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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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駐留軍キャンプ岐阜専用線(名古屋鉄道各務原線三柿野駅)~その1~
岐阜県各務原市の航空自衛隊岐阜基地のルーツは1917(大正6)年に設置された陸軍各務原飛行場。
日本で初めて飛行機が飛んだ1911(明治44)年開設の所沢飛行場に次ぐ飛行場で所沢飛行場無き今では現存最古の飛行場です。
各務原航空隊が置かれ1939(昭和14)年に海軍の零式艦上戦闘機「ゼロ戦」が初めて飛んだのも各務原の空でした。
陸軍航空廠を始め川崎航空機岐阜工場、三菱重工業の航空機工場も集まり太平洋戦争中には何度も爆撃を受け、戦後は進駐軍に接収されキャンプ岐阜になりました。
1957(昭和32)年2月に一部が防衛庁に返還され翌1958(昭和33)年には全面返還され航空自衛隊岐阜基地として使用され続けています。

専用線開通時期は不明ですが1944(昭和19)年に米軍が陸地測量部1/5万地形図 岐阜(1935(昭和10)年7月30日発行)を入手して作成した地図には各務野駅(補給部前から改称、現・三柿野)から西へ分岐する専用線が描かれています。
戦後は駐留軍が専用線を拡張して使用したようです。
路線は三柿野駅の新岐阜(現・名鉄岐阜)方で分岐し基地南端の現在の岐阜かかみがはら航空宇宙博物館付近まで延びていた約2.6kmの線(仮に「西側線」とする)と新鵜沼方で分岐して基地内を各務原線と平行に延びていた約0.8㎞の線(仮に「東側線」とする)がありました。


mikakino_p.jpg
国土地理院WEBサイトの空中写真。
かなり長く入り込んだ専用線ですが路線の殆どが現役自衛隊基地内なので現状はgoogleマップの航空写真以外はほとんど確認不可。

作業方法:---
作業キロ:20.0km

専用線一覧表の駐留軍専用線には作業方法が記載されていませんが各務原線新那加~三柿野の本線貨物を含め名鉄蒸機、高山本線から乗り入れた美濃太田機関区の国鉄蒸機、米軍が持ち込んだGE製44t電気式DLの軍番号8584号(後に名鉄へ払い下げられDED8584)が使われていました。
作業キロが20.0kmととんでもなく長いですが複雑な入換を行っていたのでしょうか?

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 23:01:57 | Trackback(0) | Comments(0)
高山本線渚駅の貨物側線
山奥にありながら「渚」という地名で注目される渚駅。
因みに「渚」と言う名前の駅はもう一か所ありますがこちらも海から離れた松本市内のアルピコ交通(松本電鉄)島々線にあります。
岐阜県高山市久々野町渚の集落の片隅に位置し駅裏には国道41号線も通り秘境駅と言うほどのことはありませんが人気はありません。

P1070538.jpg
営林署の貯木場があり貨物発送量が多かった飛騨小坂久々野両駅に挟まれた小駅。
そう言えば特急ワイドビューひだも飛騨小坂、久々野には一部停車する列車がありますが渚は一部の普通列車にさえ通過されます。
裏手一段高いところに見えるガードレールは国道41号線。

P1070551.jpg
貨物ホームは駅舎向かって左(岐阜方)にあります。

P1070544.jpg
貨物ホーム、貨物側線は保線車留置線として健在。
草の状態からしてここで積込みを行うことは無いようですが。

P1070545.jpg
近所に鉱山もないので主な発送品は恐らく木材。
国有林の官材は飛騨小坂、久々野駅に集約されるので渚駅で扱ったのは主に民材だったのでしょう。
1957(昭和32)年度の発送量9,813tからすると平均で1地日10t積み無蓋車ト3台くらいが入っていたものと思われます。

P1070548.jpg
岐阜方より構内を見た様子。

P1070549.jpg
跨線橋の銘板。1968(昭和43)年10月31日竣工。
この直前のヨンサントー(昭和43年10月ダイヤ改正)でキハ80系特急「ひだ」が走り始めており高速化を見据えて安全のため構内踏切を廃止して跨線橋を架けたというところでしょうか。

P1070540.jpg
渚駅の富山方。
岐阜から長いこと付き合ってきた木曽、飛騨川も次の久々野駅まで。
久々野~飛騨一ノ宮で宮峠を越えると今度は日本海側へ流れる宮川、神通川に沿って富山へ下ります。

nagisa.png
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)より作成した渚駅の貨物取扱量グラフ。
発送主体で1957(昭和32)年度には10,000t近くあった発送量が5年後の1962(昭和37)年度にはほぼ半減しています。
合理化のため貨物扱いも飛騨小坂か久々野に集約したのでしょうか。

参考文献:
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)

