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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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京都鉄道博物館のワム7055
梅小路短絡線や中央倉庫梅小路営業所専用線と一緒に京都鉄道博物館に行ってます。

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1月までクハ489-1が白山色で展示されていたので元金沢市民としては見に行かねばと用事を作って出かけました。
ラッピングで再現したものだそうですが金沢駅でよく見掛けたものです。
この塗装は1988(昭和63)年から2002(平成14)年まで白山や急行能登で使われ、その後は↓のように国鉄色へ戻されていました。
IMG_1627.jpg
金沢運転所配置車なので白山、能登の運用以外にイレギュラーでスーパー雷鳥や北越などにも使われ関東だけでなく近畿方面にも来ていました。
スーパー雷鳥編成の検査の都合かスーパー雷鳥色+白山色+国鉄色という混色編成に乗ったこともありました。

P1120373.jpg
貨鉄博スタッフとしてはやはり気になるのが貨車。
コンテナ特急たから号のヨ5000形ヨ5008。
たから号はおろか車掌車が定期貨物に連結されていた時代を見てないのですが長いこと宇都宮貨物ターミナルの片隅、東北新幹線の高架下に置かれていたので見覚えのある姿。

P1120364.jpg
ワム3500形ワム7055
1917(大正6)~1925(大正14)年にかけて10000両以上製作されたワム32000形が前身。
製造所も国鉄工場から民間メーカーまで多岐に渡りますがこの車は日車製らしいです。
貨鉄博で蒲原ワ11の塗り直しを行っているためこういうものを見るとどうしても比べてしまいます(笑)がやはり屋内保存でプロが仕事をしているので状態の良さが際立ちますね。

P1120362.jpg
カーリターダーの上に載せて保存されており同館のミュージアムショップでもNゲージのワム7055がカーリターダーーと組み合わせて販売されています。
突放した貨車を減速させるカーリターダーは現在では京葉臨海鉄道千葉貨物駅で使われているようですがこちらはもっと目立たない簡素なもので、京都で展示されているものの方がメカメカしいと言うか古典的な機械らしい風情があります。

P1070193.jpg
ワム7055の標記。この車は京都鉄道博物館以前はJR西日本の研修センターの教材になって生き延びていたものですがこの標記は現役末期のものを再現したのでしょうか。
1958(昭和33)年10月に米子の後藤工場で全般検査を受け1961(昭和36)年6月に小樽築港で重要部検査を受けたのでしょうか?
1961(昭和36)年10月で検査期限が切れているようですがその頃に現役を退いたのでしょうか。

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保存車 | 23:07:44 | Trackback(0) | Comments(0)
中央倉庫梅小路営業所専用線(東海道本線梅小路(貨)駅)
京都市場と七条通を挟んで南側にあった専用線。
中央倉庫は1927(昭和2)年10月に設立された京都中央市場倉庫が前身、同年12月の京都中央卸売市場開設に伴い市場構内で営業を開始しています。
1940(昭和15)年1月に七条通南側に本店、梅小路営業所を設けており専用線もこの頃に敷かれたものと思われます。
専用線一覧表1983(昭和58)年版にも載っていますが子供の頃ここで貨車を見た覚えがないです。
倉庫に囲まれて見えなかっただけかも知れませんが。

作業キロ:0.4km
総延長キロ:0.8km
作業方法:国鉄機

P1120451.jpg
梅小路駅(現・京都貨物駅)から梅小路短絡線に沿って延びていた専用線。
左奥が貨物駅構内で右手前方向に延びていたはず。現在は梅小路公園の駐車場になっています。
この短絡線が高架化された後も専用線は運行していたはずですがどこで高架をくぐっていたんでしょうね?

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振り返ると駐車場の一段上にかつての鉄道門の門柱らしいものが残されています。

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手前の倉庫が無くなったため梅小路短絡線跡の歩道橋から専用線跡が一望できるようになっていました。
左の細くて高い倉庫と右の倉庫群の間にカーブしながら分け入っていました。

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構内には専用線のレールが敷かれたまま残っていたらしいのですが今もあるのかな?

