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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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お盆の影森~その2~
影森の太平洋セメント三輪鉱業所側線2回目~。

P1030207.jpg
D502が架線のないホッパー奥までヲキを牽きこみガラガラと石灰を積み込む音が聞こえる中、帰りの準備のためデキ507の連結作業が行われます。

P1030225.jpg
30分ほどで積込みが終わり三ヶ尻(貨)駅の太平洋セメント熊谷工場へ向け出発して行きます。
次の列車は臨時のスジになってるけど来るのかな?
影森駅で入線だけ撮ってお昼を食べに行こうとしてると・・・

P1030244.jpg
入ってきたのは何と黄色塗装のデキ502。
昼食予定中止~!と鉱業所前へとんぼ返り(笑)

P1030252.jpg
さっき一緒に撮影してたファンの方もやはり戻って来て撮影再開~。
「そりゃこんなもんが来たら戻るよね~(笑)」
ホッパー前で黄色いデキが見られるとは思ってませんでした。

P1030255.jpg
デキ502は上の青いデキ507と同じデキ500形ですが製造は1973(昭和48)年7月と7年先輩。
前面窓は庇なしで高運転台のためかデキ507はパッチリ目、デキ502は切れ長目という印象。

P1030273.jpg
三輪鉱業所からヲキ、を寄付を従えて降りてくるデキ502。
背景の緑によく映える色です。

P1030280.jpg
独特の面構えのヲキフ100形ヲキフ129を殿に影森駅へと下って行きます。
現在貨物列車の車掌乗務は省略されてますが三輪側線内では車掌室に操車さんが乗車していました。
端面の窓は全部Hゴム抑えで開けることができないので黒塗りなことも相まって車内はかなり暑そう(- -)
ヲキフの向かって左下に栓が黄色いエアホースが2本。それぞれ根元に開、閉と書かれていました。
恐らく太平洋セメント熊谷工場での石灰石取り降ろし時に底蓋を開閉するためのエアを供給するためのものと思われますが地上設備に接続するのでしょうか。
ヲキ100、ヲキフ100には底蓋開閉のほか積み荷を振い落すためのバイブレータ機能も備わっているそうです。

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

現役側線・専用線 | 00:03:01 | Trackback(0) | Comments(0)
お盆の影森~その1~
武甲山の麓、秩父鉄道影森駅から太平洋セメント三輪鉱山へ延びる側線。
首都圏内であまりに有名なため今更感はありますが実は初訪問~(^ ^;)
専用線一覧には載っていないので秩父鉄道影森駅の構外側線と言うことになるのでしょうか。

P1030168_20180828220627226.jpg
影森駅から20‰の勾配を猛スピードで駆け上がってくるデキ507。
滑り止めのため砂箱から散布した砂が砂煙となって巻き上がり、咆哮するモーター音と共に予想外の大迫力。
デキ507は1980(昭和55)年9月製造の50t機。秩父電機の中では一番の若手です。
この車だけ秩父セメント→秩父小野田セメント→太平洋セメントの私有機らしいですが特に違いは見られません。
費用負担の問題でしょうか?

P1030177.jpg
デキは鉱業所入口で貨車を切り放しホッパーの手前に待避。
代わりにD502がホッパー下から出てきました。

P1030181.jpg
根岸の製油所専用線から来た機関車で1964(昭和39)年新潟鐵工所製50t機。
機関車表フルコンプリート版(沖田 祐作編 ネコ・パブリッシング)によると根岸での番号はDL501だったようですが根岸での番号標記は影森と同じで「D501」のように書いて「DL」とはなってなかった気が。

DSC_0071_20180828224155e85.jpg
根岸線根岸にいる元同僚のD504。
こちらは1981(昭和56)年製造と17年も離れているためか各部が近代化されてるようです。
D502と比べるとどことなく曲線、曲面が減って直線、平面的な感じがします。
2009(平成21)年12月14日撮影

P1030190.jpg
鉱業所入口に止められた空車ヲキ編成を牽き出すD502。
貨車は編成の大部分が勾配上に止められているため牽き出しは勾配起動となり盛大なエギゾースとを上げます。
それでもやはり影森駅方にズルズルと後退り、負けじと踏ん張るD502。