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貨物側線跡 | 23:54:21 | Trackback(0) | Comments(0)
京都スイッチャー蒸機めぐり~加悦鉄道C-160
京都市北区の大宮交通公園に保存されている貴重な1942(昭和17)年6月本江機械製作所製の自重15.5tのCタンク機。
戦前から終戦直後の一時期に産業用蒸気機関車を大量に製造していた富山のメーカーで戦時中に立山重工業に改名しています。
大江山ニッケル鉱山から岩滝の精錬所まで加悦鉄道、日本冶金専用線を直通して運転されたそうですが重い鉱石列車に空制、貫通制動無しのスイッチャー同然の機関車を使うのはかなり恐ろしい気がします・・・(・◇・)
戦後は一時旅客列車にも使用されたものの1957(昭和32)年までは小浜線若狭和田分岐の若狭鉱山専用線に貸し出されていた時期が長かったようです。
加悦に戻った後は丹後山田(現・与謝)~岩滝工場で原料のニッケル鉱石搬入、半製品のニッケルルッペ搬出に使用され1966(昭和41)年3月に廃車。
暫らく加悦で保管された後1969(昭和44)年3月に京都市へ譲渡されたとのことなのでこの記事を書いている頃に京都市譲渡50周年を迎えたことになります。

P1070143.jpg
ヨ6720を従えた状態で保存されています。

P1070139.jpg
15t標準型らしく名鉄最後の蒸機(三興製紙私有機)C351も同タイプの機関車でした。
横には京都市電のN電がいますがベスチビュールが付いた末期の姿なのに無理矢理茶色塗装にしてます。
グリーンとクリームの昭和30年代塗装なら食指が動きますが後で見直したら碌に撮ってなかった(^ ^;)
以前は京都市電1860号もいましたがこちらは平安神宮の方に移ったそうな。

P1070136.jpg
空制非装備なのでエアホースなどは一切なしのスッキリした端梁。

P1070137.jpg
末期は専ら岩滝専用線内での使用でしたが朝夕は加悦の機関庫に入出庫するため丹後山田~加悦の加悦鉄本線上を旅客列車に続行して走行。
動輪3軸はかなり中央に寄ってオーバーハングが大きいので走行時の乗り心地どころか安定性がかなり悪そう。
実際ピッチングが激しかったと聞いています。

P1070140.jpg
サイドタンク容量確保のためか腰高な印象で窓も小さく鈍重なイメージ。

P1070135.jpg
中央に集まった小径動輪・・・何だか丸瀬布の21号を思わせますがこちらは第二動輪もフランジレスではありません。

P1070133.jpg
形式はC15なんですね。メーカー形式なのか加悦鉄の型式なのかいまいちよく分かりません。

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保存車 | 23:11:59 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道竹鼻線羽島(現・羽島市役所前)駅の貨物側線
2019(平成31)年3月現在竹鼻線で起点の笠松を除くと唯一の有人駅である羽島市役所前駅。
竹鼻駅が旧市街の中心なら羽島市役所前は新市街地の中心ということになるでしょうか。

P1070068.jpg
羽島市役所駅。
1929(昭和4)年4月1日の竹鼻鉄道大須全通時に設置されていますが竹鼻駅(2代目)として開駅。
元の竹鼻駅は予め栄町駅に改名していましたが1951(昭和26)年1月1日に竹鼻駅の名前を返して西竹鼻駅に改称。
更に羽島→羽島市役所前と改称しています。
ややこしいので年表形式で載せておきます。
1929.04.01 竹鼻(2代目)
1951.01.01 西竹鼻
1959.04.01 羽島
1965年度中 貨物取扱廃止
1982.12.11 羽島市役所前

P1070073.jpg
羽島市役所前駅を笠松方から見た様子。
竹鼻鉄道開業時の写真を見ると左に側線が分岐し貨物ホームが写っていました。
旅客ホームは今と同じ島式ですが路面で車並みの短くて狭い低床ホーム、貨物ホームの方が高床式で広く立派でした。

P1070065.jpg
ホーム上より新羽島・大須方を見た様子。
左の柵の向こうの段差はかつての貨物ホームの名残?
貨物ホーム跡向こうに見える背高な土蔵はこの地域の特徴をよく表しており水害で水が付かないように高い石垣を組んだ上に建っています。竹鼻線は木曽川、長良川に挟まれた輪中地帯の鉄道なのです。
ところでこの土蔵・・・竹鼻鉄道全通時(1929(昭和4)年)の写真には写っていないのですが存外新しいのでしょうか??

P1070066.jpg
もうちょっとホーム上を新羽島寄りへ進んだ様子。左の駐車場に末期の貨物ホームがありました。

P1070080.jpg
羽島市役所前駅を新羽島、大須方から見た様子。
右の駐車場が貨物ホームの跡。
開業時は広くて大きな貨物ホームでしたがRMライブラリ187 名鉄木造車鋼体化の系譜-3700系誕生まで-(清水 武/著 ネコ・パブリッシング/刊)扉絵の1982(昭和57)年6月撮影の写真を見ると貨物側線が無くなり旅客ホームから今3100系電車がいる1番線を挟んで貨物ホームがありました。
貨車を止めると1番線が塞がり電車同士の交換ができなくなりますがどうしていたのやら?
貨物廃止後も残っていた貨物ホームは1982(昭和57)年10月までには撤去、狭かった旅客ホームは拡幅され今の形になったようです。(国土地理院の空中写真より)

hashima.png
貨物取扱量は隣の竹鼻駅よりも少なく、内訳で見ると到着が多く発送はほとんど無いという状態。
1959(昭和34)年が特に落ち込んでいるのは伊勢湾台風の影響でしょうか?

