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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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東濃鉄道駄知線駄知駅の貨物ホーム
1972(昭和47)年7月13日に土岐川橋梁が流失したことで運行休止、1974(昭和49)年10月21日に廃止となった東濃鉄道駄知線。
沿線は窯業の盛んな土地で全駅で貨物営業を行っており末期でも土岐市~駄知に2往復の貨物列車が設定されていました。
車庫が置かれ線名にもなっている駄知は現在土岐市の一部ですが土岐市中心とは山を隔てた別の盆地になっています。
昔からどんぶりの生産が行われており現在駄知にある道の駅の名前も「土岐美濃焼街道どんぶり会館」です。

駄知駅は元はスイッチバック駅で現在は東濃鉄道バスの営業所、車庫になっています。
土岐市から来た列車が終点東駄知へ行く場合、一旦駄知駅に停車し土岐市方にある引上げ線へ入って東駄知へと下って行きました。
そのスイッチバック引上げ線付近に貨物ホームが残っています。
P1040974.jpg
貨物ホーム上から土岐市方を見た様子。
柵に囲まれた遊歩道の位置が引上げ線、その手前の草地に本線と貨物側線がありました。

P1040969.jpg
元の本線と貨物側線の間辺りから見た貨物ホーム。
現在はホーム上、線路跡とも駐車場になっています。

P1040975.jpg
貨物ホーム上から駄知、東駄知方面を見た様子。
こうして見ると鉄道のプラットホームと言うことがよくわかります。
線路上にできた東鉄タクシーの工場、営業所(中央の白い建物)に阻まれ駄知駅構内は見渡せません。
東鉄タクシーと左の煉瓦煙突のある工場の間に続く道が東駄知へ続く線路跡の道。

P1040972.jpg
広大な駄知駅構内。右のバスが止まっている辺りにも上屋付きの貨物ホームがありましたがこちらは跡形もなし。
左に見える電車の検車庫は今もそのままバスの検修庫として現役。

dachi_freight.png
駄知駅の貨物取扱量の変遷。
最終年度の1972(昭和47)年は駅別データが無く不明。
発着量ともに全盛期の1956(昭和31)年から見ると末期は1/5~1/4程度に減っており貨物列車の廃止は水害があろうとなかろうと時間の問題だったように見えます。
貨物の内訳はわかりませんが到着貨物は窯で使う燃料の石炭や原料の陶土、陶石、発送貨物は陶器が主でしょうか。

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

貨物側線跡 | 22:47:49 | Trackback(0) | Comments(0)
市之倉さかづき美術館のC2形貨車移動機
定光寺のレール片付け作業の後で近くの市之倉さかづき美術館のC2形貨車移動機を見に行きました。
以前多治見市某所の超古典移動機として紹介したときは展示物なのか微妙な感じでしたが正式に展示物となったようです。
設置場所が以前と変わり表から見易くなり上屋付きで説明板も立ちました。
元は東濃鉄道笠原線市ノ倉口駅の東京窯業(現・TYK)の側線(専用線一覧には載っておらず専用線なのか東濃鉄道側線なのかは不明)で貨車入換を行っていた無車籍のNo.2です。

P1040945.jpg
重軌条化されてレールが物凄く太く見えます。後ろに線路が長く取ってあるのは動態化を考えてのことかと思いきや人力で引っ張るそうで。

P1040946.jpg
C2形は本来キャブが車体の半分しかない小さなものですがこの車はC5、C6形のような大型のキャブを持っています。
連結器も本来は簡易連結器なのですが並型自連を装備しており改造されたのでしょうか?

