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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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ひめしゃがの湯No.118公開
昨日アップした飛騨小坂ひめしゃがの湯のNo.118をGW最終日5月6日(月)に公開します。
当日は10:00~15:00の間日頃被せているカバーを外して展示を行います。
20190506-01.jpg

20190506-02.jpg
当日は私もスタッフとして参加する予定。準備のためブログの更新頻度が低下中~(^ ^;)
GW最終日のお出かけ先として検討して頂ければ幸いです。

ひめしゃがの湯への公共交通機関は土日は便数が減るのでご注意下さい。
名古屋方面からお越しの場合以下のような案が考えられます。

名古屋方面から鉄道・バス利用の場合
<行き>
<案1>
ワイドビューひだ1号
 名古屋7:45~岐阜8:05~下呂9:25
濃飛バス鹿山行
 下呂駅前9:35~(飛騨)小坂駅前10:20~ひめしゃがの湯10:34

<案2>
ワイドビューひだ3号
 名古屋8:43~岐阜9:03~下呂10:13
濃飛バス鹿山行
 下呂駅前11:00~(飛騨)小坂駅前11:45~ひめしゃがの湯11:59

<案3>
ワイドビューひだ7号
 名古屋10:48~岐阜11:08~下呂12:25
濃飛バス鹿山行
 下呂駅前12:35~(飛騨)小坂駅前13:20~ひめしゃがの湯13:34

<帰り>
<案1>
濃飛バス下呂バスセンター行
 ひめしゃがの湯11:11~(飛騨)小坂駅前11:28~下呂駅前12:12
ワイドビューひだ8号
 下呂12:20~岐阜13:41~名古屋14:04

<案2>
濃飛バス下呂バスセンター行
 ひめしゃがの湯14:12~(飛騨)小坂駅前14:28~下呂駅前15:12
ワイドビューひだ14号
 下呂15:27~岐阜16:41~名古屋17:04

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森林鉄道(名古屋営林局) | 22:28:30 | Trackback(0) | Comments(0)
ひめしゃがの湯No.118入線
所属する小坂森林鉄道研究会で以下の機関車受け入れなどで多忙になっていたためしばらくブログに穴を空けてしまいました(_ _)

小坂森林鉄道研究会で野辺山SLランド様より1957(昭和32)年酒井工作所製5t機元・長野営林局上松運輸営林署No.118を譲り受けひめしゃがの湯に設置しました。
防犯上の都合から日頃は非公開としていますが折に触れて休日などに公開したいと思います。
現在線路が静態保存用の短いものしかありませんが延長して動態運転ができるようにしたいと思いますので皆様のお力をお貸しいただければと幸いです。

P1080275.jpg
木曽の5t機としては珍しいトルコン付き。
この機関車が製造された1957(昭和32)年頃小坂森林鉄道の機関車新製は酒井から協三へ移行しており同時期に製造された機関車は協三製ばかり、それも束の間で道路林道化の方針が立てられ線路撤去、縮小期に入ったところでした。

P1080280.jpg
野辺山では土砂降りの中で見たこの機関車。まさかここで見られるようになるとは。
新しく入った各車両の詳細についてはまた改めてご紹介したいと思います。

P1080243.jpg
運材貨車2台も一緒に飛騨小坂入りしました。
右の客車用ステップがある方は野辺山時代看板を取付けてあったもので
岩崎レール工業1961(昭和36)年3月製造(製番20979)
・・・
何とひめしゃがの湯に以前からいるB客王営No.7こはん号の川下側のオリジナルの台車だったのです!
われわれ小坂森林鉄道研究会員が気付いてないうちに何十年振りかの再開を果たしていたのでした。
王営No.7こはん号の台車については↓の記事にまとめています。
ひめしゃがの湯の保存車(長野営林局王滝営林署王営No.7)