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貨物側線跡 | 23:18:03 | Trackback(0) | Comments(0)
ひめしゃがの湯の保存車(名古屋営林局小坂営林署山トロと発電用水車)
ひめしゃがの湯保存車最終回。

小坂森林鉄道で使われたことがわかっている車両の内安全な場所で目にすることができる唯一の貴重車両。
作業軌道や木炭、雑貨輸送に使われた山トロです。
P1070517.jpg
以前は小坂線大洞川橋梁付近の倉庫の前に放置されていたのを修復したもの。
木部がボロボロだったため金属部分はほぼそのまま使用し木製台枠は新製しています。

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以前は間伐材を積んでいましたが現在は森林管理署より寄贈された動力用のペルトン水車を積載しています。

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木製車体ながら軸受部は平軸受でなく転がり軸受が使われており軽く回るようになっています。
軸蓋には"SATO"の陽刻がありますがメーカー名に心当たりがない~(- -;)
左に見える枠状のものはブレーキ制輪子を固定した棒が入っていたものと思われますが制輪子などブレーキ機構は残っていません。

P1070480.jpg
チルド車輪には「イワサキ」の文字とレールを菱枠で囲った社章があり岩崎レール工業製であることがわかります。
帝室林野局小坂出張所→名古屋営林局小坂営林署はボギー運材貨車やレールなどを同社から多数購入しています。
山トロの場合車輪や軸受をセットで購入し、木製車体は地元で製造して車両に組み上げていました。

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山トロに積載されているペルトン水車はかつて小坂森林鉄道唐谷線が入っていた唐谷製品事業所で昭和30年代頃まで使われていたと思われる発電用水車です。
かつて山奥の製品事業所までは電力線が引かれておらず小水力発電による自家発電を行っていました。
プーリーにベルトを掛けて発電機や回転軸に接続して動力として使うことができます。
展示しているのは水車部分で発電機はありません。以前調査時に底からカメラを入れた際には中身の水車が見えました。

説明板などは未設置(・・・と言うより研究会でもわかっていることが少な過ぎる^ ^;)で右書きの「名古屋 大池電機製作所 製造」という銘板だけが手がかり。
全国工場通覧 昭和10年9月版 (商工省/編 日刊工業新聞社/刊)によると

大池電機製作所
設立:1920(大正9)年3月
所在地:名古屋市中区大池町5
事業内容:発電機製造
戦後の全国工場通覧には載っておらず戦時中に閉業したのか疎開で他所へ移転したのかその後は不明です。

IMG_20180413_181439.jpg
大池町とは名古屋の大須から鶴舞にかけての旧町名です。
現在の住所区分にはありませんが上前津~鶴舞公園間の市バスのバス停の名前として残っています。

林野庁の映像ライブラリに同型の水車が使用されている映像がありました。

木曽御料林(昭和12年) 制作:帝室林野局
 第九 簡易曹達木材パルプの製造-阿寺御料地-
4:42~4:45で一瞬ですが丸鋸の動力源として使われているのが写ります。
映像は木曽の阿寺パルプ工場(長野県木曽郡大桑村)で直前には阿寺森林鉄道からの引込線で山トロが工場内にパルプ原料の間伐材を運び込んでいる様子も見られます
飛騨小坂にも帝室林野局の設置した同様のパルプ工場がありましたがひょっとしたらこの水車も元はパルプ工場にあったのが戦中の工場閉鎖後唐谷へ移設されたものだったのかも知れません。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 21:41:24 | Trackback(0) | Comments(2)
ひめしゃがの湯の保存車(長野営林局王滝営林署王営No.16の台車)
ひめしゃがの湯の保存車3回目

3両目は運材貨車・・・ですがステップが付いており元は客車の台車として使われていたものです。
木材を載せるテンプ(転向台)は貨車のものではなくトラック用のものを譲り受けて載せたものでオリジナルではありません。
P1070495.jpg
マツと見られる木材を載せてますが長さが転向台に引っ掛けられるギリギリしかない状態です。

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貨車はどちらも岩崎レール工業1961(昭和36)年3月製造のモノコックタイプ貨車。
左(下流側)は製番21040、右は製番21029。
元は王滝営林署のB型客車王営No.16が履いていた台車です。
滝越の少し奥の白川製品事業所に所属しており腰板は縦羽目板の一般的なB客だったようです。

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テンプは載せてあるだけで走行は出来ない状態とのこと。

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森林鉄道(長野営林局) | 22:43:14 | Trackback(0) | Comments(0)
ひめしゃがの湯の保存車(長野営林局王滝営林署王営No.7)
ひめしゃがの湯の保存車2回目

2両目は人員輸送用のB型客車こはん号。
元は王滝営林署時代の王営No.7。
こはん号と言う名前は三浦ダムの三浦貯水湖由来で保存後に付けられたもののようです。
P1070496.jpg
鉄道の木造車輛は貨車を除き通常縦に板を並べますがこの客車は横羽目板。
五味沢の文字は五味沢製品事業所所属時代の名残。
王滝森林鉄道王滝本線終点の本谷停車場からさらに上流へ続く五味沢線は小坂森林鉄道若栃線終点の至近まで延びていました。
現在保存されているひめしゃがの湯から五味沢までは南へ直線距離で15kmくらい。