P1030195.jpg
勾配を引き摺り下ろそうとする貨車に勝利(?)してホッパー下へ凱旋~。

P1030201.jpg
鉱業所内まで入ってしまえばほぼレベル区間。
貨車も大人しくホッパー下に1編成全車が収まります。
電機もディーゼルも精一杯の走りが見られ何ともエネルギッシュな側線です。

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現役側線・専用線 | 22:59:28 | Trackback(0) | Comments(0)
与川森林鉄道大原苗畑と木曽あずさ
南木曽へ出かけた序でに与川森林鉄道沿いの大原苗畑へ~。
以前廃線跡調査に行って以下でレポートも上げてますが再訪。
・与川森林鉄道1級線3
・与川森林鉄道1級線4

というのも林野庁映像ライブラリにこの大原苗畑を写したと思われるものがあったため改めて現地確認したかったのです。
木曽国有林(1947(昭和22)年)製作:農林省山林局
林政統一により宮内省帝室林野局から農林省山林局に移管されたばかりの頃の撮影らしく、木曽地方帝室林野局の庁舎が長野営林局としてそのまま使われ局、署員はまだ帝室林野時代の制服(詰襟、官帽の警官のような恰好)を着ているのが見られます。
大原苗畑、与川森林鉄道のシーンは8:40~12:12で苗木の栽培、林鉄による出荷、山元での荷卸しが写ってます。

P1030678.jpg
11:58~12:06の運材貨車に積載しているシーンが撮られたのはこの辺でしょうか。
現在は国交省の残土処理場になって階段状に土砂が盛られて地形が一部変わっています。
映像では貨車の後ろに4kmポストが写ってました。
蘭森林鉄道から分岐する和合分岐点よりここまで4kmほど(googleマップでの計測では4,070m)であり、背景の山容からもここで撮影したものと思われます。

P1030669.jpg
大原苗畑停車場を上段から見下ろした様子。
先に見える道路が与川森林鉄道跡(←三殿貯木場方面)です。
11:51~11:58では筵で包んだ苗木を鉄索に吊るして停車場へ降ろしている風景が見られ、運材貨車の背後にも鉄索の櫓が見えます。さすがにこれは跡形もありません。
画像の右から下のT字路付近へ降りてきてたのでしょう。

P1030677.jpg
苗畑は全て残土処理場になり果ててしまったのか・・・と少し上って見ると一角にヒノキの林が。

P1030674.jpg
苗木の種を採集するための林・・・母樹林と言うもののようです。
苗畑が無くなった今は苗木をどこで育てているのでしょうね?
とは言え全部残土処理場にされてなくてちょっとほっとした気持ち。

南木曽13:50着の木曽あずさがそろそろ来るので大原苗畑からほど近い撮影場所へ移動。
今回目を付けてた場所は中央本線上り線与川橋梁。
谷の両側がトンネルという地形から碓氷峠の雰囲気が再現できないかな?と・・・
P1030737.jpg
南木曽到着直前で「あずさ」幕が既に「回送」に変えられてしまってましたorz
観光列車だから南木曽で記念撮影するお客さんもいるだろうに・・・と踏んでましたがやられました。



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森林鉄道(長野営林局) | 21:52:47 | Trackback(0) | Comments(0)
天竜二俣車庫見学~その3~
扇形庫内の一部は資料館になっていました。
P1030101.jpg
これも警戒標識に当たるのか「空襲警報發令」の標識があります。
二俣線浜名湖橋梁が破壊された場合などのため東海道本線迂回ルートとしてつくられた戦時色の濃い路線ですが実際に迂回列車が運転されたことはそんなにないそうです。
1945(昭和20)年7月24日の浜松空襲時に3本、7月30日に艦砲射撃を受けた時に5本、戦後は1962(昭和37)年に東海道本線で貨物列車が脱線して不通になった時に2本迂回運転されたとのこと。

