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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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小坂森林鉄道鹿山線~その2(鹿山~小ヶ倉谷)~
昨日は軽便祭プレイベントで仙北鉄道について講演を聞きに馬喰町へ~。
起点の東北本線瀬峰駅を通った時に車内から「あの辺が廃線跡かな?」と見たことしかありませんが廃止時まで貨客とも賑わっており業績が悪かったわけではなく会社がバス化方針を取ったため姿を消したようで。

では停電する前に小坂森林鉄道鹿山線2回目~

P1030619.jpg
鹿山集落の外れからは1914(大正3)~1915(大正4)年に大洞林道として開設された区間に入ります。
現在は下呂小坂林道と言う名称で下呂俣から下呂温泉へ抜けることも可能ですが訪問時(2018年8月19日)は通行止めになっていました。

P1030610.jpg
図面を見ると鹿山線起点2,225mのコウチ小屋付近には複線(側線、列車交換を行っていたかは不明)があったようで実際に現地へ行くと線路が2本敷けそうな拡がりがあります。

P1030611.jpg
コウチ山複線(仮称)を下呂俣・カエル俣側から見た様子。

P1030609.jpg
コウチ小屋とはこの沢の名前。
全国的に「○○沢」というように名前が付くところで岐阜県ではよく「○○洞」と名前が付くのを良く見かけます。
それでも「小屋」と付く沢は滅多に聞きません。複線の手前には「六郎小屋」と言う沢もあるのでほかにもあるのかな?
この先すぐ鹿山線起点2,519m地点で国有林へ入ります。

P1030606.jpg
鹿山線起点2,899m犬ヶ谷の第五号橋梁手前。
山手には立木に混じって何やら細く真っ直ぐな柱が建っているのが見えます。

P1030607.jpg
赤く塗られた(錆止めの色?)レール利用電柱のようです。
鉄道用か事業用かわかりませんが電話用の電信線が架かっていた跡と見られます。
木製電柱なら付いている小坂営林署の銘板は見当たりません。

P1030596.jpg
小ヶ倉谷を全長25mの第六号橋梁で渡っていました。
木橋の跡は見られませんが森林鉄道末期はこのコンクリート製道路林道橋の上を列車が走っていた可能性があります。
残念ながら橋の架設年がわかる銘板などは見当たりません。


鹿山軌道の機関車
osaka4-1.png osaka4-2.png
4.5tガソリン機関車4号機
岩崎レール工業1935(昭和10)年9月29日製作で時期的に鹿山線向けに製造されたものと思われます。
エンジンはアメリカのレロイ製JMI50馬力を搭載していました。
同時期に同タイプ機(台枠のIWASAKI RAIL Coの陽刻位置が大杉谷は中央に付くなど異なる点もあり)が愛知出張所管轄の三重県大杉谷森林鉄道に入っており、帝室林野局名古屋支局でまとめ買いして小坂、愛知出張所にそれぞれ割り当てた可能性もありそう。
この大杉谷の機関車の写真は昨年熊野古道センターの企画展「尾鷲林業物語 森林鉄道と索道の軌跡」でポスターに印刷されておりこちらに上げてます。
大杉谷の機関車は林政統一後の大阪営林局時代は3号機となり車体上回りを大改造、エンジンもディーゼル化されて大杉谷上線の1966(昭和41)年度運材廃止まで生き残っていたようです。
イラストは小坂4号機の正面写真が無いため大杉谷の機関車を参考にしています。
また塗装は比較的濃い色だが木曽の灰黒色機関車よりはやや明るい感じというくらいしかわからないので想像です。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 16:18:03 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道鹿山線~その1(正子鉄橋~鹿山)~
●鹿山軌道→小坂森林鉄道鹿山線
区間:正子鉄橋~下呂俣~カエル俣付近 12,971m
等級:軌道→森林鉄道乙→森林鉄道二級

小坂森林鉄道(1933(昭和8)、1934(昭和9)年度建設)、若栃軌道(1934(昭和9年度)建設)に続いて建設された帝室林野局名古屋支局小坂出張所の鹿山軌道。
帝室林野局名古屋支局の技手(ぎて)監督の元で1935(昭和10)年5月に起工。
2工区に分けて工事が進められ同年12月に若栃軌道大洞鉄橋分岐点~下呂俣8,841mが竣工しています。
大部分の区間は帝室林野局小坂出張所が1914(大正3)~1915(大正4)年度に建設していた道路林道の大洞林道に線路を敷いており廃線後は再び道路化されてるので道路→線路→道路と変遷。
1943(昭和18)年7月1日より路線名は小坂森林鉄道鹿山線になっています。
途中の上田俣や終点下呂俣からは作業軌道が奥へ延びており、下呂俣より奥の作業軌道は土木軌道に格上げされて鹿山線に編入。
最盛期の1954(昭和29)~1959(昭和34)年度の鹿山線全長は12,971mに達していました。
他の路線と同じく昭和30年代に撤去が進み1964(昭和39)年度で全線撤去完了。
末期は下呂俣より奥の作業軌道格上げ区間が残っていたようですが人知れず山中だけで運材列車が走り中継土場でトラックに積み替えてたのでしょうか?