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五味沢での事業が終わると末期は助六製品事業所へ移り五味沢の上に「助六」と書かれた木札を貼っていました。
津田沼で保存されている王営No.4と同タイプです。

P1070508.jpg
上流側台車はステップ付きの客車台車用のモノコックトロタイプ運材貨車1032号。
岩崎レール工業1961(昭和36)年3月製造(製番20982)。

P1070525.jpg
下流側台車は通常のステップ無しの運材貨車用が使われています。
形状から岩崎レール工業製と見られますが軸箱蓋が前後で違っており上流側(向かって右)には岩崎レール工業の社章陽刻あり。
銘板がないので素性は分かりません。
王営No.7現役時代はこちらもステップ付き運材貨車1031号岩崎レール工業1961(昭和36)年3月製造(製番20979)を履いていたようですが何時の間にやら履き替えられた様子。

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森林鉄道(長野営林局) | 22:43:42 | Trackback(0) | Comments(0)
ひめしゃがの湯の保存車(長野営林局王滝営林署No.33→王滝木材工業私有機)
所属している小坂森林鉄道研究会の会合のため飛騨小坂へ行ってきました。
P1070489.jpg
会合までの間にひめしゃがの湯で展示している静態保存車の状態をチェックして来ました。
会として公式な車両データ詳細を出していないので暫定的にこちらで出しておきます。
なおひめしゃがの湯は2019(平成31)年4月15日にリニューアルオープンのため休業中なので温泉入浴でお出かけの方は日にちにご注意ください。

P1070461.jpg
帝室林野局木曽支局No.41→長野営林局王滝営林署No.41→No.33→王滝木材工業私有機
製造:酒井工作所
購入年:1935(昭和10)年
自 重:4.1t
局形式:GB4→DB4?

1935(昭和10)年度に購入された酒井4.1tGL6台(旧番No.38~No.43→新番No.30~No.35)、木曽に酒井機が入ったのはこの年度が初めてという記念すべき1台です。
台枠の右書き「井カサ」の陽刻がチャームポイント。
翌1936(昭和11)年度に購入された旧番NO.45→新番No.37→No.60ではもうアルファベット陽刻の"SAKAI.WORKS"に変わっているので貴重な存在です。

P1070499.jpg
No.33は王滝営林署で1959(昭和34)年6月に廃車されて田島停車場に隣接した王滝木材工業に払い下げられておりこのオレンジ塗装は王滝木材工業時代の色です。
エンジンはGL機時代がブダK428、現車はディーゼルエンジン新三菱KE-5を搭載していますがエンジンを載せ替えたのが王滝署時代なのか王滝木材払い下げ後なのかよく分かっていません。

P1070464.jpg
なお営林署での廃車が早かったためか王滝・小川森林鉄道の機関車現存機としては珍しいエアブレーキ未装備車でブレーキ管、エアホースがありません。

P1070463.jpg
ラジエターグリル横に筒が付いていますが「木曽谷の森林鉄道(西 裕之/著 ネコ・パブリッシング/刊)」P.51の1966(昭和41)年10月に撮影された同機の写真では付いていません。
用途不明ですが安全旗などを差す旗差し??

P1070501.jpg
その反対側にはフックが付いています。
森林鉄道の古い写真ではよくここに一斗缶に取っ手を付けてバケツ状にしたものがぶら下がっていますがこれは線路に撒く滑り止めの砂を入れる容器でした。
機関車が空転しそうな場所では助手が飛び降りて砂を撮っては機関車の前からレール上に撒いていたそうです。
林鉄機関車が歩くようなスピードだったからできる芸当ですが枕木でつまづいて機関車側に転びでもしたら目も当てられないことになる危険な作業です。
当然機関車にはボンネット内に砂箱、砂撒き管が設置されてはいますが初期の内はそれでは不十分だったようです。

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森林鉄道(長野営林局) | 23:59:44 | Trackback(0) | Comments(0)
京都鉄道博物館展示車の現役時
京都鉄道博物館所蔵の車輌で現役時の写真が見付かったもの。
金沢育ちで大学も滋賀だったのでJR西日本の車両は馴染みのあるものが多いです。
他にも何となく覚えはあるけど写真に移っているのが同一番号車か特定できないというものがいくらかあります(爆)

P1070272.jpg
EF81 103
1974(昭和49)年日立製作所水戸工場製・・・常磐線勝田駅向かいの生まれです。

P1070274.jpg
トワイライトエクスプレス色のEF81は敦賀運転派出(敦賀第二機関区と言った方が馴染みが・・・)配置なのでまず間違いなく現役時代を見てるはずですが。

IMG_0596.jpg
すぐ傍の京都駅構内で撮った写真がありました。
2003(平成15)年3月24日 京都

IMG_8307.jpg
敦賀駅でも撮っています。
トワイライトエクスプレスを牽引し遠路はるばるやっと敦賀へ帰って来たところ。
トワイラ運用のEF81は敦賀~大阪~青森~敦賀と言う行路で運転され次の機関車と交代。
敦賀駅では機関車交換作業が見られるので人気を集めていました。
2005(平成17)年6月19日 敦賀

P1070198.jpg
クハ489-1
1971(昭和46)年東急車輛製。
金沢運転所配置の直江津方先頭車。
子供の頃乗った北陸特急は直江津方先頭車が自由席禁煙車だったので何度もお世話になった車です。

