投稿日:2019-08-31 Sat
今は亡き西濃鉄道昼飯線昼飯駅の側線。17年前に自分が撮った写真と現状を比較して見ます。専用線跡と言っても西濃鉄道側線扱いの線路です。
専用線一覧でも1983(昭和58)年版だけ専用線として扱っておりほかの版では出て来ません。
①上田石灰製造専用線
作業方法:社機、移動機
作業キロ:0.2km
②古田石灰工業所専用線
作業方法:社機
作業キロ:0.1km

昼飯駅構内配線図
5番線が①上田石灰製造専用線、本線か3番線のどん詰まりが②古田石灰工業所専用線と思われます。

ワ108の回でも上げた画像ですが再録。昼飯駅舎跡から美濃大久保、美濃赤坂方面を見た様子。

同一地点で駅舎、レールがあった頃に撮影したもの。
左から2番、本、4番、5番が並んでいます。
昼飯線は既に休止中でしたがこの撮影より2年ほど後に美濃赤坂に縁のある勤め先の先輩から「年に1,2回機関車だけで昼飯まで走ってるみたいだよ。試運転なんじゃないかな?」というなかなか気になる話を聞きました。
2002(平成14)年2月25日撮影

昼飯駅舎に掲げられた駅名板。「晝」は昼の旧字体です。
2002(平成14)年2月25日撮影

昼飯駅奥側。ホッパーも線路も撤去されて3番線に面した貨物ホームの石積みだけが残っています。

線路があった頃の昼飯駅奥側。
三岐鉄道ホキ3000などの廃車群が留置されていた時代はここまで来たことが無く撮影していません。
線路は左から5番、4番、本、3番線。
3番線ホーム上にあったホッパーは撤去されていたものの奥の古田石灰工業所のものと思われる積込み施設はまだ残っていました。
左端の5番線には上田石灰工業所の石灰積込みホームが上屋付きで残っていました。
かつてはテム、テラなどの黒い鉄製有蓋車、末期はワム80000へ積み込んでいたそうです。
列車の乗入が実質無くなった後もなぜか長いことワム80000が1台留置されており時折留置場所が微妙に移動していたという怪談じみた話を某専用線御大から聞いたことも。
2002(平成14)年2月25日撮影
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投稿日:2019-08-29 Thu
西濃鉄道市橋線の方は茶ガマが出ているので昼飯に行ったついでに見て来ました。
昼飯から戻ってきたらホキ9500がEF210-118牽引で発車して行くところ。
美濃赤坂でEF210をまともに撮ったのって初めてかも?

入れ替わりに到着する空車返送は市橋線内で撮ります。
旧赤坂本町駅旅客ホーム跡を通過して中山道の踏切に差し掛かるDD403を真正面から撮影。
さてここで気になったことが。以下の拡大写真を見てもらうと↓

乙女坂方の尾灯の右下に連結作業で使用するものと思われるライトが追加されています。
以前見た時は無かったのですが去年の秋頃には付けられていたようです。
乙女坂のプラントに挟まれた薄暗い側線で連結作業を行うため尾灯の回路を電源として取り付けた様子。

因みに美濃赤坂側には付いていませんでした。
投稿日:2019-08-27 Tue
奥野さんより西濃鉄道昼飯(ひるい)線の旧・昼飯駅が「更地になってたよ」と聞いて行って見ると・・・
あらら・・・。

駅舎やワ108の貨車ダルマがあったところも御覧の有り様。

以前はこのように好ましい木造駅舎と倉庫代わりのワ108が置いてありました。
2002(平成14)年2月5日撮影

ワ108は西濃鉄道ワ100形ワ101~110の内の1両。
ワ100形101~103は1949(昭和24)年8月3日認可で国鉄から譲り受けた木造有蓋貨車ワ18225、2829、5409を前身としますが後の車は無蓋車からの改造。
ワ108は1913(大正2)年1月土崎工場(現・秋田総合車両センター)製のト1形ト16033号を1949(昭和24)年8月3日認可で譲り受け西濃ト20形ト47号としていたものを1957(昭和32)年5月9日付けで鋼製車体を新製して有蓋車ワ108としたもの。
実質的には内張りの木部もない鉄製有蓋車テに当たったようですがもうそろそろ有蓋、鉄側、鉄製の境が曖昧になって来ていたのでしょうね。
国鉄ト1→西濃ト20時代はアオリ戸が側1枚全開き、3枚側の木造車体だった様子。
2002(平成14)年2月5日撮影