IMG_20170502_141443.jpg
1935(昭和10)年度に正子鉄橋~下呂俣8,841m建設時の路線図。


小坂森林鉄道の全路線図はこちら。鹿山線は赤い線です。

P1030642.jpg
正子鉄橋の若栃線、鹿山線分岐点跡。
ここには大洞保線夫詰所があり鉄道電話機も置かれていました。
左に大洞川が流れており若栃線正子鉄橋跡に架かる道路橋が見えています。
線路は右の斜面寄りを通り左に90度カーブして正子鉄橋へ、鹿山線は正面に続いてました。

IMG_20170502_142114.jpg
若栃軌道、鹿山軌道分岐点の建設図面。
上に曲がって行くのが若栃線、右へ直進する赤線が鹿山線の計画線。
若栃線建設時からここには側線があり鹿山線建設のため構内配線変更が行われたことが見て取れます。

P1030635.jpg
線路分岐跡には濃飛バス中重口(ちゅうじぐち)バス停の待合所があります。
背後の石積みは恐らく鹿山線開設時に上の図面を元に建設されたものでしょうか。

P1030627.jpg
鹿山集落へ向かうと100mほどで道路と線路が分岐。
線路跡は1段高い藪の中に突っ込んでいきます。

P1030625.jpg
鹿山集落内は集落より一段高い山際を線路が通っていましたが削られたり柵ができたり家に遮られたりであまり面影なし。

P1030622.jpg
濃飛バス鹿山バス停。
バスはここが終点。鹿山線沿線で人が住む場所もこの鹿山までです。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 23:03:54 | Trackback(0) | Comments(0)
檔鳥坂隧道
1912(明治45)年の土倉鉱山採掘から杉本隧道(丹生隧道)が1918(大正7)開通するまでは現国道303号線のルートで木ノ本駅へ鉱石を運んでいましたが当時は高時川沿いに大きく南へ迂回するルートで杉本隧道(丹生隧道)開通後は中ノ郷駅へのルートが使われました。

tsuchikura-map1png.png
それでもこの辺の中心地である木之本はやはり交通の要衝、土倉鉱山~木之本の索道が開通する2年前の1932(昭和7)年に杉本隧道(丹生隧道)開通前の木ノ本~杉野~土倉鉱山の迂回区間を短絡する滋賀県道県道揖斐高月線(現在は国道303号線に昇格)にトンネルができました。

P1040142.jpg
揖斐、土倉鉱山側から木之本へ向かい市街地目前の峠を越える個所。
国道303号線の新檔鳥坂トンネルより上に続く旧道に入りました。
現トンネルの銘板には1996(平成8)年3月とあったのでそれまではこちらの道がメインだったようです。
左下に何やら妙なものが(・ ・;)

P1040143.jpg
台風21号にやられたのか大木が根こそぎ倒れています。
湿地帯で根元が弱かったのか同じような木が何本かありました。

P1040138.jpg
現れた檔鳥坂(あっとりざか)隧道東口。
土倉鉱山~木之本索道はこの右上の方を通っていたものと思われます。

P1040141.jpg
檔鳥坂隧道の銘板。
周りに赤レンガの賤ヶ岳、横山隧道や強烈な個性を放つ杉本隧道(丹生隧道)、旧北陸本線柳ケ瀬隧道など濃ゆい面々に囲まれてしまい地味な印象は拭えませんがこれでも現役国道トンネルです。

P1040140.jpg
工事予告の看板。
こちらでは名前が「アットリ隧道」になってます。
この名前が強烈で何だか後で調べる気になってしまいました(^ ^;)

P1040132.jpg
西口(木之本側)。
すぐに向こうが見えるごく短いトンネルです。


・土倉鉱山方面へのバス路線
全国乗合自動車総覧(鉄道省/編 鉄道公論社出版部)を見ると1927(昭和2)年11月8日には藤田 市蔵氏経営のバス路線が木之本駅前~杉野村音羽10.0kmで開業しており5人乗りのフォードA、A.D型バスが走り始めています。
戦後1948(昭和23)年4月10日には運輸省の省営バス(後の国鉄バス→JRバス)が杉野地区で区間輸送開始、木ノ本~金居原には省営トラックによる貨物輸送も始まっています。
翌1949(昭和24)年3月15日より省営バス琵琶湖線(江若鉄道近江今津~木ノ本)の杉野支線が一般運輸営業開始。
金居原までの旅客営業区間延長がいつかは不明です。

20010914.jpg
今庄付近に置いてあった国鉄→JRバスの廃車体。
この個体が実際に木ノ本で使われていたものかはわかりませんが近所と言うことで~。
2001(平成13)年9月14日撮影

湖西線開通前の近江今津~木ノ本、北陸本線旧線→柳ケ瀬線引継ぎの木ノ本~敦賀代行バスなど鉄道色の濃いバス路線が多い木ノ本でしたが金居原へのバスもこれらの路線の一部として運行していたのは土倉の鉱山町が控えていた事もあったのでしょうか。
現在周辺のJRバスは近江今津~小浜の若江線以外は全て撤退し。
近江鉄道系の湖国バスや余呉バスが運行を継続、土倉鉱山最寄りの金居原までバスで行くことも可能です。

参考文献:
近江伊香郡志(富田八右衛門 編)
全国乗合自動車総覧(鉄道省/編 鉄道公論社出版部1934(昭和9)年刊)(国立国会図書館デジタルコレクション)1080コマ目


未分類 | 23:52:00 | Trackback(0) | Comments(0)
日窒鉱業土倉鉱業所→ヤンマーディーゼル木之本工場専用線(北陸本線木ノ本駅)
日窒鉱業土倉鉱業所の索道から鉱石を積替えていた専用線。
鉱山は1965(昭和40)年に閉山になりますが2年後の1967(昭和42)年9月には同じ土地にヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)木之本工場が竣工しています。
鉱山時代は選鉱された黄銅鉱や黄鉄鉱の精錬所へ積出しや鉱山で使用する資材の到着に使われていたようです。
この専用線や索道ができる前に鉱山から馬車で隣の中ノ郷駅へ鉱石を輸送していた頃から出荷先の精錬所はばらばらだったようで北海道の国富精錬所(敦賀港~小樽は船舶輸送、小樽から函館本線経由、旧・岩内線国富駅より専用線が分岐)や大分県の日鉱佐賀関(関西から船舶輸送か)など非常に遠くまで送られていました。