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専用線は七条通に突き当たって終点。
通りを挟んで京都中央卸売市場と向かい合っていますが向かいの市場には山陰本線丹波口駅(高架化後は京都市場駅として分離)側から専用線が入っていました。

参考:
株式会社中央倉庫Webページ

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専用線跡 | 23:02:05 | Trackback(0) | Comments(0)
梅小路短絡線跡の歩道橋
嵯峨野線(山陰本線)梅小路京都西駅開業に伴い寸断されることになり廃止された京都貨物(梅小路)~丹波口短絡線(東海道本線支線)。
昔から帰省の時見てましたが列車が走っているところは一度も見ることがありませんでした。
1996(平成8)年まで二条行の石油貨物があったようですが覚えがないなあ(爆)
廃線後は七条通を跨ぐガーダー橋が歩道橋として利用され高架の一部はイベントスペースに変わりました。

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梅小路京都西駅前。短絡線は電化設備が撤去されていますが非電化現役時代の姿そのままで廃線には見えません。
左は京都鉄道博物館。

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高架へ上がると京都貨物方はイベントスペースになっています。
歩道橋側は軌道を撤去してますがイベントスペース側はスラブ軌道を利用しているためため高くなっています。
カントの付いたスラブ軌道の構造がよくわかる断面ですね。

P1120327.jpg
保線退避設備もそのまま。

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半径300の曲線標も残っています。
歩道橋は京都市建設局の設計のようですが実際に設計した方はかなりの鉄道好きなのでしょうか?
随所に鉄道由来とわかるアイテムを残してくれています。

P1120330.jpg
七条通を跨ぐガーダー橋。
かつては京都市電七条線が地上の山陰本線、短絡線をアンダーパスする地下道が存在しましたが市電専用で自動車は踏切を渡っていたところ。
山陰本線と短絡線の高架化は1976(昭和51)年ですがその翌1977(昭和52)年10月1日に七条線は廃止されています。
丹波口駅設備の内京都市場への専用線を地上で残す必要があったため1984(昭和59)年2月1日ダイヤ改正まで丹波口駅地上の貨物設備を別個の京都市場駅として残し短絡線は地上、高架の2本が並行していました。
さらに右の方には梅小路(貨)分岐の中央倉庫専用線が入っていた痕跡が見えています。

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山陰本線との分岐部。
ここで短絡線が梅小路京都西駅のホームと支障するため線路としては廃止になったようです。

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廃線跡(一般鉄道) | 18:25:09 | Trackback(0) | Comments(2)
大井川鐡道の西武系車両
大井川本線で1996(平成8)年当時現役だった西武鉄道系の車両たち。

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311系モハ311+クハ511
元は木造省電モハ10を鋼体化したモハ50系→モハ11系。
1959(昭和34)年に西武鉄道に払い下げられていますが原型の旧型国電らしさが残っています。
大井川入りは1976(昭和51)年。
モハ50020→モハ11424→クモハ11424→西武クモハ376→クモハ374→大井川モハ311
モハ50017→モハ11421→クモハ11421→西武クモハ371→大井川クハ511
側面は3扉の内中扉が埋められています。撮影の2年後1998(平成10)年廃車。

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312系重連。モハ313(上)+クハ513+モハ312+クハ512(下)
上の311系に引き続き西武鉄道から1977(昭和52)、1980(昭和55)年に譲渡された元西武351系。
2扉化、1編成を構成するクモハの内片方はモーターを下ろしてクハ化されています。
クハ512の尾灯は何故か片方撤去されています。
西武鉄道も改番がややこしいところで形式がよく変わっています。
西武モハ506→モハ426→モハ366→クモハ366→大井川モハ312
西武モハ515→モハ425→モハ365→クモハ365→大井川クハ512
西武モハ511→モハ421→モハ361→クモハ361→大井川モハ313
西武モハ512→モハ422→モハ362→クモハ362→大井川クハ513
この後で313Fは前照灯の2灯化改造が行われたものの老朽化していたこともあってあまり使われていなかった様子。
廃車になってからも長いこと新金谷に置かれてたので覚えのある方も多いと思います。
モハ312+クハ512は当初西武から一緒に来たサハ1426をはさんだ3連だったのがサハを抜いて2連で使っていました。
サハは蒸気列車用のナロ802になって現役。

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1000系クハ2001(上)+モハ1001(下)
1963(昭和38)年西武所沢工場製の元伊豆箱根鉄道駿豆線1000系。
赤電色ですがひげ塗装や丸い大きな前照灯など猫顔です。
車体がまだ奇麗だったので当分活躍するものと思っていたら1998(平成10)年に脱線事故を起こして廃車。

