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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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雨宮21号卒寿記念雪中特別運行~その2~
丸瀬布いこいの森雨宮21号卒寿記念雪中特別運行2回目~

P1050667.jpg
まずは21号が単機で試運転。
郷土資料館裏手の林内を通るこの直線区間は園内で唯一かつての武利意森林鉄道の路盤を使用している箇所だそうです。

P1050673.jpg
試運転を終えて列車の組成準備。まずは鉱車から給炭。
運材貨車と一瞬とはいえ編成になるので注目~。
本来積雪地の森林鉄道は冬季休業で積雪状況により前後はあるものの12月中旬頃で運行休止になっていたようです。
同じ北見営林局管内で近隣の温根湯森林鉄道の1953(昭和28)、1954(昭和29)年の機関車運行成績、置戸森林鉄道の機関車運行成績では機関車の稼働は5~12月の間、丸瀬布の武利意・上丸瀬布森林鉄道も同様だったものと思われます。
雪中運転撮影会の頃はそろそろ1年の最終運材列車が走っていた頃なのでしょうね。

P1050626.jpg
なお森林鉄道が運休していても山元での伐採作業は行われており道産子が林鉄と接続する土場まで木材を牽いていました。
後には道産子がキャタピラートラクター、ブルドーザーに変わってそりを載せた木材を何台も繋いで運材列車のように牽く光景が見られました。
画像は岩見沢駅のホームに展示されていた馬ぞり

冬の馬ぞり、トラクター運材は林野庁映像ライブラリに映像があります。
機械化される林業 北海道の冬山作業1(林野庁 映像ライブラリ)
機械化される林業 北海道の冬山作業2(林野庁 映像ライブラリ)

映像に森林鉄道は全く出て来ませんが機械化される林業 北海道の冬山作業2の6:32~6:50には王滝森林鉄道せせらぎ線で静態保存されている協三工業製自走式クレーンと同型のゴムタイヤバージョンが出てきます。
軌道用と道路用の両方が用意されていました。

P1050675.jpg
気温は現地では何℃かわからなかったものの-10℃台だったようです。
これだけ冷え込むと夏場と違って蒸機がよく上がります。

P1050690.jpg
井笠ホハ19+ホハ13を連結してホームへ引き出し。
営業運転(?)は10時からでしばらく間があります。

P1050716.jpg
この武利川の鉄橋は今まであまり注目してなかったのですが今は無き北炭機械工業・・・北海道炭鉱汽船の関連会社で運材貨車をつくっていた夕張製作所の後身が末期に製作したものらしい。

P1050728_20181215165720590.jpg
武利ダム湖畔は雪原に
風向きのためか列車の手前に煙が流れてしまうことも多く編成写真はなかなか難しいものがあります。

P1050765.jpg
しかし雪景色は型式写真でも下から光が反射して綺麗に撮れますね。
夕張製作所製運材貨車の1359、1372も再撮影~。

参考文献:
置戸森林鉄道 大きな森の中を走った小さな機関車(橋爪 実/著 自費出版)

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 00:00:01 | Trackback(0) | Comments(0)
雨宮21号卒寿記念雪中特別運行~その1~
2日目の朝、北見から丸瀬布いこいの森へ向かいます。
天気予報を見ると北見市の最低気温は-20℃・・・
冬の北海道初心者がいきなりエライところに・・・大丈夫か??(^ ^;)

P1050640.jpg
北見駅06:46発の特急オホーツク2号札幌行に乗るので早く出てきました。
これまでにないような刺激的な冷たさを感じることはないものの隅々まで冷やそうとする一部の隙もない寒さという感じ。
向かいにはキハ402連の網走行4651Dが停車中。
オホーツクは編成が短くなって4両だけ、去年までは札幌方面への出張ビジネスマンなどもっと利用者が多かった気がするのですが・・・。

P1050642.jpg
安国駅でDF200プッシュプルの北見行石北貨物と交換。
沿線はまだ積雪量が少なく車窓から見えるスキー場もリフトが動いていませんが道路は圧雪状態で交通量もあまり多くありません。
旭川から瀬戸瀬まで延びてる旭川紋別自動車道を見ると全く車がいない??
丸瀬布に来るまで来てたファンに聞いたところ通行止めになっていたらしいです。

