦したものの結局読めず。
旧来の木造ワブなどを昭和30~40年代に鋼体化改造したものですが例によって元の部品がどの程度使われているかは不明。
後ろは左から順に同型のワフ4、ワフ5。
鳥居本では売店倉庫などとして使っていたそうですが実際に使われていたところを自身では見たことがありません。
2002(平成14)年10月7日

19年前の鳥居本駅駅舎。
修復から間もないころで赤い屋根が鮮やかでした。
2001(平成13)年11月1日
●日本石油彦根(米原?)油槽所専用線のスイッチャー
近畿運油の10t機が常駐し末期の1985(昭和60)年になって世代交代しています。
・無番機(初代)
日本輸送機1964(昭和39)年12月製の10tディーゼル機関車。
ロッド駆動の半キャブで北沢産業網干鉄道DB2などと同タイプ
車体は黄色一色だったようです。
・無番機(二代)
日本車輌1985(昭和60)年製の10t機。
他で類を見ない形態ですがダム工事でセメントミルク輸送に使うバンカー線用の工事機関車を貨車入換用に仕様変更したものだそう。
廃止後はまだ新しかったので横浜の内外輸送専用線に転じて新興駅で貨車入換を行っていたものの現存はしていないようです。
奥野君の専用線日記の奥野さんが現役時の映像を撮影されています
投稿日:2020-03-10 Tue
近江鉄道で最後まで貨物輸送が行われていた本線(彦根・多賀大社線)鳥居本駅の専用線。かつては隣接して日本石油(現・JXTGエネルギー 2020(令和2)年6月からは社名をENEOSに変更の予定)の油槽所がありました。
油槽所の開設は1963(昭和38)年だそうですが専用線の初代スイッチャーが日本輸送機で製造されたのが1964(昭和39)年12月ということなので専用線は1965(昭和40)年頃にできたものと思われます。
専用線一覧表では1983(昭和58)年版で確認されますがそれ以前の1967(昭和42)、1970(昭和45)年版には記載がありません。
鳥居本駅の貨物廃止は1988(昭和63)年3月でした。
石油は桜島線安治川口から発送され彦根で近江鉄道機に引き継いで一駅間だけの短距離輸送。
しかし彦根~鳥居本間には石田 三成の居城があったことで知られる佐和山が聳え、これを越えるのに33.3‰の急勾配区間が存在するため編成を分けて運転していました。
牽引機は主にED31、末期は多賀原石輸送が無くなって暇になっていたED14が牽引していました。
彦根より米原から入れる方が峠越えがなく運転上は楽そうですが入換で錯綜する米原操車場を擁する忙しい駅で貨車を授受するのが難しかったのでしょうか。
作業方法:私有機
作業キロ:0.1km

貨物取扱いがあったころの鳥居本駅構内配線図。
奥野さん撮影の鳥居本貨物現役時の映像を元に作成してみました。
奥野さんの映像は1987(昭和62)年の撮影ということで牽引機はED14 4。
佐和山越え区間は緑が鬱蒼として仙山線で活躍していた頃を彷彿とさせます。

国土地理院の空中写真に写る1982(昭和57)年10月13日の鳥居本駅。
貨車や電機?スイッチャーの日輸10t機まで写っています。

中山道63番目の宿場町鳥居本の玄関口鳥居本駅。
駅舎はマンサード屋根のお洒落な洋館風で人気ですが真ん前が国道8号線のため排ガスや粉じんで汚されてしまうようです。

構内踏切から彦根方を見た様子。
左端の線路は貨物側線で専用線に貨車を入れた後電気機関車がこの側線で待機していました。

彦根方より構内を見た様子。
正面架線柱左のポール付近に側線が分岐しており左にスイッチャーが留置されていました。

鳥居本駅旅客ホーム上から彦根方を見た様子。
左の貨物ホーム上にはかつて木造の貨物倉庫が建っていました。
その後は灰色のワフ(車番不明)が止められていましたが2001年頃に彦根へ引き上げています。
専用線は右の看板が並んでいる前のスペースに敷かれていました。
投稿日:2020-03-06 Fri

前回矢田駅の貨物側線の記事でこの写真を撮った矢田駅尾張瀬戸方の踏切ですが瀬戸線の中でも好ましい場所です。

一段高い場所にある踏切からは下町の風情がある街並みとその先には異質な感じのナゴヤドーム。

踏切への階段にはおかしなところに木製電柱の切り株。
どう考えても通行に邪魔な位置ですが電柱が建っていた頃はどんなだったのでしょう?