2018(平成30)年9月26日追記
土倉鉱山が日窒鉱業の手に渡り1934(昭和9)年11月に土倉~木ノ本13,201mの架空索道が開業。
翌1935(昭和10)年2月には木ノ本駅に隣接して木之本硫酸工場を起工、1937(昭和12)年2月に操業開始しています。
この工場では土倉鉱山から索道で送られてくる黄鉄鉱、黄銅鉱から硫酸を精製していたようですが1943(昭和18)年5月に解体とのこと。
戦後の航空写真を見ると日窒鉱業の敷地が広い割にガランとしてるのはプラント跡地となっていたためのようです。
kinomoto_p.jpg
硫酸を生成した後の銅は敦賀港まで貨車で運び当時日窒の本拠地だった朝鮮半島の日窒鉱業興南精錬所(現・朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市)へ送って製錬していました。
ヤンマーディーゼルになった後は現在までトラクターを生産していますが専用線は原材料の到着か製品出荷に使っていたものと思われます。

<日窒鉱業土倉鉱業所専用線>
作業キロ:0.3km(内国鉄動車作業キロ0.1km)
作業方法:国鉄動車、手押

<ヤンマーディーゼル木之本工場専用線>
作業キロ:0.3km
作業方法:国鉄動車、手押

1969(昭和44)年時点で国鉄動車こと貨車移動機は5t機が2台在籍。
C5形かC6形だったらしいのですが詳しくはわかっていません。

P1040095.jpg
木ノ本駅旧駅舎と後方の現橋上駅。
2006(平成18)年の長浜~敦賀直流電化切換え時に駅舎が変わりましたが1936(昭和11)年建築の旧駅舎も「まちの駅」として地元で利用されています。

pkinomoto-yana.jpg
向かいの1番線ホーム反対側の駐車場になっている場所には北陸本線柳ケ瀬ルート旧線を新線開業後引き継いだ柳ケ瀬線の発着線と貨物側線がありました。
1964(昭和39)年5月10日までキハ52が細々と発着していたその先にはさっき中ノ郷駅跡で見掛けた柳ケ瀬線部分引継ぎの余呉バス柳ケ瀬線が止まっているのが見えます。

P1040118.jpg
左がかつての日窒鉱業→現ヤンマー工場。
下り本線の左に保線用と見られる側線がありますが専用線の名残でしょうか?

P1040111.jpg
敦賀方から見た様子。
左(東)から右のヤンマー木之本工場の中央付近に土倉鉱山からの索道が到着していました。
鉱石の積込み線はこの辺にあったのかと思いますが下り本線が結構工場建屋まで迫っていて側線を敷く余地が無いような気も。

P1040099.jpg
かつての一般貨物側線と見られる場所は保線側線になってモーターカーが待機しています。
2002(平成14)年7月新潟鐵工所製TMC-400、製番4009。
JR西日本の保線機械としての番号は4624。

P1040112.jpg
旧柳ケ瀬線乗り場方向。
ピンクのTMC-400を後ろから見るとどことなくかつてここで活躍したED70を思い起こさせます。

P1040113_20180924221422863.jpg
木ノ本~敦賀の豪雪地帯を控え除雪装置を常備。
かつて土倉鉱山は冬季雪に閉ざされは交通が途絶していたそうですが今では国道303号線は冬季閉鎖もなく通年揖斐まで通行可能。
便利な時代になったというべきなのか温暖化の影響と危惧すべきなのか・・・。


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専用線跡 | 22:33:54 | Trackback(0) | Comments(0)
土倉鉱山鉱石輸送ルート~その3 索道~
土倉鉱山が新興財閥日窒コンツェルンの日窒鉱業の手に渡ると土倉鉱山~北陸本線中ノ郷駅ルートは狭い杉本隧道(丹生隧道)が輸送のネックとなり一つ米原よりの木ノ本駅への索道がつくられました。
tsuchikura-map1png.png
選鉱所から黄色のルートで運ばれていたのが赤のルートに変わります。

P1040072.jpg
木ノ本駅への鉱石索道本線の遺構は見付けられていませんが鉱石を取り出した残土のズリを杉野川対岸のズリ捨て場まで運んでいた索道の支柱が残っていました。

P1040074.jpg
先端の方にあったプーリーなどは既に失われていますが貴重な貨物索道の遺構です。
木之本駅までの本線にもこのような支柱が並んでいたのでしょうね。

P1040076.jpg
索道支柱の下にはコンクリートで囲われた沈殿槽のようなものがありました。既に水は無く土砂で埋まっています。
コンクリートの縁の上は柵で囲ってあった跡が残るだけ。この柵の支柱は手押し軌道の古レールなのか6kgレールが利用されています。

P1040082.jpg
沈殿槽の下には沢の水を通すためのトンネルが開いていました。
手前には水路橋の跡らしき残骸が沢を横断しています。

kinomoto_p.jpg
国土地理院の空中写真でも1947(昭和22)年米軍撮影のものに木ノ本付近の索道のラインが割りと鮮明に写っています。
かつて北国街道の宿場町として栄えた木之本の市街地北側の山林を斜めに通って北国街道、北陸本線を乗り越したところに工場が見えます。
索道停車場には北陸本線木ノ本駅から延びた日窒鉱業専用線が接続しており精錬所まで貨車輸送を行っていた様子。