P1050645.jpg
丸瀬布駅着
オホーツク2号を見送り。
この日は臨時でいこいの森まで町営バスの臨時便が増便されていました。
バスは雪が有ろうと無かろうと関係ないというようなかなりの速度で走行。
これまでは夏場に自分で運転していたため気付かなかった廃線跡らしき平場が沿道にちらほら。

P1050648.jpg
9:00開始の受付を待っているときに見えた除雪列車。
鶴居村営軌道6tDLの前に台車をつなぎ2人を載せハンディブロワーで雪を吹き飛ばしています。

P1050663.jpg
除雪作業を終えて機関庫前で留置中の鶴居6tDL。

P1050656.jpg
雪囲いされた客貨車庫の中には今年10月23日に定光寺自然休養林から送り出した協三10tDLが里帰りして入庫中。
「新車」を撮影し易いようにという配慮なのかその部分は雪囲いが開けられていました。

P1050662.jpg
郷土資料館には足場が組まれていますがこれは今回の撮影用に準備されたもの。
有料撮影で何かと話題になりましたが基本的には協力金2,000円、屋上からの撮影料500円
極寒地でこれだけの準備を行うことを考えるとかなり安いように思います。

某所で保存運転を手伝った時は乗車料金のい掛かる乗車体験の人がいないのに撮影したい人は大勢待っているという状態で唐の列車を出したりしていました。
撮影する人から撮りたい車両のリクエストを受ける代わりに一定金額が集まってから列車を出すようにして見ては?とも思いました。

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 12:45:25 | Trackback(0) | Comments(0)
雪の追分、岩見沢
夕張から戻り追分で室蘭本線に乗り換え。乗り換え列車まで30分ほど時間があるため追分駅付近を歩いて見ることに。
1975(昭和50)年12月24日の国鉄最後の本線蒸機牽引列車6788レは夕張始発でこの追分が終着駅でした。
追分機関区のD51 241が牽引する石炭輸送列車でした。
追分機関区では1976(昭和51)年3月2日まで79602が構内入換を行い国鉄蒸機の最後を飾りました。
いずれの機関車も保存予定のため扇形庫で保管されていたのですが4月13日に火災で焼失してしまったことは有名です。

P1050603.jpg
追分駅
現在の町名は安平町・・・9月6日の北海道胆振東部地震では震源に近く大きな被害を出しています。

P1050600.jpg
駅前には追分機関区扇形庫で焼失したD51 465の動輪が展示されています。

P1050601.jpg
D51 465は1940(昭和15)年汽車会社製。
左のレールは1898(明治31)年米イリノイ社製レールで阪鶴鉄道(現・福知山線)に納入されたもの。
追分区の転車台側線で使っていたレールだそうです。
右のレールは1900(明治33)年米カーネギー製で道内の官設鉄道に使われたレールとのこと。

P1050602.jpg
片側にはロッドが付いていますがそのロッドの端を支えるため使用されているのは自動連結器の錠揚げ。

P1050607.jpg
駅南方の跨線橋上から構内を俯瞰。
キハ40-1762の夕張発千歳行2628D(右)と発車していくキハ40-1786+キハ40-1818岩見沢発苫小牧行1468D。
左には旧追分機関区跡地が拡がります。

P1050609.jpg
1468D後打ち~。
構内は広大ながら静かな駅で原野の向こうから微かに響くタイフォンの音が耳に残りました。

P1050611.jpg
追分駅南部跨線橋の装飾~クリスタルエクスプレス トマム&サホロのようですね。

この後キハ40-1767の岩見沢行き1469Dに乗車して岩見沢へ。
栗山で接続交差していた夕張鉄道の跡はよく分からず、志文では万字線の盛り土が雪に覆われて分岐する曲線が綺麗に現れていましたが撮り損ね(^ ^;)
ほかにも岩見沢への短絡線跡など沿線はアヤシゲな廃線跡だらけ。

P1050625.jpg
岩見沢着
構内のあちこちで職員さんが除雪をしている光景が見られました。
因みにこの翌日の夜岩見沢を通った時は吹雪で折角除雪してもらったところも積雪がさらに増していました。

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撮影行 | 00:00:35 | Trackback(0) | Comments(0)
夕張線寄り道
丸瀬布の雨宮21号卒寿記念雪中運行と瀬戸から送り出した協三10t機を見るため初めての冬の北海道入り~。
初日はまっすぐ丸瀬布に行っても遅くなってしまうためまだ行ったことが無い夕張へ行きました。
タイトルは敢えて夕張線としてますが現在は新夕張~夕張も石勝線に編入されてしまい夕張支線となっています。