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森林鉄道(長野営林局) | 23:36:55 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道瀬戸線小幡駅の貨物側線~その2~
obata-map.png
入換機留置線から瀬戸電上下本線を挟んで南に貨物側線と貨物ホームがありました。
また図中下りホームの左側(堀川側)にも何やら側線が見られます。
到着する貨物列車の編成によって入換機が待機する位置を変えるため設けたもう一つの入換機留置線かも知れませんがよくわかりません。

P1070787.jpg
小幡駅橋上駅通路の南側より尾張瀬戸方面を見た様子。
駐輪場の建物付近に貨物ホームがあったものと思われます。

P1070782.jpg
P1070783.jpg
貨物ホーム跡の駐輪場から尾張瀬戸方に延びる引上線と思われる跡は駐車場になっていましたが連続立体交差化の工事のため使用中止になっている模様。
高架化されたら側線跡はどんな風になるでしょうね。

P1070795.jpg
堀川方(現在は線路付替えで栄町方)の側線跡は道路になって難の面影も無し。
吊り掛け6750系が走っていた頃よく電車を撮影したポイントですが側線があったような雰囲気は皆無でした。

P1070796.jpg
小幡駅の上りホームから下りホームを見ていると軌道線の低床ホーム時代の名残が。

P1070797.jpg
このスロープの形からするとかつてはこの右付近に下りホームから上りホームへ渡る構内踏切があったのでしょう。

obata_20190421212932eb0.png
愛知県統計年鑑から作成した1950(昭和25)~1957(昭和32)年度の小幡駅貨物取扱量推移。
到着が圧倒的に多いので山田タイルで使用するタイル原料の陶土や燃料の石炭が多かったのでしょうか。

参考文献:
愛知県統計年鑑(愛知県)
名古屋鉄道車両史 上巻(清水 武、田中 義人/著 アルファベータブックス/刊)


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貨物側線跡 | 21:51:15 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道瀬戸線小幡駅の貨物側線~その1~
名鉄瀬戸線は名古屋と瀬戸市をつなぐ路線ですが元は瀬戸電気鉄道で現在も他の名鉄線と接続が無いため独特の雰囲気があり近隣の人には今も「せとでん」の愛称で親しまれています。
磁器が瀬戸物と言われるだけあって焼き物の産地瀬戸市から瀬戸電による陶磁器輸送が盛んでしたが途中駅からも貨物輸送が行われていました。

P1070792.jpg
小幡駅はかつて近くの竜泉寺をイメージしたという味のある丸い駅舎が名物でしたが今は典型的な大都市近郊駅。
現在は名古屋市守山区で名古屋市バスも発着しますが貨物輸送が行われていた頃は守山市という別個の市でした。

obata.png
国土地理院の1948(昭和23)年米軍撮影空中写真より小幡駅付近を見た様子。
駅の南にかつては山田タイル(現・KYタイル)守山工場が存在し原材料の搬入や製品の搬出に使われていたとのこと。
貨物側線の入換機として電動貨車や電車改造電機も配置されていました。

obata-map.png
1943(昭和18)年当時の小幡駅配線図。
名古屋鉄道車両史 上巻(清水 武、田中 義人/著 アルファベータブックス/刊)掲載の名鉄線配線図を元に作成。
昭和30年代の写真を見ても駅東側の配線は変わっていなかった様子。
戦前の瀬戸電は軌道線で電車も大型ステップ付きの路面電車タイプで、電車は単行かサや貨車を1両を牽く程度のため旅客ホームも短いものでした。

P1070774.jpg
現在の小幡駅。今では乗降客も増え全列車が4両編成。
準急尾張瀬戸行4000系が止まっている辺りかその若干手前がかつての下り(尾張瀬戸方面)旅客ホーム末端と思われます。
留置線はその手前側(尾張瀬戸側)にありました。

P1070778.jpg
橋上駅舎上から尾張瀬戸方面を見た様子。
小幡~大森金城学院前は交通量の多い瀬戸街道(愛知県道15号名古屋多治見線)や国道302号線と交差するため高架化工事が進められていますが踏切の奥に留置線が分岐していた線形が残っています。
手前の自転車置き場辺りに1960(昭和35)年まではデキ31が留置されていたのでしょう。