P1070197.jpg
北陸の極寒、ジメジメ酷暑の厳しい環境下(^ ^;)を走り回っている姿ばかり見ていたので冷暖房完備の屋内でカーペット上に鎮座している姿に当時とのギャップを感じます。

IMG_1627.jpg
当時米原~金沢の特急加越には通常6両編成の非ボンネット車が使われ、しらさぎもリニューアル車に変わっていたのでボンネット車を米原で見掛けることは無くなっていました。
この日大学の授業の合間に米原の電留線へ行くと珍しく両端ボンネット7連クハ489-1、現在小松で保存されているクハ489-501を含む編成が留置されており既に撮影者がちらほら。
これは夕方の便で出るな・・・と授業が終わってから坂田駅まで撮影に行ったもの。
485、489系ボンネット車の現役走行を撮影したのは夕暮れの近江路を行くこの1枚が最後となりました。
2003(平成15)年5月28日 米原~坂田

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保存車 | 23:10:04 | Trackback(0) | Comments(0)
京都スイッチャー蒸機巡り~1800形1801号
こちらも大阪弁天町の交通科学館よりの移転組
1881(明治14)年イギリスのキットソン(kitson)製Cタンク機。自重は39.81t。
国鉄時代は56→40→1801と改番されています。
東海道本線の関ヶ原旧線区間の勾配用に導入とのことですがその後
機関車表によると仙台局や東京局に配転後廃車。
1930(昭和5)年に当時手結(てい)~安芸が開通し全線開通にこぎつけた高知鉄道(後の土佐電気鉄道安芸線)へ払い下げになっています。高知でも番号は1801のままでした。
1940(昭和15)年には古巣の関ヶ原~長浜から琵琶湖を挟んだ東海道本線石山駅の東洋レーヨン滋賀工場専用線に転じています。
当初は1801号のままだったのが既存の101号(初代・・・1915(大正4)年製ポーター機元・長門鉄道101)の続番で102号に改番された様子。
因みに101号(初代)は後に101号(二代)が転入すると103号に改番、現在は加悦SL広場で保存されています。
石山では1964(昭和39)年に引退し交通科学館入りしました。

P1070174.jpg
展示では番号は1回目の改番で付いた40号になっています。

P1070175.jpg
石山東レ専用線時代の写真でも原形からあまり変わっておらずエアブレーキ取付けもされていなかったようです。

P1070190.jpg
先従輪が無く動輪3軸だけなので高知鉄道や東レ専用線など貧弱な線路での使用を考えると軌道負担が大きそう。
102号は軸重13t超・・・末期にいた日車15t機は2軸で軸重7.5tでした。

P1070196.jpg
それにしても関ヶ原旧線の急勾配区間をエアブレーキなしで下るのは今の感覚で見るとなかなか怖そう。
この機関車が行き来した旧線区間を自家用車を運転してよく通りますがゴムタイヤでもかなり急に感じます。

P1070189.jpg
kitsonの銘板。
東レ時代の写真を見ると付いていないので複製品でしょうか。

●東洋レーヨン滋賀工場専用線(東海道本線石山駅)
1801→102号が晩年活躍した専用線。
IMG_2805.jpg
廃止後レールが残っていた頃の撮影。
当時はまだ向かいの日本電気硝子専用線が運行していたのでスイッチャーが出て来るまで時間潰しに一周したときの写真です。
石山駅からスイッチバックして国道1号線を渡って終りでさほど長い専用線ではありませんでした。
2004(平成16)年1月23日

IMG_2806.jpg
同じ場所で工場側を振り返った様子。奥で国道1号(東海道)を横断しています。
2004(平成16)年1月23日

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保存車 | 23:59:11 | Trackback(0) | Comments(0)
京都スイッチャー蒸機巡り~230形233号
京都鉄道博物館の233号。
梅小路蒸気機関車館にいたものではなく大阪弁天町の交通科学館からの移転組です。

P1070165.jpg
1904(明治37)年汽車会社製1B1タンク機。自重38.22t。
最初期の国産量産機関車と言うことで鉄道記念物、機械遺産、重要文化財に指定されています。
初期の姿にするため空制のエアタンクやコンプレッサは無くなりバッファリンク連結器と真空ブレーキのエアホースが目を引きます。
真空ブレーキのホースは国内では早期に使われなくなったので現物を目にすることはほとんどありませんが「きかんしゃトーマス」に付いているので結構お馴染み?

P1070167.jpg
233号は大正、昭和初期にかけ米子や鳥取配置、その後新舞鶴(現・東舞鶴)、稲沢に移り最後は高砂工場の入換機になっていたようです。
稲沢では集中検査用とあるので貨車相手ではなく検査入場で無動力の機関車入換に使っていたのでしょうか。

P1070201.jpg
国産と言っても同時期のイギリス製タンク機の習作品。
400~700形辺りと見た目は変わりません。
このタイプは私鉄や専用線へ払い下げられたものも大量にあり一部は戦後まで走り続けています。

P1070163.jpg
製造は機関車表では1904(明治37)年8月とあるが銘板の年号は1903。
製造中に年を跨いでいるらしいです。やはり初めてのことばかりで時間が掛ったのでしょうか。

P1070169.jpg
屋内展示ではエントランスに鎮座しているため真っ先に目に飛び込んでくるカマ。
今はピカピカですが工場入換機時代の実用一辺倒だった姿も見て見たいなと思うのは専用線スイッチャー重症患者の為せる業?