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大井川1000系と直接の同型車は西武本体にはいませんが今も三岐鉄道で現役の旧西武701系と同系の顔。

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東海私鉄 | 23:21:52 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄3800系の近鉄線乗入認可のこと
昭和20年代に名鉄新名古屋駅(現・名鉄名古屋)と近鉄名古屋駅間に連絡線があったことは鉄道ファンだけでなくテレビでも紹介されていることから結構知られているようです。
近鉄名古屋駅で撮られた名鉄3800系の直通記念列車や名鉄に乗り入れて小坂井支線、飯田線経由で豊川まで乗り入れた近鉄6311系の写真がちょいちょい紹介されているほか養老線経由で西大垣まで入ったとか近鉄車が田口鉄道まで入ったなどの未確認情報も聞きますがどこまでが本当なのかよくわかりません。
名鉄3800系による乗り入れ運転は1950(昭和25)年8月からということですが国立公文書館に近鉄側の名鉄3800系認可申請書類が所蔵されています。
3800系はモ3800形+ク2800形の2両編成でモ3800形35両、ク2800形36両が存在しました。
600V電化の西部線(旧・名岐鉄道)と1500Vの東部線を1500Vで統一して直通運転が開始された1948(昭和23)年5月から導入が始まり1954(昭和29)年のク2836号まで増備が続きました。

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kin3800-2.png
国立公文書館所蔵の名鉄3800系近鉄乗入認可書類の一部

3800系の製造や近鉄乗入認可を年表にしてみました。
「名近」は名鉄近鉄双方、「大陸」は大阪陸運局を意味します。

1947.04.28 名鉄 3801F~3820F(1次車)設計認可(日本車輌製)
1948.05-12 名鉄 3806F~3820F(1次車)順次竣工
1949.05.26 近鉄 名鉄3801F~3820F(1次車)近鉄名古屋線乗入認可申請
1949.09.05 名鉄 3821F~3825F(2次車)設計認可(日本車輌製)
1949.09.?? 名鉄 3821F~3825F(2次車)竣工
1949.11.25 名鉄 3826F~3835F(2次車)設計認可(帝国車輌製)
1949.12.?? 名鉄 3826F~3835F(2次車)竣工
1950.07.27 大陸 名鉄3801F~3820F近鉄名古屋線乗入認可
1950.08.04 名近 名鉄3830Fによる名鉄・近鉄直通記念号運転
1950.08.25 近鉄 名鉄3821F~3835F近鉄名古屋線乗入認可申請
1950.09.23 大陸 名鉄3821F~3835F近鉄名古屋線乗入認可

・・・名鉄・近鉄直通記念号に使われた3830Fは未認可で乗り入れてたんですね(^ ^;)
走らせた後で2次車の乗入認可がないことに気付いたのかな?
なお年表中にないク3826はかなり後、名鉄・近鉄乗り入れが行われなくなった後の1954(昭和29)年輸送機工業製です。

名鉄3800系は途中で他所譲渡や7300系新製時に危機を譲り渡したりして数を減らしながらも1989(平成元)年まで名鉄線上で活躍・・・していたのですが私は当時名古屋に住んでなかったので見たことがないです(^ ^;)
他社譲渡されたものには辛うじて間に合いましたがいずれも原型からはかなり改造されてました。

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大井川鐡道クハ861(元名鉄3800系1次車)
名鉄ク2805→大井川クハ510→クハ861
1970(昭和45)年に3805Fモハ3805+クハ2805が大井川鉄道へ譲渡され転換クロスシート化。
310系モハ310+クハ510として急行すまたなどに使われていたが1986(昭和61)年にクハ510を展望車に改造。
前面くらいにしか面影がありませんが一番最後まで残った3800系。
まともに走っている写真もあまり見ないのですがどれくらい使われたのでしょう。
1996(平成8)年8月10日 千頭

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富山地方鉄道クハ16(元名鉄3800系1次車)
名鉄ク2812→富山地鉄クハ16
1968(昭和43)年に富山地方鉄道貸出、翌年に譲渡したもの。
前面非貫通化、台車変更など大改造されて名鉄時代の面影が薄いです。
小学生の頃の撮影~もうちょっと引いて撮れや・・・(爆)
黒部峡谷鉄道に乗りに電鉄富山~宇奈月温泉の地鉄本線乗り通して行ったら土砂崩れで運休~
家族は不満たらたらでしたが自分一人だけ地鉄電車を堪能して大満足していたのでした。
1991(平成3)年7月21日 電鉄富山