P1070781.jpg
留置線分岐部。
貨物側線(引上線)は踏切を挟んで向かいの線路沿いに細長く続く駐車場(跡?)になっています。

P1070780.jpg
留置線跡を尾張瀬戸寄りから見た様子。
跡地はホームの延伸スペースや駐輪場に利用されています。

mei-deki31-1.gif  mei-deki31-2.gif
かつての小幡駅のヌシだったデキ30形31。
元は名古屋電気鉄道の1912(大正元)年名古屋電車製作所製168号型193号。
番号は以下のように変遷しています。
193→526→デシ526→デワ52(?)→デキ52→デキ31 1960(昭和35)年8月廃車
竹鼻線西笠松駅の側線入換に使われたデキ32とは同形式ですがパンタが中央に設けられていたり前照灯の位置が違ったりと微妙に形態に違いが出ていました。
本線系から瀬戸線に移ってきたのは戦後だったようです。

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貨物側線跡 | 23:33:54 | Trackback(0) | Comments(0)
福玉精麦布袋倉庫専用線(名古屋鉄道犬山線布袋駅)~その2~
布袋駅の専用線2回目

hotei_map1.jpg
1977(昭和52)年の空中写真では貨物側線はあるものの福玉精麦専用線は既に無くなっていたようで写っていません。
1967(昭和42)~1970(昭和45)年頃に無くなったようです。

hotei-map2.png
2008(平成20)年当時の配線から専用線があった頃の姿を推定。
1番線から分岐して倉庫沿いに続いていたものと思われます。

P1070695.jpg
新鵜沼方にある図中の①の倉庫。

P1070696.jpg
①の倉庫と線路の間のフェンスに囲まれたスペース・・・ここに側線が入っていたら荷卸しできそうですが有効長から見るとワム1車は入るかどうかくらいしかありません。1961(昭和36)年の空中写真で見てもどうも線路が入っているようには見えません。

P1070693.jpg
高架化で東口が福玉精麦倉庫の敷地間に割り込み駅前広場をつくっています。

P1070692.jpg
図中の③、④の倉庫。
裏手には上り待避線が接していましたが今は高架が近接して線路側は見ることができません。

IMG_9136.jpg
高架化前の様子。下りホームから上りホーム越しに③、④の倉庫を見た様子。
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_9177.jpg
③、④の倉庫は名古屋方面の待避線に接しておりここで荷降ろしすれば倉庫へ貨物を運び込むことも出来ますがその間待避線に普通列車が入れません。
待避線から⑤、⑥の倉庫に沿って専用線が分岐していたものと思われますがよくわからないところも。
⑥の倉庫は新しいので⑥の倉庫の位置まで線路があったものと想像しますが。
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_9172.jpg
貨物側線で廃車前提留置中の7019Fと上り待避線から発車して行く現役の7000系普通。
バックは⑥の倉庫。
2008(平成20)年7月12日撮影

hotei.png
愛知県の名鉄各駅の貨物取扱量データは愛知県統計年鑑(愛知県)で1950(昭和25)~1957(昭和32)年度のものしかありませんが福玉精麦布袋倉庫と専用線が開設された1954(昭和29)年度から到着量が伸びていることがわかります。

参考文献:
愛知県統計年鑑(愛知県)
明日への礎石 ~福玉の百年~(福玉精穀倉庫)

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専用線跡 | 22:50:15 | Trackback(0) | Comments(0)
福玉精麦布袋倉庫専用線(名古屋鉄道犬山線布袋駅)~その1~
福玉精麦は布袋駅からも程近い五条川で明治時代から水車による精麦、精米、製麺を行っていたのがルーツで1951(昭和26)年より倉庫業を始めていました。
当時は名古屋港湾地区で慢性的に倉庫が不足していました。
と言って港湾部に倉庫を新設することが難しく内陸部の布袋へ倉庫を建設することになりました。
1954(昭和29)年6月に専用側線付き一号庫が完成。
以降1962(昭和37)年4月の7号倉庫完成まで拡張が続けられています。
政府食糧保管のための倉庫で船から陸揚げされた米や麦などの食糧を名古屋港から貨車で布袋まで輸送・保管していたようです。
この専用線は専用線一覧表では1967(昭和42)年版まで存在を確認しています。

