投稿日:2018-07-30 Mon
三岐鉄道保々駅にあったコンクリートパイル、ヒューム管工場の専用線。現在工場は閉鎖されて別の会社が入ってますが当時の煙突だけが保存(?)されてます。
元々は大同コンクリート工業(現・ジャパンパイル)沼津工場の分工場として開設された工場で操業開始は1940(昭和15)年3月3日。
四日市コンビナートの原型となる四日市海軍燃料工廠建設のためのコンクリートパイル製造を同社が海軍から要請され石灰産地の藤原鉱山と四日市の間にある保々に工場を置いたようです。
海軍からは伊勢湾に付き出す突堤に使う巨大なコンクリートパイルの受注が舞い込んでいます。
海軍から受注したものは以下の通り
φ600mm×25m:80本
φ450mm×20m:150本
φ400mm×18m:200本
25mとなると長さ13.6mのチキ1500形でも2台に跨ってしまいますね。
レールならある程度曲がるもののコンクリートパイルでは運ぶのが大変そう・・・(^ ^;)
その後も藤原鉱山に砂利の産地となる員弁川が近いという地の利から本工場の沼津より独立しコンクリートパイル、ヒューム管を生産。
これらを積みだしていた専用線は専用線一覧では1953(昭和28)~1983(昭和58)年版で確認できます。
作業キロ:0.1km
作業方法:社機
以下の写真は1枚目を除き車庫での撮影会の折に撮影したもので普段は立入できない場所です。

保々駅ホームから見た大同コンクリート三重保々工場跡。
煙突が1本だけ屹立しています。
冬になると電飾されたりしてますが何故これだけ残っているのかは不明。
旧積出ホームの辺りにはソーラーバッテリーのパネルが並んでいます。

三岐鉄道保々工場の富田側、工場への線路は左の方で分岐していました。
古い時代は富田側の現在の保線基地付近で本線から分岐して進入することも出来たようです。

保々駅の北東側にはワム200形を置き換えた国鉄ワム80000払い下げのワム700形が車輪付き倉庫として置かれています。
このワム700が置かれてるのがかつての専用線のレールのようです。

煙突の手前にはワム700から砂利に埋もれた専用線のレールが続いてるのが見えます。
これより富田側は撤去されたか埋められたかわかりませんがレールは見えませんでした。
参考文献:
創立二十五年(大同コンクリート工業株式会社)
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投稿日:2018-07-28 Sat
富田駅三岐線側の風景~。
JRホームからも見える駅名標。そう言えば旅客営業を行っていた時代は大矢知までの間に富田西口駅(近鉄のガード下にあった駅。国鉄富田発着電車の近鉄富田利用者のため置かれた連絡駅)があったはずですが次駅表示は大矢知になっていますね。
貨物営業のみになった後でも書き替えたのでしょうか?
そう言えば少し前まではこの駅名板こんなに錆びてなかったと思います。
そろそろ塗り直しが行われるのかな?

日頃は関係者しか上らないホームに賑わいがあるというのも何だかいいものです。

JR跨線橋への登り口。いつもJR側からは見てますが念願かなってこちら側も撮れました。
なおJR側は一枚壁で完全に区切られており知らなきゃ気付かないようになってます。

三岐線ホームへの跨線橋をJRホームから見るとなかなかいい味を出しています。
結構最近までここに「宇賀渓・藤原岳へ 三岐鉄道」という案内看板が残ってましたがいつの間にか無くなっちゃいました。

今回富田駅を見た中で一番ツボにはまったスローガン看板。
こういう素朴だけど一生懸命作った感のある看板大好きです。
投稿日:2018-07-26 Thu
JR富田に入線した805F~
停車中はクモハ805の幕もJR富田になってます。(走行中は「臨時」)
国鉄時代は近鉄富田行と区別するため「国鉄富田」となっていましたが国鉄富田への旅客列車乗入は民営化前の1985(昭和60)年3月14日以来休止中。
営業列車に「JR富田」の幕が掲げられたことはないはずですがちゃんと用意されてます。
LED表示車にも「JR富田」が用意されているそうなので復活の可能性もあるでしょうか?

