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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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土倉鉱山鉱石輸送ルート~その2~
下丹生から小さな峠を越え北陸自動車道をくぐると中之郷の街並みに入ります。
因みに地名は「中之郷」、駅名は「中ノ郷」です。
P1040091.jpg
旧・北陸本線中ノ郷駅前より峠の方を見た様子。
奥の土蔵の先には北国街道が通り宿場の雰囲気が残っています。

P1040085.jpg
中ノ郷駅構内旧2、3番線ホームがあったと思われる場所から駅前通りを見た様子。
線路は国道365号線に転用されています。

P1040084.jpg
1番線ホームの一部が残って、駅銘板を模した看板が立っているのはその筋では結構有名。
かつては敦賀への柳ケ瀬越えのため補機の解結作業が行われ、機関車が屯していましたが1957(昭和32)年10月1日に深坂トンネル経由の交流電化新線が開通すると柳ケ瀬線という赤字ローカル線に転落。キハ52が単行で走るだけとなり1964(昭和39)年5月2日に廃止。

P1040092.jpg
かつて北陸線に特急が無い時代に急行も止まる駅だったので今でいうとサンダーバードやしらさぎが止まる駅並み。
今では余呉バスの日野ポンチョが通るだけ。
因みに現在線の余呉駅まで見通すことは出来ますが夏場や冬場は遮るもののない田園地帯を横切るので歩くときついかも。

P1040089.jpg
中ノ郷駅米原方に残る側線のものと思しき橋台。
左の石積みはいびつな形の石が積み上げられており明治期以来のものと思われます。
右は整然と四角く切られた石材で後の時代に増設されたものでしょう。
土倉鉱山の鉱石を載せていた側線なのでしょうかね?


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鉱山 | 23:42:45 | Trackback(0) | Comments(0)
土倉鉱山鉱石輸送ルート~その1~
土倉鉱山で採掘された鉱石の輸送ルート~。
tsuchikura-map1png.png
荷馬車で中ノ郷駅へ輸送していた頃のルート(黄色矢印)
鉱山から杉本までは現在の国道303号線ルート(所々バイパスでルート変更になっている個所は有りますが)。
杉本から上丹生までは現在の滋賀県道284号杉本余呉線で杉本隧道(丹生隧道)を通りショートカット、さらに小さな峠を越え北国街道を横切って中ノ郷駅へ達していました。

P1040083.jpg
土倉鉱山に程近い金居原集落。国道303号線はバイパスをつくって対岸に移りましたが集落内は昔馬車が通っていた頃以来の道幅と思われます。
奥が土倉鉱山、八草峠経由で揖斐川・岐阜方面です。

P1030490.jpg
杉本から杉野川沿いの峡谷区間を川合へ延びる国道303号から分岐し峠越えに挑む馬車道の県道284号。
峠には狭く長い杉本隧道が待ち受けています。
杉本側は杉本隧道、丹生側は丹生隧道と扁額が架かっています。
トンネル両側で名前が違いますが名古屋と飯田を結ぶ国道153号線を名古屋では「飯田街道」、飯田では「三州街道」と呼んでいるのと同じでしょうね。

P1030492.jpg
以前は蛍光灯が点いていたものの節電で消灯された模様。
一部煉瓦積みの区間も残ります。
丹生側の銘板によると延長310m、高さ4m、幅3.5m。
1948(昭和23)年9月10日起工、1951(昭和26)年3月30日竣工とありますがこれは改修工事の記録と見られます。

P1030481.jpg
丹生側の坑口。
杉野川沿いに木之本へ行く現国道303号ルートだと一度水害が発生すると道路が寸断し当時の土木技術では復旧に時間が掛ったものと思われます。
鉱石出荷が長期間ストップするリスクを避けるためには2か所峠越えはあるものの比較的地勢が穏やかな高時川沿いに出た方が得策と考えたのでしょうね。
土倉~中之郷ルートではこのトンネルの狭さがネックになり木之本への索道が開設されたそうです。

P1030473.jpg
丹生側坑口のすぐそばには木漏れ日に燦然と輝く隧道記念碑。

P1030479.jpg
隧道記念碑の1918(大正7)年6月竣工の文字。
土倉鉱山は1907(明治40)年に発見後開発されているそうですが杉本隧道が掘られるまでは峠を頂上まで登っていたのでしょうか。

P1030477.jpg
裏面にはトンネル両側の杉野村長、丹生村長と並び土倉鉱山長の名前が刻まれています。
左端は「有志」と刻まれているようです。
1954(昭和29)年に昭和の大合併で消えた村の名前で杉野村は木之本町、丹生村は余呉村(後に余呉町)へ合併。
2010(平成22)年には平成の大合併でどちらも長浜市に統合されています。



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鉱山 | 23:14:32 | Trackback(0) | Comments(0)