布袋駅自体は元々隣の古知野駅(現・江南駅)より貨物取扱量は少なかったのですが1958(昭和33)、1959(昭和34)年頃に布袋駅へ貨物扱いを移したのか古知野駅の貨物扱いは早々と廃止されています。
布袋駅での貨物扱いは犬山線でも最後まで残り1983(昭和58)年度に廃止されています。

作業方法:社機
作業キロ:0.1km

hotei_map1.jpg
1977(昭和52)年の布袋駅。
専用線は廃止されていますが構内には貨物ホームや黒貨車の姿が見られます。

P1070699.jpg
高架工事中の布袋駅。
2019(平成31)年4月現在上り線のみが高架化完了し、引き続き下り線の高架化工事が進められています。

IMG_9139.jpg
高架化されて貨物扱い時の面影が消えた画像を上げるよりは面影の有った頃の画像を上げます。
1912(明治45)年に名古屋電気鉄道郡部線として開業した当時の駅舎が残っていた頃。
2008(平成16)年7月12日撮影

IMG_9176.jpg
入口には旧・名古屋電気鉄道の社章が彫刻されたアーチがあり地元からは駅舎保存の要望もありましたが残念ながら解体。
一部部材が保存されており地元で公開へ向け準備中とのこと。
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_9134.jpg
撮影当時は旧・貨物ヤードが廃車予定の車を疎開留置するのに使われていました。
前面の逆富士形表示板が外された7000系パノラマカーが並んでいました。
右は7019Fで左の編成番号は失念
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_9150.jpg
7019Fの左に貨物ホームがあったそうですが案の定駐車場にされていました。
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_6891.jpg
2005(平成17)年1月30日撮影
前日で引退した3色の5500系が連結されて留置中。

IMG_6893.jpg
2005(平成17)年1月30日撮影
奥の方に駅舎と構内踏切が見えます。
貨物側線は改札口前の構内踏切で分岐していました。
入換をされると上下ホームとも出入りができなくなってしまう形態・・・まあ貨車入換中であれば電車も発車できないのですが。

IMG_6897.jpg
貨物側線を名古屋方から見た様子。
2005(平成17)年1月30日撮影

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専用線跡 | 22:43:41 | Trackback(0) | Comments(0)
未成線?服部商店古知野工場専用線?(名古屋鉄道犬山線古知野駅(現・江南駅))~その2~
名鉄犬山線江南駅の謎の専用線(?)2回目~。
kochino-map.jpg
探索前に国土地理院の空中写真から未成の専用線路盤らしきものが写った箇所をおさらい。

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古知野駅改め江南駅を新鵜沼方から見た様子。
「江南」と言う地名は昭和の大合併時にできた新しい名前で木曽川の南にあるということで木曽川を中国の揚子江に見立てて江南市としたそうです。
その江南駅構内から通過電車の放送が聞こえてきたので珍しいなと思ってカメラを構えたら名古屋市交通局鶴舞線3000形が回送されて来ました。

P1070845.jpg
赤い回送幕がどことなく優等列車じみて格好いいのでアップも~。
平日朝ラッシュ時は名古屋市交車による急行も走るのですが平日土休日とも昼間は名市交車の岩倉以遠に行く運用はありません。

P1070839.jpg
江南駅を出てすぐに北上してきた犬山線が北東方向へカーブする内側に分岐の跡があります。
中央やや右に見える2階建ての茶色い住宅だけが周りの家に対し斜めっています。
線路跡(?)を利用したためこのようなつくりになったようです。