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大井川鐡道モハ3822(上)+クハ3822(下)(元名鉄3800系2次車)
台車、主電動機を7300系に譲り渡した後の抜け殻を大井川鐡道手持ちの機器で電装したもの。
モハ3822は南武鉄道モハ153→国鉄クモハ2002→大井川モハ308由来の機器で台車、モーターは国電標準品。
クハ2822は武蔵野鉄道サハ5651→西武モハ234→大井川クハ504。近江モユニ10の仲間だった車両。
何故かモハ3822の向かって左の尾灯が無くなってますがこの新塗装に変更される前から無かったようです。
この日見た電車では元西武のクハ512も向かって左の尾灯が取られていました。
本当は旧塗色のモハ3829+クハ2829を撮りたかったのですが新金谷で昼寝しており撮れず終い(- -)
1996(平成8)年8月10日 千頭

近鉄への乗り入れは団体や臨時で何度か行われてるようですがこれらの車が近鉄線上を走ったことがあるのかはわかりません。

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名鉄 | 22:49:29 | Trackback(0) | Comments(2)
地名駅と笹間渡発電所
千頭到着後は大井川本線沿いに車での沿線巡り~。
電力開発と木材輸送のため東邦電力系の大井川電力により敷かれた鉄道だけにあちこちに興味深い遺構が残りとても回り切れません(^ ^;)

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E102の機回しを撮ったら車を拾って沿線へ~。

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地名駅ではトワイラ物件としては有名過ぎ(?)な川根電力索道保安隧道をバックに進入する上り普通の元南海21001系丸ズーム。
隧道とはいっても索道の搬器から貨物が線路に落下することを防ぐために設けられたガードです。
普通は電化するときに架線が支障するからと撤去されそうなものですが今日まで残ることに。

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地名駅の金谷寄りにも索道のトンネルの残骸が残ってますがそちらは開削されて側壁の下の方だけが残っています。
1926(大正15)年に藤枝市滝沢を起点に沢間まで延びていましたが競合の大井川本線が開業すると立ち行かなくなって1939(昭和14)年に廃止。
そう言えば索道終点の沢間にあるホッパーは撮ってましたね。

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雨がちなためまだ15時を過ぎたばかりでもかなり暗くなってきました。
島式ホーム上の裸電球が渋過ぎます。

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E102の電機牽引列車を撮るにはどうしようもなく暗いので抜里付近の茶畑で流し撮り・・・したもののあまり良いものは撮れず~。

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動くものを撮るには厳しいので移動中に見つけた気になったところへ。
大井川の対岸、どうやっても近づく道路が無い周囲から隔絶された平地に茶畑と水力発電所の跡らしき建物が見えました。

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1931(昭和6)年に完成した水路式の旧・東海紙料(→東海パルプ→現・特種東海製紙)笹間渡発電所。
操業開始当時の出力は4030kw。
当時東海紙料は大井川上流から木材を島田まで流送して自社の製紙工場で使っていましたが電力も大井川から得ていました。
後には大井川電力や第二富士電力など電力会社が進出すると大型の水力発電所がつくられ、戦後は中部電力により大規模な電力開発が進みます。
大井川本流の上手に塩郷ダムができ下手に川口発電所が建設された時両施設に挟まれた笹間渡発電所は補償として中部電力に買い取られましたが小規模な発電所を改めて使うことはなかった様子。

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東海私鉄 | 22:11:00 | Trackback(0) | Comments(2)
大井川本線電化70周年記念電機牽引列車
大井川鐡道大井川本線電化70周年で運転された電機牽引客車列車。
かつて木材輸送や電力開発資材輸送で貨物輸送が主だった大井川鐡道。
電化時に導入されたのはまず電気機関車E10形で旅客用の電車が導入されたのは少し後でした。
セメント輸送が主な三岐鉄道も電化時に電気機関車が先に入り電車は後回しになってましたね。
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1949(昭和24)年電化当初から今日まで現役のE102がオハフ33 215+スハフ42 186+オハフ33 469を従えて待機中。