P1040106.jpg
索道と北陸本線の交差地点から土倉鉱山方面を見た様子。

P1040104.jpg
223系新快速が横切る向こうが日窒鉱業の跡。
1965(昭和40)年に土倉鉱業所が閉山となった2年後の1967(昭和42)年にヤンマー木之本工場が進出しトラクターの製造を行っています。
日窒鉱業時代の索道停車場は"YANMAR"の文字が掲げられた辺りにあったものと思われます。

DSC_0426.jpg
北陸本線田村~木ノ本~敦賀が交流2万V電化開業したのは土倉鉱山操業中の1957(昭和32)年10月1日。
索道開通以前の積み替え駅中ノ郷が柳ケ瀬線の小駅になり、近江塩津経由の新線には国鉄初の本格的交流電機ED70が走り始めました。
こうなると高圧の架空電車線とさほど高低差のない索道の交差が問題になりそうですがどうだったのでしょうね。

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鉱山 | 22:00:29 | Trackback(0) | Comments(0)
土倉鉱山鉱石輸送ルート~その2~
下丹生から小さな峠を越え北陸自動車道をくぐると中之郷の街並みに入ります。
因みに地名は「中之郷」、駅名は「中ノ郷」です。
P1040091.jpg
旧・北陸本線中ノ郷駅前より峠の方を見た様子。
奥の土蔵の先には北国街道が通り宿場の雰囲気が残っています。

P1040085.jpg
中ノ郷駅構内旧2、3番線ホームがあったと思われる場所から駅前通りを見た様子。
線路は国道365号線に転用されています。

P1040084.jpg
1番線ホームの一部が残って、駅銘板を模した看板が立っているのはその筋では結構有名。
かつては敦賀への柳ケ瀬越えのため補機の解結作業が行われ、機関車が屯していましたが1957(昭和32)年10月1日に深坂トンネル経由の交流電化新線が開通すると柳ケ瀬線という赤字ローカル線に転落。キハ52が単行で走るだけとなり1964(昭和39)年5月2日に廃止。

P1040092.jpg
かつて北陸線に特急が無い時代に急行も止まる駅だったので今でいうとサンダーバードやしらさぎが止まる駅並み。
今では余呉バスの日野ポンチョが通るだけ。
因みに現在線の余呉駅まで見通すことは出来ますが夏場や冬場は遮るもののない田園地帯を横切るので歩くときついかも。

P1040089.jpg
中ノ郷駅米原方に残る側線のものと思しき橋台。
左の石積みはいびつな形の石が積み上げられており明治期以来のものと思われます。
右は整然と四角く切られた石材で後の時代に増設されたものでしょう。
土倉鉱山の鉱石を載せていた側線なのでしょうかね?


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鉱山 | 23:42:45 | Trackback(0) | Comments(0)
土倉鉱山鉱石輸送ルート~その1~
土倉鉱山で採掘された鉱石の輸送ルート~。
tsuchikura-map1png.png
荷馬車で中ノ郷駅へ輸送していた頃のルート(黄色矢印)
鉱山から杉本までは現在の国道303号線ルート(所々バイパスでルート変更になっている個所は有りますが)。
杉本から上丹生までは現在の滋賀県道284号杉本余呉線で杉本隧道(丹生隧道)を通りショートカット、さらに小さな峠を越え北国街道を横切って中ノ郷駅へ達していました。

P1040083.jpg
土倉鉱山に程近い金居原集落。国道303号線はバイパスをつくって対岸に移りましたが集落内は昔馬車が通っていた頃以来の道幅と思われます。
奥が土倉鉱山、八草峠経由で揖斐川・岐阜方面です。

P1030490.jpg
杉本から杉野川沿いの峡谷区間を川合へ延びる国道303号から分岐し峠越えに挑む馬車道の県道284号。
峠には狭く長い杉本隧道が待ち受けています。
杉本側は杉本隧道、丹生側は丹生隧道と扁額が架かっています。
トンネル両側で名前が違いますが名古屋と飯田を結ぶ国道153号線を名古屋では「飯田街道」、飯田では「三州街道」と呼んでいるのと同じでしょうね。

P1030492.jpg
以前は蛍光灯が点いていたものの節電で消灯された模様。
一部煉瓦積みの区間も残ります。
丹生側の銘板によると延長310m、高さ4m、幅3.5m。
1948(昭和23)年9月10日起工、1951(昭和26)年3月30日竣工とありますがこれは改修工事の記録と見られます。

P1030481.jpg
丹生側の坑口。
杉野川沿いに木之本へ行く現国道303号ルートだと一度水害が発生すると道路が寸断し当時の土木技術では復旧に時間が掛ったものと思われます。
鉱石出荷が長期間ストップするリスクを避けるためには2か所峠越えはあるものの比較的地勢が穏やかな高時川沿いに出た方が得策と考えたのでしょうね。
土倉~中之郷ルートではこのトンネルの狭さがネックになり木之本への索道が開設されたそうです。

P1030473.jpg
丹生側坑口のすぐそばには木漏れ日に燦然と輝く隧道記念碑。

P1030479.jpg
隧道記念碑の1918(大正7)年6月竣工の文字。
土倉鉱山は1907(明治40)年に発見後開発されているそうですが杉本隧道が掘られるまでは峠を頂上まで登っていたのでしょうか。

