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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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大又索道、大又森林鉄道~その5~
大又索道、大又森林鉄道最終回。

備後川線と池ノ宿線の正確な境界はよくわからない・・・というより明確な区分があったのかも不明ですが今回は池ノ宿谷にはいる辺りまでの区間。

P1110957.jpg
備後川支流のの名称不明の谷から池ノ宿谷へ移るトンネルの手前に土場があって車道が尽きています。

P1110948.jpg
ちょっと前まで車でも通れたという池ノ宿洞門。
現在はキャタピラの付いた乗り物でないと入れなさそう。

P1110950.jpg
入口には森林軌道のことまで書かれた表示板が付いています。全長285mと大又森林鉄道最長の隧道です。
道路用に改修した際拡幅されているのですが全面的に同一断面に改修せず途中で断面が変わる奇妙なことになっています。
改修工事の予算が不足したのでしょうか??

P1110952.jpg
道内は一部水が溜まってますが長靴でなくてもまだ何とかなるレベル。
天井に小さなコウモリがパラパラと分かれて冬眠中。集まった方が暖かくないのかな??
路面に目を移すと何かカエルのようなものが跳ねています。
いくら暖冬とは言え12月だぞ!?Σ(゚д゚;) と思ったらカマドウマでした。
とは言えカマドウマも冬は普通いませんよね(^ ^;)
トンネル内は温度が一定だからなのか今年の冬が暖かすぎるためなのか??

P1110953.jpg
トンネルの池ノ宿谷側は廃道になっていますがそれほど荒れているわけではなさそう。
とは言えまだ池ノ宿終点まではだいぶ距離があるので今回はここまで。

P1110959.jpg
池ノ宿洞門を土場まで戻って来ました。
木材の積込み、はい積み作業用のパワーショベルが置かれています。
余り間近で見られるチャンスもないので観察~。
アームの先端には木材を掴むためのグラップルが取り付けられています。
因みにこのグラップルのメーカーはイワフジ工業・・・元は特殊軽量機関車やモーターカーをつくっていた岩手富士産業です。

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森林鉄道(大阪営林局) | 23:21:56 | Trackback(0) | Comments(0)
大又索道、大又森林鉄道~その4~
大又森林鉄道の竹ノ平より先備後川線・池ノ宿線区間。
池ノ宿から木材を運ぶ際に備後川線内は逆勾配となりガソリン代燃併用機関車で引き上げていたのですが戦後機関車が導入されるまではどうしていたのか謎。
1936(昭和11)年の記事にガソリンカーが云々と言う記述が見られるものもあり、池ノ宿線開業から燃料入手難になるまでもガソリン機関車が使われ、戦時中に牛曳きで代用、戦後再び機関車が入ったとも考えられますが本当のところはわかりません。



P1110942.jpg
竹ノ平より下流側の備後川のそのまた支流の谷。埋められた上に人口の水路が通されています。
三重、奈良県境を流れる備後川の三重県側を行く備後川線。奥に見える山々はもう奈良県です。

P1110941.jpg
その谷を林道は盛り土で越えていますが、林鉄時代は木橋で越えていたようで林道わきに石積みの橋台が残ります。
そしてその奥には・・・

P1110935.jpg
ポータルがコンクリートで巻かれた林鉄隧道が残存。

P1110945.jpg
コンクリートで巻かれているのは入口の数mに過ぎずすぐに素掘り区間となります。
敷設したのが当時同じ大阪営林局だった飛騨一ノ宮の高山営林署宮森林鉄道のトンネルもこんなでしたね。

P1110946.jpg
反対側(池ノ宿側)のポータルは素掘りのまま・・・道路林道化の際に「邪魔だから」とポータルだけ削られたのかも知れません。

P1110961.jpg
残存トンネルから緩やかに下って行くと奈良県側から上がって来る林道と合流して池ノ宿方面へ向かいます。

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森林鉄道(大阪営林局) | 23:26:33 | Trackback(0) | Comments(0)
大又索道、大又森林鉄道~その3~
大又索道は竹ノ平索道起点で大又森林鉄道と接続。
初期の朴ノ木線、長瀬谷線は竹ノ平まで川を下って来る線形から積車トロは乗り下げ運材を行っていたものと思われます。
竹ノ平索道起点から先は備後川線、池ノ宿線となります。