P1030105_2018082421341459c.jpg
タブレット閉塞機と鉄道電話機、タブレットキャリアも架かってます。
こちらのタブレット閉塞機は赤のよく見る(?)タイプですが・・・

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こちらは緑に塗られています。
上り下りで赤と緑に塗り分けて取扱い間違いの無い様にしたとか?
電話機は通常のデルビル電話機と同じく本体の木箱中央に送話器が飛び出していますが受話器も黒電話と同じ送話器が付いたタイプ。どっちで話すんでしょうね??(^ ^;)

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車庫見学から改札前に戻る途中にも貨物列車のタブレット通過授受で使用したものと思われるタブレット授器や受器が展示されています。
駅では斜めになっているさおにタブレットキャリアをセットし列車がタブレットを受け取るとバネの力でさおが立ち上がって収納される仕組みだったようです。

P1030036.jpg
天竜二俣駅は上下列車が交換するだけでなくどちらかが車両を変え入出庫することがあるため3本の列車が並ぶ風景を良く見かけます。




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東海私鉄 | 22:18:51 | Trackback(0) | Comments(0)
天竜二俣車庫見学~その2~
遠江二俣機関区の転車台~。
P1030083.jpg
分岐器代わりの使用なのであまり大きくは動きません。すぐに出庫していくTH2111。
右の水色のクレーンは台車などの検査を外注化したためトラックへの積卸し用に設けたものだそう。
台検は名鉄舞木工場で行ってるそうな。

P1030092.jpg
当初は手動で回していたものの戦後電動化されたそうです。
転車台の操作室を間近で見ることもなかなか無いので撮影。

P1030079.jpg
操作室の駆動部を拡大。
左に飛び出したカバーにモーターが収まり操作室下に半分見える大歯車を介し車輪を回している様子。
車輪の左には砂撒き管らしいものも見えますね。

P1030086.jpg
転車台橋桁の銘板。
横河橋梁製作所(現・横河ブリッジ)東京工場1937(昭和12)年製造と遠江二俣機関区開設の3年前につくられたもの。

P1030073.jpg
扇形庫の横にはストック品の操作室が置いてあります。
説明によればJR九州長崎駅から貰って来たとのこと。
調べてみると長崎本線長崎駅付近立体交差化事業のため旧長崎機関区→長崎運転所→長崎車両センターの転車台がお払い箱となっています。
ネット上で検索して見ると長崎の転車台にこの操作室が付いているのが見られます。

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扇形庫内には湘南色のTH2101がいます。
この日は検査中らしく仮台車を履いていました。

東海私鉄 | 21:28:34 | Trackback(0) | Comments(0)
天竜二俣車庫見学~その1~
天竜二俣では天竜浜名湖鉄道現役車庫の見学。
毎日見学ツアーが組まれてるのでご興味のある方は↓をご参照ください。
転車台・鉄道歴史館見学ツアー

P1030066.jpg
コンクリート製の給水塔。
足のコンクリの色が新しいなと思ったら保存のため補強工事を行ったそう。
現在は貯水槽としても使っていないとのこと。

P1030068.jpg
車庫事務所付近。
エアコン室外機があることや蛍光灯化されてる以外は建築時の姿を留めているようです。

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旧・休憩所には「湯呑所」なる看板。
現在は物置でした。

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蒸機時代の風呂場も現存。
機関士、機関助士など汚れ仕事だったので仕事上がりには必須の設備でした。
そう言えば今の動態保存蒸機ではどうしてるのでしょうね。

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木造扇形庫は遠江二俣機関区開業の1940(昭和15)年以来のもの当初は8620形、1959(昭和34)年以降はC58が入っていました。
かつては5、6番線まで建屋があったもののこちらは後に撤去されたそうです。
建材には地元の天竜杉がふんだんに使われているそうです。

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線形庫の6番線より出庫するTH2111を載せて回すところも見せてくれました。
見学作業はこの転車台を使用する入換作業に合わせて組まれている様子。



東海私鉄 | 22:37:08 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その4~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線4回目

P1030015.jpg
ホッパーを末端から見た様子。
右の木立の中がホッパー。微妙にカーブした線形そのままのホッパーだったようです。
目測ですがトム車4、5台くらいは同時に積込みができそう。