表示が「武蔵境-是政」となると地上時代の武蔵境駅の雰囲気?(因みに僕は同駅の地上時代は見たことが無いです- -;)
因みに背後に見えるビルは三岐鉄道本社ビルです。

JR313系との並び~。
近所を走ってるものの日頃並ぶことがない車両同士。
富田では側面がよく観察できたのでガラにもなく(笑)側面の型式写真を撮影~。
西藤原方から順番に並べます。
805Fは元西武781Fで1967(昭和42)年西武所沢工場製。
西武701系としては最後まで残った編成でした。1997(平成9)年2月廃車で10月に三岐入りしてます。
西武時代は4両編成だったのでクハ1両を外して中間モハにその運転台を移設して3連化改造されてます。

クハ1852(←西武クハ1782)
編成中この車だけエアサス台車のFS072を履いてます。

モハ806(←西武モハ782)
台車はコイルばねのFS342。国鉄101、103系などのDT21と同型の台車。

クモハ805(←西武モハ781にクハ1781の運転台を移設)
こちらも台車はFS342。
投稿日:2018-07-24 Tue
保々車庫での車両撮影会の副産物~保々駅構内で遠方から望遠で見るか電車からちらっと見えるかしかできない貨車ダルマをじっくり見ることができました。
ワム200形
ワム200~253の54両もの仲間がおり袋詰めセメント輸送に使われていました。
車両数が多いですが色々な来歴の車両を編入しているため車輛による差異も多いようです。
保々にいるのはいずれも1951(昭和26)年製造で1986(昭和61)年まで使用されてたものですが一筋縄には行かない様子。

左(西藤原方)からワム228、ワム227、ワム230が並びます。

ワム228

ワム227
ワム228、227はいずれも1951(昭和26)年若松車輛製で国鉄ワム23000形として製造したものの内検査で撥ねられた貨車を購入したものだそう。
とは言っても国鉄への乗入は承認されていました。
1969(昭和44)年に2段リンク化改造されており、改造工事を行った東洋工機の改造銘板が付いています。
因みにワム227の銘板から読み取れた改造年は1968(昭和43)年となっていました。

ワム230
製造年は同じ1951(昭和26)年なものの製造元が小糸製作所と異なります。
ざっと見ても扉にリブが無いこと、妻面の通風口が中央1か所しかないなどワム227、228との違いが分かります。
ワム227、228、230で間のワム229は車籍はないものの救援車として現役。

ワム229
1951(昭和26)年日之出車輛製。
扉のリブがX字形、妻面通風口が2つと国鉄ワム23000より同ワム21000に近い姿です。
製造年は1951(昭和26)年とあるものの・・・

台枠には日本車輌東京(支店)昭和17年の銘板が付いてます。
元々1942(昭和17)年に製造された貨車を1951(昭和26)年に改造したもののようです。
参考文献:
RMライブラリー62 三岐鉄道の車輌たち-開業からの50年-(南野 哲志、加納 俊彦/著 ネコ・パブリッシング)
投稿日:2018-07-22 Sun
三岐鉄道の運転士さん企画の西武701系復刻塗装の三岐805Fスペシャルツアーに参加させて頂きました。営業鉄道のツアーイベントなど久し振りでしたが楽しい仕掛けが一杯でした。
関係者の皆様にお礼申し上げます(_ _)

朝は保々集合でまずは近鉄富田へ。
ここでは営業列車を待避するため奥へ押し込む縦列駐車が見られました。
普段は列車が奥まで入らないためか駅に隣接する四日市高校で部活動中の生徒さんも物珍しげにしてました。

西藤原まで行ってから保々車両基地内へ入線してそのまま前半の撮影会に突入。

西武701系復刻仕様の805Fと803F。

ED5082+ワム229+ED5081編成とED451も展示。

普段から構内は外からしか見てないので中から見ると発見がありますね。
ダルマ転轍機には「梅鉢製」の鋳出し文字があります。
現在の総合車両製作所の前身梅鉢鉄工所か梅鉢車輛の頃つくられたものなので1941(昭和16)年より古いものですね。
他にもいくつか同じ文字の入ったダルマを見掛けました。
この会社名は企業合併などのため梅鉢鉄工所→梅鉢車輛→帝国車輌→東急車輛→総合車両製作所と変遷し今に至ります。

梅鉢製ダルマと電機~
投稿日:2018-07-19 Thu
川根両国から少し千頭寄りにある側線。よく無蓋車が留置されていたり貨物ホーム上に荷物が置かれていたりで大井川鐵道貨物現役を感じさせる貴重なポイントです。
普段は中部電力の社員さん専用のため近付くことが出来ませんが千頭駅トーマスイベントの時はこの駐車場も来客用に開放されます。

この場所はかつて両国貯木場の水中貯木場があったところと思われます。

駐車場から見た貨物ホーム。今日は何にもいない?