P1040949.jpg
キャブはC5、C6と同タイプと書きましたが乗務員扉の位置は前後が逆です。
No.2の他に以前は無かった乗務員扉が取リつけられ(オリジナルではなく手作りで新製した様子)て「0520」の文字が入っています。
国鉄で使われていた頃の重要機械番号なのでしょうか?
No.2と言うからにはNo.1もいてこちらは通常のキャブが小さく、簡易連結器を装備した通常のC2でした。
No.1も市ノ倉口駅で使用されてましたがNo.2だけが残されたようです。

No.1の写真は持ってませんが土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブスより東海道本線関ヶ原駅で使われていた標準的なC2形の画像をお借りすることができたので掲載します。
撮影時期は不明ですが他の写真などから勘案すると昭和30年代のようです。
sekigahara-c2.jpg※転載厳禁
市ノ倉口のNo.1もこれとほぼ同じ姿で、端梁はトラジマの警戒色、側面には東京窯業の社紋が入っていました。
関ヶ原には当時ニチボー→ユニチカ関ヶ原工場専用線(作業キロ:0.3km 作業方法:貨車移動機、手押)がありフェンスの向こうにそれらしい側線と貨物ホームが見えます。

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スイッチャー | 22:48:10 | Trackback(0) | Comments(0)
定光寺自然休養林のレール
協三10t機No.127を丸瀬布いこいの森へ送り出し何もいなくなった定光寺自然休養林の展示線路。
レールは小坂森林鉄道研究会でいただくことになったのですが取外しができるかどうか調査に伺いました。

P1040938.jpg
9㎏レールなので森林鉄道二級線で使われていたものと思われます。
恐らく長野営林局内で使われていたものと思います。
一級線でも特に大型の10t機にとってはか細いレールだったかも知れませんが別に走るわけではないので問題ないのでしょうね。
今日の目標は継目板を外すところまで。
5.5mレール×4、2.8mレール×2で継目板は外側だけで4枚取付け。

P1040940.jpg
犬釘打ちは何度かやったことがあるもののレール撤去作業は初めて。
継目板3枚まではソケットレンチで難なく外れましたが最後の一枚無理やり曲げてある部分が変に力が掛っているようでナットとボルトの隙間にCRCを注入しつつ四苦八苦・・・無理に力を入れるとボルトを折ってしまうので慎重に。
真夏じゃなくて良かった(^ ^;)
レールに刻印は見当たりませんが岩崎レール製でしょうかね。
なお5.5mの9kgレールという規格は1933(昭和8)年度に小坂森林鉄道開設時に帝室林野局名古屋支局小坂出張所が岩崎レール商会から購入したものと全く同じ。
小坂では一級線の小坂線、二級線の若栃線、鹿山線の一部に使用したという記録が残っています。

P1040939.jpg
持って行った道具はこれだけ。
次回は犬釘を抜かねばなりませんがバールそのままではやはり無理。
犬釘用の釘抜きを確保せねば(- -;)

ところで作業中に通りかかった方から「機関車はどうしたの?」と尋ねられることが多かったのが印象に残りました。
いつも見慣れたものが突然いなくなるとやはり気になるのでしょうね。
北海道で元気にやっているようです!
丸瀬布いこいの森のfacebookを拝見したところ丸瀬布では既に元・鶴居村営軌道6t機が無動力のNo.127を牽引して本線を走っています。
広々とした軌道を緑の小さなDL同士が重連で行く何とも可愛らしいシーン・・・現地で生で見たいです!!
遠軽町丸瀬布いこいの森 facebook

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森林鉄道(長野営林局) | 22:10:08 | Trackback(0) | Comments(0)
定光寺自然休養林の長野営林局No.127北海道帰還~その2~
定光寺自然休養林の機関車No.127搬出作業2回目~
P1040862.jpg
トラックへの積み付け作業。
馬を噛ませた上にNo.127を置きます。

P1040866.jpg
運転手さんの指示の元で木材で組まれた馬の上にNo.127を固定。
微妙な調整のため真剣な眼差しでの作業が続きます。

P1040872.jpg
クレーン車にトラック2台、機関車が密集した凄い状態。

P1040904.jpg
いよいよ積み付けが終わりトラックのアオリ戸が上げられました。

P1040917.jpg
出発まで駐車場で待機。
シートもかけずこのままの状態で行ったので行き掛けの道やフェリーでたまたま見かけた鉄道ファンは驚いたのでは?

