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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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ユニチカ岡崎工場専用線(愛知環状鉄道北岡崎駅)~その2~
P1050267.jpg
北岡崎駅の先にも愛環線と並行して続く専用線の橋梁跡。
複線分ありそうな橋台ですが専用線は単線でした。

P1050266.jpg
段々高度を下げてきます。
愛環線と専用線で一体型の函渠が一か所。

P1050264.jpg
カーブするとすぐに名鉄挙母線大樹寺からの先代専用線と並行して工場へ入って行きます。
以前はここにも勾配表がありましたがいつの間にか無くなっています。

P1050263.jpg
早川の手前には踏切がありレールは撤去されているものの敷石は当時のまま。

P1050262.jpg
早川を渡るともう一個所踏切があってすぐ工場に入ります。
右の道路橋は大樹寺からの専用線の橋梁跡。
橋台の左右にコンクリートの出っ張りがありますがこれは手動式踏切遮断機が載せられていた台座。
以前は工場側にY字型の遮断棹受けも残っていました。
「止まれ」の標識下にあるコンクリート柱はかつての鉄道門の門柱が片側だけ残っています。

P1050261.jpg
鉄道門前にはこ「工」マーク入りの通信ケーブルのコンクリート標柱が残っています。



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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 22:41:04 | Trackback(0) | Comments(0)
ユニチカ岡崎工場専用線(愛知環状鉄道北岡崎駅)~その1~
1971(昭和46)年に専用線が名鉄挙母線大樹寺駅から国鉄岡多線北岡崎駅へ接続を切替えられた後の様子。
1987(昭和62)年4月1日分割民営化でJR東海になったもののJR岡多線時代は1年足らずで1988(昭和63)年1月31日に愛知環状鉄道に移管されています。
表題は廃止時の状態を反映して愛知環状鉄道北岡崎駅接続としています。
名鉄挙母線大樹寺駅接続時代の廃線跡は↓
日本レイヨン岡崎工場専用線(名鉄挙母線大樹寺駅)~その1~
日本レイヨン岡崎工場専用線(名鉄挙母線大樹寺駅)~その2~
日本レイヨン岡崎工場専用線(名鉄挙母線大樹寺駅)~その3~

作業方法:国鉄機、私有機
作業キロ:国鉄機1.0km、私有機1.0km
総延長キロ:2.2km

名鉄時代の日本レイヨン専用線は直流1500Vで電化(※)されており、岡多線も直流1500Vで電化されていましたが専用線は非電化になり名鉄電機に変わって国鉄・JR貨物のDE10、11、DD51が乗り入れていました。

P1050275.jpg
北岡崎駅の岡崎方。右に分岐していた専用線へ続く路盤はレールと枕木が撤去された以外はそのまま。
上下線をつなぐ渡り線が有りませんが専用線があった頃の岡多線、愛知環状鉄道のこの区間は単線で、北岡崎駅が交換駅でした。

P1050276.jpg
北岡崎駅構内。
向かいの2番ホームの裏に専用線が続いています。

P1050270.jpg
2番ホームを外から見るとこんな感じ。高架橋は一部撤去されています。

P1050272.jpg
途切れた高架橋は北岡崎駅構内をくぐる愛知県道56号線を跨ぐ個所に橋台を残しています。
この先は高架橋でなく築堤になります。

P1050274.jpg
北岡崎駅の高蔵寺方。左の専用線の路盤はバラストもそのまま。

P1050268.jpg
築堤の上、専用線の向こうを愛知環状鉄道2000系が発車していきます。
勾配表も残っているためこの角度から見ると現役の線路に見えます。

(※)岡崎市内線が1962(昭和37)年に廃止されるまで大樹寺駅構内は市内線に合わせて直流600V電化で専用線内の電圧が600Vか1500Vだったかは不明

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専用線跡 | 22:00:30 | Trackback(0) | Comments(0)
日本レイヨン岡崎工場専用線(名鉄挙母線大樹寺駅)~その3~
P1050256_201811242101162ff.jpg
愛知環状鉄道(旧・岡多線)をくぐる個所。
岡多線建設中はこの下を名鉄電機がくぐっていました。
専用線は大樹寺方から右の公園まで一直線に田園地帯を突っ切り岡多線ガード手前でカーブしてこの道路に合流する線形でした。