索道起点から竹ノ平集落までは朴ノ木線などと同時につくられたものと思われますが池ノ宿線は1937(昭和12)、1938(昭和13)年頃に備後川線の延長線として備後川支流の池ノ宿谷へと延ばされた路線。
朴ノ木、長瀬谷から池ノ宿へ施業場所が移ると運材に大きな問題が発生します。
池ノ宿からの積車トロ運転時に池ノ宿線内は池ノ宿谷を下るだけなので問題ないのですが備後川線に入ると竹ノ平索道起点まで備後川の谷を上り返さなければならないのです。
今回からの2回はその上り返しが必要だった備後川線区間です。

P1110925.jpg
竹ノ平索道起点から少し下ると竹ノ平集落跡。備後川線から谷底へ向かって集落跡の石垣が続いています。
右の掘割が索道起点から下って来た備後川線の本線。
左下、谷底に向かって集落跡が拡がっているのですがその入り口である左の分岐も線路跡のような雰囲気。
代燃機関車(実際はガソリン代燃ハイブリッドと思われる)が導入された後に車庫が置かれていたのではないかと推測。
何やら長方形の建物台座のようなものもあり車庫説を補強する材料も。
左に車庫、右の掘割から機関車がカーブしながら姿を現す風景は絵になりそう。

P1110926.jpg
車庫跡?から備後川線方向を見た様子。
備後川線にはモーターカー(軽四)が停車中~。
左には土留めの石積み、右の路面には車庫の基礎ではないかと思われる石積みが見えています。

P1110927.jpg
車庫(?)裏から集落へは階段が延びています。
竹ノ平集落は平家の落人集落があった跡に林業の集落ができたとのこと。
大杉谷森林鉄道のロクダイは林業労働者だけが住んでいたようですがここは家族で生活していたようで集落内には学校までありました。

P1110928.jpg
「町中」に入って来ました。かつては両側に住居や売店、診療所が並んでいた竹ノ平のメインストリート。

P1110930.jpg
五郷分校(現・熊野市立五郷小学校の分校?)の校庭から集落、備後川線を見上げた様子。
石垣が立派です。

P1110931.jpg
分校から見たメインストリート。

P1110932.jpg
診療所跡には流し台と思われるコンクリートが残ります。

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森林鉄道(大阪営林局) | 00:03:15 | Trackback(0) | Comments(2)
大又索道、大又森林鉄道~その2~
大又川の谷から保色山の東で峠を越え朴ノ木谷へ下って来ました。
途中から林道が平坦になって来ると大又森林軌道朴ノ木線跡の区間。
自分も含め多くのメンバーはメットを被っており軽四ワゴンが林鉄モーターカーの風情(笑)
途中林内作業中の箇所がありこれ以上進めないかと思ったものの親切な作業員さんに林道上に仮置きしていた木材を退けていいただき事なきを得ました。お仕事中ありがとうございました(_ _)
しかし大又索道風呂谷停車場跡地調査はわからず時間切れ~
気を取り直して次の目的地は大又森林軌道朴ノ木線、長瀬谷線分岐点。
P1110880.jpg
竹ノ平索道起点に程近い長瀬谷で長瀬谷線が分岐します。
長瀬谷線の路盤から朴ノ木線を見下ろした様子。
軽四が停車している林道が朴ノ木線の跡です。