P1030013.jpg
雨垂川がホッパーの山手に直交して来る箇所では鉄砲水が起きた際の対策なのか護岸が補強されています。

P1030014.jpg
ホッパーのすぐ傍にはよく森林鉄道跡で見掛けるリスの看板~。
国有林ではないので「~営林署」の文字は有りません。
静岡県とあるからには県有林なのでしょうか。
雨垂川の上流には古くから農業用の溜め池があるのですが鉱山があったような記述を豊岡村史からは見付けられませんでした。
一方でネット上の情報では雨垂の森にトロッコがあったという情報が・・・。
採掘に至らなかったかあるいは戦時中のごく短期間だけ存在した鉱山なのでしょうか。

P1030012.jpg
ホッパーから上流側を見ると何やらアヤシゲな構造物が見えます。
石積みの間に隙間がありアーチが架かっています。
どうも水門のような構造ですが小水力発電でも行っていたのか?

nobe-map4.png
ホッパー付近を略図で示すとこんな感じです。
ホッパーに機回し線があったかも知れませんがよくわからないので取り敢えず棒線配置としてます。

二俣線が全通した1940(昭和15)年6月1日当時遠江二俣機関区には8620形蒸機が12台(78649、78661、78663、78664、78665、78691、78692、78695、78697、78698、78699、88633)いたので野部(現・豊岡)駅から構外側線への貨車入換作業もこれらの機関車が行っていたものと考えられます。
後1959(昭和34)年にC58形への置換えが行われこれら8620形は廃車、転属して残念ながらこの中に現存機は有りません。

この構外側線に付いては大きな謎を残したままになってしまいました。
真夏の昼時で外に人影が無く周囲で尋ねることができませんでしたが秋になったら現地で聞き込みをして見ましょうかね(- -)

参考文献:
鉄道ピクトリアルNo.250(鉄道図書刊行会/編) ローカル線を探る 二俣線(奥田 愛三/著)
機関車表フル・コンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング)

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貨物側線跡 | 20:41:37 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その3~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線3回目

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雨垂(うたり)川を渡る雨垂橋(1972(昭和47)年3月竣工)には鉄道用の橋台は残ってませんでした。
廃線跡の直上に新しい橋を架け橋台も作り直したのでしょう。
それにしても雨垂で「うたり」と読む地名は風情がありますね。

P1030005.jpg
雨垂の谷が狭まり栗下地区の集落の終りが近付いてきました。
何の関係があるのかシルクロード美術館という施設がありますが浜松の運送会社が元々ここにあった古民家を利用して美術品を展示している様子。

P1030008.jpg
集落を抜けると再度雨垂川を渡りますがこの橋は橋梁名や仮設時期が不明。
渡ると舗装も尽きます。

P1030009.jpg
雨垂川の左岸に戻ったところで間もなく左に土留擁壁が現れます。
この左側はすぐ雨垂川のはずですが何で谷側に擁壁が必要なの(・ ・?)

P1030023.jpg
擁壁の上には鉄筋として入れられたレールの切れ端が飛び出しています。
レールを鉄筋に使うのは珍しいことではないですが何やら怪しげな雰囲気になってきました。

P1030017.jpg
擁壁の区間を側線奥の側から見た様子。
カーブしながら微妙に上り勾配になっています。

P1030019.jpg
擁壁の上を見ると手前と奥の2列で柱の台座が無数に並んでます。
この形状や柱の密度・・・貯鉱用木造ホッパーの土台なのでは?
となるとこの謎の構外側線は鉱山から鉱石を運び出すための専用線だったということでしょうか?

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貨物側線跡 | 00:01:51 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その2~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線2回目

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静岡県道40号掛川天竜線を押しボタン式の信号交差点で渡ると磐田用水と交差。
コンクリート橋の本村上橋(1961(昭和36)年5月竣工)の南(右)側には・・・

P1020992.jpg
並行して橋梁が架かっていた跡が残っています。
コンクリートの橋台本体向かって左に石積みで補強したか拡幅したような跡。
側線廃止後に現本村上橋が出来るまでの間鉄道用の橋梁を道路橋として流用したときの施工でしょうか?