扉にはワ108の車号、その下には国鉄線乗入認可の2重白線、積1.4、空0.8の文字もよく見えていました。
効率の悪い小さな10t積みで2段リンク化改造していたとも思えないので国鉄乗入認可は1968(昭和43)年10月改正で取り消されたものと思われますが正式な廃車時期は未調査。
2002(平成14)年2月5日撮影

ワ108は鉄製車体なのでやはり袋詰めの生石灰の出荷に使っていたのでしょうか。
この前まで貨物鉄道博物館で再塗装作業を行った国鉄テラ1形テラ146号と同一用途です。
一緒に連結されていたこともあるかもですね。
参考文献
RM LIBRARY 99 西濃鉄道(清水 武/著 ネコ・パブリッシング)
投稿日:2019-08-25 Sun
君津製鉄所構内鉄道ラストはスラグ台車編。
日立60t機D.6010が推進するS73+S18+S21+S47のスラグ台車編成。
ナベの支えには新日鉄の社紋の陽刻が見えます。
他にもナベを回転させる機械室(?)に銘板が付いていた跡がありますが大半は銘板が無くなっています。
高熱にさらされる過酷な環境で割れて無くなったのか撤去されたのかは不明。

S75のみ銘板撮影に成功。
割れていますが「富士車輛 昭和58年」の文字1983(昭和58)年に滋賀県守山市の富士車輛で製造されたようです。
富士車輛はワム80000など国鉄貨車のほか60系鋼体化客車や大阪市電の電車も製造していたことがあるようです。

スラグ台車S63
見た目の印象は巨大なナベトロ。
台車はどこかの車両工場の仮台車のような印象。
投稿日:2019-08-23 Fri
君津製鉄所のトーピードカー。
T35号
台車を見ると軸箱はオリジナルは鋳物ですが後から鉄板に交換したものもある様子。
2軸台車4組+4組の計8組でカマを支持する構造。

鋳物の軸蓋には日本車輛の刻印が入っているものが見られます。
左(カマに近い方)から3軸分の軸蓋3つ、枕バネ2つには溶銑が跳ねたときに付着するのを防止するためかガードの鉄板が付けられています。

T24号
カマには"NIPPON STEEL"と車番"24"の陽刻。
八幡製鉄時代のYAWATAの陽刻がある車両もいたのですが撮影の認められていないところだったので見ただけ。
第4高炉前の信号機や転轍機。
基本的には一般的な鉄道の信号機、転轍機ですが微妙に違っています。
よく見る信号機や転轍機のような白黒でなく灰色で塗装されているのが独特の雰囲気。

入換信号機は灯列式の現示ではなく1灯ずつ点灯する様子。頭にスピーカーを載せています。

右上の左右進行方向への矢印が点灯する信号機は立山砂防軌道のスイッチバックや名鉄舞木工場構内でも見かけますね。
投稿日:2019-08-21 Wed
君津製鉄所の機関車で日本車輌製の80t機。なお似たような外観で東芝製の電気式DL(E.8008~E.8011)もいるのですが今回撮影が許された範囲内にはいませんでした。
移動中のバスの車内から1台ちらっと見かけましたが。

製造年が読めなかった(1990~2000年代らしい)日本車両製のD.8013
中央にキャブの無いのっぺりしたイメージの機関車。
手前側に機械室?のような側窓のある部屋が見えるのである意味ではエンドキャブタイプ(日本ではDD14など僅かな例しかないが世界では標準的なタイプ)のDLに近いのかも?
とは言え日立60、80t機と違って前後面に窓が無いため運転室らしさは有りません。

正面のD.8013のナンバー上には旗差しが付いていますが祝日なんかには旗を差すことがあるのでしょうか。
因みに日立60t機、日立80t機のボンネット正面にも旗差しが付いていた跡が残っています。