P1030477.jpg
裏面にはトンネル両側の杉野村長、丹生村長と並び土倉鉱山長の名前が刻まれています。
左端は「有志」と刻まれているようです。
1954(昭和29)年に昭和の大合併で消えた村の名前で杉野村は木之本町、丹生村は余呉村(後に余呉町)へ合併。
2010(平成22)年には平成の大合併でどちらも長浜市に統合されています。



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鉱山 | 23:14:32 | Trackback(0) | Comments(0)
土倉鉱山軌道跡と通洞
日窒鉱業土倉鉱業所にいたバッテリー機関車で分かっているものは以下の通り。
・3t機 日本輸送機 1939(昭和14)年5月製造 製番1161
・3t機 日本輸送機 1942(昭和17)年8月製造 製番2120
・4t機 日本輸送機 1955(昭和30)年12月製造 製番25643
・2t機 日立製作所水戸 1956(昭和31)年9月27日製造 製番191635-1
・2t機 日立製作所水戸 1956(昭和31)年9月27日製造 製番191635-2
・4t機 日本輸送機 1957(昭和32)年4月製造 製番28516
・4t機 日本輸送機 1960(昭和35)年12月製造 製番3203001

写真を見る限り末期の機関車は下回りが黄色だったり黒っぽい色だったり、バッテリー箱は黄黒の警戒色。
なお鉱車は黄色一色だったようです。
nicchitsu-4t.png
昭和30年頃の日本輸送機製4tバッテリー機関車。日窒鉱業向けのバッテリー箱警戒色仕様。
日窒鉱業(現在はニッチツ)の標準塗装なのか埼玉県大滝村(現在は秩父市)の秩父鉱業所にも同じ塗装の機関車がいました。
土倉閉山後秩父に移った機関車もいるのでしょうか?

滋賀県が公開している土倉鉱山での災害(白川 雅一/著)に機関車が写ってます。
DSC_0164_20151122220218b5f.jpg
以前北陸の某所で見たことがある3~4t日本輸送機製バッテリー機関車の残骸とほぼ同型のようです。

以下は坑道入口までの廃線跡探訪。
P1030501.jpg
選鉱所から奥土倉方面へ延びる未舗装林道が線路跡のようです。
かつては508mmゲージの線路が敷かれていたのでしょう。

P1030500.jpg
線路脇の山手に立つ土倉鉱山鉱友顕彰碑。
鉱山で働いた人々が仲間たちとの思い出を記念してに立てたのでしょうか?
草深くて近くで確認できてませんが揮毫は木之本町の1980年頃の町長さんのようです。

P1030502.jpg
通洞までの間は道路脇まで植林されているものの何やら施設の跡がちょいちょい見えます。

P1030504.jpg
ほどなく通洞前に到着。
かつて線路は複線で坑道に入っており、当時の通洞の写真を見ると坑口の部分に渡り線があったようです。

P1030505.jpg
坑口上が窪んでいるように見えるのはかつて神棚があった跡。山の神様がおわしたのでしょう。
通洞前には構内からの水が湧き出して水溜りになっています。
現役時の通洞と比べると地面が埋まったのか穴が小さくなったように見えます。

参考文献:
ニチユ<日本輸送機>機関車図鑑(岡本 憲之/編著 イカロス出版)
機関車表フルコンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング)

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鉱山 | 22:18:26 | Trackback(0) | Comments(0)
野辺山SLランド撮影会
8月31日で惜しまれながら閉園した野辺山SLランドで行われた最後の撮影会へ9月15日(土)に行ってきました。
あいにくの天気でしたが非公開だった元・王滝森林鉄道DL御開帳もあり是非にと参加。

P1030979.jpg
台湾糖業公司蒜頭糖廠362号機とNo.143
1948(昭和23)年ベルギーのアングロ・フランコ・ベルジ(Anglo-Franco-Belgie)製Cタンク機を灯油抱焚き蒸機に改造したもの。
野辺山SLランドの主力機でした。
台湾糖業公司蒜頭糖廠の製糖鉄道は今でも観光鉄道として運行してますね。
No.143は以前の記事野辺山SLランドの酒井No.143で紹介済み。

P1040053.jpg
同363号機
こちらは某個人所有機で元々362号機と同型ですが灯油焚き化改造前のオリジナルの姿を留めます。

P1040019.jpg
参加者で車庫から無動力のDL2台を押し出し~。

P1040031.jpg
王滝森林鉄道No.118
1957(昭和32)年製酒井工作所製5t機。
木曽谷の森林鉄道(西裕之/著 ネコ・パブリッシング)によれば上松→上松運輸営林署所属の5t機。
上松署管轄の小川森林鉄道系統が廃止されたことで上松運輸営林署に転属して王滝森林鉄道で使われたものと思われます。
いつも王滝で見てるNo.132と同じ見掛けですがこちらはトルコン装備。
コンプレッサ位置も左右逆で前から向かって左に付いてます。
現役時代の塗装は変わっていて下周りが茶色、上は黄緑で、通常あるはずの細帯が引かれていませんでした。

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No.118背面。

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旧番No.45→No.37→No.60
酒井工作所製4.1t機で当初はガソリン機関車、後にディーゼル化されてます。
赤沢森林鉄道記念館にある機関車の台帳では製造1933(昭和8)年、1936(昭和11)年7月購入。
三殿営林署の資料(与川経営区第五次編成経営案説明書 昭和二十三年調査 昭和二十五年実施)では1937(昭和12)年1月購入とある機関車。
蘭、与川森林鉄道で使われた機関車で唯一現存する機関車。
というわけで西宮後停留場 蘭、与川森林鉄道も写真追加で更新しました。