P1020990.jpg
反対側にも側線用と思われる橋台が残存。
磐田用水は江戸時代に計画されたものの計画への賛同が得られなかったり幕府が倒れたりで明治に入ると今度は内務省の設計ミスで失敗、昭和に入ると太平洋戦争でまたも工事中止かと思われたものの寄付や関係者の尽力で1944(昭和19)年7月に通水。
1945(昭和20)年の米軍地図Akiba-san(秋葉山)にも乗ってますね。
二俣線開通が1940(昭和15)年6月1日、側線開業は当然その後でしょうが用水と側線工事の前後関係は不明。

P1020997.jpg
その先は里道にしてはちょっと広いかな?という程度の道が続きます。

P1020998.jpg
小さな谷なのですぐに奥が見えて来ました。

P1020999.jpg
線路跡の道の両側に時折朽ちた枕木が刺してあります。

P1030001.jpg
鉄道柵のようにも思えますがかなり短いので用地境界標の代わりに刺してあるのかも?
この側線が敷かれたのは戦時中と見られコンクリートの節約のため古枕木を使ったのではないかと推測。

参考:
水土里ネットいわた用水(磐田用水東部土地改良区)耕地整理~悲願の用水編<偉人達の活躍>


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貨物側線跡 | 00:02:16 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その1~
アメリカのテキサス大学が太平洋戦争中から終戦直後にかけ米軍が作成した日本の地形図が大量に公開されています。
テキサス大学Perry-Castañeda Library Map Collection Japan Maps
その中でも1/12,500都市地図、1/50,000地形図は所々欠けがあるものの本州、九州、南西諸島、樺太を網羅しておりたびたび参照させてもらっています。
国土地理院の前身に当たる陸軍参謀本部陸地測量部が作成した地形図などを元にしているものと思われますが都市から僻地ま大字にまで全てアルファベット表記がなされ、工場はプラントの配置まで、鉄道では専用側線や森林鉄道までもが描かれ米軍の情報取集能力の精密さに驚かされます。

その中のAkiba-san(秋葉山)に気になる線路を見付けました。
現在の浜松市天竜区に当たり、図中左よりに見える大きな天竜川の下の方にはFutamata(二俣)の町が開け、二俣線(現・天竜浜名湖鉄道天浜線)が横切り、対岸のNishi-kajima(西鹿島)からは遠州鉄道二俣線(現・西鹿島線)が分かれる現在と変わらない姿が見られます。
その二俣線の天竜川の右側下の方にkurishita(栗下)とある辺りで二俣線から線路が分かれ谷の奥の何もないところで終点になっているのが見えます。

同じ場所を写した国土地理院の空中写真を見ると・・・
nobe-map1.jpg
確かに線路らしきものが見えますね。


googleマップに落としてみると緑の線に当たります。
長さは野部駅(現・豊岡)から分岐点まで950m、分岐点から終点まで1,000mほど。
専用線一覧で野部駅は見たことが無いし、そもそもこの谷に一体何があって線路が敷かれたのか??
あれほど工場や軍事施設を事細かに書いた米軍地図もその線路末端には何も書いていないというのも何だか不気味です。

P1020983.jpg
この側線分岐に近いのは現在の上野部駅。
Akiba-san(秋葉山)の地図ではKandakoen-mae(神田公園前)という駅の場所。
神田公園前という駅は1928(昭和3)年~1935(昭和10)年の短期間だけ存在した光明電気鉄道のもの。
旧版の電車駅を消し忘れたまま新設の二俣線を描いてしまったのでしょうか。

P1020985.jpg
光明電鉄廃止後に国鉄二俣線が1940(昭和15)年6月1日に開業かつての光明電鉄の電車が走っていた線路上を汽車が走り出し1955(昭和30)年6月1日に上野部駅が開業しました。
しかし神田公園前駅と全く同じ位置なのかは不明。

P1030029_201808112340488af.jpg
豊岡側から見た分岐点。
手前から3番目の電信柱辺りで右に分岐していたものと思われますが名残りは何も無し。
分岐点付近は早い時期に圃場整備されたようです。