D.8013のサイドビュー。
エアタンクは機械室の中に収められているようで床下には下がっていません。

台車は同じ日車の臨海鉄道向け60t機のとよく似ていますが台枠位置が高く車輪径も大きい様子。
砂箱の容量も大きそうです。

参考:名古屋臨海鉄道ND601のYL600B台車。

2007(平成19)年日本車両製D.8014。
D.8013と同型ですが白帯の位置が若干低く、屋根上に上る梯子の数など僅かに異なる点があります。
重箱の隅を何とやら・・・のようなことでそう大した問題ではありませんね(^ ^;)

D.8014の奥、高炉の下ではトーピードカーT55に銑鉄が注がれています。
トーピードカーへの銑鉄積込み作業中は危険なためか機関車は離れて待機するようです。
続きを読む >>
投稿日:2019-08-16 Fri
日本製鉄君津製鉄所の機関車60t機に引き続き日立80t機。80t機は銑鉄を運ぶトーピードカーを牽く構内鉄道の花形的存在(?)。
1970年代製造のものは60t機と同じくキャブ付きですが1990年代以降製造の新しいものはキャブ無しのようです。
60tと80tの間に70t機D.7013号(2005(平成17)年日本車輛製)もいるようですが今まで見たことが無いのでどちらの用途で使われているかはわかりません。

今回撮影できたのはD.8005(左)とD.8002(右)の2台。
どちらも日立製作所笠戸工場製でD.8005は1975(昭和50)年、D.8002は1971(昭和46)年製造。
見た目に差異はない・・・と思いきやD.8002の方が白帯の位置が高いですね。

D.8005が湯気(・・・と言って良いのだろうか?^ ^;)の立ったトーピードカー2両を牽き出し。
空車で300t、満載すると600tと説明があったので2両牽引だと1,200tあるのでしょうか?
1200tと言うと石油満載のタキ1000×19両編成分くらいでしょうか。
満載とは限らないので実際の重量はわかりませんが。
これも低速とは言え貫通ブレーキ無しで止めるのだから凄い(・ ・;)

こちらも60t機と同じような構成ですが60t機よりがっしりとした台車を履いているので堂たる印象。
キャブ下にはエアタンクを4丁ぶら下げている様子。
台車の横前後端寄りには砂箱も見えます。重量列車牽き出し時には使いそうですがテレコンで砂撒き操作もできるのでしょうか?

D.8005に続いてD.8002も動き始めました。
トーピードカーと対比。

銑鉄を降ろして第4高炉前に戻ってきたD.8005とトーピードカーT47+T50。

一仕事終えてお休みのようです。
日立80t機を前から見るとキャブ屋根が扁平で専用線の日立スイッチャーとは異なった印象。
むしろ同時期製造の日本車輛製35~50t機辺りに近いような感じがします。
セミセンターキャブかセンターキャブかの違いはありますが。
↓日車35t機の例 八戸通運DD351

投稿日:2019-08-14 Wed
リンク先の社長さんよりお誘いいただいてた第24回君津市民ふれあい祭りの日本製鉄(株)工場見学に行ってきました。工場見学はバスツアーで第4高炉、線材工場を巡るもので原則撮影禁止なのですが第4高炉前のお立ち台のみ撮影可となっています。
公開される第4高炉前では高炉でつくられた銑鉄を運ぶトーピードカー、スラグを運ぶスラグ台車、そしてこれらの貨車の入換を行うスイッチャー群をよく観察することができます。
見たところ80t機がトーピードカー、60t機がスラグ台車用になっているようです。

4台写っているDLの内左3台は80t機、右端の1台が60t機。
無線操縦なのでオペレーターはデッキの操縦スペースや車外から列車を操作しており基本的に運転席は使って無い様子で左の2台にはキャブが最初からないタイプ。
まずは60t機から見て行きます。

第4高炉をバックにスラグ台車を牽引して進む60t機D.6010号。
構内鉄道は1435mm軌間なのですがバックにあるものがみんなスケールが大きいため1067mmのように見えてしまいます。

D.6010
1969(昭和44)年製日立60t機。
基本的な形状は日立の一般的な凸型スイッチャー(例:本巣のセメント専用線)と一緒ですが熱源となる貨車を連結するためラジエターは側面にあります。

