投稿日:2019-10-30 Wed
近鉄名古屋線の愛知県内区間で唯一貨物営業していたことが確認された米野駅。この先はもう地下の行き止まり式ホームの近鉄名古屋駅で機回しもできないのでプッシュプルの保線列車のような形態でもない限り電気機関車はここまでしか入れないはず。
実際標準軌化後のデ21、デ32は保線貨車を挟んでプッシュプル編成(多分後ろは無動力のプッシュプルもどき)を組んでたようです。
米野駅での貨物扱いは1067mm時代末期まで行っていたようですが量は僅かで1日にワやト1台分程度。
すぐ隣に全国ネットワークの国鉄笹島貨物駅があったことを考えると近鉄沿線へ貨物を運ぶ非常に限られた需要しかなさそう。

ささじまライブ駅の歩道橋から見た米野駅。
手前からあおなみ線、関西本線、名古屋車両区の広大な構内が拡がりその片隅にポツンとある下町の駅。

表から見るとバックがささじまライブのビル群とあってさらに小さな印象の駅舎。これでも有人駅です。
なおあおなみ線ささじまライブ駅とは至近距離ですが向こうは新興市街地でこっちは下町と駅前の雰囲気もまるで違います。

貨物列車が発着していたとすると現在米野車庫への入出庫線として使用されている3番線(右の線路)と思われます。
航空写真で見ても貨物現役時の昭和20年代と駅構内はあまり変わっていない様子。

近鉄難波から近鉄名古屋駅に到着しお客を降ろしてやっと一息つけるとばかりにのっそりと入線して来るアーバンライナー21000系。

名駅(めいえき・・・名古屋の人間は名古屋駅近辺のエリアをこう言います)のビル群を背景に米野車庫へ引き上げて行くアーバンライナー。
現在は近鉄名古屋に発着する特急列車用の楽屋と言う趣の米野車庫。
かつては貨物列車も車庫内に入って機回ししていたのでしょうか。

12410 or 12600?系+12200系の重連が名阪乙特急運用のため出庫~。
米野車庫は敷地面積が小さく現在では郊外に広大な面積を持つ冨吉検車区の分庫的な存在ですが引っ切り無しに特急電車が出入りするため忙しさは変わらないようです。

愛知県統計年鑑よりまとめた1950(昭和25)~1957(昭和32)年度の米野駅貨物発着量。
さほど多くもないので専用の貨物ホームを設けず旅客ホームで貨物積み降ろしをしていたのでしょうかね。
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投稿日:2019-10-28 Mon
来週11月3日(日)は貨物鉄道博物館開館日なので貨鉄博近所にある見どころ発掘~。
貨物鉄道博物館前の道を進んで三岐鉄道丹生川駅前を通り過ぎ200mほどでしょうか。
旧・丹生川村役場そばのT字路にあります。

旧・丹生川村中心のT字路(ここは三つ辻と言いたい)にチョコンと佇む旧・丹生川郵便局の局舎。
丹生川郵便局は1935(昭和10)年6月開設とのことでこの局舎もその時に建てられたものと思われます。
模型化したらコンパクトで小さなローカル線レイアウトにもいい感じに収まりそうな好ましい建物。

やたらと低い正面玄関の硝子戸には〒マークがあしらわれています。
左のドアには「公衆電話」の文字がある電話ボックスも。
中を見ると電話機は残っていないものの壁掛け式のデルビル式電話機が掛っていた跡がくっきり。

デルビル式電話機の電話ボックス例
電話を掛ける時は右のハンドルを回すと交換手につながり、交換手に相手の番号を伝えてつないでもらう代物。
1896(明治29)年から昭和30年代まで70年近く製造、昭和40年代まで使われたという偉大なるロングセラー商品です。
写真は日本大正村(岐阜県恵那市明智町)の通信資料館の復元電話ボックス