P1030030.jpg
カーブが終わる辺りからは線路跡が道路になっています。

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貨物側線跡 | 00:02:02 | Trackback(0) | Comments(0)
柿其森林鉄道柿其停車場
中央本線十二兼駅から木曽川を渡り支流の柿其川を少し上ったところにある旧・柿其森林鉄道柿其停車場。
かつては野尻森林鉄道と接続して中央本線野尻駅隣接の土場まで線路が延びてました。
当初は帝室林野局木曽支局野尻出張所の管轄で周囲の御料林自体は三殿出張所の管轄とややこしいところです。
戦時中には御料林自体も野尻管轄にしたものの今度は野尻出張所が飛び抜けて広大な地域を管轄しなければならないことになってしまいました。
林政統一で出張所が営林署になった後昭和30年頃には管理地域の大きさの均一化と林鉄が道路化された後のことを鑑みて再び三殿営林署管轄に戻され柿其森林鉄道も野尻駅~柿其は野尻署、柿其~北沢~大沢は三殿署管轄となっています。
P1010717.jpg
大沢側から見た柿其停車場。
柿其川には林鉄の橋脚が残っています。
この橋は野尻署末期に森林鉄道2級線から1級線へ昇格した際に木橋からプレートガーダー橋に架け替えられた様子。
左奥に見える建物が柿其停車場の機関庫。

P1010721.jpg
林鉄地帯名物のレール利用半鐘櫓も立ってます。
なお停車場は現在も柿其森林事務所として使われています。

P1010722.jpg
現在も車庫として現役の旧柿其機関庫。
さすがに給油設備は林鉄廃止後のものでしょうね。

P1010714.jpg
中にはピットのレールも残ってるのが見えます。
ここの主だったのは機関車2台、モーターカー1台。
機関車は酒井工作所製No.39、三殿営林署自作No.106
モーターカーは富士重工業製No.49がいました。

P1010727.jpg
この石段上に機関車が並んだらなかなか格好いい風景でしょうね。

P1010715.jpg
車庫から見て下段には野尻営林署管轄の線路が入ってましたがこちらは1958(昭和33)年より撤去が進んでおり柿其森林鉄道は他の鉄路と接続が無い状態になってました。

P1010725.jpg
停車場の片隅にある「昭38.4.15作 中継土場」の文字が入った三角形の台座。
スローガン看板か何かだったようでここにも林鉄の古レールが使われてます。
柿其森林鉄道で奥地から運ばれてきた木材はここからトラックで三殿土場へ運ばれていました。
森林鉄道からトラックへ中継するための土場となっていたわけです。
この状態が1966(昭和41)年度の柿其森林鉄道による運材廃止まで続いてました。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 22:44:17 | Trackback(0) | Comments(0)
飯田線七久保の富士重工業15t機
飯田線七久保駅の日本石油伊那油槽所専用線で使われていた1968(昭和43)年富士重工業製15t機。
DB15と言う番号もありました。
飯田線貨物末期1996(平成8)年3月17日に専用線が廃止されるまで使われていました。

P1020473_201808082056041ab.jpg
伊那谷を見下ろす与田切公園で保存されてる富士重15t機DB15。
横を流れる川は木曽山脈の越百山(標高2,614m)から流れる与田切川。
越百山から木曽側に下れば伊奈川森林鉄道伊奈川、越百、浦川線が通っていた辺り。

P1020466.jpg
富士重製のモーターカーは数あれどスイッチャーはあまり多くないので保存車は貴重な存在。


P1020465.jpg
この機関車の現役時代の様子は奥野さんの奥野君の専用線日記七久保報告で動画付きで見ることができます。
権利問題のためか日石マークは消されてますが塗装は現役時に忠実なようです。

