投稿日:2019-06-18 Tue
戦前の枇杷島デルタ線付近航空写真。撮影時期不明とのことですが既に西枇杷島~犬山方面の短絡線があること、名古屋本線新名古屋駅方面への線路がまだ建設されておらず押切町、柳橋への旧線しかないことからすると昭和10年代前半の撮影と見られます。

上の航空写真撮影と同時期の地上の写真も。
土木学会図書館所蔵の西枇杷島駅周辺が写された絵葉書の掲載許可を頂きましたので載せます。
名岐線(現・名古屋本線)押切町~新岐阜がつながり名古屋~岐阜間に大型のデボ800形を使用した特急電車も走り始めて1年ほどの情景で1936(昭和11)年4月撮影。
国道12号線(→国道22号→現・県道67・190号)の絵葉書なので鉄道主体ではないのですが枇杷島デルタ線の様子がよく写し取られています。

枇杷島陸橋岐阜方(北)から名古屋方面を見た様子。
陸橋右に西枇杷島駅のホームや機関車がぼんやりと見えています。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

枇杷島陸橋下の踏切。
橋脚の間から見える機関車は電車改造電機のデキ50形。
西枇杷島の入換専用だったのでしょうか。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)


名古屋電気鉄道時代168号形→デシ500形2軸電車をボギー車化して製作した電気機関車。
戦時中に2台が2軸台車に戻されてデキ30形となりデキ51のみがボギー車デキ50形として残りました。
瀬戸線小幡のデキ31、竹鼻線西笠松のデキ32でも紹介しましたがこの頃は3台ともボギー車のデキ50形だったのでどの車両かまでは特定が難しそう。
パンタ搭載位置が車端部なのでデキ51かデキ52→デキ31のどちらかでしょうね。
当時の名岐線電車の多くは名古屋市電経由で柳橋乗入のため集電装置は中央に鉄道線用パンタグラフ、両端に軌道線用ポールを装備していましたがこの画像のデキ50形は市電乗り入れは想定しなかったようです。

手前の線路は名岐線(現・名古屋本線)。奥に単線の短絡線があり、合流したところが西枇杷島駅。
この頃はまだ戦時中増設のヤードや貨物ホームがなく、現在の旅客駅の位置で貨物も取り扱っていたようです。
この写真は枇杷島分岐点の信号扱い所から撮影したもののようです。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

現在もデルタ線の中に建つ信号扱い所の建物。
手前は名古屋本線、左手前方向が西枇杷島駅です。

改修前の国道・・・というよりは枇杷島青物市場の写真と言うべきか。
後方の東海道本線のガード上を通過して行く2軸貨車のジョイント音や市場の喧騒が聞こえてきそうな好みの1枚~。
この道は東海道の熱田と中山道垂井をつなぐ美濃路で、この街道沿いに江戸時代初期より青物市場が発達。
名鉄郡部線(名古屋本線、犬山、津島線など)が開業すると農産品の集約に便利な位置にあることから益々栄えていました。
線内輸送なので小回りが利く電動貨車が多用されたのでしょうか。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

西枇杷島市場の記念碑。
江戸時代から栄えた市場も手狭なため名古屋市熱田区の名古屋市中央卸売市場や1955(昭和30)年開場の東枇杷島の枇杷島市場(現在は豊山町へ再移転して北部市場)へ移され現在では住宅街になっています。
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投稿日:2019-06-12 Wed
中々更新できていませんが西枇杷島2回目~。
西枇杷島駅岐阜方より。
2000(平成12)年の東海豪雨で水没した時の空撮映像では水上にホームがポツンと浮かんで普段よりホームのエッジがよりシャープに見えたのを覚えています。

狭いホームの先端には車両限界をクリアするために削られたのか頬がこけてげっそりとした本線下り出発信号機(^ ^;)
すぐに東海道本線、東海道新幹線をくぐります。
ホーム延伸ができない要因はホームの前後を東海道線と愛知県道190号名古屋一宮線(旧・国道22号線)に挟まれているためでしょうか。

踏切を渡って反対側から。
待避線は赤錆びてますが左端の犬山線への短絡線へ続く線路は輝いているのでこちらは今後も残る模様。
待避線撤去の折には短絡線も撤去されるのか?と戦々恐々としてたので今回一番ほっとしたところ~(爆)

西枇杷島駅を短絡線方から見た様子。一番手前が短絡線です。
県道190号名古屋一宮線は元国道だけあってバイパスの新国道ができた今も渋滞する道。
道路の本線はかなり早い内に立体交差化されているのですが歩道は立体化されず、地元の方の出入りのため側道となって踏切が残り鉄道側から見るとあまりメリットの無い立体交差になっています。
車でこの陸橋を走っても道幅が相当に狭く対向で大型トラックでも来ようものならなかなか怖いところです。

西枇杷島駅を跨ぐ県道陸橋。
なかなか渋くて味のある陸橋ですが相当ガタが来てる感は否めません。
因みに竣工は1934(昭和9)年とのこと・・・味があるわけですね。

振り返るとファンにはよく知られた枇杷島デルタ線地帯。
右が名古屋本線で左は留置線を兼ねた短絡線。

名古屋本線側から見た短絡線ヤード。少なくなったものの木製架線柱も残り名古屋本線や犬山線から見ると異界の線路のよう。
単線の短絡線があっただけだったのが戦時中に線路が増設され最盛期には左の建物の部分にも犬山線側から入って行き止まり式の貨物側線、貨物ホームがありました。
名鉄OBの方から伺ったお話では貨物の乗務区が置かれ名鉄西部線の貨物の中枢だったとのこと。
昭和20~30年代には貨車がひしめいていましたが1966(昭和41)年2月に貨物取扱いが廃止されています。
投稿日:2019-06-02 Sun
とある森林鉄道に関して執筆活動やその他もろもろのためブログに大穴開けてます。何故かひとつ忙しくなるとドミノ的に関連性のないことまで忙しくなってしまうのは何故なんでしょうね??
やりがいのある事で忙しくなることは有りがたいことなのですが今秋まではこんな状態かも・・・(^ ^;)
2019(平成30)年3月16日のダイヤ改正で列車の待避が無くなったという名鉄名古屋本線西枇杷島駅。
普通列車のみ停車でこの駅を通る列車の殆どは通過列車で停車するのは30分に1本の普通のみ。
名古屋に近いのに停車列車数は異様に少ないです。
600m西に準急停車駅の二ツ杁駅があるのでそちらを使った方が便利な気もします。

西枇杷島駅舎
旧国道22号線の古典的な陸橋下に建つ木造モルタルの駅舎。
トランパス導入で駅前に券売機の建屋が増築されていますが昔ながらの駅舎がこれまで残されていました。

名鉄全線を見てもこのような昔ながらの駅舎はここ15年ほどの間にほとんどが姿を消しました。

旅客ホームが極細のため停車列車が来る直前の列車が通過するまで改札口の遮断機が開かないことで知られる独特の駅でしたが待避線が不要になったことでホームを拡幅、独特の改札風景も解消します。

駅員配置はあるものの安全要員で切符の販売は自販機のみで窓口は閉鎖されています。

西枇杷島を象徴する極細ホーム。
旅客はこんな状態で戦時中は休止されていたほど・・・しかしこの駅の重要性は貨物扱いにこそありました。
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