P1050257_20181124210118d2c.jpg
愛知環状鉄道をくぐればもう工場は目の前。

P1050260_20181124210119186.jpg
工場前の早川を渡っていた跡。
名鉄時代は左の道路橋の部分、国鉄・JR・愛環時代は右の橋台跡に鉄橋が架かっていました。
左右に新旧専用線跡が並ぶ珍しい風景。

●専用線で使われた車両
岡多線引継ぎ後も引き継がれたスイッチャーや貨車については後日のユニチカ岡崎工場専用線(愛知環状鉄道北岡崎駅)で別に上げる予定としてこちらでは名鉄時代の車両を紹介します。
大樹寺~工場では名鉄電機が使われていましたがデキ300、デキ370、デキ400、デキ600など最近まで活躍していた機関車の写真を見掛けます。
貨物列車は刈谷駅から三河線経由で入っていたため三河線で使われていた電機と変わらないようです。

・DB-5型DB-5号
工場構内の入換には名鉄籍の日本輸送機1953(昭和28)年11月製8tディーゼル機DB-5型DB-5号(製番21919)が使われました。
なお名鉄から運輸省へのDB-5車両設計認可及び特別設計許可申請の決裁は製造より1年近く経った1954(昭和29)年10月7日、発送は10月13日となっています。
それまで工場の片隅に新車を使えないまま置いていたのでしょうか?
mei-db5.png mei-db5-1.png
名古屋鉄道DB-5 ※モノクロ写真しか見たことが無いので塗装色は想像
車籍が名鉄にあるだけで工場構内でのみ使われた入換機。構内入換業務は鳥居運送が行っていました。

全長:5050mm
全巾:2000mm
全高:2565mm
軸距:1800mm
車輪径:660mm
エンジン:日野DS-11A
動力伝達:ジャックロッド
出力:1300rpm/60馬力(HPかPSかは不明)
単価:2,500,000円
国鉄の8t貨車移動機E1、E3とほぼ同型のようですが全長や全高が若干大きいです。
日車製15t機DB-76が登場すると翌1970(昭和45)年1月に廃車されており専用線付替え時には既にいなかった様子。

参考文献:
鉄道免許・名古屋鉄道・昭和28~31年(名古屋鉄道 国立公文書館所蔵)
機関車表フル・コンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング/刊)
ニチユ<日本輸送機>機関車図鑑(岡本 憲之/編・著 イカロス出版)

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専用線跡 | 22:03:00 | Trackback(0) | Comments(0)
日本レイヨン岡崎工場専用線(名鉄挙母線大樹寺駅)~その2~
日本レイヨン岡崎工場専用線2回目。


岡崎市内線が廃止になる直前の昭和30年代半ばくらいの大樹寺駅構内と専用線の路線図。
国鉄岡多線(現・愛知環状鉄道)北岡崎駅から付替えになる専用線も描き込んであります。

P1050248.jpg
4車線の愛知県道26号岡崎環状線を挟んで岡崎井田へ続く挙母線跡。
この区間は600Vの岡崎市内線の電車で運行されていた区間。
岡崎電気軌道時代は後に名鉄挙母線となる鉄道線も600Vだったため鉄道線用の高床車デ200形(後の名鉄モ460、サ2110形)が市内線から当時の鉄道線終点門立まで直通していました。

mei-mc461.gif
岡崎電軌デ200→三河鉄道→名鉄モ461 1925(大正14)年日本車輌製
岡崎電軌で鉄軌直通していた頃はポール集電、前照灯は着脱式だった様子。
イラストは晩年西尾~港前の平坂支線で使われていた頃のイメージ。