1950(昭和25)年3月31日時点で丹生川村(現在のいなべ市、三岐鉄道丹生川駅周辺)の人口2,370人に対し電話の引かれた戸数はたった3戸・・・電話があるのは村役場、郵便局、駅だけだったのでしょうか?
当時の丹生川村の人が電話を掛ける際はこの郵便局の電話ボックスを利用していたのでしょうね。
スマホ時代で公衆電話自体が激減してしまっていますがここの電話ボックスは局舎の外に出て健在。
右隣は2代目丹生川郵便局、こちらも現在は移転して空き家に。
3代目丹生川郵便局は少し離れた2車線道路沿い、車でアクセスし易い場所に移したようです。

この局舎今は塗装が落ちて枯れた雰囲気ですが側面を見ると明るい水色のペイントが残っています。
現役時は結構ポップな塗装だったようです。
整備再現できたらまちかど博物館にピッタリな建物でしょうね。

庭箱鉄道さんの軽便鉄道博物館(阿下喜)~貨物鉄道博物館(丹生川)シャトルバスもこの局舎横を通ります。
ミニバスと比べてもこのサイズ感~。
参考文献:
大安町史(大安町教育委員会/編)
投稿日:2019-10-27 Sun
「小坂森林鉄道 上巻」で印刷が暗かった機関車イラスト再掲5回目。小坂官材協同組合機、モーターカーとこれでラスト。


酒井工作所製4~5t機と見られる小坂官材協同組合No.2 P.62掲載
濁河線上部軌道で最後まで主力だった酒井機。小坂営林署の統計に濁河線廃止まで計上されていることから所有者は営林署なのかも知れません。


岩手富士産業製T-52Eモーターカー P.70掲載
やっぱりと言うか何というか通称は「お弁当箱」だそう。
新城営林署の田口森林鉄道にいたので新城営林署の林鉄車両でも使ったイラストです。


富士重工業製T3モーターカー P.71掲載
T3系の内のT33BN型のようですがいまいちよく分からないところがあるので出版物上ではT3としています。
ラジエターの通気口が前面に開いてたり開いてなかったりなどバリエーションがあるようです。
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その1~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その2~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その3~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その4~
投稿日:2019-10-24 Thu
高山本線高山駅の貨物ホームにあったトロッコ。以前は積雪でよく見えませんでしたが夏場に行くとよくわかりました。とは言えくるまや軽便鉄道さんに予め教えてもらっていたから気付いたのであって知らずに通ってたら気付かなかったでしょうね(^ ^;)
この軌道がある貨物ホームの高山本線側は↓で紹介しています。
高山本線高山駅の貨物側線・専用線群~その1~

高山駅東口より岐阜方へ進んだところ。右にかつて貨物倉庫が立ち並んでいましたが今では新しいホテルが次々に建って面影がありません。

しかしその一角に・・・

かつての軌道がちゃんと残っています。
奥が高山本線でわかりにくいものの左奥の軽自動車の向こう、立体駐車場との間にキハ85の屋根が写っています。

この軌道と関係があるのかわかりませんがこのすぐ近く、市街側にあるお店の店先にトロッコ車輪が置かれています。
投稿日:2019-10-22 Tue
近江鉄道トム200形で1台車号不明なのがいました。
彦根 2004(平成16)年11月20日
整理されてずらりと並んだ有蓋貨車やレールバス。
その中に・・・

彦根 2004(平成16)年11月20日
アオリ戸を撤去された無蓋貨車が1台。
特に狙って撮ったわけでは無いので写真では半分で切れちゃってます(^ ^;)
軸箱両側の軸箱守がW字型の古いタイプ。他のトム201~206は左のワ(車号不明)のようにがっちりとした台形1枚板の軸箱守でした。
W字型の軸箱守の方が恐らく国鉄トム5000形の原型に近いものと思われます。