P1020469.jpg
機関車なので台枠の厚味がありますがどことなく同じ富士重製モーターカーのTMC300っぽい雰囲気も漂います。

P1020468.jpg
背面も2枚窓。そう言えばDB15のナンバープレートが無いですが別で記念に保存されてるのでしょうか。

P1020467.jpg
説明板では1980(昭和55)年9月から七久保で使われるようになったようですが機関車の製造は先述の通り1968(昭和43)年。
どこか他所から転属してきたのでしょうか?
因みに七久保の日石専用線は専用線一覧では1967(昭和42)年版には無く1970(昭和45)年版から載っています。
素直に考えると1968(昭和43)年に専用線開業、機関車も新製配置と考え勝ちですが実際のところはどうなんでしょうね。

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スイッチャー | 23:08:24 | Trackback(0) | Comments(0)
静岡鉄道秋葉線森町駅跡
静岡鉄道秋葉線通称「石松電車」の終点。
秋葉馬車鉄道が東海道本線袋井駅前の新袋井~森町12.1kmで開通したのが1902(明治35)年12月28日。
当時は762mmゲージの馬鉄でした。
静岡清水地区で電気軌道を運営していた駿遠電気と1923(大正12)年に合併して静岡電気鉄道となり1925(大正14)年には1067mmへの改軌、直流600V電化を成し遂げています。
専用軌道と未舗装道路の併用軌道が入り混じり、同じ袋井から出てた軽便駿遠線に勝るとも劣らないローカルムードの強い電車で駿遠線より一足早く1962(昭和37)年9月19日に廃止されました。
名前が秋葉神社に由来してますが当の神社は山越えをした春野町にあります。
この神社があったのは気多(気田)森林鉄道の起点付近に当たりますがそこまで線路を敷設するつもりは無かったのか終始森町止まりでした。

森町駅周辺図
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構内は2面3線で川側のホームは貨物ホームだった様子。

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①森町駅直前の太田川を渡っていた橋梁跡。
対岸(新袋井側)白いサギの後ろに見える葉に覆われたコンクリート壁が石松電車の橋台です。
電車時代末期の写真を見ると鉄橋ではなくコンクリート桁橋になっていました。スパンの短いコンクリート桁をいくつも連ねた姿は独特でした。
かつては木橋だったのをさすがに今更木橋は・・・と架け替えたのでしょうか。

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②太田川橋梁を渡り静岡県道58号線を越え北へ90度方向を変えるともう森町駅構内。
右の車庫裏付近には転車台もあったそうです。
車輪の片減り防止のためたまに電車を方転させていたのでしょうか。
県道はかつての信州街道で秋葉神社参詣客はここから山越えをして秋葉神社へ向かうわけですが現代秋葉神社へ行こうと思えば浜松から西鹿島、天竜二俣を経て国道152号線で天竜川、支流の気田川をを遡って行くか、国道362号線で二俣川を遡り峠越えで行くかであり森町経由の方がマイナーな道になってしまいます。

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③森町の駅前から構内を見た様子。
駅跡には今でも静岡鉄道系列の秋葉バスサービスの本社、車庫、バスターミナルが入っています。
かつては電車の駅舎がそのまま流用されていたそうですが今は建て替わってます。

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④構内拡大~
後ろの三島神社の丘の雰囲気は電車時代と変化してない様子。
右列のバスが本線跡で後ろのバス辺りで左にカーブして太田川橋梁へ続いていたのでしょう。

秋葉線電車イラスト
かつては小さな何とも愛らしい電車が走っていました。
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モハ7+ハ3
モハ7は1926(大正15)年日車製の木造単車ですが単台車のブリル21Eを自社でボギー台車に改造、ポール→Yゲル→Yゲルを接合したパンタグラフ設置と荒業を駆使しています。
静鉄技術陣は電車を自作してしまう程なのでこれくらいは朝飯前だったのでしょうか。
ハ3も元は下のハ2と同型のモニタルーフ、オープンデッキだったのが大改造されてシングルルーフ、ドア付きの新車体に変わっています。
モハ7は車体だけが保管されているらしく、かつて東山動植物園で保存されていた名古屋市電貨2号のブリル21Eと組み合わせるべく台車を譲り受けたと聞きましたが今はどうなってるのでしょうね?