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千頭寄りの3号車はオハフ33 215。
1941(昭和16)年川崎車輌製で国鉄時代に電気暖房を搭載して番号に2000を付加してオハフ33 2215になってましたが大井川では電暖を使用しておらず元の215に戻されてます。
内装は木造で白熱灯のため人気が高いようです。

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1号車はオハフ33でも戦後派のオハフ33 469。
1948(昭和23)年日立製作所製で
戦前製では屋根が前後で絞られてたのが戦後製は一直線になり全体的に平面的なデザインに変わっています。

P1120107.jpg
席が取れたのは2号車スハフ42 186。
1953(昭和28)年日本車輌製でこちらも国鉄時代電気暖房化されてスハフ42 2186になっていました。
外の車番186ですが車内のは2186のままでした。
秋田地区で使われJR化後も土崎工場内で控え車として使われていたのを1993(平成5)年にJR東日本から譲り受けたとのこと。

P1120115.jpg
機関士さんが乗り込んで入換開始。
ところで新金谷で友人と合流する前にふと途中で気が付いたこと。
「元来貨物用の私鉄電機に暖房用のSG(蒸気発生装置)なんて代物付いてないよね・・・(^ ^;)」
蒸機牽引時は蒸気機関車からスチームが送られて暖房として使われますが電気機関車、ディーゼル機関車では別途蒸気を起こさなければ暖房できない仕組み。そのため蒸機以外の旅客用機関車には巨大なSGが搭載されていましたがそれがなければ暖房が使えないわけで・・・
乗ってみると各座席にカイロが置かれていました(笑)

蒸機牽引でない上に冷えた車内にも関わらず乗客は結構多かったです。
車内を見てたところ鉄の旦那さんに連れてこられた非鉄の奥さんからはかなり文句が出てたような(^ ^;)

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朝から雨でしたが千頭到着時にはますます強くなって入換中の井川線DD202の屋根には激しい飛沫が立っています。

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客車を1両増結してホームで待つクハの元へ推進運転中。

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東海私鉄 | 23:02:34 | Trackback(0) | Comments(0)
国鉄のロコ起重機
「小坂森林鉄道 下巻 ~飛騨最大の森の鉄路~」執筆の資料調査で見つけた資料ネタです。
小坂森林鉄道の資料としては脱線が過ぎるので本文では扱わないものの握り潰すには惜しいものをご紹介~。

クレーンを持つ鉄道車両はロコクレーンと呼ばれ、貨車の一種として扱われた操縦車がよく知られています。
操縦車は事故車両や橋梁工事での橋桁吊り上げに使用されていました。
DSC_1363_202002082156454cf.jpg
佐久間レールパークで保存されていた事故救援用操縦車ソ80形ソ180号

ロコクレーンではそれ以外にも車籍がないロコ起重機が存在していました。
操縦車は鉄道車両や橋桁など相当の重量物でも吊り上げられましたがこれらは駅での貨物の積み込みに使用されました。
貨物の積み込みだけでなく低速で自走もできるため側線上の移動も可能です。
本線上を自走するわけにはいかないものの貨物列車最後部の車掌車・緩急車の前に連結して本線を移動することは認められていました。

①1930(昭和5)年頃のロコ起重機配置表
loco_1930.png
貨物積卸機械利用の栞(鉄道省運輸局/編 鉄道時報局 1930)国立国会図書館デジタルコレクションを元に作成。
同書にはロコクレーンの写真も載っています。
配置先は北海道が多いですがその大半は森林鉄道が接続する木材積み込みが多い駅。

②1940(昭和15)年4月1日時点のロコ起重機配置表
loco_1941.png
特種貨物取扱の実際(大久保 寅一/著 鉄道日本社 1941)国立国会図書館デジタルコレクションを元に作成。
日本国有鉄道百年史(日本国有鉄道/編 1969)によると同年度のロコクレーン数は蒸気24、電気5、ディーゼル1となっており勘定が合いません。
蒸気機関は始動に時間がかかるため1933(昭和8)年にディーゼル機関搭載のロコクレーンが2台製作されました。
この2台は小樽市内の手宮駅と中央本線上松駅に配置されたようです。