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保存車 | 23:38:10 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道竹鼻線竹鼻駅の貨物側線~その2~
名鉄竹鼻線竹鼻駅の貨物側線2回目~。

P1070105.jpg
笠松方の駐車場と変電所が車庫の跡。
車庫から本線を挟んで反対側には・・・。

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貨物側線を利用した保線用側線が残存。
貨物ホームは一部削られていますがワム車3台位まで入れそう。

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貨物側線分岐部の架線柱は複線分のまま。

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笠松方面から貨物側線分岐部を見た様子。分岐器は保線車用の簡易な乗り越し転轍機になっています。

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竹鼻線へは1962(昭和37)年1500V昇圧後本線系列の電車が入線するようになります。
貨車牽引はわざわざ機関車を入れるほどの量でも無くなっていたため電車が牽引しました。
驚いたことに名古屋レール・アーカイブスの広報資料には流線型電車850系なまずが貨車を牽く写真が公開されています。
名古屋レール・アーカイブス NRA NEWS №9 2011年3月発行
貨車は国鉄の通風車ツム1形で沿線で生産された野菜を運んでいたのでしょうか。
戦時中にロングシート化され落ちぶれたとは言え流線型高速電車が貨車を牽いているのは何とも異様な光景(^ ^;)
乗客の姿も見えるので貨客混合列車と言うことになりますが各駅での貨車入換は乗客を乗せたまま電車で行っていたのか手押しで行っていたのか気になるところ。
竹鼻線で貨車を牽いている電車の写真は他に3800系も見たことがあります。
因みに850系、3800系も貨車と同じく自動空気ブレーキを使っているので電車、貨車同士のブレーキ管を連結して電車から貨車のブレーキ制御も行っていたのでしょう。

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竹鼻駅の貨物取扱量の変遷。
到着量は結構末期まで上昇傾向。
1964(昭和39)年度でも単純計算で1日平均20t弱の到着量があるので日にワム1、2車は発着していたようですね。

参考文献:
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)
名古屋レール・アーカイブスNRA NEWS №9(名古屋レール・アーカイブス)

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現役側線・専用線 | 21:59:39 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道竹鼻線竹鼻駅の貨物側線~その1~
線名の由来となる竹鼻は羽島市中心部の地名です。
1954(昭和29)年に昭和の大合併で羽島市が誕生しますがそれ以前は竹ヶ鼻町・・・「ヶ」が入ったり入らなかったりしますがなぜこうなったのかはよく分かりません。
隣近所の各務原市も各務ヶ原と各務原があり結構アバウト~。
1921(大正10)年6月25日に竹鼻駅(初代)として開業しますが1929(昭和4)年4月1日の大須延長直前2月19日に栄町駅に駅名変更、新線に開業する竹鼻駅(2代目・・・現・羽島市役所駅)へ駅名を譲っていますが1951(昭和26)年1月1日に竹鼻駅(3代目)に戻って現在に至ります。

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駅舎は1921(大正10)年竹鼻鉄道開業時以来の木造駅舎ですが改装され過ぎて原形からかけ離れて来てます。

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竹鼻鉄道時代以来の唯一の駅舎なのですが何だかいまいち有難みがない・・・(^ ^;)
貨物ホームは向かって右手月極め駐車場や駐輪場の場所。

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営業線は1面1線の最も単純な線路配置。
ホームには新羽島行3112Fが停車中。

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線路を挟んで北側にはかつて竹鼻鉄道開業から1962(昭和37)年6月10日の架線電圧直流600V→1500V昇圧まで車庫が存在していました。
線路横のスペースと道路が車庫線跡のようです。

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車庫跡は駐車場と変電所の敷地となっています。
かなりこじんまりとした車庫・・・現在で言うと岳南鉄道の岳南富士岡の車庫のような感じだったのでしょうか。
600V時代末期には名古屋電気鉄道(以下名電)モ350形351~356、旧三河鉄道キ50形ガソリンカー改造のク2290形ク2291、2292、さらに貨物牽引用に旧尾西鉄道の電動貨車デキ1000(デキ1003か1006?)がいたかも・・・車庫にはまず入り切らないでしょうから大須や笠松の側線にも留置していたようです。

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モ350形モ352
1921(大正10)年名古屋電車製作所製の郡部線向けボギー電車名電1500形。
会社名は→名古屋鉄道→名岐鉄道→名古屋鉄道と移り変わりますが型式も改番でデボ350形→モ350形と変化。
竹鼻線に集結していましたがモ352が1960(昭和35)年1月に踏切事故で一足早く廃車。
残る5両も1962(昭和37)年6月の竹鼻線1500V昇圧により引退しています。

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ク2290形ク2292+モ353
1936(昭和11)年日本車輛製のガソリンカー三河鉄道キ50形が前身の制御車。
竹鼻線へは西尾・蒲郡線から移って来たようです。
モ350形の内火災で車体を焼失し2扉平妻の新製車体に載せ替えたモ353と編成を組んだイメージ。
竹鼻線昇圧後ク2291、2292とモ353は北恵那鉄道ク81、82、モ320として再起します。

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デキ1000形デキ1003
竹鼻線にいた可能性があるだけでよくわかっていません。
竹鼻鉄道時代にデワ1000が入線したことがあるようですが末期はいまいちよく分かっていません。
1924(大正13)年日本車輛製の尾西鉄道1000形で名鉄引継ぎ後は各600V線で使用されました。
なおデキ1003、1006の名鉄での廃車時期が1963(昭和38)年3月でデキ1003は北恵那デキ501になっています。
廃車時期、廃車体がモ350やク2290と一緒に置かれていたことなどからして竹鼻線で使われていた可能性が高そう?