P1040925.jpg
先導されて定光寺自然休養林を去って行く10t機。
丸瀬布では現役時代を共にした多くの仲間たちが待っています。

このNo.127ですが丸瀬布では動態復元を行う予定とのこと。
長いこと雨曝しになっていたことから修復には多くの困難が予想されます。
丸瀬布いこいの森のある遠軽町では動態復元事業に要する資金などの面で広く皆様のご協力をお願いしたいとのことです。
こちらとしてもできる限り力になりたいと考えています。
また発表があると思いますが弊ブログでも告知を行うつもりですのでご協力頂ける方よろしくお願い致します!

丸瀬布いこいの森facebook

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 22:50:28 | Trackback(0) | Comments(0)
定光寺自然休養林の長野営林局No.127北海道帰還~その1~
愛知県瀬戸市の定光寺自然休養林で保存されていた元長野営林局上松運輸営林署のNo.127が北海道遠軽町の丸瀬布いこいの森へ送られました。
元を正すと北見営林局の機関車で58年振りに故郷の土を踏むことになります。
1956(昭和31)年協三工業製10tディーゼル機(製番10188)で当初は遠軽町の北隣芝桜で有名な滝上町の北見営林局滝上営林署濁川森林鉄道で使われており車番は46、47号のどちらかだったものと見られます。
1960(昭和35)年2月には長野営林局上松運輸営林署に移り王滝森林鉄道廃止まで使われ1975(昭和50)年12月に廃車。
その後国道41号線の宮峠(岐阜県高山市)のドライブインでの保存を経て定光寺自然休養林で保存されてきました。
以前の様子はこちら

今回の丸瀬布移管に小坂森林鉄道研究会としてちょっと関わらせてもらったので搬出作業も撮影させて頂くことができました。
10月23日9:00より1時間半ほどの間に搬出作業が行われました。
P1040763.jpg
紅葉が進んだ定光寺自然休養林の駐車場。
車止めのブロックをどけてクレーン車がNo.127のそばへ~。

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幅のある機関車を吊るための治具を取付けて調整が行われます。

P1040788.jpg
森林鉄道の機関車として現存最大級の10t機。作業は慎重を要します。

P1040804.jpg
いよいよ吊り上げ。

P1040823.jpg
作業員さんの合図の元レールから離れ宙を舞う10t機。

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関係者の見守る中で高く持ち上げられる10t機。

P1040849.jpg
すかさずその下へお迎えのトラックが誘導されます。

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 22:14:31 | Trackback(0) | Comments(0)
日本コーンスターチ衣浦事業所専用線(衣浦臨海鉄道碧南線権現崎駅)
衣浦臨海鉄道碧南線の終点権現崎駅から出ていた専用線。
現在では碧南市~権現崎の本線が撤去されて専用線のレールだけが一部残っている状態です。

コーンスターチとはトウモロコシを原料とした澱粉(デンプン)で食品はもちろん紙製品の接着剤としても使用されるそうです。
同じ澱粉を成分としたの片栗粉と似た真っ白な粉末ですが原料が異なります。
片栗粉はジャガイモを原料としており(名前の元となったカタクリは現在使われていない)、特性により用途も若干異なるとのこと。

作業方法:社機
作業キロ:0.8km

専用線使用開始は1977(昭和52)年で碧南線開業と同時にできたものと見られます。
入換には衣浦臨海のKE65がそのまま乗り入れ穀物貨車のホキ2200で原料のトウモロコシを搬入していたようです。
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穀物貨車ホキ2200形ホキ2341号(北海道三笠鉄道村)

DSC_0664_201810222157203d8.jpg
権現崎駅からカーブして工場へ延びていた線路跡。
レールはすでに撤去されています。

DSC_0662_201810222157229d1.jpg
踏切反対の鉄道門は残存。
その下には・・・

DSC_0659_20181022215721ff3.jpg
レールが残ってますがこの先は工業団地の敷地で一般立入禁止のためここまでしか見えません。


以下は2004(平成16)年4月25日の撮影
IMG_3034.jpg
同じ踏切の廃止前の様子。碧南市~権現崎が正式に廃止になる前ではあるものの既に列車の運行はなく本線のレールも撤去され事実上廃線でした。
専用線の踏切には「変わらずの信号」と呼ばれていた踏切信号機がありました。