P1050249.jpg
専用線跡の工場側から大樹寺駅方面を見た様子。
岡崎井田への挙母線の少し西に大樹寺駅構内で分岐した専用線の跡が続いています。
奥の赤い立体駐車場の辺りで分岐して手前に見えるパチンコ店の白いフェンスに沿って右側に築堤が続いていた様子。
専用線があった頃はこの辺から手前は一面の田園地帯で目の前の県道26号岡崎環状線もありませんでした。

P1050253.jpg
1枚前の画像よりちょっと引いて見た様子。
岡崎環状線を渡ると小高い丘(矢作川、早川の河岸段丘?)があり専用線は築堤で丘の麓に取付いていました。
その築堤は岡崎環状線により完全に潰されたようです。
元は大樹寺駅から撮影位置までカーブ築堤が続いていました。

P1050255.jpg
振り返ると丘の下の線路跡の区画が僅かに残る場所。
道路とその延長線に一直線に並ぶ宅地が専用線跡です。
この先は愛知環状鉄道をくぐるガードまで住宅地化により碁盤の目に住宅と道がつくられ区画にも線路跡を偲ばせる要素は残っていません。

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専用線跡 | 23:13:48 | Trackback(0) | Comments(0)
日本レイヨン岡崎工場専用線(名鉄挙母線大樹寺駅)~その1~
ユニチカ岡崎工場の専用線。途中で専用線が付替えられた珍しい専用線です。
レーヨンを始めとした化学繊維の原料輸送に使われていたようですが当初は製品も輸送していたかも知れません。

作業方法:社機
作業キロ:3.0km

●日本レイヨンの岡崎進出
レーヨンは紙と同じパルプを原料として苛性ソーダ、二硫化炭素で溶かし再度線維化させてつくる化学繊維で手触りや風合いが絹と似ていることから人造絹糸、人絹とも呼ばれました。
「六大紡」と呼ばれた紡績大手6社の一つ大日本紡績がレーヨン生産のために1925(大正14)年に子会社として日本レイヨンを設立。京都府宇治工場でレーヨン生産を開始しています。
レーヨン生産はブームを呼び更なる増産のため1935(昭和10)年に第二の工場として岡崎工場が置かれます。
当時の岡崎市は恐慌後の産業活性化のためレーヨン工場の誘致を行っており一足早く日清紡績系の日清レイヨンが美合工場を設置していました。
日本レイヨンでは何か所か候補地が挙がっていましたが矢作川沿いで水の品質が良く電力料金が関西より安かったこと、本拠地の関西地方に近いことなどから岡崎が選ばれました。
岡崎工場は1934(昭和9)年1月に起工しますが三河鉄道岡崎線(後の名鉄挙母線)大樹寺駅からの専用線建設は一足早く1933(昭和8)年11月に三河鉄道から鉄道省へ工事着手届がなされ1934(昭和9)年3月には構外側線竣工届が出されています。

●戦時中のレイヨン生産中止と戦後の復活
戦争が近く統制色が濃くなると1941(昭和16)年6月に三河鉄道が名鉄と合併。
戦時中はレーヨンの海外輸出も出来なくなり軍需に関係ない産業は冷遇されることになります。
1943(昭和18)年には日本レイヨンが社名を日本航空機材に変更、海軍の指導の元木材で航空機のプロペラを製造したり軍需産業で生き残りをかけますが敗戦を迎えると仕事が無くなってしまいます。
プロペラ製造で得た技術を生かし合板、繊維板ファイバーライト製造で何とか生き残り1946(昭和21)年に永興産業、1948(昭和23)年には元の社名の日本レイヨンに戻っています。
しかしレーヨン製造の機械は戦時中に廃棄してしまっていたため岡崎工場でのレーヨン生産再開は1951(昭和26)年まで待つことになります。
レーヨン生産再開後は朝鮮戦争特需や高度成長期に生産が延びています。
専用線では名鉄電機が苛性ソーダや二硫化炭素を積むタンク車を牽いていましたが1953(昭和28)年には工場の生産拡大のためか構内入換用の8tディーゼル機関車DB5も用意されました。