P1110878.jpg
起点方向の竹ノ平側は林道拡幅で分岐部は路盤が削られたようで残っておらず少し現れたこの路盤もすぐに崩壊地で途切れていました。

P1110891.jpg
そして再び現れた路盤も長瀬谷の砂防ダムにぶつかって終了~
この上にはインクラでつながっていたらしいのですがよくわかりません。

さて竹ノ平索道起点が近付いたところで路線図を再掲。

当初存在した朴ノ木線、長瀬谷線は山元から竹ノ平索道起点まで谷を下って来る線形で山への空車トロは手押し、積車は乗り下げで下っていたものと思われます。
軌道を下って来てまた索道で元来た道に近い道を上り返して峰を越えるというルートを取っています。
まどろっこしいようですが周囲の山から運材の拠点である竹ノ平へ木材を重力に従って一旦集めてしまうのが得策だったのでしょう。

P1110898.jpg
竹ノ平索道起点の停車場跡。
プーリーやハンガーの台座でしょうが既に古代遺跡の風情。

P1110913.jpg
索道停車場から備後川の河原へ延びるランプウェイの石積み。
最初は通路かと思ったのですが急傾斜なのに階段になっていません。通路としては歩きにくくて危険そうですが何でしょう?

P1110917.jpg
謎のランプウェイを下から見上げると延長線上の石積み壁面に左右2つの穴。
改めて帰宅後竹ノ平停車場図面を見ると正体が判明。

P1110917-2.jpg
大又索道の主索を緊張させるための重りが載せられていた軌道の跡でした。
重りから延びる2本のワイヤロープを介して主索が弛まないように引っ張っていたわけです。
図面によるとこの巨大な重りが載る線路が敷設されていたようですが軌間は3フィート5インチ・・・1041mmだったようです。

P1110921.jpg
P1110920.jpg
ランプウェイ下の河原には多くの遺物が残っていました。
碍子や6kgレールにノコギリの歯・・・かつて停車場に併設して製材所があったとのこと。
そしてもっととんでもないものが出土したのですがこちらは公で展示されるまでネタバレ禁止ということで~。

参考文献:
三重県の森林鉄道-知られざる東紀州の鉄道網-(片岡 督・曽野 和郎/共著)

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森林鉄道(大阪営林局) | 23:13:44 | Trackback(0) | Comments(0)
大又索道、大又森林鉄道~その1~
大又索道、大又森林鉄道は大阪営林局新宮営林署の運材索道、森林鉄道でした。
全廃が1953(昭和28)年と早いですが大規模な索道と森林鉄道を組み合わせたダイナミックな路線です。
森林鉄道は熊野市最高峰の保色山(1,030m)に向かって東西を囲むように延びていましたが初期は東側の朴ノ木線、長瀬谷線、後期は池ノ宿線と事業場所の移り変わりとともに路線の位置も変わっています。
初期の朴ノ木線、長瀬谷線は4kgレールと言う極細レールで機関車は入っていませんでした。備後川線、池ノ宿線は6㎏レールですが機関車が入ったのはかなり遅かった模様。
大又索道は竹ノ平から港のある賀田まで延びていたものの途中で交差する矢ノ川峠を越える道路(現・国道42号線の旧道)が整備され路線バスも通るようになったことから途中の大又貯木場からトラックに木材を積替えて木ノ本(現・熊野市)へ輸送するように変わっています。


青線が大又森林軌道で初期に使われていた朴ノ木、長瀬谷線。オレンジ線が後期に使われた池ノ宿線。
今回はゲートを越えてはるか山奥のため許可を得て林道を軽四で山越え、備後川の谷へと分け入りました。
山歩き、三重の森林鉄道のエキスパートという頼もしいメンバーの引率でどんなお宝に出会えるのか楽しみ~。

P1110872.jpg
まずは国道42号線から林道に入りゲートを越えて1つ目のヘアピンカーブ奥、大又川の谷にあった大又原動所跡へ。

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大又川を渡り左岸斜面に聳える城跡のような大又原動所に到着~。