かつてのリバーサイド線から分岐して貨物ホームがあるだけの単純な線路配置。

側線の奥にはCト109号が入っていました。アオリ戸が撤去されてフラットカーになっているため最初は存在に気付きませんでした(^ ^;)
1954(昭和29)年日立製作所製の8t積無蓋貨車です。
線路の反対側から撮った写真は大井川鉄道SLフェスタ2017~その2~に上げてます。
投稿日:2018-07-17 Tue
大井川鐵道井川線アプト式電機ED90形でまだ撮れてなかったED902を撮影できました。この機関車は金谷方にクノール社製のドイツ笛を装備しています。
ED901号機のスイス笛と共に渓谷に綺麗な音色を響かせてます。

音色の美しいこの笛ですがかつては名鉄、名古屋臨海鉄道のアヤシゲ地帯・・・築港線で鳴り響いていました。
この笛は元を正すと電車が装備しており当初の主は1926(大正15)年日車製の碧海電気鉄道デ100形。
今村~西尾を結んでいた直流1500Vの電気鉄道で現在の名鉄西尾線新安城~西尾の区間に当たります。
碧海電鉄での活躍は短く1928(昭和3)年に接続する直流600Vの西尾鉄道に乗入を行うため碧海線も600Vに降圧したため愛知電気鉄道の600V電車と物々交換で愛電へ渡り同社のデハ1010形となりました。
1935(昭和10)年には愛電と名岐鉄道の合併により名古屋鉄道が成立するとモ1010形に改番されてます。
この頃既にモ1010形は築港線で使われていたとのこと。
戦時中に電気機器を降ろし附随車サ1010形になるとこの笛も外されてしまいました。
資材不足の中この電装品を利用して鳴海工場で木造の凸型電機デキ800形が製造されこの笛もデキ800形に付けられることに。


デキ800形も主に常滑、築港線など名古屋南部の港湾地帯中心に使われていました。
戦後も東名古屋港、名電築港の貨物や朝夕のプッシュプル通勤列車に使われましたが1965(昭和40)年8月30日に名古屋臨海鉄道が開業すると名電築港経由貨物が笠寺経由に移って余剰となり1966(昭和41)年にはデキ802を最後に全廃されています。

下って来る列車の先頭に立つED902。

金谷方(左)にドイツ笛、井川方(右)には通常のAW-2を装備。

笛を拡大~。前頭部やや左の貫通扉寄りに見える立ち上がっている円筒形にチョボが付いて見えるのが笛です。
動画も撮影~。
参考までに以前投稿したスイス笛のED901動画も再録したので聴き比べてみてください。
ED902ドイツ笛の音色
ED901スイス笛の音色
投稿日:2018-07-15 Sun
仲間と大井川鐵道E31牽引の臨時客車急行を撮影に行ってきました。SLトーマス号運転時の多客対応のための増発列車ですが客車による運転は電車が検査中で不足する間だけの一時的な対応とのこと。

青部~崎平の大井川第二橋梁を行くE34+スハフ43 3+スハフ43 2
因みに仲間はこの列車に乗車中。
クリーム、赤の電機と青のはつかり色客車の取り合わせが想像してた以上によく似合います。
橋越しに見える川沿いのガードレールのある道は大井川発電所へ続く崎平構外側線の廃線跡です。

E31形自体は西武鉄道の電機ですが足回りは元国鉄80系電車流用品のDT20A。
スハフ43のTR47とは同時期に国鉄で使われた者同士。

返しの列車は仲間と川根温泉笹間渡~抜里の大井川第一橋梁で撮影。
午前中は晴れ渡っていたもののだんだん湿気が増してガスってきてしまいました。

ゆったりと渡って行く臨時急行。
大井川鐵道の客車列車はJRのような赤い反射板でなくテールランプが付くので風情があります。
投稿日:2018-07-12 Thu
コンテナなので保存、放置車と言うと違和感があるかも?コンテナにはあまり関心が無いのですが「戸口から戸口へ」なんて書かれてあるものはさすがに気になりますね。
場所はJR彦根駅構内の京都方。
学生時代から変わらずここに置いてあるのでもうすっかり馴染みのコンテナです。