●専用線の付け替え
1969(昭和44)年10月には親会社のニチボー(大日本紡績)と日本レイヨンが合併しユニチカが誕生。
人件費の安い途上国産の繊維製品が台頭してくるなかで繊維業界の再編が行われます。
一方で貨物輸送の面でも1970(昭和45)年10月1日に国鉄岡多線が開業する一方で並行する名鉄挙母線は廃止されることになり、挙母線廃止前の1971(昭和46)年10月1日に専用線の起点駅が名鉄挙母線大樹寺駅から岡多線北岡崎駅に変更されました。
挙母線は1973(昭和48)年3月4日に廃止されています。

P1050241.jpg
挙母線大樹寺駅を上挙母方から見た様子。線路はそのまま駐輪場になっています。
挙母線の廃線跡についてはこちらに挙げています。
挙母線は直流1500V電化でしたが岡崎市内線は直流600V。
1962(昭和37)年に岡崎市内線が廃止されるまで構内には双方の電車が入るため600Vで電化されており大樹寺駅の上挙母方にはデッドセクションが設けられていたそうです。

P1050242.jpg
大樹寺駅直前の踏切跡から構内を見た様子。現在は大樹寺バスターミナルとパチンコ店の一部になっています。
右に敷地が膨らんでいるのにかつて線路が分岐して構内が拡がっていた様子を偲ばせます。
専用線は構内右端のフェンス沿いに分かれていた様子。

P1050243.jpg
踏切には用地境界標が残っていますがよくある名鉄のものではなく旧・三河鉄道の社章が入ったレアものです!

P1050245.jpg
大樹寺駅跡のバスターミナル。
専用線はこのバスターミナルの建物裏手で分岐してパチンコ店の赤い立体駐車場の中を通っていました。
かつては島式ホームの真ん中に階段が設けられて同じホーム上で鉄道線用の高床車と軌道線の低床車の乗り継ぎが行えるようになっていました。
なお挙母線は法的には一駅岡崎市街寄りの岡崎井田が起点でしたが岡崎井田~大樹寺は低床車で運行され実質岡崎市内線の一部になっていました。

P1050247.jpg
大樹寺駅構内を岡崎井田方から見た様子。
市内線の電車が通っていた線路跡は道路とパチンコ店の間の駐車場の位置かな?

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専用線跡 | 23:59:58 | Trackback(0) | Comments(0)
田口鉄道の貨物運用~その2~
田口鉄道には貨物牽引用に40t電機デキ53がいました。
機関車や電車の番号は豊川、鳳来寺、田口鉄道で通番になっており各社同士で電車の乗り入れが行われていました。
豊川、鳳来寺国有化、田口鉄道運行管理国鉄移管時はデキ53が実質豊橋機関区配置状態で田口線内へなかなか帰って来なかったとも聞きます。
デキ53は田口、田峯から主要株主である宮内省帝室林野局の御料林材輸送のため用意されたものですが輸送料が案外少なかったことや1947(昭和22)年4月の林政統一により帝室林野局が無くなったため持ち出されてしまったのでしょうか?
それでも貨物が無いわけでは無いので出力の小さいED28(旧・鳳来寺デキ50、豊川デキ51)辺りが入っていたのかも知れません。

デキ53は田口鉄道が豊橋鉄道合併後に渥美線へ移って廃車になりましたが写真は撮れていません。

豊川、鳳来寺鉄道の電気機関車は残存率が高かったので見ることができました。
これらの機関車も田口鉄道へ入っていたのかも?