IMG_3025.jpg
一枚目画像とほぼ同じ位置から見た様子。

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リレーボックスや壊れかけの勾配標もそのまま。
左の線路内に見える黒くて四角い装置は・・・。

IMG_3026.jpg
列車の車輪が白いレバーを蹴ると反応する踏切装置(正式名称は知らない^ ^;)
この装置を機関車が踏むところで一旦停止、信号が変わったら操車さんの誘導に従い踏切を通過していたということでしょう。

IMG_3024.jpg
この踏切、道路側に遮断機はないのですが鉄道門の内側を見ると線路の方に遮断機がありました。

権現崎の貨物扱いは無くなりましたが現在日本コーンスターチの鉄道貨物輸送は2018(平成30)年現在行われており、対岸の半田埠頭でコンテナ車にコーンスターチを積込み衣浦臨海鉄道半田線半田埠頭駅~予讃線伊予三島駅の輸送があるそうです。
伊予三島と言うと大王製紙三島工場専用線。
製紙工場で使う接着剤の原料輸送と見られます。

参考文献:
日本コーンスターチ株式会社Webサイト
衣浦臨海鉄道株式会社Webサイト 利用事例

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専用線跡 | 22:34:47 | Trackback(0) | Comments(0)
衣浦臨海鉄道碧南市駅撮影会~落穂拾い~
碧南市駅での撮影会の折に見ることができたもの~。

P1040658.jpg
碧南市駅には保線車両もいました。
今回見かけたのは小形のカートと軌陸トラック。

030208-1.jpg
2003(平成15)年2月8日に碧南市駅構内を見学させてもらった時の写真。
こんなモーターカーがいました。当時でもこんなトラック形モーターカーは珍しい存在でした。

P1040727.jpg
廃止になった権現崎からのタブレット通過授受を行っていた頃のタブレット受器が残っています。
碧南市~権現崎は2006(平成18)年廃止ですが実際に運行停止になったのはもっと昔で一度も列車が走っているところを見たことはありません。

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権現崎方面に続いているように見える線路。
実際にはこの先の道路でレールは切られています。

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私鉄貨物 | 23:38:35 | Trackback(0) | Comments(0)
衣浦臨海鉄道の貨物鉄道博物館開館15周年記念ヘッドマーク~その2~
碧南市駅撮影会2回目~。
P1040684.jpg
前位のKE65 3を切り放し、次位のKE65 5(二代目)と並べて撮影。

P1040689.jpg
左のKE65 5(二代目)は1970(昭和45)年2月14日川崎重工業製で元国鉄DE10 573。
佐倉、品川機関区など関東方面で使われましたがJRには引き継がれず国鉄清算事業団経由で衣浦臨海入りしてます。
衣浦臨海鉄道は開業後鉄道貨物低迷期を迎え機関車を売却してましたが、1990(平成2)年に碧南線でこの炭カル・フライアッシュ輸送を始めたことで息を吹き返し機関車を再増備しています。

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KE65 3のヘッドマーク。

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KE65 5のヘッドマークは社員さん手描きとのこと。
衣浦港を横断するフライアッシュ輸送列車。バックの山は方向や形からして御嶽山でしょうね。
暖か味のある良いヘッドマークだと思います。

こうして並べて見ると自連の左右に元DE10のKE65 5にはスノープラウの取付穴が4つずつ開いているのに対し衣浦オリジナルのKE65 3は開いてないのがわかりますね。

参考文献:
機関車表フルコンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング)

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私鉄貨物 | 23:41:37 | Trackback(0) | Comments(0)
衣浦臨海鉄道の貨物鉄道博物館開館15周年記念ヘッドマーク~その1~
貨物鉄道博物館開館15周年のヘッドマークを掲出頂いてる衣浦臨海鉄道さんの撮影イベントに行ってきました。
碧南市駅構内に入れていただくのは15年振りでしょうか。

P1040658.jpg
因みに列車到着は撮り逃がし(爆)
入換でホッパーのある5番線へ入った後の撮影
以前はアヤシゲなトラック型モーターカーもいましたがさすがに現在はいません。