P1070862.jpg
その斜めに建った家の裏からは線路跡(?)が道路になっています。
中央の街灯の左奥に見える住宅が上の写真の斜め住宅。
その後ろに見えるのは犬山線の架線柱。

P1070851.jpg
その先は特にどうという特徴もない住宅街の裏路地。
特に山も河川もないので隧道や橋梁、開渠の類さえもなく真っ直ぐ中央公園を目指しています。
用地境界標が無いかと見たものの住宅の基礎に取り込まれて刻印の見えないものがあっただけ。

P1070856.jpg
服部商店→興亜紡績→三鷹航空工業→興和紡績古知野工場跡の中央公園から専用線(?)の古知野駅(現・江南駅)方面を見た様子。

P1070855.jpg
工場入口・・・専用線ができていれば鉄道門が設けられたであろう付近から工場内方向を見た様子。
1918(大正7)年5月に操業開始した歴史のある織布、紡績工場でしたが1977(昭和52)年7月13日に閉鎖され中央公園、江南市文化会館、江南高校がつくられて今では工場があったような面影が見当たりません。
専用線は右にカーブして進行方向を東から南へと変えます。

P1070858.jpg
江南高校に突き当たって探索可能な区間は終わり。


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専用線跡 | 22:35:18 | Trackback(0) | Comments(0)
未成線?服部商店古知野工場専用線?(名古屋鉄道犬山線古知野駅(現・江南駅))~その1~
国土地理院の航空写真で名鉄犬山線沿いを見ていくと江南駅(当時は古知野駅)から東の工場へ専用線のようなものが分岐しているのが見えます。
kochino-map.jpg
よく見ると実際に線路が敷設されている様子はなく路盤だけがあるようにも見えます。
専用線一覧で古知野駅は一度も登場しませんし名鉄ファンの間でも布袋駅の貨物が盛んだったのは聞いても古知野駅の名前が挙がったことはありません。

現在の地図に落としてみるとこんな感じ。

江南駅犬山方で東へ分岐して中央公園、江南高校に突っ込んでいくような路線配置です。

中央公園、江南高校の位置には1977(昭和52)年まで興和紡績古知野工場が存在しました。
この工場の歴史は古く服部商店(興服産業(興和冷蔵)専用線(名鉄名古屋本線堀田駅)でも出てきました)が1918(大正7)年5月に織布工場を設置、1937(昭和12)年には綿紡績兼営工場となっています。
戦時中には社名が興亜紡績となっていましたが中島飛行機傘下に組み入れられ同系列の三鷹航空工業へ工場が貸与されました。古知野工場は戦災に遭うことなく1946(昭和21)年2月に興亜紡績から名前を変えた興和紡績へ返還され元の綿紡績織布工場へ復元されました。
専用線が敷設された、または敷設しようとしたという記述は名鉄、興和紡績側双方の記録を当ってみたものの見付けられていませんが輸出用の綿糸、綿織物製品が多かったようなので原料の原綿や工場動力の石炭搬入、製品の綿糸。綿織物搬出用に計画、建設が進められたものと思われます。
初代名古屋鉄道線内の貨物が増え1924(大正13)年にはデキ100を製造していますが専用線敷設、中止時期はそれ以降大正末から昭和初期くらいと思われます。
未成に終わったのは急激に工場の業績が悪化したか電鉄側との交渉が不調に終わったかと思いますがその頃の日本経済は確かに何度も恐慌に襲われています。

P1070865.jpg
古知野駅改め江南駅。
愛知県江南市の代表駅で普通から空港特急ミュースカイまで全旅客列車が停車します。
江南市は1954(昭和29)年6月1日に古知野町、布袋町、宮田町、草井村が合併して発足していますが古知野駅が江南駅になったのは27年も後の1981(昭和56)年11月10日。
現在は改札口が地下道内で地上は島式ホーム1面2線の素っ気ないもの。