dloco_crane.jpg
国産機械図集(日本機械学会 1939)より
1933(昭和8)年日立製作所製ヂーゼルロコモチブ起重機。
ボギー台車は貨車用のTR20らしきものを履いています。
名古屋鉄道局配置ということから上松駅構内の王滝森林鉄道と接続する上松貯木場構内で使われていた個体と思われます。
蒸気ロコクレーンより手軽に起動できるように開発されたディーゼルロコクレーンでしたが当時のディーゼルエンジンでは振動が大きく操作時に微調整が難しいこと、厳寒期には起動困難になることから2台で採用が打ち切られ、戦時中の燃料入手難から間もなく使われなくなりそれ以後は再び蒸気ロコクレーンが増備されることになります。
よりによって配置先が北海道、木曽とくれば冬は零下が当たり前・・・まだ実用域に達していなかった国産ディーゼルエンジンが動かなくなるのは無理からぬことと思いますが・・・(^ ^;)

sloco-crane.png
飛騨小坂で使われていたロコ起重機。
太い煙突があるので縦型ボイラを使った蒸気動力のままと思われます。
モノクロ写真しかないため塗色は想像。
戦中・戦後混乱期でも3t蒸気ロコ起重機の製作は続けられ1941(昭和16)~1949(昭和24)年度に43台が製作されていますが飛騨小坂に配置されたのはその内の1台でしょうか。
これらの蒸気ロコクレーンは戦後技術の進んだディーゼルエンジンに積み替えられたものも出てきたようですがゴムタイヤで小回りの利くクレーンやリフトが普及すると役目を終えたようです。
ロコ起重機は鉄道車両としての車籍が無い備品扱いのためかファンにあまり注目を浴びることもない地味な存在でしたがメカニカルな外観は興味深く動いている姿を見たかったものです。

参考文献:
貨物積卸機械利用の栞(鉄道省運輸局/編 鉄道時報局 1930)
国産機械図集(日本機械学会 1939)
特種貨物取扱の実際(大久保 寅一/著 鉄道日本社 1941)
日本国有鉄道百年史(日本国有鉄道/編 1969)

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スイッチャー | 23:39:04 | Trackback(0) | Comments(0)
大井川鐡道7200系
合流地点の新金谷まで行くため大井川鐡道大井川本線に乗車。
近年は車で長島ダムや川根両国に行ってはP&Rで井川線ばかり乗って大井川本線にあまり乗っていませんでした。
従って大井川7200系も初乗車・・・と言っても東急や豊橋鉄道渥美線で乗ってるので初な感じは全くなし(^ ^;)

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千頭側にはダイヤモンドカット帯無しのモハ7305(東急デハ7259→十和田モハ7305→大井川)が付いていました。

P1120089.jpg
金谷側は両運転台化改造で取り付けられた平面な顔を先頭にしたモハ7204(東急デハ7211→十和田モハ7204→大井川)

P1120088.jpg
連結面はこんなことに。左からモハ7305+モハ7204。

P1120094.jpg
モハ7204の車内銘板。
モハ7204、モハ7305とも1968(昭和43)年東急車輌製。大井川入線の際の改造を近鉄車両エンジニアリングが行っていますが近鉄のどこかの工場で改造したのでしょうか。
東急車を扱っているところといえば伊賀鉄道1000系や養老鉄道7700系も扱う塩浜工場?

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東海私鉄 | 22:44:04 | Trackback(0) | Comments(0)
No.118公開日情報 2020年2月9日(日)
No.118公開日情報
2月9日(日) に岐阜県下呂市小坂町のひめしゃがの湯で機関車、運材貨車の整備作業を行います。

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当日は日頃カバーを掛けているNo.118の覆いを取って展示、キャブ内のケレン&塗装、山トロ、運材台車の軸受部整備作業等を行います。
作業は10:00頃~15:00頃(12:00~13:00頃に昼休み)に実施予定です。
冬季の放電防止でバッテリーを降ろしているためNo.118のエンジンは掛かりませんのでご了承下さい。

※No.118は3月から車体外部の塗装作業に入るため野辺山SLランド色での展示は今回で最後となる見込みです。

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塗り替えは↑のようなイメージで昭和30年代に木曽の小川森林鉄道で使われていた頃の塗装を想定しています。

ひめしゃがの湯マップ


テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

小坂森林鉄道保存活動情報 | 22:56:52 | Trackback(0) | Comments(0)