JNRマークと国鉄の文字が塗り潰されてますが部内で使用するのに問題があるのでしょうか??
番号はC10-14060
C10形コンテナは1966(昭和41)~1969(昭和44)年に15,126個製造と言うことなので番号からすると後期製造分のようですがそれでも製造から半世紀は経っているでしょうね。
現在の鉄道コンテナは側面が開き戸で妻面は壁ですがこのC10は妻面が扉になってます。
側面扉式はコキ車に積載した状態でも積み降ろしできるという利点はありますが、トラックは後ろからの積込みが多いのでトラックターミナルに出入りするなら妻面扉式の方がいいでしょうね。

「戸口から戸口へ」・・・今なら"Door to Door"
横文字にしただけじゃねーか(笑)
かつては小荷物や貨物を送り主が発駅へ持って行き受取主が着駅で受け取る方式でしたが国鉄はコンテナ輸送とともに駅からトラックが家まで集配、配達に出向くというサービスを始めました。
目の付け所は良かったのでしょうが取扱量は上手く伸びずトラックによる宅配便が普及してしまいました。
時変わって現在はトラックドライバーが高齢化で人手不足が問題になってますが拠点間輸送は少々時間が掛っても長距離トラックから鉄道輸送にシフト、トラックは中近距離に絞って使うべきだと思いますね。
そもそもそんなに急いでいない荷物でも翌日配達とか異常に急いで運送会社さんに要らぬ負担を掛けるものが多過ぎる気がします(- -;)
投稿日:2018-07-10 Tue
今日で小田急ロマンスカーLSE引退と言うことで少し前に撮影した小田急線~。何故そんなメジャー物を扱うのか?と言われそうですが僕は生まれが螢田で栢山育ち・・・当時は自宅から小田急線が良く見えました。
社会人になってからも仕事の都合で本厚木に住んでたこともあって関東大手私鉄の中では小田急贔屓です(^ ^)
因みに子供の頃はまだ小田急が貨物をやってたのですが物心付く前な上に早朝運転なので自宅で寝息を立ててる横をデキが通過してたようです(爆)
荷物電車デニ1300もまだいたはずなんだけどな・・・全く見た覚えがないですorz

本厚木に住んでた頃お気に入りだった愛甲石田のアウトカーブ。
本厚木以西であまり見ることのない回送の2000形2459Fが小田原方面へ走って行きました。

急行新松田行の8000形8552F。
こちらも自分と同世代車両で幼馴染感のある車両。
しかしこの電車見た目が全然年を取らずいつまでも新車の印象があります。

特急はこね84号新宿行LSE7000形7004F。
本厚木にいた頃はHiSE色でしたがやはりこの色のがしっくりきます。
報道などで「レトロ」と表現されてますがもうそんな時代なのか~(・ ・;)
ということで自分もレトロ世代ですね。

続いて特急はこね31号箱根湯本行GSE70000形。
7000形の後継車で頭の"7"の番号も引き継がれました。
新車登場時の写真で見ると何だかおもちゃっぽく見えましたが実際見るとなかなか重量感ある走りを見せてくれました。

1枚目で小田原方面に回送されていった2459Fが再び回送で新宿方へ向け通過。
最初に下りで通過してから20分ほどで帰ってきたことになりますが伊勢原辺りで折り返してきたのかな?

〆は特急メトロはこね21号箱根湯本行60000形。
そう言えば未だに地下鉄線内でこの特急に乗ったことも見たことも無いですね。
投稿日:2018-07-08 Sun
九州から中部地方まで甚大な被害を出しており、昨夜は自宅でも洗車機の中のような雨が降りました。被害はないですがよく出かけたり通ったりする身近な地域でも被害が出て亡くなった方も見えご冥福をお祈りします。
被災地域の復旧も気にかかるところです。
飛騨地方の被害もニュースになってましたが飛騨小坂では6月の豪雨で滝の遊歩道が壊滅したところにさらにこの大雨被害。
これからの観光シーズンに打撃を被ってます。
山間部で人里から離れた小坂森林鉄道廃線跡でも5月に行ったばかりの造林小屋が跡形もなく消えたり林道が土石流で通行できなくなっているという話を聞きました。
現在厳立峡には行けるそうですが奥の三つ滝、唐谷滝、あかがねとよへの遊歩道が流失。
根尾滝への遊歩道も椹谷の吊り橋が流失してるそうです。

厳立峡

三つ滝
この遊歩道が流失してる様子。

唐谷線のヘアピンカーブ築堤。
ここも林道が崩れてアクセス不可。築堤自体はどうなっているのやら。
森林鉄道は建設時にセメント節約のため石積みにセメントを充填しない「空積み」で築かれている箇所が多いです。