P1040663.jpg
ピカピカのKE65 3は1977(昭和52)年日本車輌製65t機。
元はKE65 5でしたが先代のKE65 3(1975(昭和50)年日本車輛製)が樽見鉄道TDE103として移籍したため番号を引き継いだ2代目。
ヘッドマークは三岐鉄道で入れてたものと同じデザイン。

P1030817.jpg
見た目が同じでも取付けのためのステーが違うためそれぞれに苦労があります。(^ ^;)

P1040670.jpg
入換の合間には係の方立会いの元で線路内からの撮影。
堂々たる正調DE10重連の長大編成とホッパーの組み合わせ。
撮り鉄に敬遠される高圧線鉄塔もここでは工業地帯らしさを添えるいい舞台装置になっているように思います。

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私鉄貨物 | 22:20:43 | Trackback(0) | Comments(0)
飛騨小坂駅旧一般貨物側線の保線車
飛騨小坂駅の側線、専用線ではかつて森林鉄道があった頃は入換と積込み用に3t蒸機ロコ起重機、1969(昭和44)年3月末現在では5t貨車移動機1台がいたようです。
前者は国鉄の操縦車のような形状、機能があるロコクレーンですが車籍はない機械扱いです。
名取編集長の編集長敬白アーカイブに型式図が載っています。
後者は普通のディーゼル機と見られますがどのタイプがいたかは不明。
貨物営業も終了して久しく森林鉄道や側線用のアヤシゲな機関車たちは見られませんがそれでも・・・。

P1040217.jpg
奥の転車台から駅舎前を通っていた側線は撤去済みですが以前上げたように一般貨物ホームは保線用に残っています。

P1040209.jpg
一般貨物側線に留置された保線MCと長物車。

P1040208.jpg
銘板から得られた情報は以下の通り。
軌道モーターカー
北陸重機工業2016(平成28)年10月製18t機
製番:3570-M01
型式:HDMB-18MP
JR東海の名称番号-機械番号-類別番号-識別番号:02-0536-18-16
左のエンジン側にはエアコンの室外機やらエアーマンやらが載っており面構えからするとキャブの方が前位のキャブフォワード型機関車と言って良いのか?
運転席は中央の高い位置にあり右の乗務員扉から階段を上ってたどり着くようになってます。
乗務員扉のある階下のスペースは以前のモーターカーでは露天のデッキになってたところを屋内スペースにしたもののようです。

P1040216.jpg
長物車には銘板が付いてませんが機関車に機関車自体の銘板と一緒に付いてました。
ただし機関車、貨車でワンセットの銘板なのかも知れません。
型式:THA-270
年月:2016(平成28)年10月
管理番号:RF003-9 12K-201
販売元:株式会社トキオ

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スイッチャー | 21:54:13 | Trackback(0) | Comments(0)
小林三之助商店小坂工場(?)専用線(高山本線飛騨小坂駅)
以前飛騨小坂駅の営林署専用線を上げた際に名前だけ上げてましたが地元の方より詳細な工場の位置を教えてもらいました。
かつて高山線が岐阜から延び飛騨小坂まで開通した1933(昭和8)年8月25日より高山まで開通(全通して飛越線、高山線を合わせて高山本線に改称)する1934(昭和9)年10月25日までの14か月間jは飛騨小坂が終点で機関車を方転する必要があったため転車台が置かれていましたが、高山本線全通後この転車台はあまり使われなくなりいつしかレールも固定されてしまいました。

この転車台の線路脇へ1960年台に小林三之助商店が工場を設置しその専用線として転車台の線路が利用されたようです。
同社は木枕木メーカーとして有名ですがチップ貨車トラ90000とチップ積込み装置の写真が見られることから製紙原料用の木材チップも製造していたものと見られます。
また地元の方からは左官鏝の柄の部分をつくって兵庫県三木市のメーカーへ送っていたとも聞いています。
三木市は今でも左官鏝メーカーが多く国鉄三木線(後の三木鉄道)三木駅は1974(昭和49)年まで貨物営業を行っていました。
そう言えば三木鉄道時代末期でも三木駅には立派な木造貨物上屋が自転車置き場として残ってましたね。