新千歳空港から夕張へは60㎞程度なので券売機で切符を買おうと券売機上の路線図を見たら新夕張から先がない~(^ ^;)
廃止は3月のはずだけど勘違い??と思ったらみどりの窓口販売でした。

P1050570.jpg
南千歳で夕張行の乗換え待ち。
早速DF200-26牽引の札幌貨物ターミナル行きコンテナ列車が通過

P1050569.jpg
721系F-3019編成苫小牧行普通。
JR北海道で最もスマートな電車と思ってますがこの型式ももう30年経つんですね。
画像の3000番台車は130km/h運転に対応してますが今はローカル運用中心のようです。

P1050575.jpg
733系B-3106編成の快速エアポート100号が3,4分遅れて入って来ました。
従って後続の夕張行2629Dも遅れることに。

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快速エアポートが15分おきに発着する南千歳では何だか場違いな雰囲気のキハ40単行に乗車。
やはり同業者と思われる乗客が多いです。
最初の停車駅は蒸機ファンには御馴染みの追分。
スーパーとかち3号に抜かれるため暫らく停車。

P1050588.jpg
沼の沢で北炭真谷地専用鉄道の通信線電柱、清水沢では三菱石炭鉱業大夕張鉄道のホーム残骸が駅舎直下に残ってるのを車窓から眺め・・・。

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鹿の谷から先では夕張鉄道跡と並走。
時折橋台などが見えます。

P1050592.jpg
夕張駅は夕張が舞台の「幸福の黄色いハンカチ」に因んで黄色い布で飾られています。
地元の方が乗客に記念品を配っており、駅舎ではグッズ販売が盛ん。

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現在の夕張駅。
かつて夕張線と夕張鉄道は並走して積込み施設まで続いていましたが底まで行ってる時間がないので駅で夕張線、夕張鉄道、三菱石炭鉱業大夕張鉄道の写真が載ったカレンダーを購入~なかなかアヤシゲです。

P1050593.jpg
折り返しまでの停車中に乗務員さんは乗降客数をカウントしている様子。

P1050594.jpg
キハ40 1762前面の手すりに氷と雪の輪っかが引っ掛かっています。
丁度こんな形状になるのが面白かったので撮影~


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撮影行 | 23:40:00 | Trackback(0) | Comments(0)
晩秋の七宗森林鉄道に寄り道
今日は丸瀬布いこいの森雪中運転撮影会のため予約投稿です~。
今シーズンは北海道もなかなか雪が降らないようですがどうなるでしょうか?
10月に58年振りに帰還した10tディーゼル機に会えるのが楽しみ~♪

久し振りに七宗町の七宗森林鉄道跡へちょっと寄り道。
高山本線上麻生駅からも遠い室兼~佐口谷4,852mの短い林鉄です。
ここも元は帝室林野局名古屋支局の御料林ですが管轄は変遷が多くややこしいところ。
1935(昭和10)年に開設された頃は太田出張所、1941(昭和16)年1月1日に太田出張所が廃止されたため下呂出張所へ移管。
林政統一後は元々農林省大阪営林局から引き継がれ帝室林野色が薄い岐阜営林署の管轄になりました。

P1050108.jpg
いつみても大迫力の空のふさがりを通り抜ける廃線跡。
この場所で現役時に撮られた写真が林野庁のサイトで公開されています。
全国の林鉄の写真の下の方に「七宗森林鉄道・岐阜営林署(昭和27年)(JPG:596KB)」と言うキャプションで掲載されています。
林野庁:森林鉄道
機関車は逆機で背面しか見えませんが加藤製作所製の代燃装置搭載機のようです。
帝室林野局では代燃装置を機関車と分けて貨車に搭載して機関車と連結することが多く機関車直付けは少数派でした。
運転席横をどっかりと炉が占領し運転手は蒸気機関車に乗せられるのと同じくらい暑かったのでは・・・(・・;)

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当時はこの岩の隙間の流れの上に桟橋を架けて列車を通していましたが今は川を半分埋めて林道を通している様子。
川の水が冷たいためか凍り付くような寒さです。

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奥の佐口谷側から見た空のふさがり。その真下に橋脚が残っているのですが・・・。