P1110856.jpg
大きな窪地はモーターや重錘を納めていた跡でしょうか。

P1110854.jpg
巨大なプーリーを支えていた櫓の台座と思われるコンクリート基礎。
基礎の間隔が3m丁度とメートル法で設計されている様子。1925(大正14)年につくられた竹ノ平~大又原動所の停車場図面はフィート・インチ法で描かれていたのでこちらは1940(昭和15)年の大又原動所~大又貯木場新設時に増設されたものでしょうか。

P1110852.jpg
碍子があちらこちらに転がっている中で磁器製のポケット酒瓶が綺麗な状態で残っていました。
それにしても事業所などの跡に行くと一升瓶やビール瓶などアルコール関係のブツだらけ・・・かつての山は酒呑童子で一杯だったのでしょうか(^ ^;)

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大又原動所の場所から大又貯木場へは1919(大正8)年頃に木製レールの軌道敷かれていたそうですが軌道にしては急勾配の道路跡?が下の方へ続いていました。この道の行方は途中で斜面と区別が付かなくなって良く分からず。


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森林鉄道(大阪営林局) | 23:56:43 | Trackback(0) | Comments(4)
宮津駅の西方から
墓参り後に撮った京都丹後鉄道~。

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宮津駅4番線で発車待ちの最古参MF100形MF104。
宮津~福知山の宮福線が宮福鉄道として開業した1988(昭和63)年登場の富士重工業製。

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全長16500mmでKTR700、800と比べると一回り小さく台車もエアサスが無いコイルばねのFU34D、FU34Tとワンランク落ちる・・・というより身の丈に合った車両だったのではないかと思います。

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宮津でスイッチバックして宮福線から宮津線へ入り天橋立へ向かうJR西日本より乗入の287系特急はしだて。
京都始発の特急で昔あった急行はしだての名前を引き継ぐ存在。
1992(平成4年)までの急行時代はキハ58+キハ28の2連で小浜、舞鶴線経由で敦賀~天橋立を結んでいました。
下り天橋立行きは福井始発で運転されていたこともあり北陸本線内は普通、敦賀から急行に変わっていました。
DMH17Hの爆音を轟かせて北陸トンネルを駆け抜けるキハ58に何度か乗りましたが今から考えると凄まじいですね。
1992(平成4)年に快速格下げとなり天橋立~小浜はキハ53-0番台車の単行、小浜~敦賀ではキハ58+28を増結して3連で運転していました。
快速と言っても小浜の辺りで東小浜、新平野、若狭有田くらいしか通過駅が無い実質普通列車だったように思います。
それも1996(平成8年)に福知山~宮津~天橋立電化開業により特急電車に名前を譲って廃止、小浜線からの定期乗入列車が無くなりました。

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宮津駅に隣接して保線を担当する工務区があるのですがなかなか雰囲気の良い建物が並んでいます。
これもJR線として残っていたらとっくの昔に建て替えられてそうな建物ですが子供の頃見たままの姿で残っています。
因みに宮津駅はモーターカー庫が西舞鶴方、福知山方、豊岡方にそれぞれ3か所も。
近年降雪量は少ないですが一応雪国だからでしょうか。

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この煙出しが付いた倉庫のデザインが好み。
手前にお堂があるのもポイント高いです。
京都なので地蔵盆が盛大で8月下旬にはお堂が飾られてお地蔵さんも地元の子供たちによって彩色されます。

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関西私鉄 | 22:41:26 | Trackback(0) | Comments(0)
うらにしの京都丹後鉄道
墓参りのため京都府宮津市へ~。
久し振りに名古屋圏以外で1067mmゲージの現役鉄道写真をまともに撮った気が・・・汗

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山陰本線福知山から宮福線経由で行くつもりだったのですが、時刻表を見ると西舞鶴経由でも宮津到着が4分差しかなく昔からおなじみの由良川橋梁を通りたかったこともあって綾部で舞鶴線各停に乗り換え。
ここで現れたのが久し振りの113系。クモハ113-5302に乗車して西舞鶴へ向かうと急に天候が悪化(爆)
「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるあのどんよりした「うらにし」と呼ばれる空模様に。