彦根 2006(平成18)年10月22日
近江鉄道ミュージアム開館時の様子。
大量にいる貨車の中でアオリ戸も無く地味なせいかあまりまともに撮っていないです。(反省)
●この貨車はトム何号?
このトムについて近江鉄道ミュージアムではトム206と説明が付いていました。しかし同ミュージアム閉館後有田川町鉄道交流館に譲渡される際は部内の資料からトム203に訂正されているそうです。
しかしトム206はレール工臨編成、トム203は高宮で放置されているのを上写真撮影と同時期に見掛けておりどちらの車号でも矛盾が・・・(汗)
さらに和歌山の某御大より現車の台枠には「トム20~」のペイント跡があるものの一の位は不鮮明で7とも3とも取れるとのこと。
私も有田川で撮影させて貰ったのですが写真データが消えてる・・・(- -;)
因みにトム207はトム208、209と共に1985(昭和60)年12月26日付けで廃車になっています。
国立公文書館所蔵の近江鉄道トム200形、トム300形竣工図面
トム200、300とも中央に観音開きの開き戸がある国鉄時代の原形。
200と300では荷台の内寸は同じですが全長、床面高さなど細かい点が異なっています。

国鉄より払い下げを受けたトム205~210

有田鉄道より譲渡されたトム219~224、226

有田鉄道より譲渡されたトム305、307~311
参考文献:
鉄道ピクトリアル 2000年5月臨時増刊号 関西地方のローカル私鉄(電気車研究会)
投稿日:2019-10-20 Sun
近江鉄道ト50形の続き。国鉄から大量購入した無蓋貨車群は他にも~。
まずは10t積みクラスのト形。1948(昭和23)~1951(昭和26)年にかけて国鉄ト1、ト4900、ト6000、ト10100、ト30000、トフ100形が入ってますが近江での形式は国鉄の複数形式が入り混じりわけのわからない状態。
実質タネ車として買っただけで近江では改造して原形を留めてなかったのでは?
ト100、ト150、ト500形

15t積みクラスのトムも同時期に入っています。
一部有田鉄道から譲受していますがこちらも元を正せば国鉄トム1、5000形です。
トム200、トム300形

実際に見ることができたのはトム200形201~206だけ。
アオリ戸が改造されて観音開きの扉があった国鉄トム5000形時代からはかけ離れた姿になっていました。
27台もいた内から綺麗に201~206が残っていたことになりますが実際に譲受当時の番号とは思えません。
状態が良い車を残し番号を201からの順で取り直していたのではないかと思われます。

トム204 高宮 2000(平成12)年10月14日
中央で2枚分割の鋼製アオリ戸に改造されたトム200形。
高宮に留置されていたのをガチャコン祭りの時に撮影したもの。
この後トム204号のみ姿を見なくなったのですがどこへ消えたのか??

トム203他 高宮 2002(平成14)年9月26日
時折留置車両は差し替わって西武401系が留置されていたり。

トム206(推定) 彦根 2002(平成14)年10月19日
レール工臨編成の中間に連結されていたトム200形。
番号が見えませんが消去法で行くとトム206のはず。
アオリ戸が撤去されているためか車側部に設けられていたアオリ戸のストッパーのバネも撤去されていました。

トム206(推定) 彦根 2002(平成14)年10月31日
ロコ1101により編成組み換え作業中。
車籍は6両ともあったものの実際に使われていたのはこの車だけ。

トム205(左)、トム201(右) 高宮 2007(平成19)年11月25日
レール工臨控車トム206以外のトム201~205は何で残されていたのかわかりません。
2段リンク化はなされていなかったので国鉄乗入は1968(昭和43)年10月以降認められなかったはずですが業務用でバラスト輸送に使っていたのでしょうか?彦根工場で1985(昭和60)、1986(昭和61)年に国鉄ホキ800形を元にホキ11~13が製造されて失職してたのかも??

手前からトム205+トム201+トム202+トム203 高宮 2012(平成24)年12月18日
高宮駅構内の留置貨車解体作業中に撮影したもの

左からトム205+トム201+トム202+トム203 高宮 2012(平成24)年12月18日
高宮駅構内の留置貨車解体作業中に撮影したもの
今回ご紹介したトム201~206は解体して果てたはずですがこの他にも謎のトム200形が現存しています。
以下次回~
投稿日:2019-10-16 Wed
長野県王滝村の公民館祭(11/2(土)、3(日))で公開、運転される林鉄車両整備の準備でりんてつ倶楽部さんへお手伝い(お邪魔)に伺ったときの記録~。
B型客車王営No.12には緑十字に「安全」の文字が入りました。
氷ヶ瀬所属で表記もあったはずですが「氷が瀬」「氷ケ瀬」だったのかりんてつ倶楽部さんで調査中です。
写真をお持ち、ご存知の方があれば情報よろしくお願いします。
王営No12の写真を探しています(りんてつ倶楽部)