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モハ1+ハ2
モハ1は1925(大正14)年鶴見木工所製の静岡、清水市内線など都市部で使われていた電車。
1942(昭和17)年8月の秋葉線転属に当たり東横車輛でで車体改造を受けてるそうです。
この車両は集電装置がYゲル化(末期は屋根もダブルルーフからシングルに改造された様子)されてますが最後まで単車のままでした。
ハ2も静岡市内線から転属したようで1920(大正9)年天野工場製。
古典的なモニタルーフでかつてはベスチビュールもなく寧ろ馬車鉄道の客車っぽい雰囲気でした。

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廃線跡(一般鉄道) | 23:08:34 | Trackback(0) | Comments(0)
三岐鉄道旧西武701系復刻車イベント~その5~
最後は保々撮影会機関車編&貨鉄博お邪魔編~
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これだけ電機が揃ってやはり三岐鉄道は豪勢ですね~。

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シュプールユーロ赤倉のヘッドマークを付けたED5081。
実際にこのHMを付けていた列車はスキー客輸送のため名古屋~妙高高原を走った臨時急行でした。
この列車に使われていたユーロライナーや14系ユーロ客車も既に無くなって久しいですね。

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入換中のED5081と後方に佇むED451、ED452。

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2度目の撮影会が行われたのは西に傾き始めた陽光で保々車庫の機関車が最も美しく見える時間帯。
ED451、ED452共に既に還暦を過ぎた機関車ですが毎日定期仕業を受け持つ実用機としての機能美は衰えていません。

保々の撮影会でお開きとなったツアー。
その後貨物鉄道博物館に顔を出しました。
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酷暑の中元名鉄ト15修復作業中で足場からの手押し移動をお手伝い。
押し慣れた(?)762mm車と比べるとやはり重いですね~。
ト15は瀬戸電気鉄道(現・名鉄瀬戸線)が1912(大正元)年に製作したという貨車ですがあちこち改造を受けて原形なのかどうかも実はよく分からないそう。
目を凝らすと一部バッファー穴を埋めた跡がかすかに見えます。
瀬戸電時代は瀬戸~堀川で陶土、逆方向に窯の燃料の石炭や木炭を載せて瀬戸電独特の前照灯が2つ飛び出したデメキン電車に牽かれていたのでしょうか。

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アオリ戸の松材が未塗装状態なので黒い金具が際立って構造がよくわかります。
貨物鉄道博物館では細かい部品までこだわって復元作業を行うため教えてもらうと見ただけでは気付かない興味深いことがわかります。
貨物鉄道博物館次回開館日は8月5日(日)
また暑い日になりそうなのでお越しの方は水分補給をお忘れなく~。

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東海私鉄 | 23:48:52 | Trackback(0) | Comments(0)
三岐鉄道旧西武701系復刻車イベント~その4~
富田より保々に戻ると西武701系色805F撮影会後半戦。
暑さでもうバテバテの人(自分も含む・・・爆)も多かったですが車庫の方曰く「今日はまだ風があるからまし」確かに上屋の下は気持ちのいい風が抜けてました。
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元西武組の向こうには元東武ED5001の三岐ED458が停車中。

幕変え撮影会~
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西武新宿。
現地での西武鉄道ファンの方々の様子を見ているとこのようにオーソドックスな方が好まれるようでした。
やはり実際日常的に見たことがある姿の方が良いようで。

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大安と本川越
大安行は僕も営業列車では見たことが無いですね。

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大安と狭山線西所沢-西武球場前

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JR富田と多摩川線武蔵境-是政
JR富田の手書きっぽい文字が何とも味わい深いです。
多摩川線は昔は砂利貨物が盛んで側線やナローが一杯あったトワイライトゾーンだけに我々はやはり是政がお気に入り~(笑)
今是政に行っても当時の面影は有りませんが武将の名前のようなこの駅名は何か印象的。
・・・と思ってたら本当に武士の名前が由来だったんですね。
後北条家の家臣井田 是政が北条家滅亡後に開拓した土地だったそうですが苦難を乗り越え荒れ地を開拓した是政を称えて地名になって名前が残ったとのこと。

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東海私鉄 | 22:51:14 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