作業方法:手押
作業キロ:0.1㎞
総延長キロ:0.1㎞

なお専用線一覧には1967(昭和42)年版、1970(昭和45)年版にのみ記載があり、飛騨小坂駅の貨物営業が1975(昭和50)年で終了していることを考えると末期の10年ほどしか存在しなかったようです。

P1040203.jpg
飛騨小坂駅富山方。
1番線(ホーム右の線路)の右に側線が敷かれていた敷地が残ります。
この線から右に分岐して中央やや右に見える2階建ての建物(消防団倉庫)の場所に転車台がありました。

P1030655.jpg
工場跡は下呂市立小坂診療所の駐車場になっています。
中央の建物が1枚目の画像にも写っていた転車台跡の消防団倉庫。

osaka-map1.jpg
国土地理院の空中写真で専用線があった時代は見られませんが転車台が写っているものはあります。

P1040201.jpg
転車台線→小林三之助商店専用線より反対側(岐阜側)は機回し線(キハ25と駅舎の間の左の撤去済みの敷地)で駅舎前を通過し営林署の大島貯木場へつながります。


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専用線跡 | 21:33:45 | Trackback(0) | Comments(0)
2018年10月7日貨鉄博開館日
今回は庭箱鉄道さんに運行して頂いてる丹生川~阿下喜シャトルバスのミニバスが検査中だったそうで代車として修復中の元・名鉄ト15と縁の深い(晩年は揖斐、谷汲線用)揖斐川町からモ514タイプのバスが運用に就いてました。
以前はちょいちょい谷汲周辺で見掛けたこのバスですが最近見ないなと思ってたら長いことお蔵入りしてたのだそうです。
モ514は久し振り、しかも思わぬところへの登場にお客さんの人気を集めていました。
P1040149.jpg
「阿下喜」の運板を掲出して発車待ち。

P1040158.jpg
通常の「谷汲」運板。

P1040153.jpg
シャトルバス当日最終便の丹生川到着。
「丹生川⇔阿下喜」の運板もありました。

P1040150.jpg
ト15の標記まで完成した姿は11月4日にお披露目です。
10月7日はアオリ戸、床面など内側の鳶色塗装仕上げ。
塗装作業中に現役時代から残ったままになっていた砂利がいくつも出てきたのが印象的でした。
テワも標記まで入れて11月4日の15周年記念イベントで完成お披露目。

P1040154.jpg
元巴川製紙所DB101は以前の青塗装より実感的な塗料に変更し、塗り分けも現役時代1980(昭和55)年頃の写真を元に復元中。

次回開館日11月4日(日)は貨物鉄道博物館15周年記念イベントです。
詳細は貨物鉄道博物館公式サイトで展開中です。
皆様ぜひお越し下さい!


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私鉄貨物 | 22:43:30 | Trackback(0) | Comments(0)
近畿の果て~近江塩津~
木ノ本に車を置いて新快速で近江塩津へ~。

P1040121.jpg
近江塩津で湖西線サンダーバードでも撮るかと思ってたら長いホームの内上屋の末端の柱にこの先立入禁止ステッカーが。
表示が控え目で先にもホームは続いてるので通りかかる人の大半は気付かない気がしますが・・・。

P1040122.jpg
サンダーバード23号金沢行~
最近は乗るだけで撮ってない北陸特急。
683系更新車もそう言えば初めて撮った気がします(^ ^;)
北陸新幹線が敦賀まで来てしまえばまた変化がありそうです。

P1040123.jpg
後ろにはしらさぎ増結編成をつないでいました。

P1040124.jpg
折り返しの225系新快速。
こんな寂しい駅からトレインビジョンも完備した大都市型の列車が発着するのが不思議な感じ。
以前の北陸線は冬は低いホームから手押しで重い扉を開けて車内へ上がるというイメージでしたが段差も無くなりました。
バリアフリーで良いことなのですが寒いホームからあの段差を上がった車内の暖かさもまた忘れられません。