運材のブレーキシリンダー修理など行っていましたがこちらの仕事は木製貨車のクレオソート漬け~。
タンク車のBefore

After
ひめしゃがの湯で保存している小坂森林鉄道の山トロにもそろそろクレオソート塗らなくちゃ(^ ^;)

現存する林鉄車両の軸受けはボールベアリングが多いですがこの貨車は古い平軸受です。これはこれで珍しいので撮影~。
グリスの入った軸箱がばね付きの蓋で閉じられています。
投稿日:2019-10-14 Mon
「小坂森林鉄道 上巻」で印刷が暗かった機関車イラスト再掲4回目。協三5t機パート2


協三工業製5tディーゼル機関車No.13 P.58掲載


協三工業製5tディーゼル機関車No.24 P.59掲載
濁河温泉で保存されていた姿で現役時の写真が見付かっていません。


協三工業製5tディーゼル機関車No.25 P.59掲載
末期の小黒川線で使われていた機関車。
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その1~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その2~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その3~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その5~
投稿日:2019-10-12 Sat
台風19号うちの地元は大したこともなくピークを過ぎたようですが伊豆半島直撃しておりこの場所もどうなっているのやら。台風が通過中、これから通過する地域の皆様お気を付け下さい。
天城湯ヶ島の保存車ラストは運材貨車。
B型客車は日本農林機械製の軸バネ付き台車でしたが後ろの運材もそれぞれ異なるメーカーのものが置かれ貴重なコレクションになっています。
車両の周りは立入禁止措置が取られ近付けないので番号や銘板などは未確認。

運材貨車に積まれた木材に枯葉などが溜まって腐葉土の役割を果たしているのか列車の上に森が育ちつつある状態。

B客側はモノコックトロを開発した富士重工業(前身の大宮富士工業時代の製造かも知れませんが)純正の貨車。

後ろもモノコックタイプ運材貨車。
前位(右)は岩崎レール工業製で長野営林局型の軸箱を持つタイプ、後位(左)の貨車も軸箱形状が異なるものの岩崎レール工業製と見られます。

保存車たちの後方にも何やら石碑と説明板があったので行って見ると。

紀伊半島の尾鷲から伊豆に移り住み炭焼きの技術を伝え1787(天明7)年2月に亡くなったという炭焼き市兵衛の墓とのこと。
東北では天明の大飢饉が発生、フランスではもうすぐフランス革命が起き近代が始まる頃ですね。
従来は伏せ焼き(土の中で炭を燻す方法)だったのが石組みの炭焼き窯で燻すように変わり天城炭として幕府の御用炭となったとのこと。

横には何の説明もありませんが炭焼き窯の跡があります。
ここで市兵衛さんが炭を焼いていたのでしょうか。
大川端キャンプ場がある天城国有林も林政統一前は飛騨と同じく江戸時代は幕府直轄の天領、1889(明治22)年には御料林に指定されています。1940(昭和15)年時点では宮内省帝室林野局東京支局天城出張所が置かれていました。
森林鉄道こそ敷かれませんでしたが御料林時代にたびたび昭和天皇が行幸した縁で「昭和の森」と名付けられました。
投稿日:2019-10-11 Fri
No.118公開日情報 続報
台風19号が接近していますが10月13日(日)は晴れるようなので今のところ予定通り公開するつもりです。
午前中は風が強いとのことなのでNo.118のカバーを取るのは風が収まってからになるかも知れません。
No.118公開日情報(2019年10月13日)
投稿日:2019-10-10 Thu
機関車次位に連結された大型B型客車(通称大B)。基本的には石川県津幡の森林公園にある大Bと同じですが。