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こちらも個人蔵とのことですがオーナー様のご厚意で公開されました。
SAKAI.WORKSの陽刻が前輪側にあるタイプ。

楽しい撮影会で念願の三殿営林署の機関車も見れて大満足。
主催、参加の皆様ありがとうございました。

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森林鉄道(長野営林局) | 00:00:07 | Trackback(0) | Comments(0)
土倉鉱山選鉱所跡
国道303号線八草トンネルで岐阜県から滋賀県に入って旧道に入った長浜市(旧・木ノ本町)金居原にある日窒鉱業土倉鉱業所跡。
1965(昭和40)年に閉山になるまで黄銅鉱、黄鉄鉱を採掘しており、鉱石は当初荷馬車で北陸本線旧線の中ノ郷駅まで輸送、後には1つ米原寄りの木ノ本駅まで索道で輸送して貨車で精錬所へ運んでいたそうです。
廃墟ファンには有名な選鉱場の土台が残ります。
当然鉱山に付きものの電車(電気機関車ですが鉱山関係は「電車」と呼ぶこと多い)がありました。
508mm軌間でバッテリー機関車を使っていました。

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出口土倉の国道303号線旧道から鉱山への林道が分かれる箇所。
出口土倉の読みは「でぐちつちくら」ではなく「でごうつちくら」だそうで。
前の杉林には社宅や映画館、学校やグラウンドがあり中町、新町、北新町、下町といった鉱山町が形成されていたようですが既に面影なし。

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土倉鉱山の奥には奥土倉鉱山もありましたがそこまでは行ってません。

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選鉱所跡。以前は車でここまで入ってましたが林道の洗掘が進んで入り辛くなりました。
土台だけで上にあった選鉱所の建物は残っていません。
線路は坑道から延びてきた線路はこの下の道路の辺りまで入っており選鉱所の上へはインクラで鉱石を上げていたようです。
選鉱された鉱石はこの画像を撮った辺りの位置から出ていた索道の搬器に載せられて北陸本線木ノ本駅へ運ばれていました。

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夏草に埋もれて見た目は映えるものの構造がよくわかりません。
選鉱場自体は立入禁止なので下から見るだけ。
変に分け入ってシックナー(沈殿池)に落ちたりでもしたら洒落になりません。

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鉱山 | 23:50:50 | Trackback(0) | Comments(0)
敦賀港駅~その2~
敦賀港駅の線路末端までレールは撤去されてないので現役時代の草深い時期とあまり風景は変わってません。
コキ車がいないという程度ですがまだ復活させることも視野にあるのでしょうか。
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以前はここにロータリータイプの貨車移動機が置かれていました。

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再録ですがこんな感じ。
右の角張った方は千葉県いすみ市のぽっぽの丘で動態保存されている機械番号06-28-01-258と見られます。
撮影年月日確認中

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駅北側。駅構内出発信号機が横に向けられています。
このスペースは以前は駐車場として使われてましたが雑草が茂って今では車が止められることもない様子。

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駐車場となる前は敦賀セメント専用線の授受線がありました。
名残りで専用線のトンネルが口を開けています。

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トンネルを正面から。
冬場に来るとフェンス越しにトンネル内部のレールが見えましたが今日は草が茂って見えません。

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トンネルの外壁には「安全第一」と書かれているらしいペイントの跡が雑木に埋もれていました。
左下のお地蔵さんは真新しいですが専用線廃止後に安置されたのでしょうか?

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敦賀セメント専用線で末期使われていた1981(昭和56)年日本車輌製15t機D15-2。
敦賀セメント線廃止後深坂峠の向こう北陸本線高月駅分岐の日本電気硝子滋賀高月事業場専用線で使われていた頃の様子。
ここも廃線になり現在は伊予三島の大王製紙三島工場専用線で使われてますが予備車になっている様子。
なおD15-2というからには同型のD15-1、D15-3もいて大阪の桜島や京都市場で使われ一族離散したもの。
現在D15-1は那珂川清流鉄道で動態保存、D15-3は伯耆大山の王子製紙専用線に行きましたがまだ使われているのかな?
2005(平成17)年8月25日撮影


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専用線跡 | 23:46:09 | Trackback(0) | Comments(0)
敦賀港駅~その1~
2009(平成21)年の敦賀港線休止後は行ってなかった敦賀港駅を久し振りに覗いて見ることに。

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レールが錆びて出発信号機が横を向けられている以外はあまり変わり有りませんね。

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警報器、遮断機も撤去され道路との境には軌道内への侵入防止のためか柵も立てられています。

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ランプ小屋は改修、整備されたようです。

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そう言えば鉄道現役時代(現在もオフレールステーションとしては現役)は「見学時は駅事務所に声を掛けてください」とあった覚えがありますが今は日中開けっ放しにしている様子。

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中には北陸線開業時の1800形と1290形蒸機の緑色灯、赤色灯復元品が展示されています。
1800形は関ヶ原越えや柳ケ瀬越えで使われ最後は石山の東レ専用線でスイッチャーになっていた1801号が京都鉄道博物館で保存されてますね。大阪の交通科学博物館にいた頃で見てますが暗くて写真を撮ってません(^ ^;)
1290形は線路工事用ですが初期は営業列車も牽いてたようで。
3両いたうち善光号1292号が大宮の鉄道博物館にいますがこれも写真撮ってないなあ(^ ^;;)

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明治末に天筒山から敦賀港を俯瞰した写真もSNS公開などOKとのことなので上げます。
港には汽船、和船、洋式帆船が入り混じり岸壁上には客貨車が屯す状態で乗り物的に見ても面白いですね。