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時折小雨が降る西舞鶴で京都丹後鉄道乗り換え。列車の運行が北近畿タンゴ鉄道から移管されてから初乗車。
待ち時間の間に西舞鶴機関区の片隅に佇むKTR001形タンゴエクスプローラーを撮影。
新車で登場した頃からよく見知って何度も乗った車両がこんなになってしまっているのを見ると何だか・・・ねぇ。
JR宮津線が北近畿タンゴ鉄道に移管された1990(平成2)年富士重工業製なのでもうすぐ登場から30年。
左がKTR001の第1編成で既にエンジンも外されて運用離脱しているそう。
右のKTR011編成は定期運用こそないものの特急用KTR8000形の代走が12月中にもあるそう。

P1110605.jpg
1996(平成8)年富士重工業製のKTR8000形はタンゴディスカバリーから「丹後の海」に改装されて特急車の主力。
KTR001は3両固定編成なのに対しこちらは2両編成で使い勝手が良いのでしょうか。

P1110608.jpg
宮津までは普通のKTR800形KTR803に乗車。
こちらもタンゴエクスプローラーと同じく1990(平成2)年富士重製。
普通の富士重タイプLE-DCと異なり前照灯が3灯で屋根が丸っこいオリジナルタイプ。

P1110633.jpg
墓参りを済ませた後に宮津駅近くでKTR700形KTR703も撮っています。
こちらも1990(平成2)年富士重製。
KTR700とKTR800の違いはKTR700がトイレ有、KTR800がトイレ無し。
KTR700、800共一般車ですが枕バネエアサスを履いて当時の三セク一般型DCとしてはかなり贅沢なつくりだなと思ったもの。
タンゴエクスプローラー導入にせよ当時まだバブル期だったこともあるのでしょうか。

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関西私鉄 | 22:45:48 | Trackback(0) | Comments(0)
12月7日ひめしゃがの湯活動報告
12月7日(土)の作業風景~
酒井5t機No.118整備で運転室の床下の御開帳。

P1110825.jpg
運転室が高床式で狭くなっている原因が露わに~。

P1110828.jpg
エンジンと逆転機の間にトルクコンバータが挟まっているためマニュアル機ではエンジンルーム内に収まっている逆転機が運転室のスペースを侵略しています。
上の画像はニュートラルになっている状態。
2本見えるパイプはブレーキ管。
右の太い方が元空気だめから運転席のブレーキ弁へのパイプ。
左の細い方はブレーキ弁からエアホースを介して他の車両と連結される自動空気ブレーキのパイプ・・・現在は使っていません。

P1110834.jpg
ブレーキ管の上に続くブレーキハンドル。
三菱電機1963(昭和38)年製のSA型自動空気ブレーキという森林鉄道用のブレーキ装置。
SAはShinrinAirの頭文字を取ったものだそうな。
3本のパイプは左から自車に効く直通ブレーキ(単弁)、自動空気ブレーキ(自弁)、元空気だめ管。
機関車の製造年1957(昭和32)年より6年新しいです。最初から自動空気ブレーキ付きだと思ってましたが後でエアブレーキ化改造されたのか、ブレーキ弁装置だけ交換したのかは不明~。

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小坂森林鉄道保存活動情報 | 14:50:23 | Trackback(0) | Comments(0)
日本通運専用線(高山本線上麻生駅)~その2~
間が開きましたが高山本線上麻生駅の側線、専用線の後編~。

P1110538.jpg
駅前側の富山方にある貨物ホームと側線。
60年近く前に貨物側線、専用線としては使用されなくなっているはずですが保線用側線として現役。
この先高山本線は飛水峡の険を抜けるためか保線の最前線基地としての役割もあるよう。
応急処置用のガーダーが2本置かれています。
かつてはガーダーが積まれている側にも側線があったように見受けられます。

P1110539.jpg
上に積まれた桁には鐵道省、日本橋梁株式会社製作、昭和十四年などの文字が入った銘板が付いています。

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貨物ホームの奥にはコミュニティバスの車庫が見られますがここも土場の跡地?