D.6010がスラグ台車4台を連ねて走行中。
スラグを降ろして高炉に戻って来たところのようです。
こうして見ると引き通し管のエアホースが無いことがよくわかります。
高熱を発するためなのか貨車にブレーキは通っていません。
平坦な埋め立て地の線路を低速で走るだけとは言え重量物輸送列車を機関車のブレーキだけで止めているのはなかなか強烈な印象。

高炉の手前までスラグ台車を押し込んでお休み。
下回りの台枠や端梁は幅広でごついですがボンネットやキャブなど上回りは在来線サイズのようですね。

D.6009号
1969(昭和44)年製日立60t機。
D.6010と同時につくられた兄弟機ですがラジエター位置を見ると分かるように前後の向きが逆になって反対面が見られました。

D.6002号
1968(昭和43)年製日立60t機。
D.6009、6010と同タイプですが生まれは1年早いです。
熱源があるところに入るためかキャブの窓が半分塞がれ、スカートで台車を覆った独特の姿。
またラジエターグリルの形状や梯子の位置も異なっています。
構内鉄道の運行開始が1968(昭和43)年だそうなのでヌシのような存在?

端梁には尾灯を埋めたような跡も。
投稿日:2019-08-11 Sun
山の日記念で書籍販売の告知をします。秋に小坂森林鉄道研究会から「小坂森林鉄道 上巻(副題:飛騨最大の森の鉄路)」を発刊します。
9月29日(日)に東京日本橋綿商会館で開かれる第15回軽便鉄道模型祭で販売、10月中旬以降はAmazonでも販売する予定です。

濁河線上部軌道のレールが残っていることで林鉄ファンにはある程度知られているものの正史と呼べるものは世間に出ていないのが実情です。
まだ未解明な部分が多いですが国立公文書館つくば分館でたまたま再発見できた資料から建設時の様子、小坂森林鉄道研究会で収集していた写真や資料、証言などをまとめました。


小黒川線で使用されていた写真が残る協三工業製5t機No.25
上巻では小坂の運材の歴史や森林鉄道の車両について紹介します。
上巻の章立ては以下の通り
小坂森林鉄道路線図
第1章 小坂森林鉄道前史
1-1.近世以前の木材輸送
1-2.小谷狩りと大川狩り
1-3.明治維新後の森林行政
1-4.小坂の官業伐木事業
1-5.近隣地域での森林鉄道敷設の始まり
1-6.小坂の林道整備
1-7.飛騨川の電源開発と高山本線の開通
第2章 小坂森林鉄道の歴史
2-1.小坂森林鉄道の建設
2-2.最初期の小坂森林鉄道
2-3.戦時中の小坂森林鉄道
2-4.林政統一
2-5.道路輸送への転換と労働形態の変化
第3章 車両
3-1.機関車
3-1-1.ガソリン・代燃機関車
3-1-1-1.ガソリン機関車の仕様
3-1-2.ディーゼル機関車
3-1-3.特殊軽量機関車
3-1-4.小坂官材協同組合の機関車
3-1-5.現在見られる小坂森林鉄道と同型、類似型の機関車
3-1-6.代燃機関車
3-1-6-1.代燃車の仕組み
3-1-6-2.森林鉄道の代燃車使用の始まり
3-2.モーターカー(自動トロリー)
3-3.貨車
3-3-1.ボギー運材貨車
3-3-1-1.鉄製貨車
3-3-1-2.木製貨車
3-3-1-3.モノコックトロリー
3-3-2.トロリー
3-3-3.ダンプ貨車
3-3-4.客車
3-4.森林鉄道のブレーキ
資料編
6tガソリン機関車仕様書
4.5米tガソリン機関車仕様書