●豊川鉄道デキ50、鳳来寺鉄道デキ51(→国鉄ED28 1,2)
1925(大正14)年11月英イングリッシュエレクトリック(English Electric)社製25.4t機、定格出力240Kw。
豊川、鳳来寺鉄道電化時に新製されています。2両の車番が入れ替わったりしてややこしいことをしてます。
豊川鉄道50→デキ50→デキ51→国鉄デキ51→ED282→京福電気鉄道福井貸出→返却→遠州鉄道ED282
鳳来寺鉄道51→100→デキ100→デキ50→国鉄デキ50→ED281→近江鉄道ED281→山形交通高畠線ED281

DSC_1247.jpg
遠州鉄道で健在のED282。
山形交通高畠線で使われリナワールドで保存されたED281は撤去されてしまったそうです。

DSC_1227_20181118232234767.jpg
田峯の土場側線でこの機関車と田峰林鉄の加藤GLが並んでたら面白そう。

●豊川鉄道デキ52(→国鉄ED29 1)
1926(昭和元)年12月日本車輌製40.7t機、定格出力400Kw。
メーカーが日車に変わり見た目も田口デキ53にやや近い箱型機。
豊川鉄道デキ52→国鉄デキ52→ED291→岳南鉄道ED291

DSC_0093_2018111823283715f.jpg
故障して動けなくなってからも岳南富士岡で保管されて久しいです。
写真はイベントのため再塗装されて綺麗な頃のもの。

DSC_0090_201811182328367bd.jpg
左右非対称の側面。
岳南鉄道の電機の中でもあまり動いている写真は見たことが無いです。

●田口鉄道デキ53
1929(昭和4)年4月日本車輌製40t機、定格出力360Kw。
田口鉄道デキ53→国鉄運行管理→田口自主管理→豊橋鉄道田口線デキ53→渥美線→デキ451
デキ52より若干出力が落ちるもののほぼ同クラスと言って良いでしょうか。
田口線末期は貨物が電車で牽ける程度しかなく逆にセメント貨物で輸送力が必要な渥美線へ移されました。
しかし渥美線でもあまり走ってる写真を見たことが無いような・・・。

●豊川鉄道デキ54(国鉄ED30 1→ED25 11)
1944(昭和19)年6月日本車輌製40.0t機、定格出力500Kw。
豊川鉄道が発注したものの現車が届いた時には国有化されて飯田線となっていた機関車。
国鉄デキ54→ED301→ED2511→伊豆急ED2511→東急長津田工場入換機ED301
IMG_0546.jpg
東急長津田工場の入換機械になっていたときに撮っています。
しかしいつもいまいちな場所にいてまともに撮れなかった機関車~(^ ^;)

IMG_0554.jpg
何度か取りに行ったものの上手く撮れないうちにアントが投入されて引退、解体されちゃいました。

これらの機関車全部が田口線に入ったことがあるかはわかりませんが写真が出てきたら面白そうです。

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私鉄貨物 | 23:54:52 | Trackback(0) | Comments(0)
田口鉄道の貨物運用~その1~
田口鉄道1949(昭和24)年9月15日改正の運行図表から貨物列車の運行をあぶり出して見ました。
元々つながりの深かった豊川鉄道、鳳来寺鉄道が国有化されて国鉄飯田線となり田口鉄道も国鉄が運行管理を行っていた時代のダイヤです。
taguchi-f-timetable1.png
通過駅が多いですが運行図表では停車時間が短い場合通過か停車かがよく分からないので取り敢えず通過としています。
実際には少し停車して少量の貨物積み降ろしを行っていた可能性はあります。

DSC_0775_2018111623175159e.jpg
因みに元ネタは国立公文書館所蔵の鉄道省文書。
戦後間もない物資不足の時期に作成されたためか紙質が非常に悪いです。