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貨物側線跡 | 23:14:23 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄竹鼻線西笠松駅の貨物側線跡~その2~
名鉄竹鼻線西笠松駅の貨物側線跡2回目~

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西笠松駅笠松方面ホーム上より旧貨物側線、貨物ホームを見た様子。
貨物ホームの上が名鉄協商パーキングの月極駐車場(関係者以外立入禁止)になっています。

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旧貨物側線、貨物ホームを笠松方から見た様子。
なお貨物ホームは取り払われたわけでは無く側線上まで土砂を盛って駐車場を拡げてあるようです。

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なお当時の配線は空中写真を見てもよく分かりません。
西笠松駅に到着した下り電車の後ろに連結された貨車を解放、貨物側線で待機していたデキ32が側線へ引き上げていたとすると
現新羽島方面の線路から分岐していたことになりますが
笠松方から直接分岐していたような線路の拡がりもあります。

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笠松方の貨物ホーム末端には擁壁が残存。こちらは線路を挟んで北西側から見た様子。

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笠松方の貨物ホーム末端を南東側から見た様子。

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貨物ホーム上の駐車場を外から見ると置いてある車止めブロックが何だかやけに大きいな・・・
これひょっとして以前西笠松駅構内で使われていた四角断面架線柱では?

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旧・美濃電気軌道やその系列会社の各務原鉄道で用いられていた四角い架線柱。
写真は美濃町線赤土坂駅にあった四角断面架線柱(左)です。
この電柱については以前の記事四角い電柱のことでも取り上げました。

mei-deki32-1.gif  mei-deki32-2.gif
西笠松駅構内で貨車入換に使われていたデキ30形デキ32号
名鉄の前身である名古屋電気鉄道が1912(大正元)年に初の鉄道線である郡部線へ導入した名古屋電車製作所製168号形、後にデシ500形に改番されています。
マウンテンギブソンのラジアル台車を装備した大型単車でしたが廃車や改造、他社への譲渡で散り散りになっています。
デキ32の履歴は以下の通り
196→529→デシ529→デワ53(?)→デキ53→デキ32 1960(昭和35)年8月廃車
型式がデワだった時代があったかも知れないそうですがまあデキになっても実質はデワなので大した問題ではないでしょう(^ ^;)
二軸旅客電車がボギー電動貨車化され、戦時中に電車、電機を新造するためボギー台車を供出し二軸に戻るという数奇な運命を辿っています。
機関車ですがエアブレーキは最後まで装備していなかったようです。

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西笠松駅の貨物取扱量。
笠松は大きな工場のある町ではないので取扱い品はよくわかっていません。
戦前は木曽川対岸の北方(愛知県一宮市北方町)と共に川舟が集めた丸石の集積地になっており笠松の町には石問屋が集まっていたそうです。西笠松駅から発送していたかどうかは不明ですが。

参考文献:
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)
名鉄資料館Webサイト:名鉄の電気機関車「デキ」写真展(平成27年 秋季特別展)

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貨物側線跡 | 23:15:23 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄竹鼻線西笠松駅の貨物側線跡~その1~
岐阜県笠松町の駅は移転が激しく非常に複雑な歴史を持っていますがここでは面倒なので当駅の説明以外は省略します。
現在の西笠松駅は当初美濃電気軌道(以下美濃電)笠松線と竹鼻鉄道の接続駅で1921(大正9)年6月25日にまず竹鼻鉄道が新笠松駅として仮開業、美濃電笠松駅(3代目)が移転してきて新笠松仮駅は笠松駅(3代目)に統合されます。
1930(昭和5)年に美濃電が名古屋鉄道(初代)→名岐鉄道に合併、1936(昭和11)年には笠松駅(3代目)の名前を現・笠松駅(4代目)に譲り現駅名の西笠松駅となっています。
名岐鉄道→名古屋鉄道(2代目)と竹鼻鉄道の接続駅となっていましたが1943(昭和18)年3月1日に竹鼻鉄道が名古屋鉄道に吸収され漸く現在の形が出来上がりました。

貨物はと言うと美濃電、竹鼻時代は国鉄線との接続が無く電車の連結器も自連ではなく路面電車並みの棒でつなぐような状態で少なくとも国鉄貨車は乗入不可だったものと思われます。
国鉄と連絡できるようになったのは名岐線(現・名古屋本線)が木曽川を渡って笠松までつながった1935(昭和10)年以降でしょう。
名鉄時代の様子を見ると大きな貨物ホームがあり入換用のデキ32が常駐していたのでそれなりの貨車の発着があったようです。