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敦賀港駅構内。今より海岸線が線路に近いところまで迫り機関庫も建ってますね。

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写っている車両はほとんどが有蓋貨車ですが下の建屋の前に並ぶ4両のうち奥の2両には屋根に車内灯のランプ差し入れ口が付いているのが見えますが客車でしょうか?貨物の車掌が乗務する緩急車かも知れませんが。

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スクーナー(2本マストの洋式帆船)の真ん中に大きな和船・・・江戸時代以来の弁才船のようですね。
これらはまだ辛うじて残っていた北前船でしょうか。
北前船は江戸、明治期に大坂(現・大阪)から瀬戸内海、日本海経由で東北、北海道で交易してました。
電信発達前は各地で物価の差が大きかったため危険でも一航海すれば大きな利益がありました。
しかし電信の発達で各地の相場がどこでもすぐ分かるようになってしまったためビジネスモデルとして成り立たなくなり、汽船や鉄道も発達して来たことから姿を消しました。
この写真が撮られた頃は両者が同時に存在したことを示す貴重な資料です。


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JR貨物 | 15:43:27 | Trackback(0) | Comments(0)
敦賀港のキハ28 3019
台風21号に北海道の地震に災害が続きますね。
新千歳で昨年台風の中飛行機が飛ぶまで見物して回ったターミナルビルも酷い有り様で唖然。
地震自体の直接的被害だけでなく停電の及ぼす影響も気になります。
被害地域の方々が早く普段の生活を取り戻すことができればと願っております。
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自宅は台風で一晩停電しましたが他の被害から考えると些細なもの~。
停電中にできることもないのでカメヤマローソクを撮って遊んでました。

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敦賀港赤レンガ倉庫の脇に保存展示されたキハ28 3019。
子供の頃山陰本線、宮津線、小浜線で何度もお世話になっているキハ58、28の一両。
この車に乗ったか?と言われるとわかりませんが1968(昭和43)年に富士重工業で製造されて以来終始福知山、豊岡区に所属する北近畿、若狭地区に根差した車両です。

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何故か四国の急行列車風のヘッドマーク付き。
急行わかさ現役時は方向幕の急行種別表示だけでヘッドマークまで掲出してたのは見たことないです。

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1968(昭和43)~1969(昭和44)年製造分で変わったパノラミックウィンドウが特徴。

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最後は豊岡区所属で2000(平成12)年に廃車になったそうですが表記は福知山所属を示す「福フチ」のまま。

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敦賀駅に停車中の急行わかさ。
京都からの急行丹後を分割して内2両が「わかさ」となり敦賀まで入っていました。
1994(平成6)年10月8日 敦賀

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パノラミックウィンドウの福知山区所属キハ28現役時代。
残念ながら車号までは読めませんが前面窓上に通風口蓋があるなど違いがあるため3019ではないはず。
隣には新大阪~東舞鶴を運転してたキハ65特急「エーデル北近畿」の姿も。
1992(平成4)年8月19日 西舞鶴

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敦賀を発車するキハ58 1117+キハ28 2346。
小浜所属のパノラミックウィンドウキハ58です。
後ろのキハ28 2346は今もいすみ鉄道で活躍中ですね。
キハ58 1117も富士重工業1968(昭和43)年製で長いこと福知山区に所属していました。
2001(平成13)年9月1日

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保存車 | 23:54:32 | Trackback(0) | Comments(0)
東京大学演習林軌道 下見~その3~
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子供の頃トワイライトゾーンで見たここを行く工事列車の写真が今でも強烈な印象に残っていますがこの区間の軌道は沢が押流してきた砂利に埋もれてしまった様子。

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その沢の下、荒川本流には森林鉄道時代のトラス橋が残骸が転がっています。
今でも滝川線跡にはこれと同型のトラスが架かっている場所がいくつかある様子。
段々沢が埋まって工事軌道時代には小さなコンクリート橋に架け替え、現代ではさらにそのコンクリート橋さえ埋もれつつあるようです。

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分岐跡、トングレールだけが残存しており軌道末期には山側の側線が撤去されていたのかな?

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オーバーハングの下に輝くレール。

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軌道の下にかつての事業所の跡か何か?
様々な遺物が転がっているのが見えます。
集材側線の跡なのか川側に分岐する側線らしき跡も見られました。

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間もなく取水口。
工事軌道になっていたのはここまでですがレールはさらに赤沢出合方面へ続いています。

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レールの脇に大きなきのこ。赤沢までそう距離はないはずですが今回はこの辺まで。

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森林鉄道(民間) | 23:09:10 | Trackback(0) | Comments(0)
東京大学演習林軌道 下見~その2~
矢竹沢から林道に戻ると線路は消滅。
車道は急勾配で上がって行き線路から離れますが間もなく十文字峠方面の徒歩道が分岐。
こちらは谷へ下り線路跡に合流。
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時折レールと枕木が現れますが枕木からレールは外れてます。

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線路が分岐する交換所が出現します。ここは1983(昭和58)年の取水口工事時の資材輸送軌道起点となっていた場所。
矢竹沢の先で分かれた道路林道から索道でここまで資材を降ろしトロに載せて奥の取水口へと運んでました。

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車庫もここにあったそうですが建屋などの跡は無し。

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埋もれた小さな木造桟橋。

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いい感じのカーブ~♪

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S字カーブ

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木漏れ日の軌道敷の下には清流荒川30度代半ばの暑い日だったのですが軌道敷は涼しいことこの上無し。
これが葛西臨海公園のそばで東京湾に注ぐあの荒川とは信じ難いですね。