なおこの運行図表は滝上~田峯(運行図表では「田峰」)駅間の砂利側線で砂利積込みを行うことに関し運輸省に申請するための書類で該当する貨物列車が赤線で表記されています。
前日の貨物で無蓋車を三河田口まで送り込み翌日の折り返し502レで側線に置き去り、積込み作業を行い504レで回収、本長篠で飯田線へ継走していたのでしょうね。
田峰森林鉄道と接続し構外側線のあった田峯では503、504、505レが長時間停車しており停車時間中に入換を行っていたようです。

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私鉄貨物 | 23:34:24 | Trackback(0) | Comments(0)
米原のクモヤ145マヤ検
学生時代に撮影したマヤ検。いずれも撮影は2004(平成16)年1月29日。
吹田か向日町(だったと思う)から東海道本線を米原まで往復し機関車牽引ではなくクモヤ145がプッシュプルするものでした。

IMG_2835.jpg
米原に到着したクモヤ145。
この米原方先頭車のみ車番を失念。
前面窓が珍しく灰色Hゴムの車なので調べれば特定できるかも??

img106-1.jpg
中間に挟まれていたのは京都総合車両所のマヤ34-2007。

IMG_2834.jpg
電車+客車+電車の編成ですがクモヤとマヤで車体断面はあまり変わりないため違和感が有りません。
機関車よりしっくり来るくらい?

IMG_2833.jpg

img106.jpg
大阪方に付いていたのは吹田工場のクモヤ145-1006。

img105.jpg
彦根で通学用自転車を拾って米原~彦根の東海道本線新旧線分岐跡への旧線築堤へ。
前パンのクモヤ145-1006を先頭に駆け抜けていきました。
本線上でクモヤを撮ったのは今のところこれ1枚だけ。


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過去のアルバムより | 23:05:01 | Trackback(0) | Comments(2)
東濃鉄道駄知線東駄知駅~その2~
東濃鉄道駄知線東駄知駅2回目~

P1050004.jpg
東駄知駅の機回し線末端付近から土岐市方を見た様子。
バス停の付近には木造駅舎があったそうです。
この機回し線より先にも専用線らしき線路のようなラインが延びていたのが空中写真で見られます(後述)。

P1050006.jpg
駅前広場の区画もそのままの様子。

P1050005.jpg
東駄知駅前の電柱に残る「駄知町東駅」の地名。
駄知駅は「西駅」なのですがそちらでは看板などに表記は見付けられずでした。

e-dachi-map1.png
国土地理院の空中写真から見た1948(昭和23)年4月1日の東駄知駅。
電化される2年前の様子です。
東駄知駅より先の工場に専用側線らしき線路が延びているように見えますが果たして本当に線路なのかは不明。
現在この専用側線らしきライン上は建物になっておりその先には山津製陶(1946(昭和21)年2月20日設立)の工場があります。

e-dachi-f.png
東駄知駅の貨物取扱量の推移。
発送量は元々少なく到着量も昭和30年代には急激に減っています。
1972(昭和47)年度のデータがありませんが1972(昭和47)年3月15日改正のダイヤでは2往復の貨物列車は駄知止まりになっており東駄知までの貨物列車の設定は無くなっていました。

tono-ed1001.gif

tono-cargo2.gif
東濃鉄道ED1001
東芝1950(昭和25)年製28.8t機。
予備機無しで1956(昭和31)年8月5日にモハ101と正面衝突事故を起こした際には復旧まで名鉄デキ379を借りて貨物列車を走らせてたそうですが全般検査など運用に就けないときはどうしていたのでしょうか。
保存されている松尾鉱業鉄道ED251とほぼ同型なのですがそちらは見に行けてません(- -)