P1070868.jpg
江南駅名古屋方。
犬山線の前後が急カーブして見通しの悪い駅です。

P1070870.jpg
ホーム名古屋寄りから新鵜沼方を見た様子。
今は渡り線もなく折り返しも出来ない配線ですがかつては相対式ホームで上り方向は待避線、下り方向には貨物側線、貨物ホームもある大きな駅だった様子。

P1070869.jpg
現在のホームから下り線を挟んでかつて相対式だった頃の下りホーム、貨物ホームの残骸が残っています。

P1070866.jpg
江南駅新鵜沼方。
5000系準急新可児行が発車。
紡績工場専用線らしきものはこの先で右へ分岐していました。

参考文献:
名古屋鉄道百年史(名古屋鉄道)
興和百年社史(興和紡績)

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専用線跡 | 23:42:21 | Trackback(0) | Comments(0)
長良川鉄道母野駅の貨物側線(越美南線美濃洲原駅→木尾駅→長良川鉄道母野駅)~その2~
長良川鉄道母野駅の貨物側線2回目。
なお実際に貨物営業が廃止されたのは1959(昭和34)年木尾(こんの)駅を名乗っていた時代です。

P1070884.jpg
駅舎から貨物側線の方へ~。
後方に見える高架は東海北陸自動車道です。

P1070895.jpg
左に貨物ホーム右に旅客ホームがあります。
スペースの広さからすると側線を2線敷くことができそうな感じもします。

P1070887.jpg
旅客ホーム上から見た貨物ホーム。
裏側を通る国道156号線にホームが削られたのかホーム上のスペースは非常に狭くなっています。

P1070889.jpg
驚いたことに貨物ホーム横の側線は敷設されたまま朽ちかけています。
貨物側線と言うより保線車の留置側線として使っていたのが荒れ果てただけかもしれませんがなかなかの雰囲気。

hanno.png
越美南線木尾駅末期の貨物取扱量。
非常に少なく貨物ホームまで用意する必要があったのか疑問になるほど。
駅の立地条件からしても旅客貨物とも多くなさそうと思いましたが本当に少なかった(^ ^;)
何故こんなところに駅がつくられたのか・・・
住宅が多いのは前後の美濃市須原と美並村(現・郡上市)木尾、現在はどちらにも新たに駅が置かれています。
個人的な推測ですが両地区とも駅を誘致したものの置ける駅は1つだけ・・・恐らく公平を期すため両地区中間の人家疎らな場所に駅を置いたのではないかと思います。

参考文献:
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)

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貨物側線跡 | 22:10:36 | Trackback(0) | Comments(0)
長良川鉄道母野駅の貨物側線(越美南線美濃洲原駅→木尾駅→長良川鉄道母野駅)~その1~
長良川鉄道越美南線が美濃市から郡上市(旧・美並村)に入って最初の駅が母野駅。
「母野」と書いて「はんの」と読みます。

P1070883.jpg
国道156号線すぐ横のささやかな無人駅です。
乗降客数も貨物取扱量もさほど多くなさそう・・・実際本当に少なかったのですがちゃんとした貨物ホームが残っている妙な駅。

P1070897.jpg
越美南線開業時の駅名は美濃洲原でしたが駅名の元になっている人家の多い須原地区や参拝客でにぎわった洲原神社は近いとは言え隣の美濃市に位置します。
そのためか国鉄時代の1957(昭和32)年4月1日須原地区内に美濃洲原駅(2代目)が開業するのに当たり駅名を譲るため前もって改名。
1956(昭和31)年12月20日に木尾(こんの)駅になりました。
ところが越美南線の長良川鉄道移管時1986(昭和61)年12月11日に今度は木尾地区の中心部に木尾駅(2代目)が開業。
現在の母野駅に2度目の改名を行っています。
前後に新駅ができる度に駅名を奪われる何とも因果な駅(T T)。