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森林鉄道(民間) | 22:45:10 | Trackback(0) | Comments(0)
貨物鉄道博物館DB101のエンジン
貨物鉄道博物館DB101の塗装作業でフードカバーを開けエンジン御開帳となったので作業の合間に撮影しました。
機関車は1957(昭和32)年協三工業製10t機で東海道本線用宗駅分岐の巴川製紙専用線で同型のDB102と共に使われていました。
DB102は1985(昭和60)年に和歌山県の同社新宮工場へ転属、紀勢本線紀伊佐野駅の専用線に移ったのですがどれほど使われたのかは不明。
DB101は1986(昭和61)年11月の用宗の巴川製紙専用線廃止まで使われた後に名古屋市内での保存を経て貨物鉄道博物館入りしてます。

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9月に入っても屋根に上がると鉄板焼きになりそうな暑さは今日も変わらず小休憩時に撮影。
見慣れた762mm軌間の森林鉄道DLと比べると大きいため機器配置に余裕が感じられます。

エンジンは三菱日本重工業(現・三菱重工業)川崎製作所製DB7L型4気筒ディーゼル機関。
同時期製造の協三工業製DLで帯広営林局新得営林署十勝上川森林鉄道D103、D104がこのエンジンを搭載していました。
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公式側(左が前方向)
上の方には過給機、左の方にブレーキ動作などの圧縮空気をつくるエアコンプレッサが付いてますがエンジンがでかいせいか随分コンパクトに見えます。
ナローの林鉄5t機の場合ボンネット内にコンプレッサが収まり切らずはみ出してしまうため公式側側面にコンプレッサの出っ張りが、スペースによっては過給機もボンネット上に飛び出してしまいます。
・コンプレッサが側面に飛び出した例(長野営林局王滝営林署王滝森林鉄道No.76(初代))
・過給機が上に飛び出した例(秋田営林局能代営林署番号不明機)

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非公式側(右が前方向)
左下にセルモーター、右上にクランクシャフトやラジエターファンととベルトで接続された発電機があります。

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非公式側の運転室寄り
エンジンより運転席側下部にはトランスミッションが接続、さらに車軸への動力伝達はチェーンに寄り行われます。
上にぶら下がるタンクは軽油が入る燃料タンク。
動力伝達構造、機器配置は基本的にナロー産業機と変わりません。

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エンジンの銘板。

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今日の塗装作業が終りフードカバーも元に戻しました。



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スイッチャー | 23:11:45 | Trackback(0) | Comments(0)
東京大学演習林軌道 下見~その1~
東京大学演習林軌道。
国立大学の演習林なので厳密には国有林の一種ですが林野庁東京営林局の管轄ではありませんでした。
今も東大農学部の演習林ですがハイキングコースとして線路付き軌道が使われているので有名です。
さほど長い路線ではありませんが関東水電の発電所建設資材輸送用馬車軌道や大学が延長した区間、関東木材合名会社が延長した区間などが入り混じりややこしい歴史を持っているようですが他所で既に詳細が発表されているのでここでは省略~。
森林鉄道として最終的には西武グループの西武建設山林部が東大農学部から払下げを受けた演習林の木材を搬出するために使用していたようで西武鉄道で御馴染みだった社章を付けた機関車がこれまた西武らしい旧陸軍97式改造の運材貨車を牽いていたようです。

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末期に使われていた西武建設の協三工業3.5t機。
元は隣の谷筋にあった東京営林局中津川森林鉄道で使われていたものが廃止になったので譲り受けたものだそう。
西武建設と言うと西武鉄道旧型電機と同じローズピンクの加藤くんを吾野や静岡の専用線で使っていたのでこちらもそのイメージで塗って見ました。

森林鉄道として廃止になったのは1969(昭和44)年ですが1983(昭和58)年頃に軌道を利用して発電所の取水口工事資材輸送用に一部区間の軌道が一時的に復活利用されたため今でも線路が残っています。

秩父鉄道の序でとばかりに寄ったのであまりしっかり見てません。
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滝川沿いに山梨県へ向かう国道140号彩甲斐街道の下をくぐる軌道跡の道。
このすぐ先の八間橋で国道140号沿いに行く滝川線を分岐しますがよく知らないうちに通過してました。
末期は軌道が短縮され八間橋に土場が設けられ軌道の起点となっていました。

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道端の上屋の下に消防用具らしいものが積まれてましたが「昭和十七年 十二月新調」と書かれた年代物の水槽(?)も。

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入川渓谷夕暮キャンプ場の奥、入川渓流観光釣場の駐車場(\500)に車を置かせてもらい先へは徒歩で進みます。

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1つ目の車止めゲート。

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林鉄跡で御馴染みのレール利用柵。サイズを測ってみたら9kgレールでした。
首都圏から近いせいかもハイキング客が非常に多いです。

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しばらくは普通の未舗装林道に時折枕木らしい木片が見え隠れ。
2つ目のゲートを越えると間もなく矢竹沢です。

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矢竹沢
旧橋への軌道は右の小屋(モノレール車庫?)の方に延びていました。
左の同行のSKW氏が渡って入る橋が軌道末期の鉄橋(桁は交換されているものの橋脚は軌道時代からのものらしい)

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矢竹沢奥の旧線橋梁に線路が残っています。
木橋が落ちてレールだけが残って小坂森林鉄道濁河線で見た木橋のようになっています。

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対岸の赤沢出合側。
護輪軌条までしっかり残ってます。

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森林鉄道(民間) | 22:33:42 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