車体色は現役時代の赤から淡い青系の色に変わっています。
手前側の窓4枚目まで車内に業務用の連絡員室がありその部分の外には黄帯が巻かれていました。

連絡員室の区分は車内に残っていますが近付けないのでこれが精いっぱい。
床板に区分の段差が設けられているのが見えます。

側面は大B標準の側窓14枚。
側板が裾まで入っており台枠が見えなくなっているのが特徴。

台車は日本農林機械製の運材貨車で板バネが入ったタイプ。
投稿日:2019-10-08 Tue
軽便鉄道模型祭で商品輸送のため珍しく関東まで車で来たのだからと帰りに寄り道。
静岡県伊豆市湯ヶ島の昭和の森にある大川端キャンプ場。
ここに何故か(キャンプ場が国有林の施設で王滝林鉄廃止時期と開設時期も被っていた縁と思われる)王滝森林鉄道の車両が保存されています。

既にキャンプ場としては使用されておらず保存車も手入れがされていない状態。

機関車は酒井工作所製10t機のメーカー型式C4のNo.128。
製造:酒井工作所
購入年:1960(昭和35)年
自 重:10t
局形式:DBT10

単純なクリーム色と茶色の標準的なツートンかと思いきやボンネット上部と屋根上は水色(青っぽいねずみ色というべきか)になっています。No.128の車番が消えていることから現役時代からの塗装そのままでは無さそうですが保存後少なくとも一度は現車に忠実に塗り替えが行われているようです。

背面から。

正面から。
向かって右の前照灯は垂れ下がり、左側にあった尾灯は失われています。
木曽のC4はNo.130以降は尾灯が台枠に埋め込まれますが赤沢自然休養林で保存されているNo.122とこのNo.128は台枠上に外付けされていました。
この画像では分かり辛いですが離れて見ると・・・。

大傾斜しています。石川県津幡の森林公園にいるNo.140を思い起こさせる状態。
投稿日:2019-10-05 Sat
「小坂森林鉄道 上巻」で印刷が暗かった機関車イラスト再掲3回目。小坂森林鉄道末期ディーゼル時代の主役協三5t機たち。


協三工業製5tディーゼル機関車No.7(2代目?) P.57掲載
製造年不明(1950年代前半製造と推定)


協三工業製5tディーゼル機関車No.10(2代目?) P.58掲載
製造年不明(1950年代中盤製造と推定)


協三工業製5tディーゼル機関車No.12 P.58掲載
製造年不明(1950年代中盤~後半製造と推定)
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その1~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その2~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その4~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その5~
投稿日:2019-10-03 Thu
「小坂森林鉄道 上巻」で印刷が暗かった機関車イラスト再掲2回目。戦後使われた機関車は地元での言い伝えや濁河線カラー映像に写る機関車を元にダークブルーで描いています。


謎の機関車No.7 P.52掲載
加藤製作所製で1939(昭和14)年6月27日製作とされているもののキャブ屋根形状など加藤っぽくない独特の風貌を持つ機関車。


酒井工作所製7tガソリン機関車No.16 P.52掲載
1944(昭和19)年9月製作


酒井工作所製6tガソリン機関車No.20(推定) P.54掲載
1950(昭和25)年6月製作
扉に”No.20”の車番が入っていたものと思われますが運転室扉が写った画像が無いのでイラストでは扉に番号を描いていません。
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その1~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その3~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その4~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その5~
投稿日:2019-10-01 Tue
軽便鉄道模型祭では「小坂森林鉄道 上巻~飛騨最大の森の鉄路~」ご好評をいただきありがとうございました。初めての出版だけあってまだまだ課題も一杯。
まず最大の問題点はカラーページで妙に色が暗くなっているものがあること(- -;)
PCで作成したRGBデータを印刷用のCMYKに変換したときに上手くいっていないのが原因と思われます。
と言うわけでブログ上で車両イラスト元画像を再掲します。


加藤製作所製6tガソリン機関車(No.1かNo.2) P.49掲載
No.1は1933(昭和8)年12月5日製作
No.2は1934(昭和9)年12月15日製作


岩崎レール商会製4.5tガソリン機関車No.4 P.51掲載
1935(昭和10)年9月29日製作


岩崎レール商会製4.5tガソリン機関車No.5 P.51掲載
1936(昭和11)年9月30日製作
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その2~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その3~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その4~
「小坂森林鉄道 上巻」機関車カラーイラスト再掲~その5~
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