なお本の販売収益は小坂森林鉄道研究会で所有するNo.118の修繕、維持や動態保存線の敷設事業に使用させて頂きます。
皆様のご支援よろしくお願い致します。
投稿日:2019-08-10 Sat
名鉄でこの駅貨物やってたんだ・・・と意外性の大きい駅の一つ。名古屋鉄道車両史上巻(清水 武、田中 義人/著 アルファベータブックス/刊)の1943(昭和18)年4月1日時点の構内配線図を見ると行き止まり式の貨物側線と貨物ホームらしきものが描かれています。
しかし1950(昭和25)~1957(昭和32)年度の愛知県内の私鉄各駅の貨物輸送量が記載された愛知県統計年鑑(愛知県)には一度も貨物取扱い量の記録がないことから相当に早い時期に貨物営業を廃止していた様子。
よくわからないのでタイトルも貨物側線(?)にしています。

駅舎とアパートが一体化した構造の大里駅舎。
駅の南方(豊橋方)で名古屋本線が東海道新幹線と交差しています。
名古屋鉄道(初代)が名古屋電鉄、尾西鉄道、美濃電気軌道など各社が細切れで開業していた各線をつないで名古屋~岐阜をつなぐ名岐線とすべく路線延伸していた最中の1928(昭和3)年2月3日に大佐土駅として開業しています。

普通のほか本数が僅かな準急と朝夕の急行、ごく一部の快速急行が止まる微妙な状態。
名鉄をよく知らない人にとっては結局どの列車に乗れば止まるのか??という複雑怪奇な駅かも・・・(^ ^;)
今では複線の本線があるだけで側線などの分岐は皆無。
側線があった当時は上下線間に渡り線もありました。

貨物側線は名鉄岐阜方から西側に分岐して行き止まりのごく簡単な配線
通過中の名鉄岐阜行2300系特急の右に側線が分岐していた名残の敷地が拡がっています。

途中には開渠の跡も。Iビームを固定していたであろうボルトも残っています。
異様に浅い水路ですぐに水が付くのではないかと思われそうですが実際田植えの時期になるとよく冠水します。
田園地帯なので田植え期になると水路は目一杯に水が流れ田んぼの中の低い道路が冠水する光景は日常茶飯事・・・。

下りホームの名鉄岐阜方末端部から見た貨物ホーム、側線跡。名鉄パーキングになって跡形もなし。
側線があった当時旅客ホームは現在より短く、奥に見える石積み部分だけだったものと思われます。

ホーム上から見た側線の橋台が残る開渠。鉄製アングル架線柱が側線の真ん中付近に建てられています。
この電柱の建植時期はわかりませんが相当に古そう。側線橋台の上部が大きく欠損しているのも気になります。
1つ心当たりがあるのは60年前の衝突事故。
伊勢湾台風から間もない1959(昭和34)年10月11日夜に大里駅南方の踏切で岐阜行特急電車(初代5000系)がオート三輪と衝突転覆する事故が発生しています。
オート三輪を引っ掛けたまま大里駅に突入し岐阜方で転覆して前3両が線路脇の水田へ転落し9人死亡、120人以上負傷と言う大惨事になっています。
大里駅付近には特に大きな工場は無く当時の航空写真を見ても人家も少ない田んぼの中の駅という状態でした。
考えられそうな輸送品目は発送:農作物、到着:肥料が多そうですが確証は有りません。
投稿日:2019-08-02 Fri
以前乗った中川運河水上バスですがららぽーと名古屋みなとアクルスにも船着き場が出来て小型船が乗り入れています。かつては堀川までつながっていたものの現在は行き止まりになった支線運河の終点にららぽーとがあります。

以前は流れが無く運河の水が液体と言うよりはドロリとしたゲル状になって異臭を放ち名古屋港線撮影時は異臭に顔をしかめながらDE10を待っていました。

しかし今では船が入ってかき混ぜられて入れ替わるようになったのかほぼ無臭。水の色はオリーブ色ですが以前のようなゲル状ではなく正常な液体になっていました。

名古屋港線と旧東邦瓦斯港明工場専用線のガーダーをくぐる水上バス。

そのしばらく後に名古屋港線稲沢行きのDE10 1165が通過。

ららぽーとで買い物をしてから笹島まで乗船することにします。

前面貫通式で運転席の前から乗船・・・左側運転台なこともあって何だかデッキ付き旧型電気機関車のよう。
運航時の前後進は左のワンハンドルマスコンのような操縦桿で行っていました。
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