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西笠松駅の駅舎。
無人で自動改札のみの名鉄標準デザインの駅舎になっています。
構内踏切は廃止されており各ホームへの改札口は別々に設けられています。

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ホームから新羽島方面を見た様子。
駅構内もごく普通の2面2線相対式ホームがあるだけ。

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笠松方を見た様子。

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日中は15分おきに2両編成の列車が交換するパターンダイヤ。
3100系3112F(左)と3109F(右)の交換
3112Fは2次車、3109Fは1次車。
並べて見ると1次車の方がオデコが広くややイモくさい感じがします。

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笠松方面ホームの下には現ホームの高さの半分も無さそうな低床ホームが下敷きに。
美濃電、竹鼻鉄道時代は市内の軌道線とあまり変わらない電車が使われていました。
後に名鉄モ510となる丸窓電車もかつては笠松線に入っていたようです。

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かつての西笠松駅舎。この当時でも既に無人化されていました。
2001(平成13)年8月29日

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上の駅舎と同じ場所付近から笠松方を見ると道路を挟んで名鉄パーキングの駐車場があります。
土地が高くなっていますがここが貨物ホームや倉庫の跡のようです。

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貨物側線跡 | 23:21:09 | Trackback(0) | Comments(0)
京都スイッチャー蒸機巡り~1070形1080号
京都鉄道博物館の蒸機なんてメジャーなものを・・・と言われそうですが蒸機でも古典機は専用線のスイッチャーとして生き永らえた結果保存の手が差し伸べられたパターンが多いです。

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イギリスのダブス社(Dubs・・・"u"にドイツ語のウムラウトが付いている。創業者ヘンリー・ダブスはドイツ生まれのため)で1901(明治34)年に製造されたテンダー機関車651号→6270形6289号が前身。
見た目はピーコックがつくっていたテンダー機5500形・・・所謂ピーテンとほとんど変わりありません。
シャープスチュアートやニールソン(ネルソン)などのイギリスメーカー、アメリカのアルコ、ドイツのハノーバーまでもが同タイプを多数製造しています。
当初は東海道本線など幹線の旅客列車牽引に使われていたようです。
1926(大正15)年に浜松工場でタンク機関車化改造され1070形1080号に。
名古屋、岐阜近辺で使われ1933(昭和8)年頃から国鉄で廃車になる1938(昭和13)年までは美濃太田機関区に在籍していました。

1940(昭和15)年に日本製鉄(現・新日鐵住金)から鉱山部門が分離した日鉄鉱業に払い下げられ新潟県の赤谷鉱業所専用鉄道で鉄鉱石輸送に就き赤谷線東赤谷駅~鉱業所4.2kmで使用。
この専用鉄道は積雪期運休になるため1955(昭和30)年に合理化で全線スノーシェッドに覆われた鉱山ナロー電車に置き換え、1067mmゲージの機関車は栃木県の羽鶴鉱業所へ転用されます。

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東武鉄道会沢線上白石駅分岐の羽鶴専用鉄道6.3kmでは石灰石輸送に使われますが5年後の1961(昭和36)年にはDD401が導入され予備車に。
それでも生き永らえ昭和50年代国鉄蒸機が消えた後にも時たま動態保存のような形で貨車を牽いていました。
そのためか1080号機末期の写真は数多く発表されていますね。
専用鉄道が1991(平成3)年に廃止された後も羽鶴で手厚く保管され2009(平成21)年に梅小路入りしたのは記憶に新しいところ。

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5500形などと共通の斜めになったランボード。
空制化でコンプレッサが追加されてます。貨物鉄道博物館の東武39号などテンダー機ではここにエアタンクが載ってますが1070形はサイドタンクが干渉するためかランボード上にコンプ、サイドタンク下にエアタンクがぶら下がっています。

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キャブ後ろの水タンクと炭庫の切り継ぎ部、後の改造とは言えあまり違和感がありません。

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背面から見ると給水口が煙突のように随分と高いです。
前照灯は羽鶴時代の写真を見ても付いていませんでしたがいつ外したのでしょうね。

●美濃太田機関区の1070形
因みに機関車表から美濃太田機関区にいた1070形を拾うと以下の8台がいたようです。
恐らく多くは機関区開設の1932(昭和7)年に配置されたのでしょうが間もなく廃車や転属になって戦時中にはいなくなったようです。
 1078 1936前後 1941廃車→三井三池20(国鉄廃車前から三井三池へ貸出後譲渡か?)
 1080 1933頃~1938.11.28廃車→日鉄鉱業赤谷→日鉄鉱業羽鶴→梅小路入り 
 1081 1933頃~1942頃
 1084 1933頃~1936頃 信濃川電気事務所(工事事務所?)→岐阜工事局
 1085 1933頃~?浜松転属後再び美濃太田へ→1940頃~1942頃
 1102 1933頃~1939廃車→日曹鉱業天塩→藤田鉱業宗谷
 1103 1933頃~?
 1105 1933頃~1941頃
当時は太多線、高山線、越美南線で使われたようで越美南線でミキスト(客車は元佐久鉄道の電車型客車ホハ2480形?)を牽いている写真を見たことがあります。

参考文献:
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)

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保存車 | 23:59:59 | Trackback(0) | Comments(0)