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今回初めて河原に降りて撮影。
左(室兼側)の橋脚には木橋の木材が僅かに残存。

P1050115.jpg
その100mほど佐口谷寄りに林道から分かれて対岸へ渡って行く木橋の跡が見えます。

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そしてまた50mほどでまた林道に合流して来る木橋跡。
このすぐ先に国有林の車止めゲートがあり砂小屋の土場が拡がっています。

七宗国有林は一見林鉄を敷くほど貯材量があるように見えないのですが古くからの良質のヒノキやマツの産地として知られていました。
江戸時代には尾張藩領となり名古屋城が火災に遭った時のための備蓄林になっています。
木曽や裏木曽と比べると名古屋から近く緊急時に短期間で木材を届けられるという点が重視されたとか。
その少し前豊臣 秀吉(当時はまだ木下 藤吉郎)が1566(永禄9)年に築き一夜城伝説で知られる墨俣城の木材も七宗から伐り出され飛騨、木曽川経由で墨俣へ送られたという説もあります。
因みに現在墨俣城の横を流れているのは長良川ですが秀吉の時代までは治水技術も低いため木曽川の流路が水害で頻繁に変わっており、当時の木曽川は各務原から現在の境川に近いルートで岐阜市南部を通り墨俣城へ流れていたそうです。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 08:39:01 | Trackback(0) | Comments(0)
樽見鉄道谷汲口駅のストーブ列車オハフ502
樽見鉄道谷汲口駅前で保存されている旧型客車。

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谷汲口駅前
名鉄谷汲線亡き後旧谷汲村中心部への名阪近鉄バスが接続しています。
谷汲線があった頃は同線長瀬駅と近く何度か乗り換えにも使ったことがある駅です。
奥に1990(平成2)年に廃車されたオハフ502が保存されてるのですが・・・

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雨樋に草が生えてモサモサしてる~(T T)

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以前から状態は悪かったのですが銘板も盗難にあったのか一枚しか残っていません。
前身は1947(昭和22)年日立製作所製の国鉄オハ35 1042で1964(昭和39)年に高砂工場で車掌室の設置と近代化改造が行われてオハフ33 1527に改番されています。
近代化改造されたため塗装もぶどう色2号から青15号に塗り替えられ、国鉄末期は亀山区に在籍。
主に関西、紀勢本線で使われていたそうです。
三等車を示す赤帯が引かれているものの現車は戦後製なので国鉄時代実際に赤帯が描かれていたことはないはず。

P1050518.jpg
1984(昭和59)年に国鉄より三セク転換した樽見鉄道では機関車の本巣セメント貨物運用間合いに国鉄払い下げ客車オハフ33形4両を使用することになり気動車と同じ色に塗装してオハフ500形としました。
後にぶどう色に赤帯塗装としたもののJRより50系、12系、14系が導入され古いオハフ500は引退しています。
説明板では谷汲村に寄贈されたとありますが谷汲村は2005(平成17)年に市町村合併で揖斐川町になりました。

P1050526.jpg
左(樽見方)が車掌室。
車掌室下部にスリットが見えますが何なのか謎。台車はコロ軸受のTR-34を履いています。
オハ35→オハフ33改造編入車のうち平軸受のTR-23を履いている場合は1000番台、TR34なら1500番台だそうで。

P1050535.jpg
窓の隙間から見える車端部の吊り革。中央はクロスシートのままで両端はロングシート化されているのでしょうか?
車内を見て見たいですね。

P1050539.jpg
樽見オハフ500形客車最大の特徴である石油ストーブも残っているようで排気筒が見えます。
1984(昭和59)年の転換時より樽見鉄道は貨物用のTDE10の間合い運用で客車列車を走らせます。
客車牽引を想定していないSG非搭載の機関車だったためストーブ列車が登場することになりました。

因みに国鉄樽見線時代はキハ07形気動車が導入されて客車とは当初あまり縁が無かったのが三セク転換後に客レが定期で走り出し終いには客車ファンのメッカとなった珍しいパターン。