DSC_0690.jpg
駄知鉄道11号と同型の西武鉄道7号機
ピッツバーグ1897(明治30)年製軸配置1Cの33.5tタンク機。
伊賀鉄道(現在の伊賀鉄道とは無関係で未成の鉄道)の注文流れで以下のような遍歴。
伊賀1号→阪鶴鉄道(現・JR福知山線)12号→国鉄2850形2850号→駄知11号→日曹炭鉱天塩12号
駄知鉄道には1923(大正12)年に転入したものの大型で使い辛かったのか東濃鉄道成立前の1938(昭和13)年11月4日に廃車。
宗谷本線豊富駅分岐の日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道に転じて1955(昭和30)年頃まで使われていたそうです。
写真の西武鉄道7号は
伊賀3号→阪鶴13号→国鉄2850形2851号→播丹鉄道(現・JR加古川線)8号→西武8号→7号→日本ニッケル鉄道(→上武鉄道)貸出→西武返却廃車
こちらは1965(昭和40)年まで使われファンが現役時に撮影した写真も残っていますね。
現在は東京都品川区の東品川公園で保存されています。

参考文献:
RM LIBRARY72 東濃鉄道(清水 武/著 ネコ・パブリッシング/刊)
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)
機関車表フル・コンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング/刊)
山津製陶株式会社ウェブサイ

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貨物側線跡 | 22:42:41 | Trackback(0) | Comments(0)
東濃鉄道駄知線東駄知駅~その1~
東濃鉄道駄知駅から盆地の真ん中へ降り終点の東駄知駅へ。

P1040997.jpg
東駄知駅の直前で小川橋梁を渡ると右手にまたいい感じの木造建築。
こちらは駄知信用組合→駄知小売商業協同組合の事務所だそう。

P1040999.jpg
直進すると100mほどで東駄知駅。
左手にもまた木造建築、こちらは旧農協?

P1050001.jpg
かつての駅構内は隣接していた工場の敷地に組み込まれています。
昭和20年代の航空写真を見ると工場建屋部分にもかつては側線や貨物ホームらしきものが見えますが駄知線廃止直前の写真では電車の背後にこの工場建屋が写っていることから現役時から構内規模は段々縮小されていたのでしょう。

e-dachi-map2.png
昭和40年頃の写真から推定した東駄知駅構内配線。
本当に合ってるかはわかりませんが(^ ^;)

P1050008.jpg
末期は櫛形ホーム1面2線の島式ホームと左端に貨物側線、右側に機回し線があった様子。
アスファルト舗装部分のトラックが止まっている部分から右へ貨物側線、1番線(?)、草地の奥の建屋部分がホームと2番線(?)、機回し線の跡のようです。
土地が右に膨らんでいるところが機回し線分岐の名残。

P1050003.jpg
東駄知駅末端側から。
こちらも土地の膨らみから機回し線の線形がよくわかります。

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貨物側線跡 | 23:00:39 | Trackback(0) | Comments(0)
公民館まつりの後
王滝村の公民館まつりによる王滝森林鉄道せせらぎ線運転会は12時までだったので午後はレストア作業です。

P1050078.jpg
イベント中はサーフェーサーの灰色だったNo.132の台枠を黒で塗装。
ボンネット上に突き出た棒からぶら下げて干してあるのはラジエターの天辺にある冷却水注入口の蓋を抑えるためのバネ。
酒井工作所1960(昭和35)年製と比較的新しい機関車なので新製時から王滝色なのかと思っていたら・・・。

P1050072.jpg
台枠のあちこちに濃緑色の塗装編が見られました。
メーカー新製時は濃緑色一色で配属後に各営林署で塗装していたのでしょうか?