唐谷の事業所跡付近。林道になっている旧唐谷線の軌道敷が一望できます。
この斜面も今はどうなっているのか。
投稿日:2018-07-06 Fri
養老鉄道友江駅2回目貨物ホーム編。
友江駅大垣方。本線の転轍機は発条式で、2号線と3号線の分岐は電気転轍機。
というわけで上り列車(桑名方面)は2号線(中央)か3号線(右)に入れる構造。

そしてさらに左手前の1号線奥には貨物ホームが残っています。

大垣側の踏切から見た様子。
右端の1号線のさらに右(西側)に1線分スペースがあります。

石積みの貨物ホーム。
貨車は大垣方から押し込むか突放作業で入れてたのでしょう。
友江駅の貨物扱いは1970(昭和45)年11月30日廃止ですがそれまで使われていたのでしょうか。
なお貨物以外に荷物扱いもありましたがこちらも翌1971(昭和46)年9月1日に廃止されています。
養老線にはかつてモニ、クニ(国鉄・JR流に言うとモハニ、クハニ)と言った旅客荷物合造電車がいたのでこれらに小荷物を載せていたのでしょう。
参考文献:
養老線開通70年のあゆみ(近畿日本鉄道養老線西大垣駅 編著)
投稿日:2018-07-04 Wed
大垣市郊外の養老鉄道友江駅。これより大垣寄りは西大垣、美濃青柳と重化学工業系の専用線が接続して工場の駅と言う雰囲気でしたがここまで来ると長閑なローカル線の駅になります。

駅舎は無くなったものの改札口の階段は残りました。
養老線は西大垣や揖斐など改札に階段のある駅が多いですがホームを嵩上げしたためでしょうか?

2、3号線ホームの向こうには田園風景が広がります。

現役の1、2号線の東側(左)には3号線がありますがいつの間にか信号機や架線が撤去されています。
かつては貨物列車の発着や待避に使っていたのでしょう。
2000(平成12)年11月に西大垣~東方操車場でデ31、33のさよなら運転がありましたがその時はこの3号線にデ31、33重連が入り定期列車をやり過ごしていた覚えがあります。
その後も回送列車が待避しているのを何度か見掛けましたが使用頻度は低かったです。

2面3線の国鉄、JR線ではよく見られる配線ですが幅の狭いホームはやはり私鉄らしい雰囲気。

大垣市制100周年記念ラッピングの610系モ613+ク513の大垣行が入って来ました。
大垣が市制を敷いたのは1918(大正7)年4月1日、養老鉄道(初代)が揖斐まで全通したのは1年後の1919(大正8)年4月27日。
揖斐川とつながる運河が発達し「水都」と呼ばれた大垣、揖斐川水系の河川交通機関を代替すべく開通した養老鉄道ですが今では物流は完全に国道258号に移行。
それだけでなく県境を挟んだ大垣~桑名のつながり自体も薄れてしまった感があります。
投稿日:2018-07-02 Mon
岡谷市の高台にある諏訪湖周クリーンセンター・・・諏訪湖周辺の市町村の総合ゴミ処理場のようですがその一角で保存されている謎の機関車。
釜口水門のプリムスと同じく地元の土木会社で使用された土工用ガソリン機関車です。

ラジエターグリル上にFEDERALの文字が入ってますがこれは機関車自体のメーカーではなくエンジンとラジエターのメーカー名のようです。かつてアメリカにあったトラックメーカーで当時の市販トラック部品と思われます。

左側面。運転室の扉はこちらだけ。
キャブやボンネットなど上回りの形状はプリムスと似たような作り。
戦後同じ工場で改造されたものと思われます。

右側面。こちらは扉無し。
鋳物台枠の表面はかなり粗く凸凹してます。台枠も高く腰高な感じ。

1枚窓だけのシンプルな背面。

FEDERALのエンジン。
右上にはガソリンタンクがありますがそちらにはFORDSONの文字。
フォードソントラクターの燃料タンクを流用したものでしょうか。

運転室。
プリムスはフリクションドライブでしたがこちらはミッション付き。
かつては座席があったのかそれとも台枠の底に立って運転したのか。
奥はブレーキレバー、その手前はスロットル?
一番手前はシフトレバーでその根元右手のギアから駆動チェーンが前輪へ架かっていた様子。
クラッチペダルが有りませんがペダルではなかったのでしょうかね。
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