P1040129.jpg
大きな築堤をもぐり地上の改札口へ続く長い階段はトンネル駅の筒石のようなディープな雰囲気。
こういうところでもどことなく近畿の果て、北陸の入口を感じます。

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撮影行 | 22:04:24 | Trackback(0) | Comments(2)
小坂森林鉄道鹿山線~その4(滝ヶ平)~
小坂森林鉄道鹿山線4回目~この先通行止めなので一先ずは滝ヶ平(たきがなる)までです。

P1030580.jpg
滝ヶ平の鹿山造林事業所寄宿舎。
手前に物置、奥が宿泊所で共に1963(昭和38)年取得となっていたので鹿山線廃止と入れ替わりに建て替えられたのかも知れません。
宿舎自体はもっと古くから存在し御料林時代は鹿山筋休泊所と呼ばれてたようです。
1944(昭和19)年の記録ではここまで事業用の電話線が引き込まれてたようですが鉄道用電話は置かれてませんでした。

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寄宿舎玄関側。
線路を挟んで向かいに鹿山苗畑(滝ヶ平地区)、1㎞ほど上ったところに鹿山苗畑(砂小屋地区)、1km弱下ったところには小ヶ倉苗畑があり現地で働く人が泊まり込んでいたのでしょう。
造林事業は営林署内の経営課の担当で、森林鉄道を運行、管理していたのは事業課と管理部署が異なります。
とは言え苗畑から山元へ苗を運ぶのには当然林鉄が使われ、人員、資材、生活物資輸送も林鉄で行っていたはず。
林鉄が廃止になると車で自宅から通うようになったとのことなので寄宿舎としてより休憩所として日中使われるのが主だったのでは?

P1030583.jpg
林鉄時代の宿舎には石置き屋根がよく見られましたが林鉄が廃止になった頃だったためか石の代わりに不要になったレールを載せた様子。

P1030573.jpg

P1030577.jpg
物置の看板。

1935(昭和10)年度に鹿山軌道が敷設され鹿山筋休泊所が増築された頃の図面。
kayama_zorin_1.jpg
正面とあるのが線路(谷)側のようです。

kayama_zorin_2.jpg
既存の建物の全体像がわかりませんが敷地の広さからすると8畳間2部屋(便所付)+8畳間2部屋でしょうか

kayama_zorin_3.jpg
炊事場は外に独立していました。
模型で再現してみたいですね。

P1030569.jpg
滝ヶ平谷を第九号橋梁で渡った下呂俣寄り鹿山線起点5,100m付近で通行止めになっていました。

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下呂俣まで行けるのはまだ先かな?


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森林鉄道(名古屋営林局) | 22:48:15 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道鹿山線~その3(小ヶ倉~滝ヶ平)~
小坂森林鉄道鹿山線3回目~

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小ヶ倉谷を渡ると谷側に苗木を育成する小ヶ倉苗畑がありました。
ここにも側線(鹿山線起点3,984m地点)があり、起点側より分岐する行き止まり式の側線だった様子。

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小ヶ倉谷から勾配を登り絶壁上の区間に入ると林鉄のレール利用柵が現れます。
森林鉄道二級線なので9kg、10kgレールが多いようです。
なお鹿山軌道として開設された時は8kgレールと前年の小坂線工事で残った10kgレールを使用していた様子。

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線路上から鹿山川を見下ろした様子。
森林鉄道現役時代より沿線の樹木が成長したため川まで見通せる場所は案外少ないです。

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谷側、山側とも絶壁。
これまでと比べて険しい地形になって来ました。

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絶壁区間はすぐに終わって鹿山線起点4,837m地点にあった滝ヶ平(たきがなる)の複線跡はよく分からず。
間もなく鹿山筋休泊所→鹿山造林事業所の宿舎が見えて来ました。
滝ヶ平の複線は造林事業所や線路を挟んで谷側に広がっていた鹿山苗畑への物資搬入や苗木搬出、人員輸送のため設けられたものだったのでしょう。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 21:46:45 | Trackback(0) | Comments(0)

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