P1070885.jpg
旅客ホームから北濃方を見た様子。
線形から向かいにもかつては線路が敷設されていたようです。

P1070901.jpg
交換駅だった名残りのようにも見えますが向かいにはホーム跡が見当たらず旅客列車同士の交換は不可能。

P1070888.jpg
美濃太田方。
こちらも交換駅のようにY字型にすべく線路を敷設していたようです。
手前には保線側線となった貨物側線の分岐跡。

hanno-map.png
下り(北濃方面行)列車で到着した貨車を貨物側線に押し込むには機関車を機回しする必要があるので向かいの線路は上の図のように機回し線としてのみ使っていた可能性も考えられます。

P1070902.jpg
駅舎があったと思われる付近から貨物側線方を見た様子。
地形からして駅舎は相当小さかったようです。



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貨物側線跡 | 23:40:58 | Trackback(0) | Comments(0)
駐留軍キャンプ岐阜専用線(名古屋鉄道各務原線三柿野駅)~その3~
三柿野駅構内と東側線の様子。

東側線は距離は短いですが基地の外を走っていた区間が短いながらあるため廃線跡が見られます。

P1070620.jpg
新鵜沼方の踏切から見た三柿野駅1番線。
留置線として使われていることが多く名古屋市交鶴舞線乗入れ用100系が留置中。
この車両広見線で試運転をしていたり三河線を土橋や猿投まで回送されたり営業運転区間外でもちょいちょい見掛けますね。

P1070627.jpg
1番線の裏にも側線があったような跡があります。
1番ホームへ登る階段がありますがこちらに駅の出入り口があったのでしょうか?
過去の航空写真を見てもそれらしいものが写っているのは見たことがありません。

P1070619.jpg
新鵜沼方を見た様子。やはり側線が分岐していたような拡がりが見られます。

P1070622.jpg
踏切を渡って南側のヤードを新鵜沼方から見た様子。

P1070621.jpg
反対には東側線の分岐跡。

P1070626.jpg
各務原線から分岐して・・・

P1070623.jpg
岐阜基地に入るまでの路盤は道路になっています。

P1070624.jpg
100mほどで基地の塀で断ち切られています。

mikakino_20190404214747b5e.png
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)三柿野駅の貨物取扱量グラフ。
米軍のキャンプ岐阜返還により専用線廃止になるまでの末期4年分しかデータはありませんが1955(昭和30)年度の発送量の多さに目を瞠らされます。
単純計算で1日で発送258t(ワム車17台強)、到着57t(ワム車4台)。

各務原線新那加~三柿野や専用線で使われた国鉄より名鉄へ払い下げの蒸気機関車1000形1017、1024号DED8584は輸送能力が逼迫していた名電築港、東名古屋港の輸送に充てられています。

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専用線跡 | 22:29:34 | Trackback(0) | Comments(0)
駐留軍キャンプ岐阜専用線(名古屋鉄道各務原線三柿野駅)~その2~

三柿野駅から航空自衛隊岐阜基地内へ約2.6kmも延びていた西側線。

滑走路を横断してますが陸軍各務原飛行場当時は線路の場所まで滑走路がありませんでした。

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三柿野駅南側。
側線を2本ほど敷けそうなスペースが駐車場になっています。
架線柱は建て替わっているものの幅広なままです。

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名鉄岐阜寄りは保線車用側線となって一部線路が健在。

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岐阜方を見た様子。
西側線の線路は左の万年塀向こうの川崎重工敷地内へ入っていましたが分岐跡は何もありません。
線路を乗り越している陸橋は旧中山道の国道21号線。
かつては踏切で渡っていました。

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国道21号線上から見ても敷地内には特に残っているものは無さそう。
専用線廃線後の昭和30年代に川崎航空機がロッキード式モノレールを研究開発していますがその試験線が敷かれたのがどうもこの辺の専用線跡地だったようです。
このモノレールは2両一組の試作車でしたが1966(昭和41)年に小田急電鉄が購入しロマンスカー塗装を施し向ヶ丘遊園モノレールでデハ500形として2000(平成12)年まで使用されました。


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専用線跡 | 22:53:11 | Trackback(0) | Comments(0)