階段の上に踏切。

尾張瀬戸方を見るとすぐ瀬戸電の撮影名所の一つ矢田川橋梁があります。
急曲線、急勾配の悪条件下に見通しの悪い踏切があると運転する側からすると相当気を遣いそうですが。

隣の矢田川橋梁へ。
釣り掛け駆動の6650系、6750系がいた頃は足繁く通った瀬戸電ですがステンレス車ばかりになってからはあまり撮っていません。
特にステンレス車アレルギーは無いのですがほぼ4000系単一車種になって1,2本撮れば事足るためかな?
今の職場から近過ぎて休みの日まで行きたくないというのが最大の理由かも(^ ^;)

この日しばらく待ったのは現在の瀬戸電唯一の異端車3300系3306Fが運用に入っていたのを捕捉したため。
使用が敬遠されているのか毎日通勤中に瀬戸電を見ていても案外見かけません。
喜多山付近の高架工事中の編成不足を補うためで終われば本線に転属するそうですがどうなるのかな?
本線の3300系は塗装変更されているためこの製造当初の装いも記録しておきたいところ。
投稿日:2020-03-03 Tue
現在の瀬戸線一の急曲線と鉄橋に挟まれた矢田駅。焼き物の町瀬戸から流れる矢田川のそばの台地の縁にありすぐ傍にナゴヤドームが望めます。
かつては軌道線らしい大型ステップ付きの電車が1両か2両で走っていたのが徐々に大型化して今では19m3扉の4両編成が窮屈そうに停車します。
こんな小駅でも1951(昭和26)年まで貨物を取り扱っており貨物側線がありました。
主にどのような貨物を扱っていたのかはよくわかっていません。

矢田駅栄町(堀川)方にある架道橋。矢田名物の瀬戸電唯一のトラス橋です。

一枚上のトラス橋をくぐって右へ曲がると矢田駅尾張瀬戸方面乗り場。
栄町方面乗り場は架道橋手前の路地に入っていく必要があり、間違えると大迂回を強いられる初心者泣かせの困った構造をした駅でもあります(^ ^;)

尾張瀬戸方面改札を入って栄町(堀川方)を見た様子。
トラス橋より向こう隣の大曽根駅までは高架化時に線路が付け替えられルートがかなり変わっています。
旧線跡は住宅地化時に整地され区割りを含め痕跡がありません。
手前に見える瀬戸電以来の鉄製架線柱には建植時期なのか大13-12・・・1924(大正13)年12月の標記が見られます。

貨物側線があった尾張瀬戸方を見た様子。
右の上り線から下り線へ右手前から左奥方向へ渡り線があり、その奥で下り線から左手前方向へ貨物側線が延びていました。
1951(昭和26)年の貨物取扱い廃止後まもなく撤去されたようで1957(昭和32)年の配線図からは既に消されていました。
横から直角に交わる短い線路は保線用軌道バイクのアクセス線路。

貨物側線跡を駅の外から見た様子。駐車場になっています。
駅前の道は瀬戸電と並行する瀬戸街道(愛知県道15号名古屋多治見線、61号名古屋瀬戸線重複区間)で渋滞の巣窟。

尾張瀬戸方の半径120mカーブ上から矢田駅を見た様子。
制限35km/hで岐阜市内の軌道線亡き現在では名鉄一の急曲線とのこと。
瀬戸電の準急、急行は矢田駅通過ですがこのカーブ、さらに矢田川を挟んで連続して急カーブがあるため減速を強いられます。

矢田駅に進入する4000系4009F栄町行普通。

矢田駅貨物取扱量の変遷。末期の2年分しかデータがありませんが悪しからず。
愛知県統計年鑑(愛知県)より
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