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公民館まつりの終り掛けで逆転機が故障したNo.14も修理されて試運転。
イベント中には列車が入線していない山側の線路へ入りました。

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なお公民館まつりの間はなんとか持っていた天気も午後には雨に変わりました。

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御嶽山は見えませんでしたが低いところに雲が掛ったこの雰囲気も良いものです。


森林鉄道(長野営林局) | 22:30:06 | Trackback(0) | Comments(0)
王滝村公民館まつり2018
去年から撮影者が随分と増えた王滝村公民館まつりの森林鉄道運転会。
毎度の如くりんてつ倶楽部さんのお手伝い(お邪魔^ ^;)をしてきました。
車庫前でモーターカー乗車受付をしていたので運転会の様子は受付の場所からしか撮ってません(爆)

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No.132はクラッチ整備後再塗装中。
前のエメラルドグリーンもあれはあれで良かったですが今回は現役末期の助六時代の姿になります。

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モーターカーは燃料噴射ポンプ整備中のNo.4を除き可動状態。
左からNo.14、関電MC、No.4の順に並べて展示。

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B型客車を牽くのは例年のごとく立山砂防No.142。
7t機No.84を出せれば良かったのですがエンジンが掛らず終いでした。

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機関車No.84をモーターカーNo.14で引っ張り出して後ろに閉じ込められてる自動トロリーNo.68を出せるように入換中。

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No.68が出ていくと撮影に来ていた人達に結構喜ばれたようです。
確かにモーターカーの中では一番稼働率が低いかな?

因みにB型客車、モーターカーとも乗車体験で走らせていたのですが乗りたい人より撮りたい人が遥かに多くて空車回送の便が多かったです。
森林鉄道フェスティバルの時は積み残しが出るほどですが対照的な状態ですね。

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森林鉄道(長野営林局) | 21:18:42 | Trackback(0) | Comments(0)
旧・東濃鉄道駄知線駄知駅の現在~その2~
東濃鉄道駄知線駄知駅から駄知駅周辺~。

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旧駅舎位置より土岐市方面を見た様子。
車庫と旅客ホームの間には2線が入っていたので位置的に右寄りの白線辺りが旅客ホームの跡のようです。
左の軽トラ等が止まってる辺りが貨物側線で左のフェンス辺りが貨物ホームでしょう。

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駅舎跡のバスの営業所前には駄知鉄道記念碑が建っています。
1944(昭和19)年3月1日に戦時統制のため駄知鉄道や笠原鉄道、バス会社など6社が合併を強制されてできたのが東濃鉄道でした。

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駄知駅前には良い雰囲気の酒蔵とアクセントを添えるように配された丸ポストが絶妙なコンビネーションを見せています。
隣のビルがミスマッチに思われそうですがこちらはこちらでタイル張りの渋いもの。
年代物らしい中々良い味を出しています。

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駅前から見た駄知駅構内。

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駅前から最初の四つ辻にもこれまたいい雰囲気の建物。
建物入口に書かれた文字によると旧・駄知商業協同組合の事務所のようです。

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駅側の面の入口上にはダイヤ型のレリーフもあってなかなか手が込んでいます。



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廃線跡(一般鉄道) | 22:08:43 | Trackback(0) | Comments(0)
旧・東濃鉄道駄知線駄知駅の現在~その1~
バス車庫になった駄知線駄知駅構内を見て見ます。

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駄知駅構内へ入って行く東濃鉄道の回送バス。

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盆地の中央の東駄知へと下って行く本線上から見た電車庫。

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相変わらず架線を吊っていた碍子はそのまま。
駄知線は1950(昭和25)年電化で、当時の中央西線沿いでは名鉄瀬戸線も北恵那鉄道も直流600Vだったのに対し直流1500Vを採用しています。

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車庫の奥側から見た様子。
中には埋められたピット線のレールがそのまま残ってるそうですが部外者が現役の車庫構内をうろつくわけには行かないので遠くから見ただけ。
車庫の建屋から左線路2本を隔て行き止まり式の旅客ホームがあり、さらにその左に貨物側線と貨物ホームがありました。

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建屋に残る鉄道時代の緑十字と安全第一の文字。

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バス車庫らしくバス停標識がずらり。

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林鉄ファンに直球ど真ん中の「土場」というバス停も(笑)


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廃線跡(一般鉄道) | 21:56:18 | Trackback(0) | Comments(2)

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まとめ