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保存車 | 21:10:54 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道平坂支線港前駅(旧・平坂臨港駅を含む)
平坂港は矢作川本流よりも狭い入江の奥のささやかな港ですが現在も船溜まりがあります。
この港に岡崎から延びて来た西尾鉄道が1914(大正3)年10月30日に西尾~港前~平坂臨港(貨)を762mm軌間、蒸気動力で開業しています。
港前駅と平坂臨港駅は営業距離0.2kmしか離れていなかったためか2年後の1916(大正5)年10月5日には平坂臨港を港前に統合。
同じ西尾鉄道が建設した吉良吉田~吉田港(貨)と似たような経緯です。
1926(大正15)年9月1日にはライバルの三河鉄道の大浜港(碧南)~神谷(後の松木島)が1067mm軌間、直流1500V電化で開業、港前駅北方に三河平坂駅が開業しますが平坂港からは離れていました。
同年12月1日には西尾鉄道が愛知電気鉄道に合併し、1928(昭和3)年10月1日には1067mm改軌、直流600V電化されています。

P1050239.jpg
港前駅跡。
左側のバス停の位置に駅舎とホーム1面、道路に2本の線路があり、右の1本はホームと接していない側線でした。
昭和30年代の写真を見ると港前から奥の旧平坂臨港へ線路2本で続いていた様子。

P1050231.jpg
旧旅客ホーム跡から西尾方を見た様子。
末期の駅名、現バス停名の読みは「みなとまえ」ですが当初は「みなとさき」。
その間に一時期平坂(へいさか)駅を名乗っていたこともあります。

IMG_3405.jpg
以前は一部に古レールが利用された上屋がありましたがいつの間にか無くなりました。
バスの運行会社も名鉄東部交通ではなく名鉄バス本体でした。
2004(平成16)年3月16日撮影

P1050233.jpg
愛知県道383号線を挟み旧・平坂臨港側から港前駅旅客駅側を見た様子。

P1050237.jpg
道路として続いてきた平坂支線ですが港に突き当たる手前で左カーブが始まっていた付近に古めかしいコンクリート造りの危険品庫があります。
重厚な鉄扉など港前駅現役当時は線路に接して建っていたものと思われます。

P1050236.jpg
右が旅客ホーム側、線路は画像右寄りでカーブしながら右手前方向へ続いていたようですが面影なし。

P1050235.jpg
平坂入江の三河湾方を見た様子。
線路は左の住宅地付近で途切れていたものと思われます。

minatomae.png
平坂支線港前駅の貨物発着量(愛知県統計書(愛知県)を元に作成)
1953(昭和28)~1959(昭和34)年度しかデータがありませんが意外と量が多いなと感じました。
1956(昭和31)年度の発送量22,793tを365日で割ると1日平均62.45t・・・15t積みのワム車なら日に5台は発着していたことになります。
旧・岡崎電気軌道のモ460形や旧・尾西鉄道モ200形など電車が単行で走り、貨車は電車が牽いていたようです。
ミキストに当たる率は意外と高かったのかもですね。

mei-mc461.gif
末期は平坂支線専属になっていたモ461。
平坂支線は本線に当たる西尾線の架線電圧1500V昇圧時に追加投資を行わず処分されることになり1960(昭和35)年3月27日に廃止されました。モ461も同時に役目を終え廃車になりました。

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貨物側線跡 | 23:59:28 | Trackback(0) | Comments(0)
ユニチカ岡崎工場専用線(愛知環状鉄道北岡崎駅)~その3~
ユニチカ岡崎工場専用線車両編~。
本線機は国鉄、JR貨物のDE10、11、DD51だったので省略します。

●スイッチャー
工場構内入換用に使われていた機関車。
専用線が名鉄大樹寺駅接続の時代に廃車となっている機関車DB-5は↓で上げてます。
日本レイヨン岡崎工場専用線(名鉄挙母線大樹寺駅)~その3~
名鉄時代末期の1969(昭和44)年11月日本車輌製15t機DB-75形DB-76号(製番2799)が製造されています。
標準的な日車15t機レディーメイド品でした。
この機関車は後に東海道本線笠寺駅に移り日通笠寺支店所属No.6となり住友セメント、三井東圧専用線で使われ1987(昭和62)年頃廃車解体された様子。笠寺ではDB1511と言う番号も付いていたらしく北岡崎から笠寺に来る間にどこかを経由していたのでしょうか?
機関車表 フルコンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング)によれば他にも日車15t機や日車25t機がいたようですがよくわかっていません。
さらに1974(昭和49)年11月日本車輌製DD351(製番3160)が入線しておりこの機関車は最後まで使われていたようです。
北岡崎の専用線廃止後は八戸通運に転じて2018(平成30)年12月現在も八戸臨海鉄道北沼駅の製紙工場専用線スイッチャーとして現役です。
DSC_0425.jpg
元ユニチカ岡崎工場専用線DD351。
岡崎では黄色でしたが八戸通運色のクリーム色になっているほか前照灯が四角いものに交換されるなど変化が見られます。