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富山方で下り本線と合流する側線。

kamiaso.png
岐阜県統計書(岐阜県)を元に作成した年度別の上麻生駅貨物取扱量。
七宗森林鉄道縮小期以後のデータしかないためか発着量ともに非常に少ない状態。
それも1960(昭和35)年度を最後に無くなり、翌1961(昭和36)年8月1日には貨物営業廃止となっています。

●七宗御料林と七宗森林鉄道
七宗町には江戸時代尾張藩領の御林山がありました。
名古屋城が火災に遭ったときなど非常時のための備蓄林があり、明治には皇室財産の御料林に指定。
御料林の規模は小さいものの1935(昭和10)年には室兼~佐口谷4,852mの森林鉄道も敷設されてガソリン機関車による運材が始まっています。

DSC_0573_201912052214530fc.jpg
七宗森林鉄道が岩の間を縫うように通っていた「空のふさがり」。
このアングルで加藤製作所製の代燃装置付ガソリン機関車が写された写真があった。


七宗の御料林は太田出張所、戦時中に統廃合が行われた結果1941(昭和16)年1月1日には下呂出張所所管となり戦局が悪化している中でも御料林から袋坂方面に出る林道が開通し飛騨金山方面へ搬出するルートが完成。
恐らくこの林道開通により森林鉄道→トラック→上麻生駅のルートからトラック→飛騨金山駅のルートへの移管が進んだ結果上麻生駅の貨物取り扱い量が減ったのではないかと思われます。

戦後1947(昭和22)年4月1日の林政統一により七宗御料林は国有林となり下呂出張所から岐阜営林署へと管轄が移っています。
旧帝室林野局系の御料林や林鉄は大抵そのまま元の帝室林野局の出張所が営林署に変わって引き継がれることが多いのに対し七宗の場合は下呂出張所改め下呂営林署に引き継がれることなく旧山林局の岐阜営林署に引き継がれました。
(国有林は林鉄廃止後1962(昭和37)年に下呂営林署へ再移管)

1935(昭和10)年度    七宗軌道4,852m開設
1941(昭和16)年1月1日 太田出張所廃止→下呂出張所へ移管
1943(昭和18)年7月1日 七宗軌道→七宗森林鉄道(乙)に改称
1945(昭和20)年頃    袋坂経由の道路林道開設
1947(昭和22)年4月1日 林政統一。七宗御料林、七宗森林鉄道は岐阜営林署に移管
1953(昭和28)年度    七宗森林鉄道1,676m撤去
1956(昭和31)年度    七宗森林鉄道440m撤去
1957(昭和32)年度    七宗森林鉄道全線撤去

車両は1954(昭和29)年度時点でガソリン機関車2台、運材貨車36台がありました。
路線撤去が進むと1956(昭和31)年度には半減してガソリン機関車1台、運材貨車18台、全線撤去後もそのまま車両はしばらく保管されていたのか1958(昭和33)年度まで在籍車両数はそのままでした。

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専用線跡 | 22:33:05 | Trackback(0) | Comments(0)
No.118公開日情報 2019年12月7日(土)
No.118公開日情報
12月7日(土)に岐阜県下呂市小坂町のひめしゃがの湯で機関車、運材貨車の整備作業を行います。

P1110567.jpg
当日は日頃カバーを掛けているNo.118の覆いを取って展示、キャブ内の一部塗装、錆びて固着した運材貨車の復旧作業などを行います。
作業は10:00頃~15:00頃(12:00~13:00頃に昼休み)に実施予定です。
※悪天候の場合はNo.118のカバーを取って公開することができませんので悪しからず(_ _)

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小坂森林鉄道保存活動情報 | 22:46:02 | Trackback(0) | Comments(0)