DSC_0440.jpg
八戸での様子は東北旅行その7 ~八戸臨海鉄道その1~にまとめてます。

●貨車
レーヨン製造ではパルプを苛性ソーダや二硫化炭素輸送に溶かす必要があり、専用線ではこの苛性ソーダ輸送が行われていました。
専用線や挙母線の写真では苛性ソーダ輸送用タム900、タキ2800形、二硫化炭素輸送用タキ5100形の写真を見たことがあります。
岡崎工場ではポリエステル繊維も製造しており、原料のテレフタル酸輸送用のタキ24300形が鹿児島本線黒崎駅から到着していました。
タキ24300形はこの専用線が1999(平成11)年9月に廃止になるまで使われていました。
このタキ24300が使われていた頃の様子を奥野さんが北岡崎駅他愛知環状鉄道線内の静止画、動画を撮影されています。
奥野君の専用線日記 北岡崎報告

●日本レイヨン→ユニチカ岡崎工場専用線関連年表
1933(昭和8)年11月16日 三河鉄道 大樹寺停車場構外側線敷設工事着手届。
1934(昭和9)年1月    日本レイヨン 岡崎第一工場起工。
1934(昭和9)年3月19日  三河鉄道 大樹寺停車場構外側線竣功並一部変更届。
1934(昭和9)年8月    日本レイヨン 岡崎第二工場設置決定。
1935(昭和10)年4月8日  日本レイヨン 岡崎第一工場運転開始。
1935(昭和10)年10月   日本レイヨン 岡崎第二工場運転開始。
1941(昭和16)年6月1日  三河鉄道 名古屋鉄道と合併。
1943(昭和18)年     日本レイヨン 社名を日本航空機材に変更。
1946(昭和21)年     日本航空機材 社名を永興産業に変更。
1948(昭和23)年     永興産業 社名を日本レイヨンに戻す。
1950(昭和25)年     岡崎市 日本レイヨンにレーヨン生産復活を要請。
1951(昭和26)年     日本レイヨン 岡崎工場でレーヨン生産を再開。
1953(昭和28)年     名鉄・日本レイヨン 日本輸送機製8t機DB5形DB5(車籍:名鉄)
             新製。
1962(昭和37)年6月17日 名鉄 挙母線大樹寺~岡崎井田、岡崎市内線廃止。
             大樹寺駅構内架線1500V昇圧。
1964(昭和39)年     日本レイヨン 岡崎工場ポリエステル繊維生産開始。
1969(昭和44)年10月   日本レイヨン ニチボーと合併、ユニチカ設立。
1969(昭和44)年11月   名鉄・ユニチカ 日本車輌製15t機DB75形DB76(車籍:名鉄)
             新製。
1970(昭和45)年     名鉄・ユニチカ DB5廃車。
1970(昭和45)年10月1日 国鉄 岡多線岡崎~北野桝塚8.7㎞貨物線として営業開始。
1971(昭和46)年10月1日 国鉄・名鉄・ユニチカ 岡多線北岡崎駅開業。
             専用線を名鉄挙母線大樹寺駅から岡多線北岡崎駅接続へ変更。
             DB76号名鉄車籍抹消。
1973(昭和48)年3月4日  名鉄 挙母線廃止。
1974(昭和49)年11月   ユニチカ 日本車輌製35t機DD351新製
1987(昭和62)年4月1日  国鉄 分割民営化。北岡崎駅はJR東海、JR貨物の所管。
1988(昭和63)年1月31日 愛知環状鉄道 JR岡多線、愛知環状鉄道へ転換。
             JR貨物は岡崎~北岡崎で引き続き営業。
1999(平成11)年9月2日  ユニチカ・JR貨物 岡崎工場の専用線による貨物輸送廃止

参考文献:
新編岡崎市史 4 近代(新編岡崎市史編さん委員会)
ユニチカ百年史(ユニチカ社史編集委員会/編)
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 22:42:28 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